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朝起きて時計を見たら、昼の十二時過ぎだった。
これはもう朝とは言わないんじゃないか、昼に起きているだけなんじゃないかと思いつつ、家を出る支度をする。
今日は、大きなやるべきことがあるのだ。晴陽がいるであろう○○病院に行き、晴陽と会う。それが俺に課せられたたったひとつのミッションだ。
顔を洗って歯を磨き、髪を適当にセットしながらふと考える。もし、晴陽があの病院にいなかったら?
髪をセットしている最中だというのに、俺は頭をぶんぶんと振った。浮かんできたこの考えを消し去りたかった。しかし考えは消えず、整えていた髪が寝起きの状態へと振り出しに戻っただけだった。
何とか髪をセットし家を出て、最寄り駅から電車に飛び乗る。電車の窓に映った俺はどこからどう見ても一般人で、主演映画をやるレベルの俳優には見えないだろう。
家を出る前、変装しようかと思ったがやめた。今の俺を見て俳優・菅田麻耶と結びつける人は少ないだろう。手入れしていない髪は伸び、酒を飲むばかりで飯を食わないから不健康的に痩せている。ましてや顔色も悪いのだから、なおさら。
電車を二本乗り継ぎ、降りた駅から少し歩いた先に、晴陽がいるであろう病院はあった。
ものすごく大きい建物だ。真っ白な壁が清潔感を演出していて、純粋に綺麗な病院だなと思った。勝手なイメージだが、病院といえば少し黄ばんでいるような壁だったり、きつい薬品の匂いが鼻を刺したりと、あまりいい印象はない。
俺は恐る恐る自動ドアをくぐり、中に入る。受付に座っている女性がこんにちは、と声をかけてくる。俺は深呼吸をひとつしてから受付の前に立ち、言った。
「雨宮、晴陽はいますか」
受付の女性は困惑したような顔で俺を見つめている。どうやら上手く聞き取れなかったらしい。もう一度とジェスチャーをされたので、仕方なくもう一度言う。
「あの、人を探してて。雨宮晴陽、って言う子なんですけど。××病院に入院してたみたいで、でもその病院なくなっちゃったじゃないですか、だから、ここに来て」
一気にまくし立てた俺を、周りの人がじろじろと見ている。受付のカウンターの向こう側にいる女性は、「あぁ、はい」と呟いてからパソコンをいじり始めた。
カタカタとパソコンのキーボードを打つ音だけが聞こえる。周りはガヤガヤとしているはずなのに、その喧騒は少しも聞こえない。まるで、俺だけ別世界にいるみたいだ。ただ、緊張しているだけなのだろうけど。
やがてキーボードを叩く音が止まり、女性が顔を上げた。その顔には混乱の色が見える。
「アマミヤハルヒ……すいません、一応漢字を教えていただいても?」
「え?あぁ、分かりました。雨に宮崎の宮で雨宮で、晴れるに太陽の陽で晴陽です。雨宮晴陽」
「ありがとうございます」
そう言い残してまたパソコンに向かう。今の意味あったのかな、あったとしても何に必要とされたんだろう。そんなことを考えながら待っていると、女性がえぇと声を漏らした。
驚いているような声でもあり、困惑も混ざっているような、そんな声。
「すみません、雨宮晴陽さんですが……この病院には、来られたことがないようです」
え、と間抜けな声がこぼれる。そんなはずないだろう。だって晴陽は、××病院にいたんだ。あの病院が壊されたのはもう半年ほど前のはずで、晴陽がいなくなったのは二週間前。だったら、ここにいるはずだろう。
「そんなことあるわけないです、絶対ここにいるんです!間違いとかじゃないんですか、もう一度よく調べてください」
「私も何度も調べました。しかし結果は出ていません。今この○○病院の中の病室には、あなたが探している雨宮晴陽さんはいない」
そんなわけ、と言葉が喉の途中まで出かけた。それでも声を荒げなかったのは、周りの視線がぐさぐさと俺に突き刺さっていたからだった。何なんだあいつ、人捜しでもしてるのか?うるさいな、迷惑だな。言葉にされてはいないけれど、そう思われているんだろうなと言うことくらい、簡単に分かる。
「……分かりました。すみません、お時間割いていただいて。ありがとうございました」
頭を下げ、受付に背を向け、足早に病院を出た。病院から出てもまだ誰かに見られているような気がして怖くなって、走る。息が切れるまで走った頃、後ろを振り向くと、そこには誰もいなかった。
その場にしゃがみ込みながら息を整える。肩で大きく息をしている間も、頭は晴陽のことばかりを考えていた。
晴陽はあそこにはいない?じゃあどこに。もしかして、もう――。いや、そんなことはない。
漠然とした不安と、きっと大丈夫だという安心。そのふたつが脳内を埋め尽くし、俺を支配する。
少し安心感を抱いても、すぐに不安がそれを上書きする。安心感の白と不安の黒、正反対の色がぐちゃぐちゃに塗られていて、それでも色は変わらず真っ黒のままだ。
息を整えた俺は立ち上がり、辺りを見回した。遠くに駅の看板が見える。ただでさえ駅から少し歩いて病院に着いたのに、そこから無我夢中で走って、かなり遠くまで来てしまったみたいだ。
まぁ仕方ないだろう。何か予定があるわけでもないし、ゆっくりと歩いて家に帰ればいい。そう思いながら空を見上げ、のんびりと歩いた。
見上げた空は青かった。まるで夢の世界で見た空みたいに。綺麗だったな、あの空。澄み切った水色がどこまでも続いていて、キラリと光る太陽が浮かんでいて。時々雲が浮かんでいるときもあったけれど、それはそれで好きだった。
そう言えば、夢の中で雨が降ったことはなかった。俺ひとりで夢の世界にいたときも、曇りになるだけで雨が降りはしなかった。夢の世界は夢を見ている人の心を映し出す。だとしたら、俺の心は雨を降らせるほどすさんでいなかったということなのだろうか。
晴陽は、どうだったのだろう。ひとりきりで夢を見ているとき、晴陽が見上げた空は、何色だっただろう。澄んだ青色?曇った灰色?眩しい赤色?
知りたい。晴陽はどんな思いで、あの夢を見ていたのか。どんな気持ちで俺と会って、会話を交わしていたのか。晴陽の心の内が知りたい。
気づけば駅の近くまで来ていて、数十分歩いたからか、身体全体にじんわりと汗をかいていた。駅のホームに入れば暑さはいくらかマシになったが、それでもやはり人の熱気には抗えない。
電車が来るのを待つ間、自販機でジュースを買い、一気に飲んだ。炭酸の爽快感が喉を駆け巡り、飲み込んだあと急速にしぼんでいく。お酒ほどではないが、一瞬だけ意識を浮遊させてくれるようで好きだった。
ジュースをペットボトルの半分くらい飲み干したところで電車がホームに入ってきた。停車し、ドアが開き、大量の人が吐き出される。それと入れ替わるように人々が電車に乗り込む。ペットボトルを持ったまま、俺も電車に乗り込んだ。
平日の昼間だというのに車内はわりと混み合っていて、座れそうな席がどこにもない。仕方なく俺はドア付近に立った。
鉄製のバーを掴みながら、俺は車内を見渡した。もしかしたら、晴陽がいないだろうか。そう思いながら視線を動かす。最近、どこにいても晴陽を探すようになってしまった。
視線をすべらせても、それらしき人物は見当たらない。こんなところにいるわけないかと思った刹那、視界の端で白いワンピースの裾が揺れた。