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 妹を居酒屋に誘った日から2週間後、今度は妹から誘われて同じ居酒屋に行った。
「お願いがあるんだけど」
 乾杯した直後、固い表情で妹が言った。
「私に協力して欲しいの」
「協力って、何を?」
 すると妹は居住まいを正した。
「多くの人に宮大工の仕事を知ってもらいたいの。多くの女性に宮大工を目指してもらいたいの」
 そして真剣な表情で射るように見て、「お兄ちゃんは小さな頃からお父さん、いえ、棟梁に厳しく指導されて宮大工の技の凄さを理解しているでしょう。それに加えてお兄ちゃんには文章を書く優れた才能があるでしょう。絵画を愛でる目もあるでしょう。宮大工の仕事を知り尽くし、それを文章やビジュアルで伝える技を持っているのよ。そんな人、この世の中に誰もいない。お兄ちゃんだけなの。だからお願い」と迫るように言った。しかし、余りにも唐突すぎてすぐに反応することができなかった。それに協力して欲しいと言われても何を協力するのかわからなかったので、それを訊こうとしたが、その隙を与えないかのように妹は話を続けた。
「宮大工は絶滅危惧種なの。高度な技術が要求される割に収入はそれほど多くないし、拘束時間も長いから若い人に敬遠されているの。このままだと国宝や重要文化財の保存修理が滞るようになるかも知れない。私、居ても立ってもいられないの」
 日本文化、日本建築の評価が世界的に高まっているにもかかわらず、その担い手となる専門職の数が減っていて心配だという。
「宮大工に興味を持つ人を、宮大工になりたいと思う人を増やさなければならないの。そのためには宮大工についての正しい情報を発信する必要があるの」
 切羽詰まったような表情で妹は訴えた。
 古の建物を維持保存するためには当時の建物のことがわかる大工がいなければならないが、その数がこのまま減っていけば修理が必要になってもできない事態に陥りかねない。そうなれば国宝や重要文化財の保全は極めて難しくなる。そんな事態にしてはいけない。だから棟梁や経験豊富な宮大工たちが健在なうちにその心と技術を次の世代に伝えなければならない。妹はそう力説した。
 そこで妹の言っていることが理解できたし、もっともだと思った。異論は何もなかった。それどころか代々続く宮大工の家に生まれたわたしこそがやらなければいけない義務のように感じた。しかし事はそう簡単ではなかった。会社勤めをしながら片手間で出来るものではないので、やるなら専業でということになる。それは会社を辞めて独立することを意味している。安定した給与を捨てて不安定な収入に移行するということだった。しかしそれは余りにも無謀な選択としか思えなかった。子供ができ、これから生活を安定させなければいけないわたしにとって簡単にイエスと言えるようなものではなかった。
 もちろん本音は違っていた。妹の想いを、いや、才高家の想いを、いや、古から綿々と受け継がれてきた宮大工の想いを次世代に伝える手助けがしたかった。才高家の跡継ぎを拒否したとはいえ、500年を超えて続く血がこの体に流れているのは事実以外の何物でもなかった。その血が妹の申し出を断るなと命令していた。しかし、生活の保障がないまま踏ん切るわけにはいかなかった。妻や子供に対する責任を放棄するわけにはいかないのだ。わたしは口を(つぐ)んだまま思案に暮れた。
 妹と別れたあとも葛藤が続いたが、踏ん切りをつけることはできなかった。だからその後も説得を続ける妹に対して曖昧な態度を取り続けた。答を出さないまま、ただ時が過ぎていくのに身を任せていた。