きっと神様が、わたしが最後にぴったりな場所を見つけられるようにって、気を利かせてくれたのかな。
 ひとりで歩き回って、"最後"にふさわしい場所、見つけたよ。最初は出会った橋がいいかなって思ったけど、この教会を見つけたとき、ここだって思った。
 薔薇の模様をした、大きくて青いステンドガラス。扉を開けてまず視界に入ってくるのは青い光と美しい薔薇で、思わずため息が漏れた。窓も沢山あって、そのお陰で教会内は光に包まれている。
 立ってステンドガラスを眺めながら、わたしは麻耶くんを待った。見つけてもらえるかなぁなんて心配はなかった。麻耶くんなら、きっとわたしを見つけてくれる。
 そうして数分待った頃――夢の世界で数分だと捉えているだけで、本当は数分じゃないのかもしれないけど――ぎぃっと、扉が開く音がした。足音が近づいてきて、愛しい人の声がする。
 それだけで泣きそうになってしまったのは、秘密。
 ふたりで並んでベンチに腰掛ける。さっきから左胸の辺りがうるさい。
「あ、晴陽。今日、急に電話してごめん。出れなかったでしょ」
「え?あぁ、うん。ちょっと用事で。ごめんね」
 電話、してくれてたんだ。用事なんてなかったけれど、咄嗟に嘘をついた。いつからわたしは、こんな簡単に嘘をつけるようになってしまったのだろう。
 それにしても、やっぱり電話はできないみたい。だってわたしの携帯に着信はひとつも来ていない。少し期待をしてしまっていたけれど、やっぱりだめだったんだ。
 今日もいつも通り、他愛のない会話をした。これから別れ話をするとは思えないくらい、いつも通り。羽坂さんと玲央くんが別れたって言う話には、かなり驚いたけれど。
――これからもふたりの心の中には、お互いが在り続けるんじゃない?
 ふたりに対するわたしの思いであり、わたしの願いだった。わたしがいなくなっても、麻耶くんはわたしのことを思ってくれるかな。麻耶くんの心の中に、わたしは残れるかな。ずっとずっと、離れても、わたしがいなくなっても、麻耶くんはわたしを思ってくれる?
 わたしは、この命の灯火が消える寸前まで、麻耶くんのことを想うよ。
――やっぱり、晴陽の言葉って好き。綺麗。
 何気なく発された最後の二文字。それだけでときめいて、胸の高鳴りを隠すのが大変なくらいに、わたしは麻耶くんのことが好きで。こんなにも好きな人と離れなきゃいけない、自分から別れを告げなくてはいけない、その事実が苦しくて。わたしは白いスニーカーを履いた足を、上下に揺らした。
 色々と話をして、やがて麻耶くんが立ち上がった。話の内容、あんまり覚えてないの。これから言うべき言葉と、悲しさと苦しさとで頭がいっぱいで。
 白くて、少し骨張ってて、わたしよりも大きい手が目の前に差し出される。わたしはその手をゆっくりと取って立ち上がる。なんだか自分がお姫様のように思えて、気持ち悪いくらいに口角が上がってしまったのは、内緒。
 手を繋いで、ふたりで赤い絨毯の上を歩き出したところで――麻耶くんが小さく息を吸った。
 麻耶くんが何かを言おうとしているんだって、すぐに分かった。そして、きっと麻耶くんが言おうとしていることは、わたしにとってはよくないことだというのも。
「ねぇ、晴陽」
「なに?」
 たった二文字。その二文字すら、上手く言えなかったような気がした。
「晴陽は、ずっと一緒にいてくれる?」
 ずるいよ、神様。
 ちょっと優しい一面を出しておいてから、こんなひどい一面を見せるなんて。
 きっと麻耶くんに同じ質問をし返したら、麻耶くんは笑って当たり前だよ、って言うんだろうな。ずっと一緒にいるよ、大丈夫だよって。ずっとなんて、永遠なんて、ないのに。
