自分と同じだからこそ、触れてみたくなった。わたしは、いやわたしたちは心に傷を抱えすぎている。その傷がない人と一緒にいると、傷が痛み出す――だから、わたしは麻耶くんと一緒にいたいと思ったんだろう。
きっと心に傷を抱えているから。わたしと同じで、人生に期待をしなくなってしまったから。
「……麻耶くん」
呟きは、誰にも届かないまま消えていく。
わたしが吐き出した息が、空気中に溶けて、染み出すように広がる。
その広がった空気が、道端に咲く花に触れる。
そして――花は枯れた。
次の瞬間、辺りは美しい世界ではなく、荒廃したような世界へと戻っていた。
3
「はぁ、何それ。夢に出てきた女に恋した?」
「だから、別に好きになったとは言ってないだろ」
焼き鳥を豪快に食べながら、玲央が大声を上げる。今日は久しぶりにふたりで飲みに来た。ここは玲央の行きつけの店で、店の奥に個室があるところがお気に入りらしい。
開口一番に俺が晴陽のことを話しただけで、別に好きになったとは一言も言っていない。慌てて訂正すると、その様子がおかしかったのか、玲央はにやりと笑った。
「なんだ、麻耶。その慌てっぷり……もしや、図星か?」
「違うって、俺が言いたいのは変なこと言うなよってことで」
「あ、すみませーん。生ひとつ」
自分から話を振ったくせに遮ってくるとは。今日も今日とてこいつの自己中っぷりは健在のようだ。俺は苛立ちをレモンサワーで流し込んだ。
「いやでもさ、どういうことよ?夢に出てきたっつったって、第一その……ハルヒ?ってやつは本当にいるのかよ」
「それは俺も思ったけど、本人がちゃんと生きてるって言ってたから。晴陽がそう言うなら、間違いないでしょ」
あっけらかんとそう言った俺を、玲央は信じられないという顔で見つめている。なんだよ、文句でもあるのかよ。
「……なんだよ玲央」
「いや、麻耶ってこんなやつだったかなと思って」
こんなやつってどんなやつだよと心の中でツッコミを入れつつ、焼き鳥に手を伸ばす。特製のタレで焼き上がったそれは、酒の肴に最適だった。
「俺の中の麻耶と言ったらさ、冷たくてさ、それはもう冷酷非情って言うか」
「冷酷非情って」
玲央が冷酷非情という言葉を知っていたことに驚く。バラエティーでは天然キャラとして売っているが、本質は違うのだろうか。
「あー、なんだろ、上手く言えないけど。なんか、あんま感情が動かないって感じだったんだよね」
感情が動かない。玲央の言っていることは案外間違いではないのかもしれない。
その場に不必要だと判断したら感情を捨て、「自分」を演じることにしているのだから。生きていく上で、どれだけエネルギーを消費せずに生活できるかしか考えていない。
「――でも、今の麻耶は違うなって思った」
「……違う?」
うん、と玲央が力強く頷く。
「そのハルヒって子の話してるときの麻耶、すっげー生き生きしてた。その子と会うのが楽しくて堪らないって感じ」
そう、なのだろうか。自分ではそんな意識はなかった。いつも通り、淡々と話をしていただけだったのに。
「麻耶って、芝居してるときが一番輝いてるなーって思ってたんだよ。でも、今変わった。多分だけど、ハルヒといるときの麻耶が、一番いい表情してると思う」
焼き鳥を一本食べ終え、脂でべたつく口を酒で流す。レモンの酸味と、炭酸の痺れが喉に残る。
「いやー、残念だな。ハルヒといるときの麻耶、見てみてぇ。好きな子の前でどんな顔してるのか気になるわ」
「いやだから、好きとは言ってないじゃん。そんな言うなら玲央、俺たちの夢、入ってくる?」
そんな能力はないんだよと玲央にキレられた。俺だって、他人の夢に勝手に入れる能力は持ち合わせていない。
だとしたら、晴陽とはなぜ出会えたのだろうか。そもそも、晴陽と出会っている場所はどこなのだろうか。
夢の中?仮に夢の中であったとして、俺たちはどう巡り会ったのか。
俺が晴陽の夢に入り込んでいるのか、それとも晴陽が俺の夢に入り込んでいるのか――どちらでもなくて、ふたりの夢の中間地点のような場所で出会っているのだろうか。
どれだけ考えても分からない。夢というのものは実体がなく、仕組みや構成が分かるものでもない。
大きいため息をつき、机に突っ伏すと、玲央の軽やかな笑い声が聞こえてきた。
「どうしたんだよ麻耶。何、恋愛相談?任せな任せな、美羽ちゃんを落としたこの俺が――」
「そう言えばさ、ふたりってどうやって付き合ったわけ?俺が知らないうちに付き合ってたじゃん」
「えー、それ聞くー?」
あからさまににやにやしている玲央。はいはい、聞けってことだな。
「いいじゃん、俺だって知りたいし」
「仕方ないなぁ。特別に教えてあげよう」
恋人ののろけも含まれた馴れそめの話は異様に長く、時々脱線するため、話がなかなか入ってこない。それでも辛うじて聞けた箇所をまとめると、こういうことらしい。
