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「こんにちは麻耶さん。お迎えです」
「……こんにちは」
あの夢を見たあと、家を出る支度をしていたら羽坂さんから連絡が来た。
[ひとつバラエティの収録が別日になったので、もう少しゆっくりしててください。正午過ぎに迎えに行きます]とのこと。
携帯を見たりとだらだらしていればあっという間に時間は過ぎ、羽坂さんが迎えに来てくれたというわけである。
「今日のバラエティと雑誌撮影、玲央さんとですよ。昨日ぶりですね」
「玲央の過剰摂取だよ……」
夢のおかげもあってか、なかなか気乗りしない。元々バラエティが得意ではないのだ。ウケるようなエピソードは持ち合わせていないし、玲央がいるならなおさら。
「そう言えば、ドラマ来週から始まりますね。昨日撮影してた」
「それの番宣でしょ、今日の収録も」
知ってたんですか、と口をとがらせる羽坂さん。知ってるに決まってるだろう、自分の仕事だ。それに玲央とかいうやつが昨日教えてくれた。
俺は窓に切り取られた景色を眺めながら、欠伸をかみ殺した。夢を見ているときは睡眠が浅いのか、全く寝た気がしない。収録が一本減ったことが唯一の救いだろうか。
テレビ局から近いという理由で家を選んだので、移動時間は長くない。そんな短い時間でも俺は眠くなってしまう。窓から差してくる日の光が眩しくて、反射的に目を閉じた。その瞬間、俺は睡魔に襲われ、眠りについた。
不思議だと思った。いつもなら寝る間際、身体や五感の感覚が消えていくのに、今はそれがない。
感覚が消えていくのが夢の前兆のようなものであるのだとしたら、今から見る夢は暗い夢ではないのだろうか。それとも今よりもっと悪化する前兆なのだろうか。そう思うと身体が強張る。いや、ただ単に疲れているのだろうと思い、俺は身体に入った力を抜いた。
ゆっくりと目を開けると、辺りは光に覆われていた。きょろきょろと周りを見渡しても、何も見えない。まるで真っ白な部屋にいるみたいだ。
立ち上がり、歩いてみる。どの方向に向かっても光は消えず、かといって道が現れることもない。声を出してみると、反響して消えていった。誰かがいる様子もない。
俺はもう一度辺りを見渡した。何もない。ただ、柔らかい光に包まれているだけ。特別明るくもなく、かといって暗くもない。手を伸ばして光に触れようとしても、触れられないまま、掴めないままするっと抜けていく。ふわふわとしていて、輪郭を保っていないような。
何なんだ、この空間は。そう思って顔をしかめた瞬間、遠くで羽坂さんの声が聞こえた。起きてください、と俺を揺すっている。ああ、起きなきゃなのか……案外いい夢のような気がしたんだけど。
またこの夢を見たいな、そう思いながら俺が夢から目覚めると、羽坂さんがが俺を心配そうに見つめていた。
「よかった、麻耶さん起きた……起きなかったらどうしようって思ったんですよ」
「大丈夫だよ、別に。いつもの暗い夢じゃなかったし」
俺の一言に、羽坂さんの表情が明るくなる。一年前、突然暗い夢を見始めた俺のことを彼女は献身的にサポートしてくれた。家に泊まって一緒に寝てくれたり、よく眠れるようになると噂のマッサージや整体など、スケジュールの合間を縫って片っ端から試してくれた。
そんな羽坂さんの努力も虚しく、未だ俺の夢は改善されていない。別にもういいですよ、と俺が言っても彼女は聞かない。正直俺としては迷惑をかけているようで申し訳ないのだ。そう話すと、「迷惑なんかじゃありません」と言って笑っていた。俺には明るすぎる笑顔だった。
車を降り、羽坂さんとテレビ局に入る。楽屋に向かう途中、どんな夢を見ていたのか聞かれた。
