「えー。普通さ、夢の中で出会った人のこともっと知りたいって思わない?」
「いや、思うけど。そんなポンポンって出てこなくて」
晴陽は今日もペンとメモを手に持っている。ペンを顎に当て、何をしようか考え込んでいる。
「何がいいかなぁ……あ、ちょっと歩いてみたいかも。あの遠くに見える街並み、近くで見たい」
いいね、とすぐに賛成した。俺もあの綺麗な風景を、間近で見てみたい。
ふたりで立ち上がり、ゆっくりと歩いていく。ひとつひとつの景観をふたりで眺める。
道端に咲く花、青い空に浮かぶ雲、だんだんと近づいてきた美しい街並み――晴陽と一緒だと、目に映るものがすべて美しく思える。
そうして少し歩けば、遠くに見えていた街並みにたどり着いた。ふたりでその美しい景色に足を踏み入れれば、晴陽が感嘆の声を漏らす。
「わぁ、綺麗……!」
飛び跳ねるように近くの建物に駆け寄る晴陽。目を輝かせながら煉瓦造りの建物に触れている。
「すごい、可愛くて綺麗。趣って感じ、分かる?」
「言わんとしてることは分かるかも。可愛い……のかはちょっとよく分かんないけど」
「なんでよ、可愛いじゃん!」
楽しそうに走り回る晴陽を見て、元気だなぁと思う。微笑ましいという表現が本当にぴったりだ。
びゅうっと風が吹き、晴陽が着ている白いワンピースの裾を揺らす。そう言えば、晴陽は毎日その服を着ている。俺は寝たときの格好でこの世界にいるけれど、晴陽は違う。
「ねぇ晴陽、なんで毎日その服着てるの?」
「え?あぁ、このワンピースのこと?」
「そう。俺は毎日違う服だけど、晴陽は毎日それじゃん。何、それしか服ないの?」
軽いいじりのつもりでそう言ったが、言ってすぐに失言をしたと思った。晴陽の表情が、少し曇っていたから。
ただそれも一瞬で、晴陽はすぐに笑顔に変わり、言った。
「これしかないなんて、そんなわけないじゃん。なんか知らないけど、ここに来たときからこの服だったんだよね。わたしはこれがデフォルトなのかも」
そう言ってスカートの裾を掴み、くるっと回ってみせる。俺は表面上では笑ったものの、心には落としきれない不思議さがあった。
一瞬曇った表情の理由。それが、俺の心に引っかかったまま。
「……麻耶くん、何ぼーっとしてるの?あ、分かった。この格好が気に入らないとか?」
「え?」
「白いワンピースはお気に召さない……と。よし、ちゃんとメモりましたよ。次からは違う服で来れるように頑張らないと」
そういうわけじゃ――と言いかけて、やめた。じゃあどういうわけ、と問われたら、どう返せばいいのかが分からない。なんで暗い顔をしたのと聞けるほど、俺は無神経な人間ではない。
「麻耶くん、沈黙は肯定と一緒ですよ?」
「……まぁ正直、違う服も着て欲しいなとは思ったけど」
「うわ、認めた!変態だ」
「いや変態じゃないでしょ、言いがかりだって!」
声を張り上げた俺から逃げるように、晴陽が走り出す。時々こちらを振り向いては、いたずらっ子のように笑う。
体力もそれなりにあるし、運動神経も悪くはない俺は、すぐに晴陽に追いついた。晴陽は体力がないのか、少し走っただけですぐに息切れしている。
「はぁっ、はぁっ……麻耶くん、足速いんだね」
「そう?晴陽が遅いんだよ」
「なんだと、このやろ」
今度は俺が逃げる番らしい。美しい街並みを駆け抜け、今日出会った橋の上で止まる。やっぱり晴陽は息を切らしていて、苦しそうに息をしていた。
「もう、わたし体力ないんだから走らせないでよ」
一応文句を言っておきながらも、表情と声色は楽しそうだ。ベンチに腰掛け、息を整えている。
俺はというと汗もかかず息も絶やさず、余裕綽々という表情を浮かべた――と思う。
「麻耶くん、ほんと余裕そうだね。腹立つ」
「腹立つってなんだよ」
「わたしも頑張って体力つけるかー」
そう言って晴陽が伸びをした瞬間、空気を裂くようなアラーム音が聞こえた。俺だ。
「麻耶くん、かな?」
「そうみたい。ごめん、また明日」
「謝らなくていいよ、仕方ないし。また明日」
晴陽の顔には、名残惜しそうな色が浮かんでいた。
俺は晴陽に大きく手を振ると、夢の世界から去った。
*
――ぷつん。
「……いなくなっちゃった」
呟きは、誰にも届かないまま消えていった。
ひとりになった途端、急に寂しくなる。まるで太陽が消えてしまったみたいに。
わたしは立ち上がり、橋の欄干にもたれた。きらきらと輝く水面に、思い出を映し出す。
三日前、夢の中で麻耶くんと出会った。
あの日は麻耶くんと出会ったことより、見る世界が大きく変わったことに驚いた。
わたしはずっと暗い夢を見ていて、それが変わることはないんだろうと思っていたから――目を開けた瞬間、荒廃したような世界が周りに広がっていて、本当にびっくりした。
