僕は不気味なナイフ──『魔閃(ません)短刀(たんとう)』──を持った、ディーボを目の前にしている。ディーボは闇色(やみいろ)の「気」に包み込まれていた。

 試合用リングの周囲は、魔力の透明の壁に仕切られ、誰も入ることができない。僕とディーボの本当の試合が、これから始まる。

 ディーボはナイフを逆手(さかて)に持った。

「レイジ、落ち着きなさい!」

 リング下のルイーズ学院長が声をかけてきた。声は透明な壁を通り抜けて聞こえた。

逆手(さかて)に持ったナイフは、『接近戦』を想定しているわ。相手を近づかせないで!」
「フフッ」

 ディーボは笑った。

「さすが、ルイーズ学院長。武器術についての知識も()けているね」

 ディーボは素早く近づいてきた。銀色の三十センチの長さのナイフ──魔閃(ません)短刀(たんとう)を、右フックのように振ってきた。

 ナ、ナイフはこうやって使うのか! 

 ディーボは素手の時、あまり体を動かさない構えを取っていた。しかし、今はナイフを持った手、そして腕を蛇のようにうねらせている。
 不気味な動きだ……! なるほど、ナイフがどこから来るのか、分からない。 
 だが、なんとなく、脇腹に(すき)があるように見える!
 そこが狙い目か?

(もらった!)

 僕は素早くディーボの脇腹に、パンチを放った。

 しかし、ディーボは素早く斬ってきた。僕はすぐに手を引っ込める。

(くっ……!)

 ちょっと指に当たりそうになった。危ない、危ない……。

「ダメよ!」

 ルイーズ学院長は叫んだ。

「ディーボは、わざと脇腹を空けている! 攻撃をさそっているのよ」

(そういうことか……! うかつに攻撃はできない)

 ディーボはニヤリと笑って、右、左、右とフック気味に斬ってくる。
 
 最後に大振りの左斬り。僕は大きく横にジャンプしてさけた。

 でも、不思議なことに、ディーボのナイフの挙動が見える。
 これなら、攻略は可能かもしれない。

 その時──。

「レイジ、勝ってくれ!」
「頼む!」
「ディーボみたいな野郎に、倒されないでくれ!」

 観客席から、歓声が聞こえる。祈るような声だ。それを聞いた時、不思議なことに、僕の体に力が湧いてくるようだった。
 
 彼は下からナイフを斬り上げてきた。使い慣れている!

 バサッ

 僕の魔導体術着(まどうたいじゅつぎ)を切っただけだ。

「な、なんだと。よけるとは」

 ディーボは驚いた表情を見せている。

「だが、これならば、どうだ?」

 すると、ディーボはナイフを順手に持ち替えた。

 シャッ

 ナイフで突いてくる。ディーボ、恐ろしいヤツだ。躊躇(ちゅうちょ)しない。しかし、僕はナイフの挙動が見えているので、すべてかわしていた。

「バカめ!」

 ディーボは何と、ナイフを僕の(もも)に向けて払ってきた! あ、足への攻撃! こんなの、経験したことがないぞ!
 
 ──でも──よけることができた!

 何となく、素手の攻撃より、速度が遅い気がする……?

「レイジ……何だ? 何なんだ、お前は。なぜ短刀(たんとう)をかわせる?」

 ディーボはイラついている。

「レイジ、頑張れ!」
「もう少しだ!」
「ディーボを絶対に倒してくれ!」

 また祈るような声が聞こえた。また観客席からだ。
 その(たび)に、僕は自信が湧いてくる。
 
「はああっ」

 彼は思いっきり上からナイフを振りかざす。

 ここだ!

 僕は、彼が振り上げた腕の手首を、素早く掴んだ。

「うう!」

 ディーボは目を丸くして、僕を見た。

「な、なぜだ」
魔導体術家(まどうたいじゅつか)が、武器に頼るからだ」

 僕はそう言って、彼に前蹴りをくらわせた。彼はリング上に倒れ込んだ。
 ナイフは彼の手から離れ、吹っ飛んだ。
 ナイフは──リングの向こうの方に、転がっている。

「ディーボ、もう君の反則負けは決まっている。試合に武器を持ち込んだのだから」
「黙れ!」

 彼はすぐに立ち上がったが、僕は彼の横に回り込み、彼のこめかみに右ストレートを叩き込んでやった。

 ディーボはまたダウン。

「う、うぐ」

 彼はヨロヨロと立ち上がりながら、つぶやくように言った。

「僕は……闇の魔導士をやとい、血液の入れ替えをして、人工的にスキルを埋め込む手術をした」
「そ、そんなことができるのか?」
「僕はサーガ族でも何でもない。単に、強くなりたかっただけの、見せかけの人間だ」

 彼は続けた。

「だが……今日は本当の力で、本当の実力で、レイジ君、君を倒してみせる!」

 僕は静寂(せいじゃく)の中にいた。
 観客の声は聞こえない。
 だけど、皆の祈りが、僕の心に──魂に飛び込んでくるのが分かった。

『レイジ、勝ってくれ!』

 そんなような祈りの言葉だ。
 僕はもう、ディーボに対して、まったく恐怖を感じない。

 彼は走り込んできた。右、左のパンチ、そして、縦拳(たてけん)から繰り出される──右直突(みぎちょくづ)き! 僕はそれを読み、彼の腹に前蹴りを叩き込んでいた。

「う、ぐぉ」

 ディーボは声を上げながら、後方によろめいた。しかし、ディーボはそれをこらえつつ、また前進──、パンチを打とうとしてくる!

