ボーラスたちは、グラントール王国北部、ライドー山の中腹でキャンプをしていた。エースリート学院との公式試合に備えて、山で特訓をするためだ。ちなみにボーラスたちは、レイジがエースリート学院の三位を倒してしまったことを、知るよしもなかった。

 ボーラス、ジェイニー、マーク、新人のアルザーたちは、まず昼食、腹ごしらえをすることにした。屋外で、自然に囲まれながらの食事だ。
 四人は専属シェフの焼いた肉を、食べ始めた。脂肪がたっぷりついている肉を、腹一杯。
 彼らはすっかり忘れていた。試合前や練習前に、レイジが脂肪分を抜いた、果物類のエネルギー食を作ってくれていたことを。ボーラスたちはきっと、この後の練習中や練習後、体が重くて仕方なく感じるだろう。

 さて、腹ごしらえが終わると、ミット打ちの練習をすることになった。パンチングミットを持つ係は、もちろん新人練習パートナーの狼系獣人族(じゅうじんぞく)、アルザー・ライオ。
 ボーラスはアルザーに言った。

「ようし、ミット打ちを開始するぞ。まずはパンチだ。アルザー、いいか?」
「いや、ちょっと待ってくれ。……慣れてないんでな」

 アルザーはパンチングミットを両腕につけるのに、手間取(てまど)っているようだ。ボーラスはイライラしたが、新人練習パートナーを怒鳴りつけるわけにはいかないので、黙っていた。

「ああ、これでよし」

 アルザーは立ち上がって、ボーラスの方を向いた。

「ようし! いくぞ、アルザー」

 ボーラスは渾身(こんしん)の右フックを、アルザーのミットに叩き込む。

 ボフン!

 今度は左ストレート!
 
 ベフン!

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 ボーラスはあわてて、アルザーに言った。

「おい、ミットの音が変じゃないか? もっと、バシン! とか、バーンとか、良い音が出るもんだろう?」
「え? そんなもんか? よくわからんが」
「頼むよ、アルザー。試合が近いんだからさ。じゃ……じゃあ続ける」

 ボーラスの右ボディーブロー! ボーラスのパンチが、アルザーのパンチングミットに飛び込む。

 ボヒッ

「……おいおいおい! やっぱり音が変だって。豚の鳴き声かよ!」

 ボーラスが文句を言うと、プライドの高い獣人族(じゅうじんぞく)のアルザーは、不満顔で言葉を返した。

「俺のせいだってのか?」
「え? そ、そうじゃねえけど、ミットはパンチが当たった瞬間、少し前に出すんだ。グッと。良い音がしないと、俺らも気持ちよく打てた気がしねえんだよ」
「そうなのか」

 アルザーは首を傾げている。後ろでは、二人のやり取りを、ジェイニーとマークーが見ていた。

「大丈夫? あのアルザーってヤツ……」

 ジェイニーが眉をひそめた。マークもうなずく。

「変な感じッスね」
「そういえば、レイジがミット持ちをしてくれていた時なら、パーンとか、バシンとか、良い音が出ていたわ」
「そ、そうだったッスか?」
「ミットとパンチが当たる瞬間に、ミットを前に突き出さないとダメなのよ。レイジはその点、うまくやってた」
「ま、まあ、確かに」

 今度はボーラスの右フック!

 パンッ!

 今度は良い音がした。しかし、アルザーは何も言わない。黙って、次のボーラスのパンチを待っている。

「いやいや、アルザーさあ」

 ボーラスはイライラしながら言った。

「パンチ、どんな感じか言ってくれよ」
「ああ? どんな感じ?」

 アルザーは首を傾げた。

「普通のパンチじゃねえのか?」
「いや、そうじゃなくて……」

 ボーラスは何とか説明しようとしているが、伝わらない。後ろで見ていたマークは、ジェイニーに言った。

「あそこは、『いいね!』『良いパンチだ』とか、褒めるべきだと思うッス」
「ええ、そうね」
「パンチを打っている側が、気持ちよく打てないと、こっちもやる気でないスから」
「……レイジなら、褒めてくれてたわ」
「え? そ、そうッスね」
「よし、じゃあ、今度は私よ!」

