ひとつだけ聞くと怪しまれるかと思って用意しておいた質問だったけど、実は心の中でずっと気になっていたことだった。
 麻耶くんはわたしと出会う前、どんな夢を見ていたんだろう。
「――晴陽は、どんな夢見てたの?」
 答えてくれると思ったら聞き返されて、わたしは驚いた。でも特に隠そうとも思っていなかったので、わたしはその質問に答えた。
 やっぱりあの夢を思い出すと、身体が強張る。少しだけ息が苦しくなりながら、わたしは夢の話をした。
 ふと、麻耶くんがわたしの手を取った。自分では気づいていなかったけれど、よく見れば、手が震えている。きっと手が震えていることに気づいて、少しでも震えを抑えようとしてくれたんだろう。
 わたしは麻耶くんを見つめて、繋がれた手をぎゅっと握った。
「だから、ありがとう。麻耶くん。わたしと出会ってくれて」
 麻耶くんはすぐに首を横に振った。自分なんかって、俺は何もしてないって思ったんだろうな。
 でも、わたしは心の底から、麻耶くんと出会えてよかったって思ってる。まだ出会って数日なのに、なぜかずっと前から一緒にいるみたいに、すごく心地がいい。
 幸せなんだよ、わたし。麻耶くんといると。
 でもその幸せも、永遠には続かない。
「ほら、今度は麻耶くんの番だよ。この夢見る前にどんな夢見てたか、教えて?」
 麻耶くんは大きく息を吐くと、わたしの手を力強く握り直した。
「……実は、俺も暗い夢見てたんだよ。晴陽と同じで。今聞いてて、びっくりした」
 わたしも驚いた。まさか、麻耶くんがわたしと同じような夢を見ていたなんて。
 麻耶くんも夢の話をしてくれて、ふたりして同じような内容の夢を見ていたことが分かった。偶然かと思ったけれど、ふたりで全く同じ夢も見ていた。闇が身体にまとわりついてくる夢。
 もしかして、ふたりで同じ夢を見ていたからこそ、出会えたのだろうか。偶然、同じ夢を見ていたから。偶然にしては、一致しすぎているような気もする。
 偶然だろうが、なんだっていい。今ここで麻耶くんと話せているのなら。
「そうだ麻耶くん、もう一個質問」
 少し緊張しながら、話を切り出した。
「麻耶くんって、俳優やってるって言ってたよね。それって、菅田麻耶って名前でやってる?それとも、芸名とか?」
 わたしの突拍子のない質問に、麻耶くんが笑った。至ってわたしは真剣なのに。
「何、そんなこと?すごい真剣そうな顔してるから、何かと思った」
「いや、わたしにとっては大事だから!現実で調べようと思いまして」
「調べないでくれない?恥ずかしいんだけど」
「別にいいじゃん。ほら教えて」
 何度聞いてもはぐらかそうとするから困ったけど、ようやく観念したのか答えてくれた。本名でやってます、菅田麻耶で調べたら出てきますと。
 なんだ、やっぱり菅田麻耶で調べればいいんだ。じゃあなんで、わたしが調べたときは出てこなかったんだろう。不審に思いつつも、わたしは会話を続け、もうひとつの質問を口にした。
「麻耶くんって、誕生日いつだったっけ?お祝いしたくて」
 なんで、と不審がられたけど、何とか言い訳をして切り抜けた。字が汚すぎたって言うのは本当。現実に戻ってメモを見返したとき、なんて書いてあるか読めなかった。
 麻耶くんはわたしの質問に快く答えてくれた。今二五歳で、来年二六歳。その数字の重みを、麻耶くんは感じていたようだった。
 二五歳ってことは、何年生まれ?わたしこういう計算苦手なんだよな。
「今が二〇二四年でしょ、だから一九九九年だよ。合ってるよね?」
 うん、と頷く。頷いてすぐ、驚きの声が漏れた。
――今が二〇二四年でしょ。
