高校生としての責務を果たすべく、俺は学校の教室にいた。
 俺の名前は、中村 雄太(なかむら ゆうた)

 そんな俺は、放課後に生徒指導室へと呼び出された。
 それは俺が高校へと進級して、梅雨に入る直前。
 6月の出来事だった。
 呼び出された理由は、もう分かっている。
 それは今朝のことだ。
 ある女子生徒が俺のことを先生に『密告』したのだ。
 それは、傘の持ち去りだ。

 昨日。
 俺が、学校から帰宅しようとしたときだ。
 突然の雨によって足止めを食らっていた。
 天気予報では、雨が降るなど言っていなかったが、それはあくまで予報であり、外れることもある。
 そして、その予報は見事に外れて大雨となったのだ。

 俺は傘を持っていなかったので、迷っていた。
 学校の下駄箱の前で、俺は一人で考える。
 選択肢は二つ。
 このまま濡れて帰るか、ここで雨が上がるまで待つのか。
 俺は、雨が止むまで待つことにした。
 天気予想では、あと一時間で雨は止むのだ。
 その選択が結果として俺を窮地に陥れる結果となった。
 一時間経っても雨は止まない。それどころかより激しくなってゆく。
 傘を借りる友人もない俺は、このまま濡れて帰るしかない、と覚悟を決めた。

 しかしその時、俺は魔が差してしまったのだ。
 俺が、雨宿りをしている校舎の昇降口にある傘立て。
 そこには傘が立てかけられているのを見つけた。
 それは誰かが忘れていった傘だった。
 個性のない透明なビニール傘。
 それは、コンビニで買えるような一般的なもの。
 名前などは書いていない。
 俺は、周囲をみた。人はいない。
 これは、仕方がないことだ。
 そう思うことにした。
 そして、その傘を自分の物として差すことにした。
 
 ……その選択は、大きな誤りだった。

 呼び出された俺は、生徒指導室にいた。
 生徒指導室には、俺と対面して中年の男性教師がいた。
 彼は細身で眼鏡をしており、神経質そうな雰囲気を漂わせており、嫌味な感じで話す、そんな教師だ。

「雄太君」
「はい」
「君がなぜ生徒指導室に呼ばれたか分かっているね?」
「はい……」

 俺は素直に返事をした。
 俺の心の中は『やっちまった』という感情しかなかった。

 今朝のことを俺は思い出していた。
 今日も、昨日に引き続いて雨が降っており、俺は昨日、頂いた傘を使って登校した。

 そして悲劇は、起こった。
 俺が昇降口で傘を傘立てに立てようとしたときだった。
 ある女子生徒が俺に向かって突っかかってきた。
 彼女は俺の無個性な透明ビニール傘を見てから、騒ぎ始めた。
 その傘が彼女のものであり、盗んだものだろう、と。

 俺は、それをしらばっくれようとしたのが、それは彼女には通用しなかった。
 続いて彼女が言ったように、透明なビニール傘の内側の骨の部分には、何かに文字が小さく書かれていた。
 彼女のイニシャルらしい。
 そんなところにある小さな文字など、一体誰が見るだろうか?
 分かりやすいところに書けってんだ、と俺は正直思った。
 そこで、俺はとっさに持って帰る傘を間違った説を主張し始めたのだが、女子生徒はさらに面倒なことを言い出したのだ。
 別にも取ったものがあるのだろう、言い始めた。
 彼女のストーカだと俺は勘違いされているのだろう。
 そんなこんなで話がどんどんと大きくなった結果が、放課後の呼び出しだった。

「君は、どうして人の物を持って行ったのですか?」
「いえ、俺は間違って傘を持って行っただけです。」
「それでは、なぜ女子生徒の傘を持っていたのですか?」
「それは……」

 俺は、事実を言ったとしても信じてもらえるとは思えなかった。
 俺はそれらしい理由をいくつか言ってみるものの、教師は納得しない。

「雄太君」
「はい」
「他にも、上履きや教科書がないといった訴えが出ています。」
「それは、違います。」
「それは?」

 言葉尻をとらえるように、その教師は言った。

「いいえ、俺は傘を間違えて持って帰っただけです。」

 俺はそう言った。そういうしかない。

「雄太君。」
「はい」
「君は、自分の非を認めないのですか?」
「いえ。俺は、傘を間違えて持って帰っただけです。」
「ではなぜその女子生徒は、ここまで大きく騒ぎ立てたのでしょうか?」

 男性教師は完全に犯人が俺だと決めかかっている。
 まあ、実際にビニール傘は、半分俺が犯人ではある。
 しかし、上履きや教科書は、俺じゃないと言いたかった。
 女子生徒は感情的であり、朝の時点で冷静な話し合いは不可能だった。
 ビニール傘が彼女のものであると、決定的になった瞬間にここまで騒ぎ立てたのだ。
 それに俺は、もともと教師に良いイメージを持っていないが、今回のこの男性教師は最悪だった。
 そのあともネチネチと、俺の非を探ろうとしてきた。
 そして、俺が非を認めないでいると、男性教師は、とんでもないことを言い出した。