昔羽坂さんは玲央のマネージャーを担当していて、玲央にとって羽坂さんは初めてのマネージャーだったという。自分のありったけを注ぎ込んでくれる羽坂さんのことを気づいたら好きになっていて、玲央から告白をしたと。
そこで告白をOKされ、付き合う――ということにはならず、見事に散った玲央。しかし彼は諦めることなくアタックし続け、五回目の告白でその恋は成就した。
「玲央五回も告白したの?信じられない」
「どういう意味だよ信じられないって。言っとくけど、五回告白したのはマジだからな」
はいはいと玲央を軽くあしらい、俺はメニュー表を手に取った。焼き鳥が乗っていた皿と俺のグラスは空だ。
「こっからが悲しいんだよ、聞けよ麻耶。マジ悲劇だから」
そう切り出された玲央の話は大して悲劇でもなかったが、本人からしてみればかなりの悲劇らしい。
五回もの告白を経てやっと結ばれたふたりは、恋人としても、マネージャーと俳優という関係としても、共に過ごす日々を送ろうとしていた。ただふたりが纏う雰囲気が変わったことを見かねたのか、すぐに羽坂さんの担当タレントが変更となったという。
付き合っているということを誰にも口外せず、極力ふたりきりになるようなことも避けてきたというのに――玲央は腹が立って仕方なかったらしい。
「で、愛しの美羽ちゃんが担当するタレントは誰なんだ、って思って、その人がいるっていう楽屋に殴り込んだわけよ。そしたら麻耶がいた」
玲央と初めて会った日のことは、今でもよく覚えている。
『今日から麻耶さんのマネージャーを務めさせていただきます。羽坂美羽です、よろしくお願いします』
楽屋で羽坂さんに頭を下げられ、どうしたらいいか分からなかった俺は、はぁ、としか言えなかった。
何を話したらいいのかも分からず、視線をさまよわせていると突然ドアが開き、意気揚々と玲央が入ってきた。
『ちょっと、玲央さん!?』
羽坂さんも玲央が入ってくるとは思っていなかったようで、大きく目を見開いている。
玲央は俺を舐め回すように見た後、羽坂さんに何やら耳打ちをし、楽屋から出て行った。
「いやあの時、本当びっくりしたから。初対面があれって、ひどすぎるでしょ」
「俺の中の最善策があれだったの!」
過去のことを掘り出されて恥ずかしくなったのか、それともただ酒で酔っただけなのか、玲央の頬は赤く染まっている。とはいえ玲央はそんなすぐ酔うタイプではないから、前者だろう。
きっと心に傷を抱えているから。わたしと同じで、人生に期待をしなくなってしまったから。
「……麻耶くん」
呟きは、誰にも届かないまま消えていく。
わたしが吐き出した息が、空気中に溶けて、染み出すように広がる。
その広がった空気が、道端に咲く花に触れる。
そして――花は枯れた。
次の瞬間、辺りは美しい世界ではなく、荒廃したような世界へと戻っていた。
3
「はぁ、何それ。夢に出てきた女に恋した?」
「だから、別に好きになったとは言ってないだろ」
焼き鳥を豪快に食べながら、玲央が大声を上げる。今日は久しぶりにふたりで飲みに来た。ここは玲央の行きつけの店で、店の奥に個室があるところがお気に入りらしい。
開口一番に俺が晴陽のことを話しただけで、別に好きになったとは一言も言っていない。慌てて訂正すると、その様子がおかしかったのか、玲央はにやりと笑った。
「なんだ、麻耶。その慌てっぷり……もしや、図星か?」
「違うって、俺が言いたいのは変なこと言うなよってことで」
「あ、すみませーん。生ひとつ」
自分から話を振ったくせに遮ってくるとは。今日も今日とてこいつの自己中っぷりは健在のようだ。俺は苛立ちをレモンサワーで流し込んだ。
「いやでもさ、どういうことよ?夢に出てきたっつったって、第一その……ハルヒ?ってやつは本当にいるのかよ」
「それは俺も思ったけど、本人がちゃんと生きてるって言ってたから。晴陽がそう言うなら、間違いないでしょ」
あっけらかんとそう言った俺を、玲央は信じられないという顔で見つめている。なんだよ、文句でもあるのかよ。
「……なんだよ玲央」
「いや、麻耶ってこんなやつだったかなと思って」
こんなやつってどんなやつだよと心の中でツッコミを入れつつ、焼き鳥に手を伸ばす。特製のタレで焼き上がったそれは、酒の肴に最適だった。
「俺の中の麻耶と言ったらさ、冷たくてさ、それはもう冷酷非情って言うか」
「冷酷非情って」
玲央が冷酷非情という言葉を知っていたことに驚く。バラエティーでは天然キャラとして売っているが、本質は違うのだろうか。
「あー、なんだろ、上手く言えないけど。なんか、あんま感情が動かないって感じだったんだよね」
感情が動かない。玲央の言っていることは案外間違いではないのかもしれない。
