「起きてくださいませ!!」
マーサの目覚まし時計が私の部屋に鳴り響く。今日も元気だが全然働かない王様からの無茶振りにため息をつく日が始まる。前の世界より社畜だわ。
「まあ!トレス様!髪が。」
髪が四方八方にはねているそうで、なおすから鏡の前に座らされた。
「綺麗。」
鏡にうつった私の顔を初めて見てつぶやく。トレスの容姿の描写はほとんど書かれていない。黒髪、青色の瞳、背は高く、イケメンっぽい。咲織視点の情報が話の流れでチラホラ見られるくらい。それだけで推しになった。でも、鏡に映ったトレスの容姿を見てさらに推しになった。
「でもさ。」
鏡にうつるトレスが悲しげに笑う。こういう形で推しのそばに来たかったわけじゃないんだけどね。そう思っているうちにマーサは髪を綺麗にしてくれた。
王様の執務室。
「あいかわらず王様はお忙しいようで。」
「本当だよ。優秀な息子がいても足りん。」
見てくれ、この書類の束を。積み重なってはいるが、どうせ簡単な案件ばかりだろう。
「ところで。」
王様は私をジッと見た。
「お前は乙女を妻にとは思わないのか?」
「…いえ。」
私、女だし。
「乙女が妻になるように、できるな?」
は?何を言ってるの?思わないって言ったよね?
「乙女はクリスを好いているのではありませんか?」
「ならば、クリスを次の王にしようか。」
「次の王は私では?クリスは政務はまだ無理です。」
経験も知識も人脈もない、いや、身につけようとしない、作ろうとしないクリスが王になれるわけがない。
「クリスが王になっても問題はない。お前が支えればいいだけのことだ。だが、一番はお前が王になり、王の妃が乙女であればいいのだがなぁ。」
軽い口調なのに目はそうしろと言っている。
トレスが乙女を振り向かせようとした理由が『好き』だけではなかったなんて。王様が次の王にする条件は優秀だからではなかった。王子で妃が乙女であれば私じゃなくてもクリスでもよかったんだ。私は拳を握る。
「私はクリスが王になった時は自由にさせてもらいます。」
私の言葉に王様は驚いていた。私はトレスじゃない。この国がどうなろうと知らない。王になることにも執着はないの。もう、この世界にトレスはいない。それなら体だけでも自由にさせてあげたい。トレスを必要としてくれない、好きでもない乙女を妻にしろと言う、こんな国から。
***
王様の執務室から逃げるように自室へ戻った。部屋に入ると涙が溢れて止まらなかった。乙女、咲織と運命の相手、クリスは小説の中ではいつもゆったりした時間とキラキラしたエピソードが何度も出てきた。困難にぶつかってもどこからか現れる助っ人たちがいた。朝から晩まで追いかけてくる政務はなく、王様からの圧力もなかった。その裏で、トレスは毎日、政務に追われ、王様から圧力を受け、誰が助けてくれることもない。マーサだけは悲しんでくれたけどトレスの前では見せることはなかっただろう。私はトレスの体を抱きしめた。
「待ってて。体だけでもここから自由にさせてあげる。」
小説のような塔からダイブという選択をしない形で。
バチンッ。
何度目かのあの場所。音とともに鎖が一つ外れた。前よりも隙間が広がった。
「まだ顔は見えないわね。」
水晶に隙間に顔を近づけて見ようとするけれどハッキリと見えない。
「ここでは私は前の世界の姿なのね。」
何度か訪れると慣れてきたのか、周りが見えるようになった。鎖は水晶をぐるぐる巻きにしているけど繋げている鎖の本数は多くない。一本の鎖が外れると隙間は増えていく。でも、鎖を外すために何をすればいいのかはわからない。先ほど気づいたけどこの場所では私がこの世界に来た時の姿に戻る。
「なぜか気になるのよね。」
この鎖を外して誰なのか知りたい。たぶん鎖が外れる条件があるのだろうけど。
