出羽長官の話によると、ここ地球防衛省庁舎の地下には巨大な空間が広がっており、それらは緊急時に首都機能を移すことが出来るよう設計されているらしい。具体的には、地下30階までを非常用倉庫として、後の100階までを居住区画、行政区画の二つに分けている。そして今、源たちは66階にある、行政区画第一研究ブロックに、エレベーターで向かっていた。その途中、長官が源に話しかけた。
「君は先の戦闘で自衛隊時代の記憶を失っているそうだが、それは全ての出来事を覚えていないのか?」
 源は想定外の質問に戸惑いつつ答えた。
「全く覚えていないというか、何というのでしょう。頭の中のある部分だけが、もやがかかったように不透明なんです。断片的な記憶なら、何かの拍子に思い出すことはあるのですが……」
「そのある部分というのが自衛隊の記憶か」
 長官は意味ありげに腕を組んだ。
「あの、その時に僕に何かあったのですか?」
「事故の詳細は聞かされていないのかね」
「はい、まだそれには時期が早いと」
 長官はそれを聞いてため息をついた。
「いずれ知らなくてはいけないことだ。その時の記録のアクセス権を君に与える、自分の目で確かめろ。」
「長官、よろしいのですか?」
 たまらず東雲がこっそりと尋ねた。政府サーバーへのアクセス権はこの時代厳しく制限されているのだ。
「いずれ国防の切り札となるかもしれない男だ。今の内からこれくらい与えておかねば後に後悔する」
 長官はそう東雲にささやいた。当然源には聞こえていない。長官は続けた。
「いいか東雲、お前があの男を制御するのだ。あれの持つ力は今の我々にとって剣呑すぎる。この言葉、忘れるなよ?」
「……了解しました」
 東雲がそう答えたタイミングでエレベーターが目的地に到着した。そして、ポーンという音とともに何やら物騒な機械音がすると、人ひとり分ほどもある分厚い二重扉が開いた。その先には、白衣姿の若い男と、重武装した自衛隊員が二人立っていた。
「お待ちしておりました、長官殿。そちらが例の?」
 白衣の男はそう言って源を見た。その目には好奇の色が浮かんでいた。まるで心躍るような何かを見ているようだった。長官はその様子には全く気を留めなかった。
「そうだ。案内してくれ、狛江主任」
「もちろんです」
 狛江主任はくるりと向きを変えると果ての見えない長い通路を歩き始めた。武装した自衛隊員たちは後ろに回った。その際になにやら東雲に挨拶をしていた。
「あの、僕はこれからどこに」
 源は狛江主任に話しかけた。
「ああ、知らされていなかったのか。君にはいくつか身体的な検証をしてもらうんだ。だからこの階で一番大きい研究室に向かう」
(検証?いったい何をするんだ)
 源はあれこれ考えてみたが納得のいく答えは見つからなかった。
「さあ、着きましたよ」
 不意に狛江主任の声がした。
「ここが第一特殊研究棟です」
 狛江主任がそばの壁に触れると、その部分に突如扉が浮かび上がった。
「最新式の実体ホログラムです。これが現時点の一番のセキュリティとなっています」
 主任はそう言って扉に触れた。すると扉が瞬時に透明になった。これも恐らく実体ホログラムらしかった。主任はそのまま当たり前のようにその中に入っていった。源は少し抵抗があったが、長官が構わず中に入っていったので慌ててそのあとを追った。
 第一特殊研究棟はその入り口からは想像できないほど広々としていた。
「これは凄いですね…。サッカースタジアムが丸々入りそうですよ」
 源はその広さに圧倒されながらそう口にした。
「広さだけじゃない」
 主任はそう言って手を挙げた。すると周りに林立していた実験機材や装置らしきものがひとりでに動き出した。そして開けた視界の先には、ある物体がパイプまみれの台座の上に鎮座していた。その様は宗教における偶像崇拝のような神秘性があった。
「これは……」
「怪獣のコアを再現したものだよ。もちろん危険性は除いてあるがね」
 主任はどこか誇らしげだった。
「主任、まさかこれに触らせようとしているのかね」
 不意に後ろから声がした。長官は表情を硬くしている。だが主任はひるむことなく続けた。
「ですから、危険性はすべて除去しています。我々が再現したのはあくまで怪獣の精神構造だけ。その過程で発生した自我は完全に消し去りました。」
「100パーセントそう言い切れるのか?」
 その問いに主任は自信たっぷりに答えた。
「はい、もちろんです。まさか出羽長官、我々の技術力を疑っておられるのですか?」
「……分かり切ったことを。いいだろう、そのまま続けたまえ」
 主任はやれやれと言った感じで首を振った。長官は……見るまでもないだろう。
