その日の晩餐の席、父は上機嫌だった。
「いやぁ、よくやってくれたカイル! まさか、十年以上もごたついていた問題をたった数週間で解決してしまうとは」
 それは父からたびたび聞かされていた、領民同士の土地の境界問題についてだった。
「いえ、それほどでも」
 カイルはにこやかに微笑む。
「双方の主張を直接聞き取り、妥協点を見つけて納得してもらっただけです」
「いや、そこが見事だというのだよ。これまではいくら話し合いの場を設けても平行線だったのだ。酷い時には殴り合いにまで発展する始末で。それをまさか、あれほど穏便に収めてしまうとは」
「義父上のお役に立てて光栄です」
「先日の、思い切った予算案にも驚かされた。しかし、君の説明には納得せざるを得なかった。これほどの逸材が我が家に婿入りしてくれるとは、スネイドル伯爵家には感謝してもしきれないな」
「こちらこそ、キサット家の至宝とも言えるミューリ嬢の夫として認めていただけたこと、心より感謝しております」
 んぶっ!?
「どうした、ミューリ?」
「いえ」
(至宝って!!)
 私はスープをわずかに吹いてしまった口元を、ナプキンでぬぐう。カイルと目が合うと、彼はいたずらっぽくニヤッと笑った。
(ほら、これが本性だよ!)
 とはいえカイルが、お父様を長年悩ませていた問題をさらっと解決してしまったのも事実なのだ。

 自室に戻り、私はベッドに横たわる。
 カイルの部屋は館の東側にあり、私の部屋は西とかなり離れている。これは貴族の家では珍しいことではない。
 カイルとは、未だベッドを共にしたことはなかった。
(振る舞いにそつがないし、弁舌爽やか……)
 子どもの頃から見ていたカイルは、やんちゃな兄のような存在だった。我が家に訪れては、年甲斐もなく木剣を振り回して遊ぶ、自分を飾る必要のないおバカ友だちのような。
 けれど同じ建物の中で過ごすようになり、カイルの様々な面が見えて来た。
 頭がいい、人当たりがいい、機転が利く、行動力もある。
(もう、なんなの……)
 私は起き上がり、机の引き出しからコインを取り出す。ガレマ11世ご成婚記念で配布されたコイン。当時26歳だった若々しく美しい国王陛下の横顔が、そこに彫り込まれていた。
 子どもの頃から、大切に持っていたお守り。
(うん、やっぱり陛下の方が素敵だよ)
 私はコインを両手で捧げ、そっとキスを落とす。
(私がカイルと結婚したのは愛し合うためじゃない。陛下と恋愛する資格を手に入れるためだし、カイルは……)
 胸の奥がチリッと焼ける。
(私を差し出して、見返りとして陛下から土地や地位を受け取るのが目的なんだから)

 サロンへの参加もすっかり慣れ、書斎での勉強も苦痛でなくなったある日のこと。
「ミューリ! 今すぐこっちに来てくれ」
 階下から、カイルの声が聞こえて来た。
 部屋に向かうと、そこには職人らしき女性が立ち並んでいた。
「? 仕立て屋?」
「頼むぞ!」
 カイルの声を皮切りに、仕立て屋たちは一斉に私の採寸を始める。
「ちょ、え!? 何、急に!」
「急ぐんだ。お前の新しいドレスを作らなきゃいけない」
「ドレスならこの間一着仕立てたところだけど!?」
「後で説明する。今は大人しくしていろ」
 本当に何!?

「で? 説明していただきましょうか」
 採寸を終え職人たちが引き上げると、私はカイルに詰め寄った。
 カイルは涼しい顔で口を開く。
「近々、国王陛下御一家がマスミノ湖畔へピクニックにやってくるという情報を掴んだ」
「国王陛下が?」
「マスミノ湖畔の近くには、俺の実家スネイドル家の別荘がある」
「え……!」
「わかるか? これはチャンスだ」
 カイルはニッと悪い笑いを浮かべる。
「偶然を装い、国王陛下とお前の最高の出会いを演出するぞ」
(国王陛下と、私が、出会う……)