二〇一九年 十二月二日。
 麻耶くんと出会って、数ヶ月が経った。
 数ヶ月麻耶くんと過ごして、いくつか分かったことがある。
 まず、麻耶くんはわたしより五年先の、二〇二四年を生きているということ。突然そう知った時はびっくりした。だって、五年後を生きている人と出会うなんて、普通思いつかないでしょう。
 それと、麻耶くんのことを検索しても出てこない理由。麻耶くんが芸能活動を始めたのは二〇二〇年のことらしい。麻耶くんに自然な流れで質問をしたら、四年前だよと教えてくれた。
 わたしからしたら四年前は二〇一五年なのだけれど、麻耶くんからしたら違う。二〇二四年の四年前、つまり二〇二〇年。わたしが今生きているのは二〇一九年なのだから、検索しても出てこないのは当然だ。
 意味が分かったときは謎が解けてすっきりしたけど、同時に残念だなと思う気持ちが湧き上がった。麻耶くんのお芝居を見てみたかったから。
 どんな表情をして、どんな台詞を言うんだろう。恋愛ドラマとか、出てたりするのかな。告白とか、しちゃったりする?
 見たかったな。ワクワクしながらテレビの前で放送時間を待って、ドラマが始まったら静かに集中して見て、麻耶くんが出てきたらきゃーって声を上げたかった。麻耶くんの見たことない表情を見たい。好きだよ、って言われたい。
 気持ち悪いかな。こんなに麻耶くんのことが好きなんて。でも、仕方ないよね。
 好きって気持ちは、誰にも止められないと思うの。

 最近は夢の中で、よく手を繋ぐようになった。
 とはいえ関係は何も変わっていない。恋人にもなっていないし、かといってあからさまに嫌われたようなこともない。じゃあなんで手を繋ぐんだろう。わたしも不思議に思っている。
 きっと麻耶くんからしたら迷子にならないようにとか、そういう風に思われていたりするのかな。流石に違うよね。三歳下だからって、そんな子供扱いしなくてもいいのに。
 麻耶くんは最近、どうも忙しそうだ。夢に現れる時間が極端に減っている。来たと思っても眠そうだったりもう寝ていたりする。聞けばドラマや映画の撮影に追われ、その中でも雑誌撮影やCM撮影と、沢山お仕事をもらっているらしい。
 ちゃんと休んでよ、と言ってもなかなか聞かない。沢山お仕事をもらえるのはありがたいから、と言われた。それはそうだけど、それで身体壊したら元も子もないじゃない。
 ぼーっとしていた麻耶くんの顔の前で手を振ると、麻耶くんがはっとしたような顔になった。突然驚かされたような、ちょっと間抜けな顔。
 なんかあったら言ってね、できることなら力になりたいと言えば、素直な感謝が返ってきた。わたしにできることなんて、この夢の中で会話を交わして、励ましてあげることしかないのに。実際に会って、麻耶くんを励ましてあげられたら、どんなにいいか。
 少し切なくなっていると、わたしの心の内を映し出したのか、さぁっと涼しい風が吹いた。麻耶くんと繋いでいない方の手で、スカートの裾が翻らないように押さえる。
 何を思ったのか、麻耶くんは、繋いでいた手を離した。
 わたしはすぐに離れた手を取って、もう一度手を繋ぐ。ずっとこうしていたい。
 どうして手を離したか聞けば、晴陽が儚く見えたからと返された。儚い、か。
 麻耶くんの目には、わたしが消えてしまいそうに映ったのかな。ゆらゆらと揺れる命の灯火が、今すぐにでも消えそうに。実際、わたしの心に灯ったこの火は、もう少しで消える。
「もしよければなんだけど。連絡先、交換しない?」
 どこかそわそわしていた麻耶くんが、そう言った。
 嬉しくて口角が上がる一方、どうしたらいいか分からない自分がいた。だって、今ここで連絡先を交換しても、どうにもならない。わたしと麻耶くんは、生きている時間が違う。
「いいよ。とりあえず電話番号でいい?」
――どうして、少し期待をしてしまったんだろうね。
 わたしの携帯の番号を書いて、そのメモを麻耶くんに渡した。麻耶くんも自分の番号を書いて渡してくれて、一切れのメモが、輝いて見えた。
「やった。これで、現実でも晴陽と話せる」
 繋がらないよ、その電話番号は。そう言おうとして、言えなかった。わたし、言えないことばっかじゃん。
 病気のことだって言わないまま、もう数ヶ月が経った。身体だってどんどんきつくなってきて、毎日苦しいのに。もう、終わりなのかな。
 お互いがメモを見つめていれば、遠くから電話の着信音が聞こえた。きっと麻耶くんだ。わたしの携帯に電話をかける人なんてほぼいない。
 麻耶くんが電話に出るために夢の世界を出て行く。ひとりでぼーっとしていればお母さんの声が聞こえた。まだ寝ててもいいはずなのに、たまにこうやって朝一番に病室に来てわたしをたたき起こしてくる。正直やめて欲しい。
 現実に戻ると、お母さんがわたしを見つめていた。おはようと挨拶をして、布団を剥がす。
 ふと手に何かを握っていることに気がつき、手を開いた。
「……麻耶くん、だ」
「何言ってんの晴陽。マヤ?誰それ」
「……なんでもない」
「えぇ?ならいいけど。私もう行くから、ちゃんとご飯食べてね」
 突然来てわたしを起こし、挨拶だけして慌ただしく病室を出て行く。まるで嵐みたいだ。
 わたしはひとりきりの病室で、手に持ったメモを見つめていた。電話をかけてみようかと手を伸ばして、やめる。
 だって、あなたが生きている世界に、わたしはいない。
 あなたが電話をかけても、わたしはその時、生きていないんだから。


