『この世界は俺を創り、俺を消したのに、まだ俺を離さないのか』
 ヒロインとヒロインの運命の相手が寄り添い、向けた背中を見つめながら…。

「く、泣ける。」
「ちょっと。先輩、大丈夫ですか?」
 ここは私の仕事場。今は昼食タイムだ。本の虫である私はお昼を片手に大好きな小説を読むのが日課だ。理想は職場のビルから出て、近くの公園で昼食と読書をすることだが、今日は残念。雨なんだ。私はデスクの上にコンビニで買ってきたサンドイッチを頬張りながら、今、はまっている小説を読んでいた。

 小説の題名は『召喚された乙女は運命の第二王子と×××』だ。表紙は綺麗だが、ポーズが赤面してしまう。そして堂々と読むには勇気がいる題名だ。小説の挿絵も綺麗だけど、堂々と開くのも勇気がいる。私はブックカバーをつけ、挿絵のページはサッと読む。こんな本だけど内容は全く健全である。
 小説の内容はよくある話。舞台は魔法の国、ダイヤ。この国は乙女を異世界から召喚する。召喚された乙女は魔物から国を守ってきた。今回、召喚された乙女は咲織という女子高生だ。咲織はこの国の第一王子のトレスと第二王子のクリスから愛される。咲織は第二王子と恋におち、それを妬んだ第一王子は咲織と第二王子の邪魔をする。色々な困難を乗り越え、咲織と第二王子は結ばれ、次の王と王妃になる。なぜ第二王子が王様なのかというと、第一王子の今までの悪事が明るみになり、逃げ出した塔から転落してしまうからだ。第二王子と最後の決戦の時、第二王子は絶対絶命の危機が起こる。その時、乙女の守護である神は乙女が守りたい者、第二王子を助けるために乙女を通じて第一王子に魔法をかけた。そして、第一王子は塔から落ちていった。
 咲織と第二王子とのキラキラした恋愛と第一王子の妬み、悲しみ、怒りなどが対照的に書かれているところがこの小説の面白いところだ。

「先輩。どうぞ。」
 後輩からティッシュを渡され、私は涙を拭いた。が、足りない。
「疲れてます?」
 後輩は私が小説を読んで泣いているとは思わず、心配してくれる。
「そうかもしれない。」
 小説が、と言えずに私はそう答えた。
 第一王子はただ好きな人に振り向いて欲しかっただけなんだよね。次の王になる予定だったし、好きな人で、さらに乙女が妃になってくれたら嬉しいし、立場的にもいいことだ。第二王子とも乙女が召喚されるまでは仲は悪くなかった。
 第一王子のセリフのせいで涙が止まらずに私はそれ以上、読み進められなかった。私は第二王子より第一王子が好きだった。推しが悪役なら死ぬことはあることだ。でも辛すぎる。完結したわけではないから小説は続くだろうけど、読み続けられるかなぁ。
 涙が止まらなかったせいで目が腫れて、後輩に今日は早く帰るようにと言われて、早めに帰宅することにした。
 どうして第一王子は落ちながらそう思ったの?気になる。
「早く帰って続きが読みたい。」

 雨が昼よりもひどくなって視界が悪かった。クラクションと光に気づいた時はなにもかもが遅かった。

****

 静かに言われた言葉に瞑っていた目を開けた。ここはどこ?
 真っ暗な場所。私が立っている場所だけ青白く光っていた。そして目の前には大きな水晶が浮かんでいた。水晶は何重にも鎖が巻き付いていた。鎖の小さな隙間から見た水晶の中に誰かが眠っていた。
「綺麗な人だ。」
 どこかで見たような。そう思いながら水晶に触れた。

「乙女が召喚されました。」
 瞑っていた目が開かれた。ここはどこ?さっきの場所とはまた違う。それに視界も高いような。
「兄様?どうしました?」
 兄様?私が?兄様と言ってきた人は私より少し背が低いのか、上目遣いに私を見ていた。
「兄様?私?」
 自分を指さして聞いてみた。お?指が長くて綺麗じゃないか。
「そうですよ。トレス兄様!」
 ん?今、トレスって言った?
「君はクリス?」
「頭は大丈夫ですか?当たり前でしょ。」
 私がトレスで、この人はクリス。そして、魔法陣のような円の真ん中にいる、私のよく知る高校生が着てそうな制服の女の子は。
「あの子は乙女?」
「そうです。かわいいですね。」
 気が遠くなりそうだ。私は推しのトレスに転生してしまったらしい。転生物を読んでてよかった。メンタルへの負荷が軽いわ。

****

 王様との謁見の間。
 乙女の咲織が召喚され、不安そうな咲織は王様と宰相から説明を受けている。そして、ここにもう一人、不安な私がいる。隣にいるクリスはジッと咲織を見つめている。これは恋に落ちたな。
 いやいや、今、恋とかそんなのはいいから。これからクリスと咲織は恋に落ちていくからいいけれど、私はトレスだから塔からダイブをしない方法を探っていかなければいけない。
「かわいいな。」
 咲織を見て、私の口から出た言葉。
「ですね。僕もそう思います。」
 クリスの言葉に不安になった。
 おかしい。私は体はトレスだが、心は女性だ。この不安は同じ人を好きになった時に感じる気持ちに似てる。なぜ不安になるの?トレスが好きだったけど小説を読んでる時はクリスと咲織を応援してたはずなのに。さっきのかわいいも私は思ってない。