それと同時にすごく嬉しくて、寂れた世界を見て、飛び跳ねそうになってしまったのを覚えている。
きっと麻耶くんに言ったら、そんな世界を見て嬉しいの?って言われるんだろうな。でも、それでもいい。
わたしはあの時、すごく嬉しかったのだから。
荒廃したような世界をひとりで歩いていたら、突然、目の前の景色が変わった。本当に突然で、音ひとつ立てずに。
瓦礫のようになっていた建物は美しい煉瓦調に変わり、枯れきった花は途端に生命力を宿した。急に変わった世界に驚いて辺りを見回していると、遠くに人影があることに気づいた。
その人影の方に向かって歩いて行くと、そこにいたのは麻耶くんだった。
――『おにーさん、ひとり?』
初めて会ったときの台詞がこれなんて、今思い出しても笑ってしまう。
自分でも考えて考えて、悩み抜いて言った台詞だった。ドラマや映画、小説を毎日のように楽しんでいるわたしからすると、悪くはない台詞かと思ったのに。
言ったときの麻耶くんの表情は強張っていて、すぐに失敗してしまったと分かった。いやそれより、突然夢の中で人に話しかけられたことに驚いたのだろうか。
実際麻耶くんはわたしを疑いつつも驚いていて、それが声色から感じられた。
突然夢の中に見知らぬ人間が現れて、ましてや話しかけられて、麻耶くんは何を思ったのだろうか。わたしだったら、逃げ出したくなるような気がする。
麻耶くんも同じだったようで、わたしが名前を聞いても、彼はわたしから逃げようとした。
目を閉じて、夢から出ようとしていたから――わたしは麻耶くんの手を掴んで、それを止める。
それでもまだ麻耶くんは夢から出ようとしていて、正直少し腹が立ちそうになった。だからといって、麻耶くんに怒りをぶつけるようなことはしない。
――わたしは、ちゃんと生きてる。幻想じゃない。ちゃんと現実で生きてるよ。
――それ、本当なの。
麻耶くんの瞳が一瞬揺れて、わたしを貫く。
彼の視線がわたしに注がれたのは一瞬だったけれど、その時確かに思った。
――きっと、おんなじだ。
この人は、きっとわたしと同じなんだと。
目を見て分かってしまった。光を通さないような、明度の低い目。人生に期待を、希望を抱かなくなってしまったような、そんな目。
きっと、麻耶くんも同じことを思ったんだと思う。自分と似ている、と。
「いや、思うけど。そんなポンポンって出てこなくて」
晴陽は今日もペンとメモを手に持っている。ペンを顎に当て、何をしようか考え込んでいる。
「何がいいかなぁ……あ、ちょっと歩いてみたいかも。あの遠くに見える街並み、近くで見たい」
いいね、とすぐに賛成した。俺もあの綺麗な風景を、間近で見てみたい。
ふたりで立ち上がり、ゆっくりと歩いていく。ひとつひとつの景観をふたりで眺める。
道端に咲く花、青い空に浮かぶ雲、だんだんと近づいてきた美しい街並み――晴陽と一緒だと、目に映るものがすべて美しく思える。
そうして少し歩けば、遠くに見えていた街並みにたどり着いた。ふたりでその美しい景色に足を踏み入れれば、晴陽が感嘆の声を漏らす。
「わぁ、綺麗……!」
飛び跳ねるように近くの建物に駆け寄る晴陽。目を輝かせながら煉瓦造りの建物に触れている。
「すごい、可愛くて綺麗。趣って感じ、分かる?」
「言わんとしてることは分かるかも。可愛い……のかはちょっとよく分かんないけど」
「なんでよ、可愛いじゃん!」
楽しそうに走り回る晴陽を見て、元気だなぁと思う。微笑ましいという表現が本当にぴったりだ。
びゅうっと風が吹き、晴陽が着ている白いワンピースの裾を揺らす。そう言えば、晴陽は毎日その服を着ている。俺は寝たときの格好でこの世界にいるけれど、晴陽は違う。
「ねぇ晴陽、なんで毎日その服着てるの?」
「え?あぁ、このワンピースのこと?」
「そう。俺は毎日違う服だけど、晴陽は毎日それじゃん。何、それしか服ないの?」
軽いいじりのつもりでそう言ったが、言ってすぐに失言をしたと思った。晴陽の表情が、少し曇っていたから。
ただそれも一瞬で、晴陽はすぐに笑顔に変わり、言った。
「これしかないなんて、そんなわけないじゃん。なんか知らないけど、ここに来たときからこの服だったんだよね。わたしはこれがデフォルトなのかも」
そう言ってスカートの裾を掴み、くるっと回ってみせる。俺は表面上では笑ったものの、心には落としきれない不思議さがあった。
一瞬曇った表情の理由。それが、俺の心に引っかかったまま。
「……麻耶くん、何ぼーっとしてるの?あ、分かった。この格好が気に入らないとか?」
「え?」
「白いワンピースはお気に召さない……と。よし、ちゃんとメモりましたよ。次からは違う服で来れるように頑張らないと」
