第3章
1
「あ、麻耶くん!やっと来た」
「ごめん。また玲央に捕まってさ」
晴陽と出会ってから、数ヶ月が経った。
俺たちは相変わらず夢で出会い、会話を交わし、共に過ごしている。
「また玲央くんに捕まったの?玲央くんも懲りないね」
「でしょ。今日も飲み行かないかって誘われた。いい加減やめて欲しいんだけど」
ベンチに座っていた晴陽が立ち上がり、俺の手を取る。手を繋ぎながら、俺たちは街の中をぶらぶらと歩く。
最近、俺たちは自然と手を繋ぐことが多くなった。どちらからともなく手を絡め、ぎゅっと握る。俺より一回り小さい手から伝わってくる温もりが、たまらなく好きだ。
とはいえ関係が変わったわけではない。恋人同士になったわけでも、仲が悪くなったわけでもない。じゃあどうして手を繋ぐのだろうか。
「……麻耶くん?」
俺と繋いでいない方の手を、晴陽が俺の顔の前でひらひらと振っている。心配そうなまなざしで俺を見ていた。
「ごめん、ぼーっとしてた」
「大丈夫?最近また映画の撮影始まったんでしょ、ちゃんと休めてるの?」
大丈夫だと答えれば嘘になる。主演映画の撮影が一本と、恋の当て馬役で出演するドラマの撮影。それに玲央とふたりでパーソナリティーを務めるラジオ。それに加えて雑誌撮影やCM撮影、バラエティーの収録まで。
お仕事を沢山いただけるのはありがたいことだが、このハードスケジュールには流石に参ってしまう。
「まぁ、正直言うときついかな。スケジュールぎちぎちだし」
「そっか。もしなんかあったら、すぐに言ってね。できることなら力になりたい」
ありがとうと素直に感謝した。
今までも力になりたいと言ってくれる人は沢山いた。玲央や羽坂さん、家族。俺のことをよく知っている人ならいい。
ただ、一度きりの共演でそう言ってくる女優さんも何人かいた。麻耶さんの力になりたいです、私でよければお話聞きます。ありがとうございますと返しながらも、心の中では気持ち悪いと思っていた。
――俺のことなんか、何にも知らないくせに。
たった一度の共演で、俺のことを知った気になって、まるで彼女のような振る舞いをして。
酔った勢いでこの話を玲央にしたら、「女の子からの気持ちはありがたく受け取っとけよ、だからモテないんだよ麻耶」と言われた。つくづくこいつとは合わない、と思った瞬間だった。
「大変だね、俳優さんって」
「うん。でも、俺がやりたくてやってることだから。大丈夫」
晴陽が薄く微笑む。繋いだ手の指を絡めてきて、恋人繋ぎになった。さっきよりも、体温が直に伝わってくるような感覚がする。
「なんかかっこいいよ、麻耶くん。ちゃんと俳優」
「ちゃんとってなんだよ、ずっとちゃんと俳優だって」
さぁっと風が吹き、俺の頬を撫でた。晴陽はワンピースの裾が翻らないように押さえている。
――消えてしまいそう。
なんの前触れもなく、しかし当たり前のようにそう思った。
少しでも触れたら、散って消えていってしまいそうだと。それ程に今の晴陽は儚い。
はっとするほどに白い肌と、長く艶やかな黒髪のコントラストが、余計にそう思わせたのだろうか。
俺みたいな穢れきった人間が触れるには美しすぎて、俺はそっと、手を離した。
「――麻耶くん?」
離れた手はすぐに俺を追いかけてきて、また指と指が絡み合う。それを振り払う気力も、嫌だという考えもなかった。
むしろ俺を求めてくれたのが嬉しいほどで、手を繋ぐという些細な行為にこんなにも沸き立っている自分が恥ずかしくなる。
「ねぇ、さっきなんで手離したの?そういう気分だった?」
ふたりでゆっくりと歩き出した矢先、晴陽がそう言った。
「いやなんか、晴陽がすごい儚く見えたから。俺なんかが触れていいのかって思って、離しちゃった」
「え、そんな理由だったの?わたしてっきり違う理由かと思ってた」
晴陽が繋いだ手に力を込めてくる。離れないで、離さないでと言わんばかりの力だ。
「麻耶くんなら、わたしはいくらでも触れて欲しいって思うよ。あ、今の変な意味じゃないからね!」
分かってるよと笑って返した。何も俺を興奮させようとか煽ろうとか、そういった意図はないだろう。ただ俺を、安心させようと言ってくれただけ。
それからもポツポツと会話を交わしながら、ふたりで手を繋いで歩いた。
会話を交わさない時間もあったけれど、その沈黙の時間すら愛しかった。ただお互いが微笑んで、足元に揺れる影を眺めて歩いて、手から伝わる温もりを、大事に大事に抱えている。
「麻耶くんといると、心が落ち着く。普段荒ぶってる感情の波が、ゆっくり凪いでる感じ」
歩き疲れて、ベンチに腰を下ろした晴陽が言う。晴陽も俺と同じようなことを思ってくれていて、嬉しくなった。
一緒にいると心が落ち着いて、楽に息ができる。普段現実では常に激動している感情が、ゆったりと揺れているような感じ。
晴陽の言葉は俺の中に自然になじんで、すっと溶け込んでいった。