「……ごめん、麻耶くん」
――ねぇ、麻耶くん。
「ずっと一緒には、いれない」
――大好き、だよ。
 言葉の裏にそう想いを込めながら、言った。
「今日で、会うのは最後なの。今日はね、この話をしようと思ってここに来たんだ。だからいい場所を探して……ここがぴったりだと思ったから、ここにいたの」
 大丈夫、上手く言えた。ちゃんと、言えたよ。
 正直泣きそうで、気を抜けばすぐにでも涙がこぼれそうだったけど、ちゃんと言えた。今だけは、自分を褒めてあげたい気分。
「もう単刀直入に言っちゃうけど……もう、わたしは麻耶くんとは会えない」
 必死に涙を堪えながら、麻耶くんを見つめる。麻耶くんは信じられないという顔をしていた。
 信じられないよね。嫌だよね。分かる、分かるよ。だってわたしもそうだから。
 離れたくない。麻耶くんと一緒にいたい。毎日会いたい。何気ない会話をしていたい。
――会いたい。
 何をどれだけ考えても、わたしの考えはいつも同じ場所に行き着く。会いたい、会いたい。それだけ。
「なんで?会えないってどういうこと、ねぇ、晴陽」
 救いを求めて、縋ってくるような声。やめて。これ以上、わたしを寂しくさせないで。
 麻耶くんの顔を見ていたら涙が溢れてしまいそうで、わたしはふいと顔を背けた。
「ずっと言おうと思ってた。わたしは麻耶くんと、ずっと一緒にはいれないって。何回も何回も言おうとしたけど、そのたびに怖くなって、言えなかった。ごめんね」
 まだ、思い出を沢山作る前に――麻耶くんのことを、好きになる前に。言おうと思っていたけれど、だめだった。また明日、また明日、また明日。ずるずるとその日を先延ばしにして、知らんぷりして。いつか必ず言わなくてはいけないと、分かっていたのに。
「でも、今日でお別れなの。急になって、ごめん」
「晴陽?嘘でしょ、今日でお別れって。ねぇ、なんか言ってよ」
 わたしは麻耶くんに背を向けて、大きいステンドガラスを見つめた。綺麗、と呟いたけれど、かすれるばかりで言葉にならない。
 瞳からは涙が溢れそうで、それを必死に堪える。だめだよ、わたし。最後くらい、笑顔でお別れしよう。
 目をつむって深呼吸をして、自分を落ち着かせる。笑顔を作って、くるりと振り向いた。
「嘘じゃないよ、本当。あーもう麻耶くん、泣かないでよ」
 麻耶くんの頬に手を伸ばし、こぼれる涙を拭った。わたしの指先を濡らすそれはあつくて、わたしの涙を誘発する。
「……晴陽」
「ほら、笑って!」
 ほっぺを少しつねって、引き上げる。自然と口角が上がって、麻耶くんは歪な笑みを浮かべた。
「うん、やっぱり笑顔の方がいいよ。笑ってる麻耶くんが好き。だから、笑ってて」
 わたしが頬から指を離すと、麻耶くんはこぼれる涙を拭いながら笑った。やっぱり、笑顔が似合う。
 笑っててね、麻耶くん。わたしがいなくなっても、いつかわたしが抱えていた秘密に、気づいても。あなたがもしこれを見ているとき、わたしはあなたの隣にいなくても。ずっと、笑っていて。
 麻耶くんの悲しそうな顔は、見たくないから。好きな人が傷ついているのって、自分のことのように辛い。だから、麻耶くんは笑ってて欲しい。誰と一緒にいてもいい。一生を共にする相手が、わたしじゃなくたっていい。とにかく、笑っていて欲しい。
 見つめ合って笑って、麻耶くんの笑顔を脳裏に焼き付けていた頃――遠くから、わたしの目覚まし時計の音が聞こえた。
 途端に麻耶くんが俯く。ぎゅっと握ったその手のひらが震えているのには、きっと気づいていない。