「また、会える?」
 けたたましいアラーム音が鳴っている中で、この言葉だけは、真っ直ぐ晴陽に届いたと思う。
 その証拠に――晴陽は、花が咲いたように笑った。
「うん。きっと、また会えるよ。お互いが、また会いたいって思ったら」
 俺は晴陽の笑顔を握り込んだまま、現実へと意識を戻した。


 遠くで鳴り響いていたアラームが近くで聞こえ、目を覚ます。はっとして飛び起きると、そこは見慣れた自分の部屋だった。
 ちゃんと現実に戻ってこられたみたいだ。ほっと一息を着くと、手のひらに温もりが残っていることに気がついた。
 晴陽と繋いだ、右手の手のひらを見る。見た目では何も変わっていない。
 ただ、温もりが微かに残っていた。晴陽の、あたたかさが。





「おはようございます、麻耶さん」
「おはよう」
 挨拶をして羽坂さんの車に乗り込む。助手席にはいびきをかいて眠る男がいて、仕方なく俺は後部座席に座った。
「すいません、玲央さん寝てますけど気にしないでください」
「どうせ昨日の夜寝てないんでしょ?玲央も羽坂さんも」
「まぁ、そうですけど」
 ほんのりと顔を赤くしながら口ごもる羽坂さん。玲央も彼女も、目の下のくぼみに薄い影が出来ている。
「そうだ、夢の話なんだけど」
「お、いい夢でも見ましたか?」
「まぁ、いい夢ったらいい夢なのかな。ちょっとよく分かんないんだけど、不思議な夢で」
 乏しい語彙力で今日見た夢の話をすると、羽坂さんは興味津々といったため息を漏らした。
「知らない人が出てくる夢、ですか。昔調べましたけど、夢に出てくる知らない人は、自分の分身とか理想の恋人像らしいですよ」
 へぇ、と今度は俺がため息を漏らした。分身なんて考えてもみなかった。理想の恋人像というのはどこかで聞いたことがあったけれど、分身というのは耳慣れない。
「あ、でも、分身っていうのは同性の場合が多いみたいですよ。出てくる人が。麻耶さんが見た夢は、女性が出てきたんですよね」
「うん。どう見ても女性だったな」
「じゃあやっぱり、理想の恋人像なんじゃないですか?麻耶さん恋愛したいとか思ってます?」
「別に思ってないけど」
 恋愛をしたいなど微塵も思わない。学生時代は恋愛のひとつやふたつしていたけれど、俳優という職業に就いてから、恋をすることが全くもってなくなった。仮に恋愛をしたとして、週刊誌に撮られれば仕事を失う。そんなリスキーなことをしたくはない。
「つまんないですね、健康な二十五歳男性なら恋愛したいとか思うんじゃないんですか」
「じゃあ健康じゃないってことで」
「そういうことじゃないんですよ」
 ふたりで軽く言い合っていれば撮影を行うスタジオに着いた。羽坂さんが玲央を揺り起こし、俺は寝ぼけている玲央を引きずるようにして楽屋に入る。
 ヘアメイクをしてもらう最中、俺はすっかり目覚めた玲央に話しかけた。
「ねぇ玲央、ちょっと質問なんだけど」
「何々?この俺になんでも聞きなさい」
 胸を張る玲央を横目に、俺は言葉を選びながら質問をする。
「玲央ってさ、夢とか見る?」
「夢?寝るときに見るやつ?」
「うん」
「そりゃ見るでしょ、全く見ない人間なんていんの?で、その夢がどうした?」
「いやさ、俺今日ちょっと不思議な夢見たから。知らない人が出てくる夢だったんだけど……玲央もそういう夢、見たことあるのかなって」
 腕を組んで唸りながら過去を思い出している。俺の突拍子のない質問にもこうして真剣に考えてくれる玲央は優しいなと思った。
「俺の記憶にはないな、知らない人が出てくる夢。もしかしたら覚えてないだけで見てんのかもしれないけど」
「そっか、ありがとう」