俺は立って周りの景色を見ていたら、ふと熱のこもった視線が俺を見つめているのに気がついた。
言わずもがな俺を見つめているのは晴陽で、その視線には、様々な感情が、想いが込められているのだと思う。例えば喜びとか、安心だとか、ずっと一緒にいたいという切なる願いだとか。
――それと、恋とか。
晴陽が俺を好きだという確証なんてひとつもない。だけれど、今の視線には、そういったものが感じられたような気がしたのだ。
だから俺も、同じような想いを込めて見つめ返しておいた。好きだよという気持ちと、愛しみと、一緒にいて欲しいという祈りも少し混ぜて。
この気持ちは、晴陽に届いているのかな。いやきっと、届いているんだと思う。俺の気持ちに気づいた上で晴陽は何も言わず、温かく俺を包み込んでくれているんだろう。
ちぎれた雲が浮かぶ空の下で、俺たちはただ、見つめ合っていた。
2
ゆっくり、だけど確かに、麻耶くんの手が離れていく。
わたしはまだ麻耶くんと手を繋いでいたくて、離れていこうとした麻耶くんの手を掴んだ。
指を絡めて、ぎゅっと握って――ずっとこのまま手を繋いでいられたら、なんて思ってしまうのは、独りよがりかな。
「ねぇ、さっきなんで手離したの?そういう気分だった?」
ずっと一緒にいたいなんて思ってしまった独りよがりの自分をかき消すために、わたしはおどけてそう言った。そういう気分ってどういう気分だよと思いながら。
きっと麻耶くんのことだから、自分が触っていいのかなんて、不安になったりしたんだろう。麻耶くんの考えていそうなことが手に取るように分かってしまう自分に気づいて、笑った。
「いやなんか、晴陽がすごい儚く見えたから。俺なんかが触れていいのかって思って、離しちゃった」
ほら、やっぱり。麻耶くんの考えることなら、もう分かるようになってしまったんだよ。
――俺なんかが?麻耶くんになら、いくらでも触れて欲しいって思っているのに。
そう素直に言うのは気持ち悪がられる気がして、わたしはありきたりな言葉を口にした。
「え、そんな理由だったの?わたしてっきり違う理由かと思ってた」
そう笑いながら、繋いだ手に力を込めた。離れないでねって、離さないでねって想いを込めて。きっと麻耶くんなら、この想いに気づくんだろうけれど。
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「あ、麻耶くん!やっと来た」
「ごめん。また玲央に捕まってさ」
晴陽と出会ってから、数ヶ月が経った。
俺たちは相変わらず夢で出会い、会話を交わし、共に過ごしている。
「また玲央くんに捕まったの?玲央くんも懲りないね」
「でしょ。今日も飲み行かないかって誘われた。いい加減やめて欲しいんだけど」
ベンチに座っていた晴陽が立ち上がり、俺の手を取る。手を繋ぎながら、俺たちは街の中をぶらぶらと歩く。
最近、俺たちは自然と手を繋ぐことが多くなった。どちらからともなく手を絡め、ぎゅっと握る。俺より一回り小さい手から伝わってくる温もりが、たまらなく好きだ。
とはいえ関係が変わったわけではない。恋人同士になったわけでも、仲が悪くなったわけでもない。じゃあどうして手を繋ぐのだろうか。
「……麻耶くん?」
俺と繋いでいない方の手を、晴陽が俺の顔の前でひらひらと振っている。心配そうなまなざしで俺を見ていた。
「ごめん、ぼーっとしてた」
「大丈夫?最近また映画の撮影始まったんでしょ、ちゃんと休めてるの?」
大丈夫だと答えれば嘘になる。主演映画の撮影が一本と、恋の当て馬役で出演するドラマの撮影。それに玲央とふたりでパーソナリティーを務めるラジオ。それに加えて雑誌撮影やCM撮影、バラエティーの収録まで。
お仕事を沢山いただけるのはありがたいことだが、このハードスケジュールには流石に参ってしまう。
「まぁ、正直言うときついかな。スケジュールぎちぎちだし」
「そっか。もしなんかあったら、すぐに言ってね。できることなら力になりたい」
ありがとうと素直に感謝した。
今までも力になりたいと言ってくれる人は沢山いた。玲央や羽坂さん、家族。俺のことをよく知っている人ならいい。
ただ、一度きりの共演でそう言ってくる女優さんも何人かいた。麻耶さんの力になりたいです、私でよければお話聞きます。ありがとうございますと返しながらも、心の中では気持ち悪いと思っていた。
――俺のことなんか、何にも知らないくせに。
たった一度の共演で、俺のことを知った気になって、まるで彼女のような振る舞いをして。
酔った勢いでこの話を玲央にしたら、「女の子からの気持ちはありがたく受け取っとけよ、だからモテないんだよ麻耶」と言われた。つくづくこいつとは合わない、と思った瞬間だった。
「大変だね、俳優さんって」
「うん。でも、俺がやりたくてやってることだから。大丈夫」