「ここに長くいたい気がするけど私はどうにもできないし。」
とにかく鎖は一本ずつだけど外れてる。クリスの体の時間はまだあるから待つしかない。
「またね。」
私は目を瞑った。
***
「目が腫れた。」
泣いたまま寝てしまったのがいけなかった。
「トレス様。冷やしてくださいね。」
濡れたタオルを渡されて私は目にあてる。
「今日は第二王子様と乙女様、三人で狩りにおでかけになるのでしょう?」
ああ、そうだった。このエピソードは小説の中にあった。三人で狩りをするために森に向かって、お決まりの猛獣が猛突進してきて乙女が怪我をする。クリスも乙女を庇って怪我をした。トレスは無傷だったからトレスの策略だとかなんとか言われた。
「行かないとダメかな。」
「まあ!トレス様は狩りが得意ではないですか。」
かっこいい所を見せるチャンスですよ!とマーサは言う。トレスは得意でも私は狩りをやったことがないのよ。よく記憶はなくても体は覚えていると聞くけれど私の体はまったく期待できなかった。政務は覚えている小説の情報や今まで読んできた小説の情報を駆使してやっと終わらせているだけ。報告書の作成は前の世界でやってたことだし。
「ほら!楽しんできてください。」
***
「なんで馬車?」
クリスはブツブツ文句を言う。
「しょうがないだろう。咲織さんは馬に乗ったことがないんだから。」
クリスは咲織と一緒の馬に乗って行きたかったんだろう。できることならそうしてやりたかったけど。私も馬に乗ったことがないの。だからどうしても馬車じゃないと困る。
「今は怖くて乗れないけど、練習しますから。」
乙女よ。そこじゃないんだなぁ。
「楽しみにしてる。」
とりあえずニコリと笑っておこう。私に笑みを向けられた咲織は顔を赤くして下を向いた。クリスは私を睨んでくるけどなんで?練習しますっていい子じゃないか。三人の気持ちは別方向へ向いているようだ。
目的地までは順調に進んだが。
「やっぱり。」
小説通りの展開だ。猛獣が三人の前に現れた。なぜか猛獣を連れてきたのはクリスだ。止める私を無視して咲織にいい所を見せるんだといつもより森の奥へと進んでしまった。そこで猛獣に遭遇し、湖のそばで待っていた私たちの元へと逃げてきた。逃げきれず私と咲織は巻き込まれてしまった。
「クリス。私が咲織の盾になるから。」
「そんなことさせない!」
いやいやいや。ここで猛獣に剣を向けられるのはクリスだけだから!何を意地になってるのかわからない。私は剣を振ったことがないのだからクリスが戦ってくれないなら私たちは終わりだ。しょうがない。私は猛獣と咲織の前に盾になったクリスの間に入った。一応、振れないけど腰の剣を抜いてかまえた。
「トレス様!」
後ろから咲織が叫ぶ。私もその位置にいたかった。一度は死んだ身だし、推しのいない世界だ。未練はない。願わくば痛くしないでくれたら。私はそう思いながら目を閉じた。
『大丈夫。』
優しく剣を握る手と足に誰かの手が触れた。私は目を開ける。私の手は勝手に剣を強く握り、私の足は勝手に剣を振るために踏ん張った。
「へ?え?あらぁ!」
声だけは私のようだ。手と足は猛獣に突進していく。心が絶叫を繰り返している間に手と足は猛獣を倒してしまった。
「兄様!」
「トレス様!」
猛獣が倒れた途端、私は尻餅をついて座り込んだ。すっごく怖かった。私が何が出来たのか、思い出そうとした時おもいっきり首をホールドしてきたのは咲織だった。
「怪我がなくてよかった。」
震えて泣いてる咲織の背中を優しくポンポンしてやる。
「兄様じゃなくても僕なら!」
「クリスが咲織を守ってくれてたから倒せたよ。」
フォローしたけどクリスは納得していない様子で私を睨む。だからなんでですか?
