第4章

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 晴陽と会えなくなって、二週間。
 俺は毎日の半分以上夢に潜り、晴陽を待っている。
「麻耶、なんかあった?」
 これ食え、と玲央が焼き鳥を差し出してくる。勧められたものの食べる気にはなれず、玲央に返した。
 夢の中で晴陽と会えなくなってから、俺は日に日に憔悴していった。食欲もなく、何も口にしない日々。そうすると顔色が悪くなり頭も動かなくなって、まともに芝居ができない。
 俺は使える状況じゃないと羽坂さんに判断されて、一時の活動休止を突きつけられた。
 酒を飲んで、寝る。そんな日々の繰り返しで、廃人のような生活をしている自分に嫌気が差す。
 今日も昼過ぎに起きてウイスキーを煽っていたら、玲央から[飲みに行かない?]と連絡が来た。どう返そうか迷ったまま返事をしないでいたら、玲央が突然家にやってきて俺を外に連れ出し、今に至る。
「どうしたんだよ、活動休止なんて。なんかどっか悪いの?」
 ワイルドに焼き鳥を噛みちぎりながら、玲央が聞いてくる。オブラートに包まず単刀直入に物事を言うところは、玲央の長所でもあり短所だ。
「美羽ちゃんに聞いても、何も返ってこないし。ま、当然か」
 ふたりの関係は相変わらず戻っていない。酔った勢いで何度かメッセージを送ったこともあったそうだが、既読すらつかないという。
 俺はハイボールの入ったグラスを手に取ると、喉に勢いよく流し込んだ。度数の高いアルコールが喉を通る度、じんじんとした熱が内側に生まれる。意識がじわじわと浮遊していって、代わりに高揚感が降りてくる。
 俺もお酒の力を借りて、晴陽の話をすることにした。
「……実は、なんだけど。晴陽と、会えなくなっちゃって」
「え?晴陽ってあの晴陽?夢の中にいた?麻耶が好きな?」
「その晴陽だし、夢の中にいたし、俺が好きだった晴陽。丁度二週間前、玲央と羽坂さんの別れ話があったとき、もう会えないって言われちゃって」
 あの日のことを思い出すと、つんと鼻奥が痛む。あの日の笑顔も、涙も、抱きしめたときの温もりも、未だ消えずに残っている。
「なんだよそれ、急すぎるだろ」
「そう思うよな、でも前々から言おうとしてたんだって。"麻耶くんとずっと一緒にいれない"って。まぁよく考えてみれば、あの時言おうとしてたのかなってのがあるんだよな」
 お互いのことを、より深く知った日――出会う前にどんな夢を見ていたのか話したり、晴陽に唐突に誕生日を聞かれたり。あとは、俳優を本名でやってるのかってのも聞かれた。今思っても、何だったんだあの質問。
――ねぇ、麻耶くん。
 あの時感じた違和感。何か言いたいことがあるような、隠していることがあるような、そんな顔をしていた。あの日すぐに立ち去らずに、もっとちゃんと聞いていれば。こんな突然の別れには、ならなかったのかもしれない。
 それとその前から時折、晴陽の表情が翳る瞬間があった。
『仕事かぁ……今大学生で、就活とかも始まってるんだけど、何にしようかなって思ってて。特にやりたいこともないし』
 確か、晴陽と二回目に会ったとき。お互いに質問をしあって、俺が仕事は何してるの、と聞いたのだ。
 この質問に答えたときの晴陽の表情は、一際翳りを帯びていた。その時は気にも留めなかったが、今思えば、晴陽は何かを抱えていたのだと思う。
 どうしてあの時、もっと話を聞いていなかったのだろう。どうしてあの時、晴陽の抱える何かに、気づいてあげられなかったのだろう。
