『まぁでも、ゆっくりでいいですよ。麻耶さん今まで沢山頑張って来たんですから。少しは休めって神様からのメッセージかもです』
「だとしたら神様嫌いになりそうなんだけど」
 確かに休みは欲しいと願っていたが、求めていたのはこういう休みではない。孤独に苦しみ、ただ酒を飲むだけの休みではなく、仕事に追われ、寝ていたら一日が過ぎるような――そんな休みを求めていたのに。神様め。
 次投稿するときはちゃんと私に見せてくださいよと釘を刺されて通話が終わった。玲央に電話をかけようか迷ったが、きっと仕事中だしと言い訳をしてかけなかった。そんなの建前で、早くあの投稿に対する反応を見たいという本音の方が強く出ただけだ。
 逸る気持ちを抑えながら、SNSを開く。通知は切っていたから、どんな反応があったのか分かっていない。こういうときに限って読み込みが遅く、なかなか表示されない。
 若干苛立ちを覚えながら携帯の画面を凝視していると、ぱっと画面が切り替わった。俺の投稿には大量のいいねと大量の返信、それから大量のダイレクトメッセージ。別に閉じなくてもいいかと思ってダイレクトメッセージを開けていたことを後悔した。
 ひとつひとつ返信を見ていくが、特に目を引く内容はない。ファンからの変身が大半を占めていたが、見ず知らずの人からの返信もあった。
[どういうこと?麻耶くん、誰か探してるの?]
[は、まてまてまてこの晴陽って人女じゃね、まってしぬむり麻耶くん]
[なんか次のドラマの伏線とかかな?ワンチャンありそうじゃない?]
[学生時代の友達とかなのかなって思ったけど過去のインタビューでいい思い出ないって言ってるしな……ほんとに何]
 やはり大半は困惑しているようだった。そりゃそうだ。最近ろくに呟いてもおらず、ましてや活動休止中の俳優が突然こんなことを言い出したら困惑するだろう。俺がもしファンだったら困惑するもんな。
 今度はダイレクトメッセージを見る。[雨宮晴陽です]と名乗るものもあったが、同じような内容を送ってきている人が何人もいたのできっとぜんぶガセだろう。晴陽を利用してまで俺に会いたいと思う熱狂的なファンだ。ありがたいことにはありがたいけれど、心底晴陽が利用されているのは気持ち悪い。
 中には全く関係のないようなメッセージもあったが、大体のものは目を通した。しかし晴陽に関する情報は何一つ得られなかった。やっぱり晴陽には届かなかったのかなと思いつつ、アプリを閉じようとした、その時。
[晴陽です。急に連絡してごめんなさい。本当にわたしです。写真も送ります]
 指が吸い寄せられるように動き、そのメッセージを開いた。文面と共に送られてきた写真には、俺が会いたい人が映っている。
 まだ本物かなんてわからないのに、嘘かもしれないのに、俺の瞳は潤み始めていた。最近泣いてばっかだ。涙腺が緩くなったのだろうか。
[本当に晴陽なの?]
 疑いが拭いきれず、そう送信した。心の中ではほぼ信じ切っていたが、理性的な頭が珍しく働き、晴陽の元に走り出そうとした俺にストッパーをかけた。
[はい。でも、信じてもらえなくてもいいです。麻耶くん、よければ会いたいです。話がしたい]
 メッセージが、脳内で晴陽の声になって再生される。晴陽を思い出して、とうとう俺の瞳から涙が零れた。頭が俺にかけていたストッパーを解除する。
[俺も会いたい。いつなら会える?]
[えっと――]
 そこからとんとん拍子で話が進み、あさって会うことになった。駅前の、おしゃれなカフェで待ち合わせだ。やりとりが終わった後も、俺はメッセージの履歴を見つめていた。
 晴陽だと名乗る人物から送られてきた写真。そこに映っているのは紛れもなく晴陽だ。俺と出会う前の頃と見られる写真もある。服装や髪型が違うから新鮮で、愛おしくて仕方がない。満面の笑みを浮かべてこちらを向いている写真もあって、見た瞬間俺が笑顔になった。
 今でも少し不安はある。本当に晴陽なのか、という疑い。とはいえ送られてきた写真が本人であると告げているし、なによりメッセージの節々から晴陽っぽさがにじみ出ていた。なぜ敬語なのか、という違和感はあるけれど。
――早く会いたい。
 そう思いながら携帯の電源を切り、よいしょと立ち上がった。少しばかり散歩でもしてみようかと思う。今なら復帰でもなんでもできそうだ。
 数日後の未来に思いを馳せながら、俺は寝室を出た。


4


 少しずつ生活リズムを復帰前に戻し、酒を断ち、身体を動かしているとめまぐるしく日々が過ぎていく。あっという間に約束した日になり、俺はドキドキしながら支度をしていた。
 約束した時間は午後だからそんなに急がなくてもいいはずなのに、目覚めたのは朝の七時だった。今まで昼過ぎに起きていたのが嘘のようだ。
 一度目覚めてしまうと目が開いて二度寝ができなくて、仕方なく起きる。昨日のうちに買っておいたパンを食べる。朝ご飯を食べるなんていう習慣もなかったのに。自分自身でも驚くほどの変わり様だ。
 着替えようと思ってクローゼットの前に立ったはいいものの、これまた服が決まらない。どんなテイストの服が好きなのか聞いておけばよかった。少しでも分かっていれば迷わなくて済むのに。
 Tシャツを取り出しては違うかと戻し、パーカーを手に取っては気分じゃないなと戻す。初めて会うんだからきれいめなシャツがいいのかと悩みに悩み、結果的に白いシャツと黒のパンツにした。シンプルにしすぎたかなとも思うが、派手すぎるよりかはいいだろう。
 服を決め終えたところで次にやって来るのは髪問題だ。それなりの長さはあるから何パターンかアレンジはできる。服に合わせてシンプルにしようと思い、色々試したがセンターパートに落ち着いた。
 これで準備は完璧なはず。そう思って鏡の前に立つと、かなりの好青年が出来上がっていた。まだ顔のやつれ感や痩せすぎた身体は戻っていないけれど。
 どことなくそわそわとしたまま家で過ごし、約束の三〇分前に家を出た。最寄り駅の近くなので一〇分も歩けば着くのだが、今日は早く着いておきたかった。一分でも一秒でも、晴陽と会える時間を無駄にしたくなかった。
 約束のカフェの前で待っていると、晴陽からメッセージが届いた。
[もう中にいるので、入ってきてください。店員さんに予約した雨宮ですと言えば大丈夫です]
 やはり敬語。どことなくよそよそしさを感じつつ、俺は店内に入った。
 優しい雰囲気のカフェだ。店員さんも朗らかな笑みを浮かべていて、自然と安心できるようなお店。
 予約した雨宮です、と言うと奥に通された。ずっと早鐘を打つように鼓動が鳴っている。緊張で口がカラカラだ。
 やっと会える。晴陽に。会いたいと願い続けて、恋焦がれてきた人に。
 まずは何を言おう。やっぱり会いたかったとかかな。それだとベタすぎる?じゃあ何がいいんだろう。会えて嬉しいとか?もう感情の波が荒ぶりすぎていて、何が何だか分からない。
 店の奥の方、あまり人気のない窓際の席に、彼女は座っていた。
 俺と目が合い、彼女が立ち上がる。
 俺は彼女を見つめたまま、何も言えない。
「こんにちは、菅田麻耶さん」
 そこにいたのは――晴陽ではなく、晴陽に似た、見知らぬ女性だった。