 どういうこと、麻耶くん。今は二〇一九年だよ。間違ってるはずがない、だって毎日日記を書いて、日付を書いてるんだから。
 和やかな雰囲気から、一気に困惑の渦に突き落とされた。とはいえわたしと麻耶くんの間に流れている雰囲気を壊したくなくて、わたしはいつものように笑顔を浮かべる。
 他愛のない会話をしつつも、わたしの頭の中はずっとぐるぐるしている。検索結果がなかなか出ない時みたいに。
 楽しそうに笑う麻耶くんの横顔を見て、一度忘れようと思った。忘れたってまたいつか思い出すだろうけど、今だけ、目の前の幸せを掴んでいたい。
 そうして頭の中にかかるもやを自分で消し、ふたりで楽しく会話をした。この夢の世界だと時間の流れがゆっくりで、体感的に何時間か会話をした頃、遠くからアラーム音が聞こえてきた。
 麻耶くんがわたしに手を振りながら立ち上がり、現実へと戻っていく。
「ねぇ、麻耶くん」
 言わなきゃ。わたしは病気で、一年後生きていられるか分からなくて。だから、麻耶くんにもそのことを知っておいて欲しくて――。
 大丈夫、言える。大丈夫、麻耶くんなら、受け入れてくれる。
「……なんでもない、ごめん」
 言えなかった。たった一言が、出なかった。
 世界から麻耶くんが消え、すぐに寂れた世界に戻る。泣きそうになりながらその場に座り込んだ。その後すぐに立ち上がり、わたしは意識を現実に戻した。あの世界に、いたくなかった。
 目覚めると、丁度朝日が昇っている頃だった。締め切ったカーテンの隙間から、オレンジ色の光が漏れている。
 ベッドから抜け出し、窓際に立ってカーテンを開けた。すべてを呑み込みそうなほど濃いオレンジ色が、ぐんぐんと現れてくる。
 いつの間にかこぼれていた涙が、頬を伝って落ち、跳ねた。





 出会ってから数日分の日記を読み、俺は一度顔を上げた。気づけば俺も泣いていて、顔が涙でぐしゃぐしゃだ。
 不審に思っていた表情や質問の意味が、はっきりと分かった。晴陽は俺よりも沢山のことを抱えていたのに、俺は何にも気づけなかった。それが悔しい。たまらなく悔しい。
「入院してから、毎日のように会いに行ってたの。最初はずっと表情が暗かったのに、あるときから顔がぱっと明るくなって……それと同時に、毎日幸せそうな顔をしてその日記を書くようになった。あの時はどうしてか分からなかったけど、今思えば、あなたと出会っていたのかしらね」
 ありがとう、と言外に伝えられているのだと分かった。それでも俺は、晴陽に何もできなかったのだ。
 それに、この五年前の日記で、"もってあと数年、もしかしたら一年すら危ういかもしれない"と書かれているということは、晴陽はもう――。
「ひとつ、不思議なことがあるって言ってたわ。そこにも書いてあると思うけど。"今って何年?"って、しきりに聞いてきた日があってね。二〇一九年だよって返すと、ひどく悲しそうな顔をしたの」
 俺が、今は二〇二四年だと言ったから――晴陽にとっての"今"は、二〇一九年だったのだろう。最初に日記を読んだときに気づいた、日付の違和感。五年前から日記をつけていたのだろうかと思ったけれど、そうではないのだろう。
 二〇二四年を生きる俺と、二〇一九年を生きる晴陽。俺たちふたりは、自分たちが違う時間を生きていることに気づかないまま、一緒に過ごしていたのだ。
 時間軸が違う。気づけそうで気づけなかった、たったひとつの事実。
 だから、電話をかけても繋がらないし、どれだけ探しても晴陽には会えなかったのだ。当然だ。だって現在から五年前の人に電話をかけることなんかできやしないだろう。
 俺は涙を拭うと、日記帳のページをめくった。