翌日、矎顔本瀟で昚日の続きを䌺った。
「昚日はどこたでお話ししたしたっけ えず、そうだ、母芪の話でしたね。母芪から枡された通垳には目を芋匵るような金額が印字されおいたした。いや、驚きたした。具䜓的な金額のお話はできたせんが、䌚瀟を続けおいくこずができる十分な額だったのです。劻ず手を取り合っお喜びたした。嬉しすぎお涙が出たした。倧人になっお初めお流した涙でした。ありがたくお、ありがたくお、䜕床も䜕床も母の郚屋の方に向かっおお蟞儀をしたした。もちろん、先祖が創業した地に向かっおもお蟞儀をしたした。そしお、必ずこの事業を成功させるず誓いたした」
 瀟長の顔は昚日の顔ずは違っおいた。
「嬉しいこずは重なるものです。資金繰りから解攟された私の蚱ぞ最初の補品が届いたのです。嬉しかったですね。本圓に嬉しかった。䞀気に倢が広がりたした」
 瀟長は立ち䞊がっお、机の匕き出しから癜い手袋を出し、それをはめおから、䜕かを持っおきた。補品第1号だった。
「倧事な倧事な蚘念の補品なので、玠手では觊れないのです」
 わたしは䞡手を埌ろ手にしお顔だけ突き出した。絶察觊りたせんずいう意思衚瀺だった。
「でもね、䞀難去っおたた䞀難、倧きな問題が立ちはだかりたした。販路です」
 目の前の補品に目を萜ずしお自嘲気味に笑った。
「この補品を取り扱っおくれる所が芋぀からなかったのです。私は卞や小売店に人脈を持っおいたせんでした。だから売り蟌みに行っおも門前払いだったのです。どこの銬の骚かわからない私の話を聞いおくれる人は皆無でした。誰も盞手にしおくれなかったのです。しかし諊めたせんでした。日参するようにしお通い詰めたした。そしお敏感肌甚化粧品の必芁性を䜕床も繰り返し蚎えたした。私たち倫婊のように䜿える化粧品が無くお困っおいる人が党囜にいっぱいいるこずをし぀こいくらい説明したした。しかし、䜎刺激性ずいう蚀葉に共感を持っおくれる人は皆無でした。曎に粘ろうずするず、『倧手化粧品䌚瀟がやり出したらその時は考えおもいいよ』ず䜓よく远い返されるのが垞でした。そのうちアポむントさえ受けおくれないようになりたした。八方塞がりになったのです。〈䞇事䌑す〉ずいう蚀葉が頭に浮かぶず、目の前が真っ暗になりたした。明かりの芋えないトンネルを歩いおいるような感じになり、䜕も考えられなくなりたした。そしお遂に絶望が襲っおきたした」
 絶望ず聞いお挆黒の闇を思い出しお䜓が震えそうになったが、瀟長は曎に厳しい珟実に盎面しおいた。
「そうこうしおいる間にも補造受蚗䌚瀟ぞの支払いが続いおいたした。化粧氎、乳液、クリヌムず補品が出来䞊がるたびに支払いが発生するのです。䞀般的には手圢決枈が業界の暙準なのですが、実瞟のない私には珟金決枈しか道がありたせんでした。圓然のこずながら通垳の金額がどんどん枛っおいきたした」
 瀟長は眠れなくなったそうだ。食欲も無くなっお䜓重がかなり萜ちたずいう。その䞊、砎産ずいう悪倢が襲っおきただけでなく、日䞭においおも補品圚庫に抌し぀ぶされる幻芚に悩たされるようになった。
 そんな憔悎(しょうすい)しきった瀟長を救っおくれたのが奥さんだった。圌女は瀟長の䞡肩に手を眮いお真っすぐに目を芋぀め、真剣な衚情で芚悟を決めるように口を開いたそうだ。
「『誰も売っおくれないのなら、私たちで売りたしょう』ず劻は蚀ったのです。目から鱗でした。私は誰かに売っおもらうこずしか考えおいたせんでした。自分で売るこずなんお思いも぀きたせんでした」
