それから数日の渡航を経て、アデルは再びヴェイユ島の土を踏んでいた。
 今回の往復で手持ちの金も殆ど使い切ってしまった。数日食い繋ぐだけの食費はあるが、もう一度大陸に渡るだけの余裕はなかった。アーシャ王女と会えずとも、暫くはこの島で暮らさなければならないだろう。

(いや……そうだったとしても、この島で生きるのも悪くないか)

 ヴェイユ島には冒険者ギルドがないので、ギルド間の繋がりでアデルの生存が知られる事もないだろう。この島で何でも屋でも開いて、便利屋として生きるのも悪くないかもしれない。
 アデルはそんな事をぼんやりと考えるのだった。
 いずれにしても、今の彼の人生には何も目的がない。何もないからこそ、全てが自由に決められた。ここで老衰するまで生きるのも、明日誰かに殺されるのも、今の彼には全てが自由で、そしてその全てが他人事だった。
 アデルはグドレアン港の店でヴェイユ島の地図を買って、改めて王宮までの道のりを確認する。
 ヴェイユ島は、このグドレアン港を中心に西と東に分かれている。西側にはダニエタン伯爵の統治するルベルーズ領があり、その周囲には小さな村々が点々としている様だ。一方の東側には、ヴィクトル伯爵の統治するベルカイムの森があり、その先にルグミアン川がある。アーシャの住まうヴェイユ王宮は、その川の先、島の一番奥にあるようだ。
 グドレアン港からヴェイユ王宮までは、間にベルカイムの森を抜けて、ルグミアンの大橋を渡らなければならない。馬で走れば一週間程で着けそうな距離だが、今のアデルに馬を買う金はなかった。

(やれやれ……島国だと思って甘く見ていたが、思ったより大きな国なんだな)

 アデルがギルドの無い島国や政治に興味を持たなかった所為でもあるのだが、ヴェイユ王国の領土はこの島全てである。その領土の広さからは、大国ヴェイユと呼ばれる事もあるそうだ。
 実際に、ヴェイユ王国の領土はアンゼルム大陸にある国々よりも圧倒的に広く、国力も高い。島国故に人の行き来も少ない事から文化面に於いては大陸よりもやや遅れているが、それでもここヴェイユ王国に戦争を仕掛ける国はいないそうだ。
 だが、このヴェイユ王国それ自体の歴史はそれほど長くなく、アンゼルム大陸の中にある国の中では新興国の部類だ。ヴェイユ国王、即ちアーシャの父ロレンス=ヴェイユはその三代目国王なのだという。例の『王家の洞窟』の〝成人の儀〟も初代ヴェイユ国王が臆病な息子に度胸を付けさせる為に作ったお遊びの行事なのだそうだ。
 また、現国王のロレンス王はアンゼルム大陸六英雄の一人に数えられている英雄で、アデルが生まれる前にあった大陸内の戦争では大きな戦果も収めている人物だ。彼は治世にも優れており、ロレンス王の代になってから国も平定しているのだという。
 山賊等の無法者もちらほらいるようではあるが、全て領主が対応できるほどの規模で、島は平和そのもの。戦争などとは無縁の平和な国なのだという。

(なるほど、冒険者ギルドがないわけだ)

 グドレアンの港町でヴェイユ王国の情報を集めてわかった事は、この国が如何に平和な国であるかという事だった。
 冒険者ギルドの仕事は、主に領主の手が回らない様な魔物退治や便利屋、或いは行商人達や要人警護の傭兵業がメインとなる。しかし、この国では大陸では冒険者がやっているような仕事でさえも、領主や国が行っているのだ。
 ここヴェイユ王国は治世が整っており、人口も多い。税収入も安定しているので、国力も高く兵力も十分にあるので、領主自らがその困り事を全て解決できる。冒険者そのものが必要ない程、国の基盤がしっかりとしているのだ。

(アーシャはそんな国の王女様だったんだな)

 アデルは先日出会った王女の事を思い出す。
 彼女が人を疑う事を知らず、そして当たり前の様に人助けをしているのは、この平和な国によって形成されたのかもしれない。

(さて、と……んじゃまぁ、最後の金を叩いて食糧と王宮までの足を手に入れるかな)

 アデルは地図を見て大きな溜め息を吐きながらも、どこか清々しい気持ちで港町を歩くのであった。