ドアをノックする音に、目を開けた。
薄暗い天井に、カーテンの隙間から差しこむ光が泳いでいる。
「起きてる?」
「あ、うん」
答えるのと同時にドアが開き、お母さんが部屋に入ってきた。
「頭痛いのどう?」
「もう大丈夫。ナイトが治してくれたから」
「ナイト?」
きょとんとするお母さんに、やっと目が覚めた。
「なんでもない。今、何時?」
ベッドから起きあがると、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出された。
「まだ午前中。終業式が終わったころじゃないかしら」
「そう……」
「念のため、病院に行こうか?」
心配そうに眉をハの字に下げるお母さんに、「大丈夫」と答えた。
「仕事に行っていいよ。もう平気だから」
「本当に?」
「うん」
「小野田さんとの契約があるんだけど、そのあと資料を持って行く約束をしているお客さんが何人かいるの。なにかあったらいつでも電話してね」
立ちあがろうとするお母さんに「ねえ」と声をかけた。
「美代子さんって、昔、娘さんを亡くしてるの?」
「……え?」
「佳代さんという名前で、修学旅行先の奈良県で事故に遭ったとか……」
お母さんが一瞬顔をこわばらせるのがわかった。でも、次の瞬間には「ええ」とうなずいた。
「すごく昔の話よ。いちばん下の娘さんが事故に遭ってね。当時は大変だったのよ」
やっぱりあの日会ったのは、本当の佳代さんだったんだ。
「誰に聞いたか知らないけれど、その話はあまりしないでね」
釘を刺すお母さんに、ふわりと疑問が浮かびあがった。
「しないよ。碧人もしないと思う」
お母さんはなかなか部屋から出て行ってくれない。迷うように、なにか考えるように視線を巡らせている。
「あの、ね……実月」
「うん」
「最近の実月はすごく元気そう。友だちも増えたみたいで、お母さんすごくうれしいのよ」
葉菜や瞳と仲良くなったことは、夕食のときなどに話している。今度、梨央奈を含めた四人が遊びに来ることも伝えてある。
気になるのは、うれしいはずなのにお母さんの表情がすぐれないことだ。
あ、そうか……。
「お母さんはさみしいよね。碧人の家族、引っ越しちゃったもんね」
「え……実月、そのこと知ってたの?」
今さらなにを、と思わず苦笑してしまう。
「碧人から聞いて知ってるよ。碧人も二学期からは奈良に引っ越すんだって」
「碧人くんも奈良に?」
「こないだ言われた。ずっと一緒だったのに、もう――会えなくなるんだよね」
幼なじみに戻る決心をしたのに、やっぱり悲しいよ。
もう学校で会うこともなくなる。話をすることもなくなってしまう。だけど、現実を変えることはできない。碧人をきちんと見送るためにも、決心を揺らがせてはいけない。
ふいにお母さんが私の手をギュッと握るから驚いてしまう。
「さみしいわよね? でも、人と人とはいつか別れるものだと思う。実月にはお母さんがついてるからね」
「急にどうしたの?」
お母さんはパッと手を離すと、慌てて部屋から出て行こうとする。
「なんでもないの。ほら、碧人くんのお母さんに会えなくなったから、さみしくって」
「お母さんたち、仲が良かったもんね」
口ではそう言ってみたものの、この一年、お母さんから碧人のおばさんの話題が出ることはなかった。
私が知らないところで話をしていたのかな……。
疑問を残したままお母さんは仕事に出かけて行った。
そういえば、夢のなかでナイトはヘンなことを言ってたっけ……。私が、片目をつむって生きているとか、この世界が残酷だとか。
ただの夢なのに、心になにか引っかかっている。
スマホを見ると、梨央奈から心配しているという内容のメッセージが数件届いていた。
「誰かを 頼れ、って言ってたよね……」
梨央奈に返信してから制服に着替えた。
カーテンを開けると、遠くの空に驚くほど大きな真昼の月がその姿を主張していた。
月が私を呼んでいる。私の役割をまっとう しろ、と告げている。