「雄太君。これは窃盗です。本来は警察沙汰になるんですよ?」
「は?警察?」

 俺は、その男性教師の発言には驚いた。
 傘を間違って持っていったからといって、警察に突き出されるなんて大げさだ。

「雄太君、君は、人の物を盗んだのです。これは犯罪です」

 神経質そうな男性教師は、そういった。
 半ば脅しのようなものだった。

「いや、俺は傘を間違えて持って帰っただけです」
「ではなぜ女子生徒の物を持って行ったのですか?」
「ですから、間違えたんです」

 俺は繰り返し、同じ主張をする。
 ここで別の事をいうと、この教師に言葉尻を捉えられ、揚げ足を取られかねない。

「雄太君、君は反省していませんね?」
「いや、ですから……俺は間違えて持って帰っただけです」
「そうですか……では仕方がありませんね。とりあえず君は、反省文を書いてきなさい。」
「え?」
「反省文を書けと言っているのです。」
「それは、どうしてですか?」

 俺は聞いた。
 すると、その教師は言ったのだ。

「君が反省しないからですよ。」

 その教師の物言いにはイラっと来ていたが、冷静に俺は考えた。
 ここら辺が落としどころなのか、と。

「はい、反省文は書きます。しかし、俺は傘は間違って持って帰りましたが、上履きや教科書は盗んでいません。」
「雄太君、君はまだそんなことを……」

 男性教諭は、俺に対して怒りの感情を持ったようだ。
 しかし、ここで引くわけにはいかない。

「先生、俺は本当に間違えて持って帰っただけなんです」
「もういいです!反省文を書きなさい!」

 俺は結局、反省文を書かされることになった。

『私は、人の物を盗みました。これは悪いことです。ごめんなさい☆彡』

 反省文の内容を一行でいうと、こんな感じだ。
 その糞みたいな出来の反省文を教師は、俺に読み上げさせた。
 俺が文章を読み上げると、その神経質そうな男性教師は、盗んだものをすべて彼女へ返却しなさい、とだけ吐き捨てるように言って生徒指導室から出ていった。

「いや、俺が盗んでないから返せないじゃん。」

 俺は独り言をいって、生徒指導室から出ていった。

 オレンジ色の夕日が差す中で、俺は、一人で廊下を進んでいた。
 そのまま俺は、家へと帰宅する。
 間違っても昇降口で別の誰かの傘を持ち帰るようなこともせず、家へ帰った。

 帰路についた俺の周囲。
 通学路の風景はいつもと変わらない。
 生徒指導室での指導時間や反省文の制作には、それなりの時間がかかったと思っていたが。
 実際にはそこまで時間が経過していたわけでない。
 いつもよりは帰宅する時間が遅いとはいえ、部活終わりの生徒などが見える。
 むしろ帰宅する通学路には、俺がいつも帰宅する時間よりも生徒の数が多いかもしれなかった。

「マジで、胸糞悪いな……」

 とぼとぼ歩きながら、俺はつぶやいた。
 それにしても精神衛生上よろしくない。
 俺が一体何をしたというのだろう。
 使っていない傘の有効利用だ。しかも、次の日に返却するというサービス精神。
 もっとも、傘の返却時に見つかってしまったのだが。

「それにしても腹立つわ。」

 俺は、そんなことをブツクサとつぶやきながら帰宅を続けた。
 しばらくすると、住宅地にある愛しの我が家が見えてきた。
 両親が建てた二階建ての庭付きの一軒家。
 実際、この家に俺は一人暮らしをしているようなものだった。
 父は単身赴任中で、母親も不規則な勤務形態だ。
 彼らが、いつこの家に帰ってきているのか分からない。
 この傾向は、俺が高校に進学してから拍車がかかっていた。
 なので、最近は一人暮らしと変わらなくなってきた。

 俺は、そんな家へと帰宅する。

「ただいまー」

 俺は、誰もいない家にそう言って玄関で靴を脱いだ。
 リビングへ鞄を投げ出す。
 そして、俺は2階の自室へと行く。
 自室にある自分の着替えを取り出す。
 高校の夏服である、白いカッターシャツと制服のズボンのままというのは、俺にとって寛げない服装なのだ。
 俺は、そのまま自室で着替えた。
 俺にとって最適な服装になってからリビングへと戻っていく。
 リビングにあるソファーへ寝っ転がった。

「あー、疲れた」

 独り言を言う。
 スマホを片手間にいじりながら、ネットニュースのおすすめ記事をスクロールする。

 しばらくそんなことをしているとアッという間に時間が潰れていく。

 そういえば、そろそろ風呂沸かさないとな。
 俺はそう考えつつも、リビングのソファーで横になった。
 ソファーの上で、スマホを適当にいじる作業へ戻る。
 俺の身体は、ソファーからしばらく動くことはなかった。