(ここだっ)

 彼が飛び出してくる刹那(せつな)、僕は走り込み、飛び上がった!

 バキィ

 鈍い音がした。

 僕は──ディーボのアゴに、右飛び膝蹴りを叩き込んでいた。
 
 完全に、彼のアゴの急所に、僕の右膝が入った。しかもカウンターだった。彼が踏み込んできたからだ。

「そ、んな」

 ディーボはグラリとよろけた。しかし、何と、彼はふんばる。

 彼は薄く笑いながら、右ノーモーション・パンチを繰り出した。しかし、僕はそれを左手の平で受けていた。
 ディーボは驚いた表情を見せる。

「これも、読んでいたというのか」

 ディーボは僕の手を振り払い、一歩踏み込んだ。
 ディーボの左ストレート! しかし!

 僕はよく見て、それをかわした。まるで、時間がゆっくり流れているように思える。
 瞬間、僕は一歩踏み込み、全重心をつま先に乗せ……。

 ガシイイッ

 僕は、渾身(こんしん)の右ストレートを繰り出していた。
 ディーボは僕のパンチを(ほお)に受けていた。手ごたえがあった。

「さす、がだ」

 ディーボはゆらりと崩れ落ちる。──両膝をつき、ゆっくりリング上に倒れ込んだ。

 静まり返る場内。
 
 その途端、リングの周囲の見えない壁が、消え去ったようだ。
 
 ディーボはうつぶせに倒れている。失神しているのだろう。

「おいっ! ディーボは失神しているぞ」

 ケビンが審判団の席の方を振り返り、声を上げた。

「レイジの勝ちだろ! はやく放送しろ!」

 審判長が素早くマイクを持った。

『しょ……勝者!』

 観客がざわめく。

『勝者! レイジ・ターゼット!』

 ドオオオオッ、と観客の声が大きくなった。
 僕はようやく、ハッとした。
 静寂(せいじゃく)の世界から抜け出した。

 審判長は付け加えた。

『ディーボ・アルフェウスは刃物を持っていたので、その時点で反則負けが決定しておりました。しかし、この試合はレイジ・ターゼット選手のKO勝ちとします!』

 審判長は改めて言った。

『十二分五十秒、KO勝ち! 学生トーナメント優勝者は、レイジ・ターゼット!』

 ドオオオオオオオッ

 再び、観客がドッとわいた。

「や、やったあああー」

 リング上にアリサが上がってきて、抱きついてきた。

 ああっ!

 何と、ディーボは失神から立ち直ったようだ。ゆっくり体を起こし、魔閃(ません)短刀(たんとう)に手を伸ばそうとしている。
 しかし、そのナイフを素早く拾い上げたのは──。リング上に上がってきた、ソフィア・ミフィーネだった。

「ディーボ、負けを認めてください」

 ナイフはソフィアの手により、素早く審判団に手渡された。

 ディーボはあきらめたように、リング上に座り込んでいる。
 やがて、治癒魔導士によって、タンカが運ばれてきた。ディーボは何も言わず、タンカに乗り込むと、リング外に運ばれていった。
 ソフィアは僕に一礼をした。

「レイジさん、優勝おめでとう。そして、素晴らしい試合をありがとう」

 ソフィアは泣いているようだった。彼女はリングを降りた。ディーボにはついていかず、リング最前列の選手特別席に戻った。

『優勝セレモニーです!』

 魔導拡声器(まどうかくせいき)で放送がかかった。

『レイジ・ターゼット選手へ、優勝記念品を授与!』

 しかし僕ら、エースリート学院の生徒には大きな問題が立ちはだかっていた。それを象徴する人物、バルフェス学院の学院長、デニル学院長がリング上に上がってきた。
 彼は優勝トロフィーを持っていた。僕が優勝した記念品だ。
 よ、よりによって、バルフェス学院の学院長に、優勝トロフィーを手渡されるとは……。
 デニル学院長は、自らの手で、ディーボに手渡すつもりだったのだろう。

「レイジ君、優勝おめでとう」

 デニル学院長は、苦虫を噛みつぶしたような顔で、僕をにらみつけながら言った。

「しかし、残念ながら君たちの学院は、今月で無くなる。エースリート学院は、我がバルフェス学院に、吸収合併されるのだからね」

 しかしその時、声が聞こえた。ルイーズ学院長の声だ。

「こちらです。どうぞ」

 ルイーズ学院長と一緒にリング下に歩み寄ったのは、あの人物だった──。
 
 その人物が、僕らエースリート学院を救ってくれることになる!