それは、儀式が行われる数日前に起こった出来事だった。
その日は珍しく、一人の若い男が社へ訪れた。どうやら男はマヨイの夫らしい。男の姿が見えた時、マヨイは大事そうに簪を持っていたな。以前聞いた話だが、簪は祝言を挙げる時に貰った物だという。マヨイは楽しそうに話しているが男の方は楽しそうではなかった。
そして男が「すぐに産婆を呼んで来る!」と言いながら山を急ぎ足で下りていく。
「子供が産まれそうなんです、、、」
「は?」
苦しそうに息を吐くマヨイは、それでも嬉しそうだった。
しばらくすれば産婆が焦って社に来た。男の姿は見えない。きっと産婆だけ呼んで自分は逃げたのだろう。
立ち会いは出来ないとはいえ、部屋の外で待つことくらいは出来るだろうに。
オレは出産が終わるのを渡り廊下で待つ。これは産婆に任せよう。
(子供が無事に生まれたら産婆の記憶を消さないといけないな、、、)
そのままにしておくと十中八九、子供が生き神として祀られる。
それはきっと、マヨイ自身も子供自身も望んでいないだろう。
そんなことを考えていると、オギャァァァと元気な産声が摂社の中から上がった。
部屋に入ると、幸福そのものの笑みを浮かべて生まれたばかりの赤子を抱き上げているマヨイがいた。
「生き神様、おめでとうございます。すぐに村の者を呼んで来ます」
産婆が通り過ぎたのを機会にして産婆の額に触れた。
きっとこれで山を抜けると、今日の出来事は二度と思い出せないだろう。
産婆は山を下りていった。産婆が戻って来ることはなかった。
生まれたばかりの赤子を愛おしそうに抱き上げて笑みを浮かべているマヨイを見ていると、一つの言葉を吐き出した。
「、、、私はこの地に残ります」決心したように放つ言葉。
「ちゃんと考えたのか?」
「はい。大切なこの地を私は守りたいんです」
「、、、そうか」
「月峰様、私は使命を果たします。ですから、どうか娘を私の代わりに育てて下さい」
マヨイは選択で『この地に残る』を選んだ。その瞳に映るのはやはり強い意志だった。
「、、、この地の者達はじきにお前を殺して神へと仕立て上げる。そしていずれお前を忘れ、、、お前の魂はこの地に縛られ続けるだろう」
「うん、、、」
マヨイは悲しそうに笑い、オレに問う。
「月峰様はこの地が大切ですか?」
「、、、ああ」
「私も、この地が大切です」
「、、、、、、、、、」
「、、、ごめんなさい」マヨイは申し訳なさそうに告げた。
「言ったろう。お前の意志で決めたのならそれで良い。正しいかどうかもそこにはない」
(マヨイも、神職も、あの産婆も、、、誰も悪くない)
「でも、、、月峰様は」
「大丈夫だ。この山はきっと守る」
これが、お前への餞別になるだろう。
「マヨイ」
彼女の名を呼ぶ。今、伝えなくてはいけないような気がした。今言わなければ、きっとオレは後悔する、そう感じた。
「、、、お前は使命を果たす為に生きてきたと言ったな。確かにお前の祖母や神職はそれを正しいことだと、言ったろう。だが、、、お前は決して、その為に生まれた訳ではない」
「!!」
「それを、忘れるな」
そう言うと、マヨイは何時もの柔らかい笑みを浮かべて言った。
「月峰様は優しい神様ですね」
「だが、それとこれとでは話は別だ。お前がこの地を去ろうと残ろうが、この子はお前の子供だ。お前が育てなくては意味がない。子供はきっと、お前に育てられたいだろう」
「いえ、この子は月峰様に育てられたいんです。きっとその方が幸せになってくれる。あの人も戻って来ませんし、、、お願いです。この子を、、、どうか守って下さい」力強く言い残し、この世を去った。
翌日、冷たくなっているマヨイを発見した神職は驚いてマヨイに化粧を始めた。儀式の予定を変更したのか、、、。
「分かった、、、マヨイの代わりにオレがこの子を幸せにしよう。おいで、アンズ」
眠っているアンズと名付けた赤子を抱き、奥社へ向かう。
母親との別れ。
奥社に入るのは久しぶりだ。マヨイが新たな生き神として山に招かれた時以来か。このままアンズが生き神として此処で過ごせば、近いうちにまた儀式が行われるだろう。
「この山は何も変わらない、、、か」
神職達は奥社で祝詞を上げ、マヨイの血を鏡池に垂らす。