晴陽が薄く微笑む。繋いだ手の指を絡めてきて、恋人繋ぎになった。さっきよりも、体温が直に伝わってくるような感覚がする。
「なんかかっこいいよ、麻耶くん。ちゃんと俳優」
「ちゃんとってなんだよ、ずっとちゃんと俳優だって」
さぁっと風が吹き、俺の頬を撫でた。晴陽はワンピースの裾が翻らないように押さえている。
――消えてしまいそう。
なんの前触れもなく、しかし当たり前のようにそう思った。
少しでも触れたら、散って消えていってしまいそうだと。それ程に今の晴陽は儚い。
はっとするほどに白い肌と、長く艶やかな黒髪のコントラストが、余計にそう思わせたのだろうか。
俺みたいな穢れきった人間が触れるには美しすぎて、俺はそっと、手を離した。
「――麻耶くん?」
離れた手はすぐに俺を追いかけてきて、また指と指が絡み合う。それを振り払う気力も、嫌だという考えもなかった。
むしろ俺を求めてくれたのが嬉しいほどで、手を繋ぐという些細な行為にこんなにも沸き立っている自分が恥ずかしくなる。
「ねぇ、さっきなんで手離したの?そういう気分だった?」
ふたりでゆっくりと歩き出した矢先、晴陽がそう言った。
「いやなんか、晴陽がすごい儚く見えたから。俺なんかが触れていいのかって思って、離しちゃった」
「え、そんな理由だったの?わたしてっきり違う理由かと思ってた」
晴陽が繋いだ手に力を込めてくる。離れないで、離さないでと言わんばかりの力だ。
「麻耶くんなら、わたしはいくらでも触れて欲しいって思うよ。あ、今の変な意味じゃないからね!」
分かってるよと笑って返した。何も俺を興奮させようとか煽ろうとか、そういった意図はないだろう。ただ俺を、安心させようと言ってくれただけ。
それからもポツポツと会話を交わしながら、ふたりで手を繋いで歩いた。
会話を交わさない時間もあったけれど、その沈黙の時間すら愛しかった。ただお互いが微笑んで、足元に揺れる影を眺めて歩いて、手から伝わる温もりを、大事に大事に抱えている。
「麻耶くんといると、心が落ち着く。普段荒ぶってる感情の波が、ゆっくり凪いでる感じ」
歩き疲れて、ベンチに腰を下ろした晴陽が言う。晴陽も俺と同じようなことを思ってくれていて、嬉しくなった。
一緒にいると心が落ち着いて、楽に息ができる。普段現実では常に激動している感情が、ゆったりと揺れているような感じ。
晴陽の言葉は俺の中に自然になじんで、すっと溶け込んでいった。
俺は立って周りの景色を見ていたら、ふと熱のこもった視線が俺を見つめているのに気がついた。
言わずもがな俺を見つめているのは晴陽で、その視線には、様々な感情が、想いが込められているのだと思う。例えば喜びとか、安心だとか、ずっと一緒にいたいという切なる願いだとか。
――それと、恋とか。
晴陽が俺を好きだという確証なんてひとつもない。だけれど、今の視線には、そういったものが感じられたような気がしたのだ。
だから俺も、同じような想いを込めて見つめ返しておいた。好きだよという気持ちと、愛しみと、一緒にいて欲しいという祈りも少し混ぜて。
この気持ちは、晴陽に届いているのかな。いやきっと、届いているんだと思う。俺の気持ちに気づいた上で晴陽は何も言わず、温かく俺を包み込んでくれているんだろう。
ちぎれた雲が浮かぶ空の下で、俺たちはただ、見つめ合っていた。
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ゆっくり、だけど確かに、麻耶くんの手が離れていく。
わたしはまだ麻耶くんと手を繋いでいたくて、離れていこうとした麻耶くんの手を掴んだ。
指を絡めて、ぎゅっと握って――ずっとこのまま手を繋いでいられたら、なんて思ってしまうのは、独りよがりかな。
「ねぇ、さっきなんで手離したの?そういう気分だった?」
ずっと一緒にいたいなんて思ってしまった独りよがりの自分をかき消すために、わたしはおどけてそう言った。そういう気分ってどういう気分だよと思いながら。
きっと麻耶くんのことだから、自分が触っていいのかなんて、不安になったりしたんだろう。麻耶くんの考えていそうなことが手に取るように分かってしまう自分に気づいて、笑った。
「いやなんか、晴陽がすごい儚く見えたから。俺なんかが触れていいのかって思って、離しちゃった」
ほら、やっぱり。麻耶くんの考えることなら、もう分かるようになってしまったんだよ。
――俺なんかが?麻耶くんになら、いくらでも触れて欲しいって思っているのに。
そう素直に言うのは気持ち悪がられる気がして、わたしはありきたりな言葉を口にした。
「え、そんな理由だったの?わたしてっきり違う理由かと思ってた」
そう笑いながら、繋いだ手に力を込めた。離れないでねって、離さないでねって想いを込めて。きっと麻耶くんなら、この想いに気づくんだろうけれど。