夢の中にオヤジの背中が出てきた。おっきくて(いか)つくて恐ろし気な背中だった。近寄り難い背中だった。しかし、見えたのはオヤジの背中だけではなかった。オヤジの前にも、その前にも、いっぱい背中があった。それはご先祖様の背中に違いなかった。目を凝らしてみると、オヤジの背中よりもおっきくて厳つくて恐ろし気だった。
 ハッとして目が覚めると、オヤジも自分と同じ立場だったことに気がついた。才高家の後継者として厳しく厳しく鍛えられたはずなのだ。それはわたしの比ではないように思えた。もしかしたら鉄拳が飛んでいたのかもしれない。わたしは一度も殴られたことはないが、職人の世界では当たり前のように行われていたはずなのだ。昔に戻れば戻るほど厳しかったに違いない。それは理不尽というレベルだったかもしれない。ご先祖様たちはそれに耐えて耐えて一人前になっていったのだ。
 自分は甘いよな~、
 オヤジから逃れて楽な道へ進んで有頂天になっていたあの日のことが思い出された。
 あの時、大学に行かずにオヤジの跡を継いでいたら……、
 既に終わってしまったことを振り返ってもどうしようもなかったが、何故かそんなことが頭に浮かんだ。するとオヤジの気持ちが少しわかったような気がした。断ったわたしを責めるのではなく自分を責めたのではないだろうか? 子育てを間違ったと思ったのではないだろうか? ご先祖様に顔を向けられなくなったのではないだろうか?
 辛い思いをさせたんだろうな、と思うと居たたまれなくなり、親不孝をした自分が許せなくなった。しかし今更何かができるわけではない。才高家は妹が継いだのだ。自分の出る幕はない。オヤジの期待に応えることはできないし、オヤジを助けることもできない。情けない自分が嫌になって大きくため息をついた時、カーテンが揺れた。妻がドアを開けたようだったので、すぐさま寝たふりをした。すると、「あらあら」という声が聞こえて、毛布が掛けられた。匠とわたしを見つめているのか動く気配がなかったが、少しして「かわいい」という声が聞こえた。そして「おやすみなさい」と言い残して部屋を出て行った。その間わたしは目を瞑ったままだった。
          
 あの日から、匠を寝かすの日課になった。可愛い寝顔を見ながら、この子にとって最高の父親像とは何かということを考え続けた。何をしてやれるのか、何を教えてやれるのか、何を助けてやれるのか、必死になって考え続けた。しかし、世間一般に言われているようなことしか思いつかなかった。正しい人の道を教えるとか、可能な限りの教育を受けさせるとか、やりたいことを思う存分やらせてあげるとか、困った時には手を差し伸べてやるとか、そんなことしか考えつかなかった。
 子供を育てるということの意味を本当にわかっているのだろうか? 
 自らに問うたが、〈まったくわかっていない〉という言葉が胸の奥から湧き上がってきただけだった。そもそも自分はまだ大人になり切れていない。というよりガキなのだ。視野が狭いし包容力もない。自分のことで精一杯のガキなのだ。
 ガキが子育てなんてチャンチャラおかしいよな、
 自嘲的な笑いしか出てこなかったし、〈この子に見せる背中はまだない〉と思うと絶望的な思いに囚われた。
          *
「お兄ちゃん、決めてくれた?」
 日曜日の昼過ぎに匠を連れて実家に行くと、玄関で鉢合わせした妹に明るく声をかけられた。
「いや、まだ……」
 口を濁すことしかできなかった。
「そう……」
 がっかりしたような表情に変わった。
「わるい……」
 逃げるように背を向けて、靴を脱いだ。