***
バチンッ。
聞き慣れた音に私は目を開けた。疲れた私は部屋に戻った時から記憶がない。
「床で倒れてるかもしれない。」
床で寝ている私を見たマーサが叫んで、誰かを呼んできて、よく見ると寝てましたという想像をしてしまう。笑い者じゃないかと私は手で顔を覆った。
今回砕けた鎖は水晶の中の誰かの横の姿を見せてくれた。
「引き締まった体なのね。」
顔はまだ見えないが、横から見るとスラッとしている。服を着ていても鍛えられた筋肉が見えた。
「触りたい。」
本音を呟いた瞬間、戻った私は目を開けると心配そうなマーサと医者と目があった。
マーサから話を聞くと私の想像通りのことが起こっていて、寝ているとわかっていても心配したマーサが一応医者を呼んだそうだ。
「ありがとう。マー、があ!」
お礼を言って起きあがろうとした時に体中に激痛が走った。
「体が痛い。」
「お医者様は筋肉痛だとおっしゃっていましたよ。」
筋肉痛?これが?動かなくても痛い。動いても痛い。そんな筋肉痛があるの?
「さて。筋肉痛を早く軽くするには解すのがいいそうです。」
マッサージをしましょう!とマーサが指を鳴らしながら近づいてきた。
「ぎゃあああっ。」
部屋を超えて私の叫び声が城中に響いた。
***
「兄様。心配してきてみれば。」
笑いを堪えながら話すクリスは耐えきれず笑いだす。
私の叫び声を聞いて慌てて部屋に来たのはクリスと咲織だった。部屋に入って見た姿は逃がさないと馬乗りになって筋肉痛を解すマーサと解される痛みに叫ぶ私。
私とマーサは攻防戦、咲織は侍女に私が襲われてると勘違いして叫ぶし、クリスは笑いが止まらない。カオスだ。
三人はお茶を飲むことにした。椅子に座るのも大変だったことは言うまでもない。
「私も筋肉痛がここまで酷いとは思わなかったよ。」
ティーカップへのばす手が震えてる。カップを落とすだろうと手にとるのを諦めた。
「トレス様。私が。」
向かいの椅子に座っていた咲織が私の隣へ座るとカップを私の手に持たせてくれる。
「ありがとう。」
礼を言うとまた、咲織は顔を赤くして下を向く。もう癖なんだろうな、かわいそうに。笑ってたクリスが急に不機嫌な雰囲気を出し始めた。感情の起伏が激しい子なんだな、大変だな。
「ところで兄様。」
「ん?」
「来月の舞踏会ですが。」
「舞踏会?」
そんなイベントがあったっけ??
「忘れたのですか?」
私は小説の内容を思い出す。たしかあった気がする。普通なら第一王子であるトレスが咲織をエスコートするのだが、咲織がクリスを選ぶ。トレスはそれに反対した。クリスはトレスのエスコートを嫌がる咲織を守ろうと、咲織が選んだドレスを贈った方がエスコートをするようにしようと提案した。咲織はクリスが送ったドレスを選び、咲織とクリスの仲は良くなっていく。そんなストーリーだったっけ。
「どちらがエスコートをするかって話か?」
「そうです。僕は咲織をエスコートしたい。」
クリスは頷く。私は咲織の方を見る。咲織はあまり嬉しそうに見えない。
「咲織さんはどちらにエスコートをしてほしいかな?」
「私は、その。」
チラチラと私と目が合うけど、どういう意味だろう。クリスに頼みたいけど、私が第一王子だから断っていいか、迷ってるのかな。なんて空気のよめる、いい子なんだ。ここはお姉さんが助けてあげよう。
「では、今回はクリスに。」
「あの!クリス様とトレス様で私にドレスを贈ってください。」
私が出そうとした助け舟を沈没させてしまった。
「そうしましょう。」
クリスが頷く。え?そんなことをしなくても私はクリスに咲織のエスコートを譲ろうとしたんだよ。
「いや、私はクリスに咲織さんのエスコートを頼もうと。」
私は何度もエスコートを辞退すると言っているのにクリスと咲織はドレスの話に夢中になって聞いていない。