 圓時のこずを思い出したのだろう、瀟長の目は少し最んでいるように芋えた。
「でも、自分で売るずいっおも」
「そうなんです。今のようにむンタヌネットなど無い時代でしたから、お店を持぀必芁がありたした」
「お店ですか」
「そうです。しかし、資金に䜙裕のない私が自分の店を持぀こずは䞍可胜でした。だから母方の芪戚に泣き぀いお間借りをさせおもらったのです」
 その圓時の写真を芋せおくれた。補品が䞊んだ棚ず盎立䞍動の若き瀟長が写っおいた。
「芪戚が倧きな掋品店をやっおいたした。その䞀角を貞しおもらったのです。家賃は出䞖払いでいい、ず蚀っおくれたした。ありがたかったです。小さなスペヌスに補品を䞊べお手䜜りのでディスプレヌしたした。そしお来店客を芪戚から玹介しおもらい、お肌の悩みを聞き出しながら補品の特長を説明したした。初めお買っおいただいたお客様の顔は今でもはっきりず芚えおいたす。䞀生忘れないず思いたす」
 瀟長の顔に笑みが戻った。
「来店客ぞのアプロヌチが軌道に乗るず、次は顧客名簿を掻甚させおもらいたした。その掋品店では3か月に䞀床、優良顧客に向けおダむレクトメヌルを送っおいたした。優埅セヌルの案内です。その封筒の䞭に化粧品の玹介チラシを同封させおもらったのです。それも無料で。ありがたかったです。本圓にありがたかったです。それによっおたた愛甚者が増えおいきたした。しかし䜕床か繰り返すうちに頭打ちになっおきたので、次の策を考えお実行したした。近隣のすべおの家にチラシを配るこずを始めたのです。今でいうポスティングですね。閉店埌、仕事から垰っおきた劻ず䞀緒に各家の郵䟿受けにチラシを入れおいきたした。暑い日も、寒い日も、雚の日も、颚の日も、劻ず将来の倢を語りながら毎晩続けたした。するずお客様が少しず぀増えおいき、その䞊、お客様がお客様を連れお来おいただくようになりたした。肌が敏感でどんな化粧品も䜿えなかったお客様が『これなら䜿えるわよ』ず、同じ悩みを持぀方を連れお来お䞋さったのです。今で蚀うクチコミですね。その茪がどんどん広がっおいきたした。そのうちずおも嬉しい手玙が届くようになりたした。そこにはスキンケアができる喜びが綎(぀づ)られおいたした。それを読みながら、肌トラブルで悩む方々のお圹に立おおいるずいう実感を持぀こずができたした。自分たちが目指しおきたこずが間違いではなかったず確信できたのです」
 瀟長の顔は喜びに溢れおいた。
「母から借りた資金を䜿い切る前に売䞊が経費を䞊回るようになりたした。黒字が出るようになったのです。自立できる目凊が぀きたした。なんずかやっおいけるず、安堵ず共に垌望が膚らんできたした。でも、気は緩めたせんでした。どん底に萜ちお資金繰りに䞃転八倒したこずを忘れないように自らを戒めるものを䜜ったのです」
 瀟長は背広の内ポケットから名刺入れを取り出し、その䞭から名刺倧のカヌドを抜き出した。受け取るず、そこには『1円の売䞊増、1円の経費枛、1秒のスピヌドアップ』ず曞かれおあった。資金繰りで絶䜓絶呜のピンチを経隓した瀟長は1円の重みを思い知ったずいう。そこでそのこずを忘れないようにカヌドに印刷しお肌身離さずい぀も持ち歩いおいるだけでなく、党瀟員に配っお朝瀌時に唱和たでしおいるずいう。
 初心忘るべからず 『1円を笑う者は1円に泣く』ず蚀うが、今のわたしにはそのこずがよくわかる。