儀式にあの男は参加していなかった。
その日は珍しく、一人の若い男が社へ訪れた。どうやら男はマヨイの夫らしい。男の姿が見えた時、マヨイは大事そうに簪を持っていたな。以前聞いた話だが、簪は祝言を挙げる時に貰った物だという。マヨイは楽しそうに話しているが男の方は楽しそうではなかった。
そして男が「すぐに産婆を呼んで来る!」と言いながら山を急ぎ足で下りていく。
「子供が産まれそうなんです、、、」
「は?」
苦しそうに息を吐くマヨイは、それでも嬉しそうだった。
しばらくすれば産婆が焦って社に来た。男の姿は見えない。きっと産婆だけ呼んで自分は逃げたのだろう。
立ち会いは出来ないとはいえ、部屋の外で待つことくらいは出来るだろうに。
オレは出産が終わるのを渡り廊下で待つ。これは産婆に任せよう。
(子供が無事に生まれたら産婆の記憶を消さないといけないな、、、)
そのままにしておくと十中八九、子供が生き神として祀られる。
それはきっと、マヨイ自身も子供自身も望んでいないだろう。
そんなことを考えていると、オギャァァァと元気な産声が摂社の中から上がった。
部屋に入ると、幸福そのものの笑みを浮かべて生まれたばかりの赤子を抱き上げているマヨイがいた。
「生き神様、おめでとうございます。すぐに村の者を呼んで来ます」
産婆が通り過ぎたのを機会にして産婆の額に触れた。
きっとこれで山を抜けると、今日の出来事は二度と思い出せないだろう。
産婆は山を下りていった。産婆が戻って来ることはなかった。
生まれたばかりの赤子を愛おしそうに抱き上げて笑みを浮かべているマヨイを見ていると、一つの言葉を吐き出した。
「、、、私はこの地に残ります」決心したように放つ言葉。
「ちゃんと考えたのか?」
「はい。大切なこの地を私は守りたいんです」
「、、、そうか」
「月峰様、私は使命を果たします。ですから、どうか娘を私の代わりに育てて下さい」
マヨイは選択で『この地に残る』を選んだ。その瞳に映るのはやはり強い意志だった。
「、、、この地の者達はじきにお前を殺して神へと仕立て上げる。そしていずれお前を忘れ、、、お前の魂はこの地に縛られ続けるだろう」
「うん、、、」
マヨイは悲しそうに笑い、オレに問う。
「月峰様はこの地が大切ですか?」
「、、、ああ」
「私も、この地が大切です」
「、、、、、、、、、」
「、、、ごめんなさい」マヨイは申し訳なさそうに告げた。
「言ったろう。お前の意志で決めたのならそれで良い。正しいかどうかもそこにはない」
(マヨイも、神職も、あの産婆も、、、誰も悪くない)
「でも、、、月峰様は」
「大丈夫だ。この山はきっと守る」
これが、お前への餞別になるだろう。
「マヨイ」
彼女の名を呼ぶ。今、伝えなくてはいけないような気がした。今言わなければ、きっとオレは後悔する、そう感じた。
「、、、お前は使命を果たす為に生きてきたと言ったな。確かにお前の祖母や神職はそれを正しいことだと、言ったろう。だが、、、お前は決して、その為に生まれた訳ではない」
「!!」
「それを、忘れるな」
そう言うと、マヨイは何時もの柔らかい笑みを浮かべて言った。
「月峰様は優しい神様ですね」
「だが、それとこれとでは話は別だ。お前がこの地を去ろうと残ろうが、この子はお前の子供だ。お前が育てなくては意味がない。子供はきっと、お前に育てられたいだろう」
「いえ、この子は月峰様に育てられたいんです。きっとその方が幸せになってくれる。あの人も戻って来ませんし、、、お願いです。この子を、、、どうか守って下さい」力強く言い残し、この世を去った。
翌日、冷たくなっているマヨイを発見した神職は驚いてマヨイに化粧を始めた。儀式の予定を変更したのか、、、。
「分かった、、、マヨイの代わりにオレがこの子を幸せにしよう。おいで、アンズ」
眠っているアンズと名付けた赤子を抱き、奥社へ向かう。
母親との別れ。
奥社に入るのは久しぶりだ。マヨイが新たな生き神として山に招かれた時以来か。このままアンズが生き神として此処で過ごせば、近いうちにまた儀式が行われるだろう。
「この山は何も変わらない、、、か」
神職達は奥社で祝詞を上げ、マヨイの血を鏡池に垂らす。
儀式にあの男は参加していなかった。