 どうして、どうして。どうしようもないほどの後悔と自責の念が、俺の中で渦巻く。その渦に巻き込まれて致命傷を負えたらいいのだが、生憎その波は優しく、小さな傷を作るだけ。
「戻れたらいいのに。毎日晴陽に会ってた、幸せな日々に」
 数々の客が酒をこぼしたのか、シミがいくつもできた机に突っ伏しながら、そう呟いた。その呟きは玲央に届いたらしく、玲央はわかるよとしみじみ語っている。
「分かるよほんと。戻りたいって思うもん。美羽ちゃんって呼んだら振り向いてくれてさ、ハグしたらキスしてくれてさ……可愛くて、大好きだった」
 別れて二週間経っても、未だ玲央は羽坂さんのことを思い切れてないみたいだ。その証拠に、頬が赤く染まっている。
「毎日寝て、夢の中でずっと晴陽のこと待ってんの。でも誰も来ない」
 それだけでも悲しいのに、世界が晴陽と別れたあの日のまま残っていると言うことが、余計に俺を惨めにさせる。
 俺がひとりの時の荒廃したような世界なら、期待しなくて済むのに。毎日夢に入って、目を開けた瞬間に見るのが美しい世界だと、晴陽がいるのではないかと思ってしまう。
 どこを探しても晴陽はいないのに、俺は夢の中を歩き回って、晴陽の名前を大声で呼んで、晴陽を探している。
「……会いたいなぁ、晴陽に」
 何を考えても誰と一緒にいても、俺の考えはいつもそこに流れ着く。晴陽と会いたい、話がしたい。笑顔を見たい。
「あーもう、顔上げろって!」
 いつの間にかジョッキを持った玲央が俺の隣に来ていて、無理矢理俺の顔を上げる。俺にグラスを持たせると、ジョッキを軽くぶつけてきた。
「なんていうかさ、その……麻耶は晴陽のこと、今でも好きなんだろ?じゃあ大丈夫だって、また会えるよ。それに、麻耶は晴陽のこと覚えてるんだから。多分どうせ、忘れられないんだろ?じゃあもういっそのこと、心の中にある、晴陽との思い出を大事にして、生きていけばいいんじゃない?」
――これからもふたりの心の中には、お互いが在り続けるんじゃない?
 柔らかく微笑みながら、そう言った晴陽を思い出した。
――心の中で星みたいに光って――いつかまたその星を手に入れるって思って、ふたりとも強く輝いたりするんじゃないかな。
 瞳に暖かい光を灯しながら、そう言った晴陽。
 玲央の放った言葉が、晴陽の言った言葉と重なる。
 気づけば俺の瞳から、涙が溢れていた。
「おい麻耶、泣くなよ!俺が泣かしたみたいになるじゃん!」
「いやでも、実際そうでしょ。急になんかちゃんとしたこと言ってくる玲央が悪い」
「えぇ?まぁいいよ、乾杯しよ。今日は飲もう、もう浴びるほど飲もう!」
 泣きながら笑う俺に玲央がジョッキをぶつけてきて、勢い余ってビールがこぼれる。こぼれたじゃんと言えば、いいだろと笑って返された。俺もそれにつられて笑い、まだ涙が溢れる。
 ふたりで一気に残っていた酒を飲み干し、一息つく。間抜けな顔をしている玲央と目が合って、思わず笑ってしまった。人の顔を見て笑うなと玲央に釘を刺され、それすら面白くてまた笑う。
「……ありがとね、玲央」
「ん?麻耶、なんか言った?」
「ううん、なにも。ほら、早くお酒頼もうよ」
 玲央と並んでメニュー表を眺める。あれも美味そう、これも美味そうという横顔がなんだかかっこよくて腹が立って、軽くパンチを入れておいた。
 もうほんと、なんなんだよ。急に晴陽と同じようなこと言うなよ。
 お陰で泣いたし、晴陽のことより一層思い出しちゃったし。相変わらず苦しいし。でも。
――ありがとう、玲央。
 忘れられないよ、確かに。だって、あんなに幸せだったんだから。
 でも、もういっそ忘れなくてもいいのかもな。
 心の中で、星のように輝いているうちは――。