二人の様子で忘れていた筋肉痛の痛みが戻ってくる。
「早く帰ってくれないかな。」
早くベッドで休みたい私はドレスで盛り上がっている二人に聞こえないように呟いた。
マーサの目覚まし時計が私の部屋に鳴り響く。今日も元気だが全然働かない王様からの無茶振りにため息をつく日が始まる。前の世界より社畜だわ。
「まあ!トレス様!髪が。」
髪が四方八方にはねているそうで、なおすから鏡の前に座らされた。
「綺麗。」
鏡にうつった私の顔を初めて見てつぶやく。トレスの容姿の描写はほとんど書かれていない。黒髪、青色の瞳、背は高く、イケメンっぽい。咲織視点の情報が話の流れでチラホラ見られるくらい。それだけで推しになった。でも、鏡に映ったトレスの容姿を見てさらに推しになった。
「でもさ。」
鏡にうつるトレスが悲しげに笑う。こういう形で推しのそばに来たかったわけじゃないんだけどね。そう思っているうちにマーサは髪を綺麗にしてくれた。
王様の執務室。
「あいかわらず王様はお忙しいようで。」
「本当だよ。優秀な息子がいても足りん。」
見てくれ、この書類の束を。積み重なってはいるが、どうせ簡単な案件ばかりだろう。
「ところで。」
王様は私をジッと見た。
「お前は乙女を妻にとは思わないのか?」
「…いえ。」
私、女だし。
「乙女が妻になるように、できるな?」
は?何を言ってるの?思わないって言ったよね?
「乙女はクリスを好いているのではありませんか?」
「ならば、クリスを次の王にしようか。」
「次の王は私では?クリスは政務はまだ無理です。」
経験も知識も人脈もない、いや、身につけようとしない、作ろうとしないクリスが王になれるわけがない。
「クリスが王になっても問題はない。お前が支えればいいだけのことだ。だが、一番はお前が王になり、王の妃が乙女であればいいのだがなぁ。」
軽い口調なのに目はそうしろと言っている。
トレスが乙女を振り向かせようとした理由が『好き』だけではなかったなんて。王様が次の王にする条件は優秀だからではなかった。王子で妃が乙女であれば私じゃなくてもクリスでもよかったんだ。私は拳を握る。
「私はクリスが王になった時は自由にさせてもらいます。」
私の言葉に王様は驚いていた。私はトレスじゃない。この国がどうなろうと知らない。王になることにも執着はないの。もう、この世界にトレスはいない。それなら体だけでも自由にさせてあげたい。トレスを必要としてくれない、好きでもない乙女を妻にしろと言う、こんな国から。
***
王様の執務室から逃げるように自室へ戻った。部屋に入ると涙が溢れて止まらなかった。乙女、咲織と運命の相手、クリスは小説の中ではいつもゆったりした時間とキラキラしたエピソードが何度も出てきた。困難にぶつかってもどこからか現れる助っ人たちがいた。朝から晩まで追いかけてくる政務はなく、王様からの圧力もなかった。その裏で、トレスは毎日、政務に追われ、王様から圧力を受け、誰が助けてくれることもない。マーサだけは悲しんでくれたけどトレスの前では見せることはなかっただろう。私はトレスの体を抱きしめた。
「待ってて。体だけでもここから自由にさせてあげる。」
小説のような塔からダイブという選択をしない形で。
バチンッ。
何度目かのあの場所。音とともに鎖が一つ外れた。前よりも隙間が広がった。
「まだ顔は見えないわね。」
水晶に隙間に顔を近づけて見ようとするけれどハッキリと見えない。
「ここでは私は前の世界の姿なのね。」
何度か訪れると慣れてきたのか、周りが見えるようになった。鎖は水晶をぐるぐる巻きにしているけど繋げている鎖の本数は多くない。一本の鎖が外れると隙間は増えていく。でも、鎖を外すために何をすればいいのかはわからない。先ほど気づいたけどこの場所では私がこの世界に来た時の姿に戻る。
「なぜか気になるのよね。」