「では源君、こちらに」
 主任はそう言って源を例の物体の元へ案内した。そばまで寄ってみると、それはとてもきれいな曲線をしていた。まるで完全な球と言った感じだ。
「その曲面が気になるかい?でもその話をし始めると退勤時間をとっくに過ぎてしまう。さあもっと近くによって」
 主任に言われるがままその球に近づいた。球からブーンという低い機械音が聞こえる。主任はその横で、タッチウィンドウを立ち上げると何やら素早く操作し始めた。すると二人の周囲に突如白衣姿の人間が出現した。正確には人間の姿をした実体ホログラムだ。主任は他に三つのウィンドウを立ち上げると源を見た。
「じゃあ早速だけど、まずは適合率を計らせてもらう。その球に触れてくれ、素手でね」
 源は言われるままに手を触れた。球は少し温かかった。まるで生きているみたいだ。
「これは!」
 突然狛江主任が叫んだ。
「すごい!こんな数値見たことも聞いたこともない。まさかこんな人間が……」
 主任はぶつぶつと独り言をいいながら4つのウィンドウを見比べている。
「主任、結果は?」
 少し離れたところから見ていた長官が尋ねた。主任の反応は尋常ではなかった。
「は、80パーセントです!」
「それは……!」
 東雲はその値を聞いて驚きの声をあげた。
「常人の約100倍か」
 長官は相変わらず冷静だった。
「主任、浄化の測定も…」
「言われなくとも今から実行します!」
 狛江主任は興奮状態でまた新たに3つウィンドウを開いた。源は周りの驚きようが理解できなかったが、どうやら自分がある一点において前代未聞の結果を出したということはなんとなく分かった。
「さあ源君、今度は手をそれにかざしてくれ。君ならできる!」
 主任から謎の励ましをもらった源は手を球から少し離した。しばらくすると、不意に頭がクラクラしてきた。源は立っているのもやっとの状態となり、遂にしゃがみこんだ。
「これは一体なんなのですか」
 たまらず源はそう質問した。
「素晴らしい!まさか触れずに干渉できるなんて!」
 主任は源の言葉など耳に入っていない様子だった。
「長官殿!確かに彼は千年に一人の逸材だ。ご覧の通り、完全な浄化には至らなかったものの、コアに直接触れず精神体を破壊している!」
 東雲はそれを聞いて耳打ちした。
「出羽長官…」
「分かっている、次の活性期までに現地で使えるよう訓練しろ」
「了解しました」
 そして長官は源を見た。
「源君、協力ありがとう、今日はここまでだ。狛江主任も一旦冷静になれ」
 長官の言葉で我に返った狛江主任は口惜しそうに長官を見た。
「ですが長官、彼は戦略的な運用が可能で…」
「二度言わせるな、狛江主任。」
 長官は鋭い口調で主任の発言を遮った。
「源君、立てるか?」
 長官の問いに源はよろよろと立ち上がった。頭痛がするのか頭を押さえている。
「……僕は大丈夫です」
 源はそう言って台座から危なっかしい足取りで降りた。
「今日の用事はこれで終わりだ。宿舎に戻って休みたまえ。明日は処理班の面々との顔合わせだ」
 そう言って長官は源に歩くよう促した。
 主任に見送られ地上に戻った後、長官と東雲は先ほどの研究棟よりさらに広い地球防衛省エントランスホールで源を見送った。
「なあ東雲、お前、俺が自衛隊からココに転属した時どう思った?」
「……一体どうしたんです?」
 訝しむ東雲を尻目に長官は続けた。
「俺はやっとか、って思ったんだ。やっと俺の番が来たって」
「俺の番?」
「汚れ役ってことだよ。俺みたいなのは今じゃ時代遅れの野蛮人だ。そりゃそうだろうよ、俺がお前ぐらいの年のころに世界大戦があったんだ。その時の俺の仲間はみんな死んだ。お偉いさんもベッドの上で老衰だ。いまじゃ俺と総理ぐらいだろう、大戦前の世代は」
 長官はなおも続けた。
「若い連中は俺たち死にぞこないにぴったりの役をあてがった。お前も見ただろう?俺が防衛費を5兆円も増やしたとき、世間は俺に対する非難の嵐だった。だれも俺の味方にはならなかった。」
 ここで長官は言葉に詰まった。
「でもな、俺はこの仕事に誰よりも責任を感じてるんだよ。だから今日、源を見て思ったんだ。俺はまた前途ある若者を死地に追い立てるのかってな。」
「そんなことはないですよ、我々はいつもあなたのその振る舞いに敬意を持っている。少なくとも軍人は誰も長官を憎んでなんかいません。もちろん私もそうです。そして、彼もきっとそうだ」
「……すまない東雲。少し感傷的になりすぎたようだ。お前ももう仕事に戻ってくれていい」
「はっ」
 東雲は長官に敬礼すると、庁舎を後にした。長官はその後姿をしばらく眺めると、またあの執務室へと戻っていった。