薄暗い天井に、カーテンの隙間から差しこむ光が泳いでいる。
「起きてる?」
「あ、うん」
答えるのと同時にドアが開き、お母さんが部屋に入ってきた。
「頭痛いのどう?」
「もう大丈夫。ナイトが治してくれたから」
「ナイト?」
きょとんとするお母さんに、やっと目が覚めた。
「なんでもない。今、何時?」
ベッドから起きあがると、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出された。
「まだ午前中。終業式が終わったころじゃないかしら」
「そう……」
「念のため、病院に行こうか?」
心配そうに眉をハの字に下げるお母さんに、「大丈夫」と答えた。
「仕事に行っていいよ。もう平気だから」
「本当に?」
「うん」
「小野田さんとの契約があるんだけど、そのあと資料を持って行く約束をしているお客さんが何人かいるの。なにかあったらいつでも電話してね」
立ちあがろうとするお母さんに「ねえ」と声をかけた。
「美代子さんって、昔、娘さんを亡くしてるの?」
「……え?」
「佳代さんという名前で、修学旅行先の奈良県で事故に遭ったとか……」
お母さんが一瞬顔をこわばらせるのがわかった。でも、次の瞬間には「ええ」とうなずいた。
「すごく昔の話よ。いちばん下の娘さんが事故に遭ってね。当時は大変だったのよ」
やっぱりあの日会ったのは、本当の佳代さんだったんだ。
「誰に聞いたか知らないけれど、その話はあまりしないでね」
釘を刺すお母さんに、ふわりと疑問が浮かびあがった。
「しないよ。碧人もしないと思う」
お母さんはなかなか部屋から出て行ってくれない。迷うように、なにか考えるように視線を巡らせている。
「あの、ね……実月」
「うん」
「最近の実月はすごく元気そう。友だちも増えたみたいで、お母さんすごくうれしいのよ」
葉菜や瞳と仲良くなったことは、夕食のときなどに話している。今度、梨央奈を含めた四人が遊びに来ることも伝えてある。
気になるのは、うれしいはずなのにお母さんの表情がすぐれないことだ。
あ、そうか……。
「お母さんはさみしいよね。碧人の家族、引っ越しちゃったもんね」
「え……実月、そのこと知ってたの?」
今さらなにを、と思わず苦笑してしまう。
「碧人から聞いて知ってるよ。碧人も二学期からは奈良に引っ越すんだって」
「碧人くんも奈良に?」
「こないだ言われた。ずっと一緒だったのに、もう――会えなくなるんだよね」
幼なじみに戻る決心をしたのに、やっぱり悲しいよ。
もう学校で会うこともなくなる。話をすることもなくなってしまう。だけど、現実を変えることはできない。碧人をきちんと見送るためにも、決心を揺らがせてはいけない。
ふいにお母さんが私の手をギュッと握るから驚いてしまう。
「さみしいわよね? でも、人と人とはいつか別れるものだと思う。実月にはお母さんがついてるからね」
「急にどうしたの?」
お母さんはパッと手を離すと、慌てて部屋から出て行こうとする。
「なんでもないの。ほら、碧人くんのお母さんに会えなくなったから、さみしくって」
「お母さんたち、仲が良かったもんね」
口ではそう言ってみたものの、この一年、お母さんから碧人のおばさんの話題が出ることはなかった。
私が知らないところで話をしていたのかな……。
疑問を残したままお母さんは仕事に出かけて行った。
そういえば、夢のなかでナイトはヘンなことを言ってたっけ……。私が、片目をつむって生きているとか、この世界が残酷だとか。
ただの夢なのに、心になにか引っかかっている。
スマホを見ると、梨央奈から心配しているという内容のメッセージが数件届いていた。
「誰かを 頼れ、って言ってたよね……」
梨央奈に返信してから制服に着替えた。
カーテンを開けると、遠くの空に驚くほど大きな真昼の月がその姿を主張していた。
月が私を呼んでいる。私の役割をまっとう しろ、と告げている。