この鎖を外して誰なのか知りたい。たぶん鎖が外れる条件があるのだろうけど。
「ここに長くいたい気がするけど私はどうにもできないし。」
とにかく鎖は一本ずつだけど外れてる。クリスの体の時間はまだあるから待つしかない。
「またね。」
私は目を瞑った。
***
「目が腫れた。」
泣いたまま寝てしまったのがいけなかった。
「トレス様。冷やしてくださいね。」
濡れたタオルを渡されて私は目にあてる。
「今日は第二王子様と乙女様、三人で狩りにおでかけになるのでしょう?」
ああ、そうだった。このエピソードは小説の中にあった。三人で狩りをするために森に向かって、お決まりの猛獣が猛突進してきて乙女が怪我をする。クリスも乙女を庇って怪我をした。トレスは無傷だったからトレスの策略だとかなんとか言われた。
「行かないとダメかな。」
「まあ!トレス様は狩りが得意ではないですか。」
かっこいい所を見せるチャンスですよ!とマーサは言う。トレスは得意でも私は狩りをやったことがないのよ。よく記憶はなくても体は覚えていると聞くけれど私の体はまったく期待できなかった。政務は覚えている小説の情報や今まで読んできた小説の情報を駆使してやっと終わらせているだけ。報告書の作成は前の世界でやってたことだし。
「ほら!楽しんできてください。」
***
「なんで馬車?」
クリスはブツブツ文句を言う。
「しょうがないだろう。咲織さんは馬に乗ったことがないんだから。」
クリスは咲織と一緒の馬に乗って行きたかったんだろう。できることならそうしてやりたかったけど。私も馬に乗ったことがないの。だからどうしても馬車じゃないと困る。
「今は怖くて乗れないけど、練習しますから。」
乙女よ。そこじゃないんだなぁ。
「楽しみにしてる。」
とりあえずニコリと笑っておこう。私に笑みを向けられた咲織は顔を赤くして下を向いた。クリスは私を睨んでくるけどなんで?練習しますっていい子じゃないか。三人の気持ちは別方向へ向いているようだ。
目的地までは順調に進んだが。
「やっぱり。」
小説通りの展開だ。猛獣が三人の前に現れた。なぜか猛獣を連れてきたのはクリスだ。止める私を無視して咲織にいい所を見せるんだといつもより森の奥へと進んでしまった。そこで猛獣に遭遇し、湖のそばで待っていた私たちの元へと逃げてきた。逃げきれず私と咲織は巻き込まれてしまった。
「クリス。私が咲織の盾になるから。」
「そんなことさせない!」
いやいやいや。ここで猛獣に剣を向けられるのはクリスだけだから!何を意地になってるのかわからない。私は剣を振ったことがないのだからクリスが戦ってくれないなら私たちは終わりだ。しょうがない。私は猛獣と咲織の前に盾になったクリスの間に入った。一応、振れないけど腰の剣を抜いてかまえた。
「トレス様!」
後ろから咲織が叫ぶ。私もその位置にいたかった。一度は死んだ身だし、推しのいない世界だ。未練はない。願わくば痛くしないでくれたら。私はそう思いながら目を閉じた。
『大丈夫。』
優しく剣を握る手と足に誰かの手が触れた。私は目を開ける。私の手は勝手に剣を強く握り、私の足は勝手に剣を振るために踏ん張った。
「へ?え?あらぁ!」
声だけは私のようだ。手と足は猛獣に突進していく。心が絶叫を繰り返している間に手と足は猛獣を倒してしまった。
「兄様!」
「トレス様!」
猛獣が倒れた途端、私は尻餅をついて座り込んだ。すっごく怖かった。私が何が出来たのか、思い出そうとした時おもいっきり首をホールドしてきたのは咲織だった。
「怪我がなくてよかった。」
震えて泣いてる咲織の背中を優しくポンポンしてやる。
「兄様じゃなくても僕なら!」
「クリスが咲織を守ってくれてたから倒せたよ。」
フォローしたけどクリスは納得していない様子で私を睨む。だからなんでですか?