その場に不必要だと判断したら感情を捨て、「自分」を演じることにしているのだから。生きていく上で、どれだけエネルギーを消費せずに生活できるかしか考えていない。
「――でも、今の麻耶は違うなって思った」
「……違う?」
うん、と玲央が力強く頷く。
「そのハルヒって子の話してるときの麻耶、すっげー生き生きしてた。その子と会うのが楽しくて堪らないって感じ」
そう、なのだろうか。自分ではそんな意識はなかった。いつも通り、淡々と話をしていただけだったのに。
「麻耶って、芝居してるときが一番輝いてるなーって思ってたんだよ。でも、今変わった。多分だけど、ハルヒといるときの麻耶が、一番いい表情してると思う」
焼き鳥を一本食べ終え、脂でべたつく口を酒で流す。レモンの酸味と、炭酸の痺れが喉に残る。
「いやー、残念だな。ハルヒといるときの麻耶、見てみてぇ。好きな子の前でどんな顔してるのか気になるわ」
「いやだから、好きとは言ってないじゃん。そんな言うなら玲央、俺たちの夢、入ってくる?」
そんな能力はないんだよと玲央にキレられた。俺だって、他人の夢に勝手に入れる能力は持ち合わせていない。
だとしたら、晴陽とはなぜ出会えたのだろうか。そもそも、晴陽と出会っている場所はどこなのだろうか。
夢の中?仮に夢の中であったとして、俺たちはどう巡り会ったのか。
俺が晴陽の夢に入り込んでいるのか、それとも晴陽が俺の夢に入り込んでいるのか――どちらでもなくて、ふたりの夢の中間地点のような場所で出会っているのだろうか。
どれだけ考えても分からない。夢というのものは実体がなく、仕組みや構成が分かるものでもない。
大きいため息をつき、机に突っ伏すと、玲央の軽やかな笑い声が聞こえてきた。
「どうしたんだよ麻耶。何、恋愛相談?任せな任せな、美羽ちゃんを落としたこの俺が――」
「そう言えばさ、ふたりってどうやって付き合ったわけ?俺が知らないうちに付き合ってたじゃん」
「えー、それ聞くー?」
あからさまににやにやしている玲央。はいはい、聞けってことだな。
「いいじゃん、俺だって知りたいし」
「仕方ないなぁ。特別に教えてあげよう」
恋人ののろけも含まれた馴れそめの話は異様に長く、時々脱線するため、話がなかなか入ってこない。それでも辛うじて聞けた箇所をまとめると、こういうことらしい。
昔羽坂さんは玲央のマネージャーを担当していて、玲央にとって羽坂さんは初めてのマネージャーだったという。自分のありったけを注ぎ込んでくれる羽坂さんのことを気づいたら好きになっていて、玲央から告白をしたと。
そこで告白をOKされ、付き合う――ということにはならず、見事に散った玲央。しかし彼は諦めることなくアタックし続け、五回目の告白でその恋は成就した。
「玲央五回も告白したの?信じられない」
「どういう意味だよ信じられないって。言っとくけど、五回告白したのはマジだからな」
はいはいと玲央を軽くあしらい、俺はメニュー表を手に取った。焼き鳥が乗っていた皿と俺のグラスは空だ。
「こっからが悲しいんだよ、聞けよ麻耶。マジ悲劇だから」
そう切り出された玲央の話は大して悲劇でもなかったが、本人からしてみればかなりの悲劇らしい。
五回もの告白を経てやっと結ばれたふたりは、恋人としても、マネージャーと俳優という関係としても、共に過ごす日々を送ろうとしていた。ただふたりが纏う雰囲気が変わったことを見かねたのか、すぐに羽坂さんの担当タレントが変更となったという。
付き合っているということを誰にも口外せず、極力ふたりきりになるようなことも避けてきたというのに――玲央は腹が立って仕方なかったらしい。
「で、愛しの美羽ちゃんが担当するタレントは誰なんだ、って思って、その人がいるっていう楽屋に殴り込んだわけよ。そしたら麻耶がいた」
玲央と初めて会った日のことは、今でもよく覚えている。
『今日から麻耶さんのマネージャーを務めさせていただきます。羽坂美羽です、よろしくお願いします』
楽屋で羽坂さんに頭を下げられ、どうしたらいいか分からなかった俺は、はぁ、としか言えなかった。
何を話したらいいのかも分からず、視線をさまよわせていると突然ドアが開き、意気揚々と玲央が入ってきた。
『ちょっと、玲央さん!?』
羽坂さんも玲央が入ってくるとは思っていなかったようで、大きく目を見開いている。
玲央は俺を舐め回すように見た後、羽坂さんに何やら耳打ちをし、楽屋から出て行った。
「いやあの時、本当びっくりしたから。初対面があれって、ひどすぎるでしょ」
「俺の中の最善策があれだったの!」
過去のことを掘り出されて恥ずかしくなったのか、それともただ酒で酔っただけなのか、玲央の頬は赤く染まっている。とはいえ玲央はそんなすぐ酔うタイプではないから、前者だろう。