そういうわけじゃ――と言いかけて、やめた。じゃあどういうわけ、と問われたら、どう返せばいいのかが分からない。なんで暗い顔をしたのと聞けるほど、俺は無神経な人間ではない。
「麻耶くん、沈黙は肯定と一緒ですよ?」
「……まぁ正直、違う服も着て欲しいなとは思ったけど」
「うわ、認めた!変態だ」
「いや変態じゃないでしょ、言いがかりだって!」
声を張り上げた俺から逃げるように、晴陽が走り出す。時々こちらを振り向いては、いたずらっ子のように笑う。
体力もそれなりにあるし、運動神経も悪くはない俺は、すぐに晴陽に追いついた。晴陽は体力がないのか、少し走っただけですぐに息切れしている。
「はぁっ、はぁっ……麻耶くん、足速いんだね」
「そう?晴陽が遅いんだよ」
「なんだと、このやろ」
今度は俺が逃げる番らしい。美しい街並みを駆け抜け、今日出会った橋の上で止まる。やっぱり晴陽は息を切らしていて、苦しそうに息をしていた。
「もう、わたし体力ないんだから走らせないでよ」
一応文句を言っておきながらも、表情と声色は楽しそうだ。ベンチに腰掛け、息を整えている。
俺はというと汗もかかず息も絶やさず、余裕綽々という表情を浮かべた――と思う。
「麻耶くん、ほんと余裕そうだね。腹立つ」
「腹立つってなんだよ」
「わたしも頑張って体力つけるかー」
そう言って晴陽が伸びをした瞬間、空気を裂くようなアラーム音が聞こえた。俺だ。
「麻耶くん、かな?」
「そうみたい。ごめん、また明日」
「謝らなくていいよ、仕方ないし。また明日」
晴陽の顔には、名残惜しそうな色が浮かんでいた。
俺は晴陽に大きく手を振ると、夢の世界から去った。
*
――ぷつん。
「……いなくなっちゃった」
呟きは、誰にも届かないまま消えていった。
ひとりになった途端、急に寂しくなる。まるで太陽が消えてしまったみたいに。
わたしは立ち上がり、橋の欄干にもたれた。きらきらと輝く水面に、思い出を映し出す。
三日前、夢の中で麻耶くんと出会った。
あの日は麻耶くんと出会ったことより、見る世界が大きく変わったことに驚いた。
わたしはずっと暗い夢を見ていて、それが変わることはないんだろうと思っていたから――目を開けた瞬間、荒廃したような世界が周りに広がっていて、本当にびっくりした。
それと同時にすごく嬉しくて、寂れた世界を見て、飛び跳ねそうになってしまったのを覚えている。
きっと麻耶くんに言ったら、そんな世界を見て嬉しいの?って言われるんだろうな。でも、それでもいい。
わたしはあの時、すごく嬉しかったのだから。
荒廃したような世界をひとりで歩いていたら、突然、目の前の景色が変わった。本当に突然で、音ひとつ立てずに。
瓦礫のようになっていた建物は美しい煉瓦調に変わり、枯れきった花は途端に生命力を宿した。急に変わった世界に驚いて辺りを見回していると、遠くに人影があることに気づいた。
その人影の方に向かって歩いて行くと、そこにいたのは麻耶くんだった。
――『おにーさん、ひとり?』
初めて会ったときの台詞がこれなんて、今思い出しても笑ってしまう。
自分でも考えて考えて、悩み抜いて言った台詞だった。ドラマや映画、小説を毎日のように楽しんでいるわたしからすると、悪くはない台詞かと思ったのに。
言ったときの麻耶くんの表情は強張っていて、すぐに失敗してしまったと分かった。いやそれより、突然夢の中で人に話しかけられたことに驚いたのだろうか。
実際麻耶くんはわたしを疑いつつも驚いていて、それが声色から感じられた。
突然夢の中に見知らぬ人間が現れて、ましてや話しかけられて、麻耶くんは何を思ったのだろうか。わたしだったら、逃げ出したくなるような気がする。
麻耶くんも同じだったようで、わたしが名前を聞いても、彼はわたしから逃げようとした。
目を閉じて、夢から出ようとしていたから――わたしは麻耶くんの手を掴んで、それを止める。
それでもまだ麻耶くんは夢から出ようとしていて、正直少し腹が立ちそうになった。だからといって、麻耶くんに怒りをぶつけるようなことはしない。
――わたしは、ちゃんと生きてる。幻想じゃない。ちゃんと現実で生きてるよ。
――それ、本当なの。
麻耶くんの瞳が一瞬揺れて、わたしを貫く。
彼の視線がわたしに注がれたのは一瞬だったけれど、その時確かに思った。
――きっと、おんなじだ。
この人は、きっとわたしと同じなんだと。
目を見て分かってしまった。光を通さないような、明度の低い目。人生に期待を、希望を抱かなくなってしまったような、そんな目。
きっと、麻耶くんも同じことを思ったんだと思う。自分と似ている、と。