 二〇一九年 十二月三日。
 あと数日、生きていられるか分からないと言われてしまった。
 朝ご飯を食べて検査に向かう途中、どうにも息が苦しくて、ぜえぜえと喘ぎながら倒れた。息苦しさと心臓を締め付けてくる痛みとで意識を失って、次に目が覚めたときはいつもの病室にいた。
 泣いているお母さんの顔が目に飛び込んできて、そばにいてくれた顔なじみの看護師さんも泣きそうになっていた。いや多分だけど、ふたりとも泣いてたかも。
 何度も何度も生と死の境を行き来したらしく、このまま目が覚めないかもという状況にまで行ったらしい。だがわたしは奇跡的に目覚め、何とか一命を取り留めた。
 とはいえもういつ死ぬか分からない状況らしい。ならもういっそ死なせてくれればいいのにとも思う。よくないよねこんなの。自分が死にそうだからって自暴自棄になって。お母さんなんて仕事投げ出してきてくれたって言うのに。
 この日記を書くのも、今日が最後になるのかもしれない。麻耶くんと会うのも、今日が最後なのかも。
 もし今日が最後なら、どうしよう。何も言わずにさよならしたほうがいいのかな。でもやっぱり、さよならは言っておきたいよね。
 そうだ。あの綺麗な街並みの中で、今日にいちばんふさわしい場所を見つけよう。"最後"にぴったりな場所を。
 そこで、さよならを言おう。笑って、涙も流さないで、さよならを言う。大丈夫、きっとできる。好きだよって気持ちは、伝えないままでいい。
 ああでも、もし今日が最後なら、麻耶くんに好きだよって言われたいな。
 あわよくば、抱きしめて欲しい。大好きな大好きな温もりに、一瞬でもいいから、包まれたい。
 ねぇ、神様。
 最後ぐらい、わたしの願いを叶えてくれませんか。


 もう涙でぐちゃぐちゃで、よく前が見えないし、上手くかけるか分からないけれど、"最後"の夢を、ここに綴ります。
 まず世界に入ったら、そこに広がっていたのは麻耶くんとふたりで過ごした美しい世界で、びっくりした。だっててっきり、いつも通りの荒廃した世界だと思ってたから。