「どんな夢でしたか?抽象的でもいいですから、教えてください」
「どんな夢か……優しい光に包まれてるみたいな夢だったな。かといって特別明るいわけでも、暗いわけでもなくて。ふわふわーってした夢でした」
「優しい光……今まで見てた夢とは正反対ですね」
「うん。不快感とか全くなかった。文字通り優しい夢って感じで」
羽坂さんは携帯に何やら打ち込んでいる。チラリと覗くと、これまで俺が話した夢の内容がまとめてあるようだった。こんなことまでしているとは。
「そんな、俺としてはもう、別にいいんですけど」
「何がですか?一生暗い夢でもいいってことですか?」
「まぁ、はい。このままでも、別に死ぬわけじゃないんで。羽坂さんに申し訳ないし」
下手な笑いを浮かべて、床を見つめながら歩く。楽屋に入ろうとした瞬間、誰かから背中を叩かれた。かなり強い力で叩かれたので、思わず「痛っ」と声を上げた。
「ちょっと玲央さん、何してるんですか」
「美羽ちゃん、ごめんごめん。麻耶見つけて嬉しくなっちゃって」
振り向いた先には、いたずらっ子のような笑みを浮かべている玲央がいた。羽坂さんが注意しているけれど、全く反省の色を見せていない。
「お前さぁ、せめて力加減ってものを考えろよ。マジで痛いんだけど」
「大丈夫だって!麻耶くんは強いもんね?」
「強くねぇよ……」
ため息をつきながら楽屋に入った。玲央と羽坂さんも入ってきて、ふたりで何やら楽しそうに話をしている。美羽ちゃん、玲央さん、と互いに呼び合う様子は、どこから見ても恋人のように見えるだろう。実際、ふたりは付き合っている。
玲央と羽坂さんがずっと喋っているのを横目に見ながらヘアメイクやら着替えやらを終わらせれば、スタッフさんから呼び出しが入った。ふたりと一緒に収録するスタジオまで向かう。その時も、羽坂さんは玲央の隣に寄り添っていた。まるで玲央のマネージャーみたいに。
沢山の小道具が置かれたスタジオに入り、共演者さんたちが集まるのを待つ。玲央たちは談笑を続けているが、俺は何をしたらいいのか分からず突っ立っていた。見かねた司会の方が座っていいですよと声をかけてくれたが、どうしたらいいのか分からず、大丈夫ですと謎の見栄を張る結果になってしまった。
スタジオ入りから十分後、出演者全員が揃い、バラエティの収録が始まった。今日収録している番組は男性ゲストの恋愛観を暴くというもので、陰キャの俺と陽キャの玲央という対比が会場を沸かせていた。
玲央や他の出演者さんに助けられながらもなんとか収録を終え、楽屋に戻った頃にはもうヘトヘトだった。
「麻耶、今日よかったじゃん。わりとウケてたし」
「全然だよ……やっぱ俺にバラエティは無理だわ」
ヘトヘトのまま玲央と雑誌撮影に向かう。撮影場所に向かう車の中で少しでも寝られたらいいなと思っていたが、それは無理そうだ。玲央とか言う男が助手席でずっと喋り続けているおかげで全く寝れそうにない。というか、何で俺ひとりだけ後部座席なんだよ。彼女の運転姿を間近で見たいってか?
何とか雑誌撮影も終え、羽坂さんの車で家まで送ってもらった。
「じゃーね麻耶、また明日」
「麻耶さん今日もお疲れ様でした。明日もドラマの撮影なので、また迎えに来ます。では、また明日」
玲央と羽坂さんに手を振り、家の中に入った。ふたりはこのまま玲央の家で一夜を共にするらしい。玲央といるときの羽坂さんは、俺といるときよりも幸せそうな顔をしている。当然か。好きな人と一緒にいるんだから。
バラエティに雑誌撮影、今日は一段と疲れた。やりたくないこと、と言ったら語弊があるけれども、自分が苦手なことをするのはかなりのエネルギーを消費する。どんな難しい役の演技よりも、苦手なことをする方が疲れる。