終章
――数年後
「はい、カット!」
監督さんの声がかかって、暗かったスタジオに電気が灯される。
今日の撮影分は無事取り終え、解散になった。メイクを落としてもらったり、荷物を取りに行くため、一緒に撮影をしていた女優さんと楽屋に向かう。
「にしても、なかなか凝った設定ですよね。活動休止中の俳優が突然ネットに投稿した、人捜しの投稿。その俳優と、その意味を追っていく女性記者のふたりの話。あの監督さんすごいですね、私だったらこんな設定思いつかないです」
「……ですね」
楽屋に着くまでいくつも話を振られたが、適当に返してスルーした。それどころではないのだ。
「あれ、今日はあのマネージャーさんいないんですか?羽坂さんって人」
「あぁまぁ、はい。大事な用事で」
俺は返事をしながら更衣室に入り、持ってきていたスーツに着替えた。どうしてスーツなのかは、このあと分かるだろう。
手早く荷物をまとめ、楽屋を出ようとした。そのタイミングで監督に捕まる。
「菅田さん、今日もバッチリでした!」
「いえいえそんな、ありがとうございます」
「宜しければ今日、一杯いかがです?」
そう聞きながら、グラスを煽るような仕草をする。普段なら二つ返事で快諾していたところだが、今日だけは生憎先約がある。
「すいません、今日はちょっと、大事な用事が」
「そうなんですね、すいません突然誘っちゃって」
「俺の方こそすみません。予定が合えば、絶対行きましょ」
約束を交わし、急ぎ目に俺はスタジオを出た。スーツだと動きにくい。出たところでタクシーを捕まえて飛び乗り、行き先を告げる。
何度も携帯を見ては時刻を確認する。大丈夫だな、間に合う。やがて車が真っ白なチャペルの前に止まった。
チャペルの入り口には、今日夫婦となるふたりの写真が入ったウェルカムボードが置かれていた。
ボードの中で、玲央と羽坂さんが、見つめ合って笑っている。
荷物をクロークに預け、中に入ればもう何人か先客がいた。特別見知った顔がいるわけでもないので用意された席に座る。
どことなくそわそわしながら開始を待つ。少ししたらライトが落とされ、曲が流れ出し、司会者によるアナウンスが入る。
「それでは、新郎新婦の入場です!」
タキシードをぴっちり着こなした玲央と、ふわりとした真っ赤なドレスを身に纏った羽坂さん。ふたりとも幸せそうな笑みを浮かべていて、手を叩く俺も自然と笑顔になる。
ふたりが歩いて行き、たくさんのお花で彩られた席に座る。
司会者が開宴の辞を述べ、披露宴が始まる。続いてふたりが立ち上がり、玲央がマイクを手に取った。
「皆さん、今日はお集まりいただき、ありがとうございます。先程、大切な家族に見守られながら、夫婦になることができました。今日という日を迎えられて、すごく嬉しいです。幸せです!」
式は玲央と羽坂さんの家族だけで行われたので様子は見ていないが、ふたりの表情を見る限り、きっと幸せなものになったのだろう。
「恐縮ではありますが、私たちふたりで乾杯の音頭を取らせていただければと思います」
乾杯!とふたりの声が重なり、響く。あちらこちらからグラスがぶつかる音がして、俺も隣の人とグラスを合わせた。
それを皮切りに辺りが賑やかな雰囲気に包まれる。披露宴のパーティーが始まったという感じがする。
俺はグラスを持ったままふたりが座っている席に近づき、声をかけた。
「お、麻耶!来てくれたんだ」
「当たり前だろ。ふたりとも、結婚おめでとうございます」
ありがとう、とふたり同時に頭を下げる。どこまでも仕草が似ていて、あぁ、やっぱり夫婦になるんだなと実感してしまった。とはいえ、この人達は昔から同じような仕草をしていたが。
「いやほんと、幸せになってください。玲央、浮気すんなよ?」
「しねぇよ!こんな時にそんなこと言うなって」
「私今でも覚えてるからね?あの日のこと」
三人でグラスをぶつけながら笑った。
玲央と羽坂さんは数年前に別れたものの、玲央が猛アタックをし続け、当たり前のようによりを戻した。そのまま順調に交際を続け、無事今日ゴールインとなった。
俺は新郎新婦から離れ、会場の隅っこに陣を取った。知り合いはいない。ひとりでシャンパンを煽っていた方が性に合う。
そうしていれば披露宴も終盤に近づき、最後は新婦によるブーケトスで幕を下ろした。
ここでも一悶着あり、羽坂さんは普通に投げればいいものの、何を思ったか近くにいた俺にブーケを手渡した。ブーケトスとは女性のゲストに向けて花を投げるものであって、俺が受け取るべきではない。
「え?羽坂さん、何してるんですか」
「いや、ブーケトスって、ブーケをキャッチした人は幸せになれるんですよ。私、麻耶さんに幸せになって欲しいので」
だとしても、俺が受け取るのはお門違いだろう。何か言おうとしても、周りの人はにこやかな笑顔で見つめてくるだけだから何も言えない。ブーイングのひとつやふたつくらい起こしてくれよ。
仕方なく俺はブーケを受け取り、スーツを着て鞄を持ち、ブーケも持ってタクシーに乗り込んだ。端から見ればなかなかの変な人である。
案の定タクシーの運転手さんには不審がられ、声をかけられた。
「なんだい、その花。綺麗だけど」
「今日、大事な友人の披露宴に行ってきて。ブーケトスで、なぜか手渡されちゃって」
はは、と運転手さんは声を上げて笑った。軽やかな笑い声だった。
「ブーケをもらった人は幸せになれるんだってなぁ。お兄ちゃん、幸せになれよ」
――もう、十分幸せです。
せっかくの運転手さんの思いを無下にする気がして、そうとは言えないまま、俺は車を降りた。俺を吐き出した車が去って行く。
家の中に入り、すぐにスーツを脱いだ。撮影と披露宴とでエネルギーを消費したからか疲れてしまい、眠気が襲ってくる。
夢の世界と現実世界の狭間の淵、羽坂さんの笑顔がぱっと浮かんできた。
――私、麻耶さんに幸せになって欲しいので。
ありがとう、羽坂さん。でも俺、もう十分幸せなんだよ。
なんでかって?そんなの、簡単。大好きな人と、会えるから。
夢の世界に落ちた俺は、ゆっくりと目を開けた。そこには美しい世界が広がっている。
俺は辺りをきょろきょろと見回す。
ふいに、ひらりとした白色が、視界に入った。
「――麻耶くん」
夢の中、キミと。
ずっと、一緒に。