「いーえ。そうだ聞いて、さっき見てた夢なんだけどさ、美羽ちゃんが出てきてくれたんだよ。今の俺は幸せでさ……」
 よく分からない惚気を聞き流していると呼び出しが入った。スタジオに入り、カメラの前に立つと、監督が近づいてくる。
「今日が最後だから、全部出し切ってくれよ」
 監督からの激励の言葉に、ふたり同時に返事をした。今日でこのドラマの撮影は終了となる。今日ですべてを出し切ろうと、改めて自分自身に活を入れた。 
 いざ撮影が始まると、玲央の熱量に飛び退きそうになった。役に憑依し、用意された台詞を淡々と並べる。普段から引き込まれそうな演技だけれど、今日は一段と違う。俺も負けじと、精一杯の演技をした。
 すべてのシーンの撮影が終わると、監督から花束とプレゼントが渡された。あらかじめ用意しておいた感謝の言葉を、感情を込めて並べていく。こんな所でも演技をするなんて、腐っても役者だなと思う。
 玲央は俺とは違い、時々言葉に詰まり、涙ぐみながら話していた。やっぱり俺とは違う。こんな場でも演技をし、『自分』だけ演じられない俺。玲央は対照的に、『自分』でいるときが一番生き生きとしている。
 演じる役も自身の性格も、すべてが正反対。
 拍手に包まれながらスタジオを後にして楽屋に戻ると、羽坂さんが涙ぐみながら笑っていた。
「お二人とも、本当にお疲れ様でした。最後のシーン、めちゃくちゃ感動しました。流石です」
 ありがとうございます、と素直に感謝をし、帰り支度を始める。忘れ物はないかなと辺りを見回した瞬間、玲央が楽屋に入ってきた。支度をしている俺を見て大声を上げる。
「ちょっと麻耶、何してんだよ」
「何してんのって帰るんだけど。だってもう撮影終わったじゃん」
 当たり前のようにそう言った俺を見て、玲央がため息をつき、頭を抱える。何がおかしいのか俺にはさっぱり分からない。
「この後飲み会行こうってなってるんだけど、麻耶行かねえの?主演俳優が?」
「ダブル主演なんだからひとりいれば大丈夫でしょ」
「そういう問題じゃないの、ほら、麻耶も行こ!」
「いや、行かないって……」
「大丈夫、俺もいるから。ね?」
「いや大丈夫じゃないって、まじで」
 近くにいた羽坂さんに視線で助けを求めても、微笑むだけで何もしてくれない。唯一助けてくれるだろうと思っていたのに。
「よーし、行こう麻耶」
「おい玲央、って羽坂さん、こいつどうにかしてくださいよ!」
「麻耶さん、たまには飲み会もいいじゃないですか」
 どうやら、俺に味方はいないらしい。
 玲央に引っ張られながらスタジオを後にし、外に出る。少しずつ暗くなってきた空の下に、俺の情けない声がこだましていた。


「乾杯ー!」
 大人数の声と、グラスのぶつかる音が狭い個室に響き渡る。
 反論したものの玲央に引っ張られ、半ば強制的に飲み会へと参加させられてしまった。酒は苦手ではない。お酒の席が苦手なだけだ。
 ここぞとばかりに身体を寄せてくる女優さん、お酒を煽ってくる先輩俳優たち。そのすべてに吐き気がする。
 俺は目立たないように隅っこに座っているが、黙って酒を飲んでいられるのもあと少しだろう。
「麻耶さん、連絡先交換しませんか?」
 ほら、やっぱり来た。そう言いながら迫ってくる女性。ふわりと漂う甘い香水の香りにむせそうだ。
「……すいません、連絡先はちょっと」
「どうしてですか?彼女がいるから?」
「いや、そういうわけではないんですけど」
「じゃあいいじゃないですか。私なんて都合のいい関係でいいですって」
 ねっとりとした口調で話しながら、俺の腕に自分の腕を絡ませてくる。単純に不快だからやめてほしい。とはいえそうは言えず、引きつった笑みを浮かべるだけ。