 ボーラスが今にも怒鳴り散らしそうな雰囲気を見てとったジェイニーが、アルザーに言った。

「今度は、私が得意の蹴りをするから。中段前蹴り。ミットを腹の辺りに構えて。当たった瞬間に、ミットを前に突き出してちょうだい」
「え、ああ」

 アルザーは、代わりにキック用ミットを腕につけた。何だかやりにくそうだ。
 一方、ジェイニーも何だか体の重さを感じていた。さっき、脂肪分やっぷりの焼肉を食べたからだ。もしレイジだったら、果物などのエネルギー食を作ってくるだろう。エネルギー食を食べていないから、エネルギーが効率よく消費されず、体が重く感じるのだ。

「ハッ!」

 ジェイニーが得意の、前蹴りを突き出す。

 パフッ

 あんまり良くない音だ。ジェイニーは、再び前蹴り。ライザーはあわてて、キック用ミットを前に突き出す。

 グキッ

「ん?」

 ボーラスとマークはジェイニーを見た。変な音が……。ジェイニーはすっ転んでいる。

「だ、大丈夫か!」

 ボーラスたちはジェイニーのそばに近寄った。ジェイニーは足首を押さえて、苦悶(くもん)の表情を浮かべている。

「あ、あいたた……足首をひねったわ。蹴りが当たる瞬間に、キックミットを強く、前に突き出されたからよ」

 するとアルザーは舌打ちした。

「あんたらがそうやれって、言ったんじゃねえか。蹴りもパンチも下手くそなんじゃねえのか、あんたら。さっきから俺のせいばかりにしやがって」
「て、てめえ」

 ボーラスはアルザーに詰め寄った。

「メンバーに怪我させやがって! どういうつもりなんだ」
「知らねえよ! 俺は言われた通りやっただけだ!」

 アルザーは腕に付けたミットを外して、地面に叩きつけた。

「あー、やる気なくしたぜ。来るんじゃなかった」

 それを見ていたマークが、ボーラスに言った。

「レイジ先輩なら、あんな風に口答えみたいなこと、しませんでしたよね」
「ま、まあな。あいつはおとなしいからな」
「それにレイジ先輩のミット持ちで、怪我なんて一回も起こしたことはないッス」

 するとジェイニーは足首をさすりながら口を開いた。アルザーは向こうの方で、ふてくされている。

「レイジのヤツ、呼び戻せないの?」
「ああ?」

 ボーラスは、ジェイニーのいきなりの発言の困惑気味だ。

「だってさ、レイジの方がミット持ち、うまいじゃん。これじゃあ練習にならないわよ。戻ってきてもらえないわけ?」
「そ、そんなことできるわけねーだろ」

 ボーラスはフン、と鼻で息をしながら言った。

「あいつを退学……追放させちまったんだからな。まあ、気にするんじゃねえよ。ミット持ちくらい、代わりはいくらでもいる。レイジなんて弱い野郎は、俺らのメンバーにいらねえんだ」
「そ、そッスよね!」

 マークは幾分、気持ちを取り戻したようだ。

「弱い野郎は、メンバーを追い出して正解。ボーラス先輩は正しいッス」
「だろ?」

 ボーラスは胸を張った。向こうではアルザーが、まだふてくされて、山の方を見ている。一方、ジェイニーは、足首を押さえてまだ痛がっている。
 練習にはなりそうもない。

「ったく、つかえねーヤツらだな」

 ボーラスはチッと舌打ちして、小声でつぶやいた。

「まあ、ミット持ちは、別のヤツを親父に探してもらえばいいよ」
「デルゲス・ダイラント学院長なら、すぐに探してくれるっス!」

 マークはボーラスの言うことにうなずいた。自分もいつか、「つかえねー」と言われるのではないかと、ちょっと恐ろしくなったが。

 さあ、一週間後はあのエースリート学院との公式試合だ。そのエースリート学院のメンバーに、あの弱かったはずのレイジが、メンバー入りしそうなのを、ボーラスたちはまだ知らない。