***
バチンッ。
聞き慣れた音に私は目を開けた。疲れた私は部屋に戻った時から記憶がない。
「床で倒れてるかもしれない。」
床で寝ている私を見たマーサが叫んで、誰かを呼んできて、よく見ると寝てましたという想像をしてしまう。笑い者じゃないかと私は手で顔を覆った。
今回砕けた鎖は水晶の中の誰かの横の姿を見せてくれた。
「引き締まった体なのね。」
顔はまだ見えないが、横から見るとスラッとしている。服を着ていても鍛えられた筋肉が見えた。
「触りたい。」
本音を呟いた瞬間、戻った私は目を開けると心配そうなマーサと医者と目があった。
マーサから話を聞くと私の想像通りのことが起こっていて、寝ているとわかっていても心配したマーサが一応医者を呼んだそうだ。
「ありがとう。マー、があ!」
お礼を言って起きあがろうとした時に体中に激痛が走った。
「体が痛い。」
「お医者様は筋肉痛だとおっしゃっていましたよ。」
筋肉痛?これが?動かなくても痛い。動いても痛い。そんな筋肉痛があるの?
「さて。筋肉痛を早く軽くするには解すのがいいそうです。」
マッサージをしましょう!とマーサが指を鳴らしながら近づいてきた。
「ぎゃあああっ。」
部屋を超えて私の叫び声が城中に響いた。
***
「兄様。心配してきてみれば。」
笑いを堪えながら話すクリスは耐えきれず笑いだす。
私の叫び声を聞いて慌てて部屋に来たのはクリスと咲織だった。部屋に入って見た姿は逃がさないと馬乗りになって筋肉痛を解すマーサと解される痛みに叫ぶ私。
私とマーサは攻防戦、咲織は侍女に私が襲われてると勘違いして叫ぶし、クリスは笑いが止まらない。カオスだ。
三人はお茶を飲むことにした。椅子に座るのも大変だったことは言うまでもない。
「私も筋肉痛がここまで酷いとは思わなかったよ。」
ティーカップへのばす手が震えてる。カップを落とすだろうと手にとるのを諦めた。
「トレス様。私が。」
向かいの椅子に座っていた咲織が私の隣へ座るとカップを私の手に持たせてくれる。
「ありがとう。」
礼を言うとまた、咲織は顔を赤くして下を向く。もう癖なんだろうな、かわいそうに。笑ってたクリスが急に不機嫌な雰囲気を出し始めた。感情の起伏が激しい子なんだな、大変だな。
「ところで兄様。」
「ん?」
「来月の舞踏会ですが。」
「舞踏会?」
そんなイベントがあったっけ??
「忘れたのですか?」
私は小説の内容を思い出す。たしかあった気がする。普通なら第一王子であるトレスが咲織をエスコートするのだが、咲織がクリスを選ぶ。トレスはそれに反対した。クリスはトレスのエスコートを嫌がる咲織を守ろうと、咲織が選んだドレスを贈った方がエスコートをするようにしようと提案した。咲織はクリスが送ったドレスを選び、咲織とクリスの仲は良くなっていく。そんなストーリーだったっけ。
「どちらがエスコートをするかって話か?」
「そうです。僕は咲織をエスコートしたい。」
クリスは頷く。私は咲織の方を見る。咲織はあまり嬉しそうに見えない。
「咲織さんはどちらにエスコートをしてほしいかな?」
「私は、その。」
チラチラと私と目が合うけど、どういう意味だろう。クリスに頼みたいけど、私が第一王子だから断っていいか、迷ってるのかな。なんて空気のよめる、いい子なんだ。ここはお姉さんが助けてあげよう。
「では、今回はクリスに。」
「あの!クリス様とトレス様で私にドレスを贈ってください。」
私が出そうとした助け舟を沈没させてしまった。
「そうしましょう。」
クリスが頷く。え?そんなことをしなくても私はクリスに咲織のエスコートを譲ろうとしたんだよ。
「いや、私はクリスに咲織さんのエスコートを頼もうと。」
私は何度もエスコートを辞退すると言っているのにクリスと咲織はドレスの話に夢中になって聞いていない。
二人の様子で忘れていた筋肉痛の痛みが戻ってくる。
「早く帰ってくれないかな。」
早くベッドで休みたい私はドレスで盛り上がっている二人に聞こえないように呟いた。