「この二人は私の息子だ。」
 王様が私とクリスを指さした。
「ようこそ。僕はクリスです。よろしく。」
 私より先に出たクリスが咲織の手を取り、挨拶をした。咲織はびっくりしている。おいおい、こういう時は兄が先でしょ。しょうがないと私も咲織の前に立った。
「私はトレス。まだ不安が多いと思う。ゆっくり慣れてほしい。」
 そう言ってニコリと笑みを向けた。咲織の頬が赤くなった。まあ、同じ世界から来たんだから要領はわかる。
 
 たしか、小説の時は。
『トレスだ。』
 そして、咲織を睨んでた。だったかな。

「まずはゆっくり休んだほうがいい。」
 私は侍女っぽい人を呼ぶと咲織を部屋へ連れていくように言った。咲織は侍女に手を取られ、謁見の間を出て行った。扉が閉まる瞬間、目が合った気がしたけど、たぶんクリスを見たんだろう。
 咲織がいなくなって、王様、宰相、クリスと少し話してから私は部屋へ戻った。

「あーーーーーーっ。」
 部屋に一人きりになり、思いっきり叫んだ。どうにか塔からダイブする原因の一つを避けれた気がする。
 私は大きなベッドに飛び込んだ。
「転生するなら、推しのそばの誰かがよかった。」
 そしたらトレスが塔からダイブにならない選択をする手伝いができたのに。欲を言えば、トレスが私を好きになってくれたかもしれないのに。
 前の私より大きく、綺麗な手を見つめているうちに私は寝てしまった。

「さっきの暗い場所?」
 転生する前に来た場所に私はまた立っていた。青白い光と鎖が巻かれた水晶、その中の誰か。私はソッと触れる。

 バチンッという音とともに鎖が一本外れた。
 鎖の隙間が初めより大きくなったが、まだ誰かはわからない。
「貴方は誰なの?」
 返事のない水晶を私は見つめた。

***

「起きてくださいませ!!」
 大きな声に私は飛び起きた。
「ま、マーサか。」
 勝手に口から出た名前はトレスの乳母だ。マーサは小説ではトレスの悪事を知りつつも、トレスの気持ちを知っているため見守るしかなかった。トレスが塔からダイブして悲しんでくれた唯一の女性だ。
「まあ、トレス様は昨夜はそのまま寝てしまったのですか?」
 自分の姿を見れば昨日の服のままだった。
「そうみたい。マーサ。風呂に入りたい。」
 マーサはわかりましたと風呂の準備を始めた。

 ここは私の前の世界の職場だろうか。
「この案件を頼んだぞ。」
 王様から大量の書類を渡される。え?これ?王子の仕事量ですか?
「次に王になるのはお前だからな。」
 ニッコリ笑う王様は倒れそうにないほど元気に見えるが?
「あと、今日の昼食は乙女とクリスの三人でとりなさい。」
 おいおい。そんな時間がこの仕事量でとれるのか?
「ですが。」
 何か言おうと口を開けるが、王様は超簡単案件の書類を読み始めたため私は諦めて部屋を出た。

「兄様。こんな時は仕事をやめてください。」
 中庭の東屋。たくさんの花が咲いていてとても綺麗な場所だ。
 昼食を口に入れながら書類を読む私をクリスが注意する。だって、仕事が終わらないんだもん。
「咲織だって楽しめないじゃないですか。」
 たしかにと思った私は書類から視線を上げた。
「咲織さん、仕事が多くて食べている時間がない。申し訳ないが、クリスと話してもらっても大丈夫ですか?」
 優しく言えば、咲織は頬染めて何度も頷いてくれた。
「クリス、咲織さんのことをよろしく。」
 クリスは嬉しそうだ。クリスは私が咲織さんを好きなんじゃないかと思っているようだ。
「お仕事、忙しいですか?」
 咲織から聞かれた。
「そうなんだ。北の方で魔物が増えている。対策を今、考えていて。」
 魔物と聞いて咲織の顔色が悪くなった。そうだろう。私と咲織の世界では魔物はいないから怖いはずだ。
「すみません。」
 謝られるとは思わなかったのでびっくりした。
「私の力がまだ十分ではないせいですよね。」
「そんなことないよ!召喚されたばかりなんだから。」
 泣きそうな咲織をクリスが励ます。そのまま、咲織といい感じになってくれ。だが、なんか気持ちがモヤモヤしてきた。モヤモヤは恐怖という形へ変わる。なぜ私は恐怖を感じているの?
「きゃあ!」
 突然、咲織が叫んだ。ブーーンと私の目の前を蜂が飛んでいく。飛ぶ蜂を目が追いかけている時だ。
「咲織!」
 クリスの叫びに目を向ければ青ざめて息が苦しそうに息をして倒れている咲織とその咲織を支える、慌てているクリスを見た。
 あ、確かこの後、私は毒を盛ったとか、咲織が苦しんでいる時なにもしなかったとかで悪者にされるんだ。
「クリス。治療魔法師を呼んできてくれ。」
「え?」
「あと、医師もだ。」
 早く!と私が強く言うとクリスはグッと唇を噛み、魔法師と医師を呼びに走って行った。私は現場の確認をする。食べ物や飲み物に問題はなさそうだ。ではなぜ咲織は倒れた?私は一本引いて現場を見た時にハッとした。

****

「状態は落ち着きました。」
 クリスのおかげでベッドに寝かされた咲織の顔色はよくなった。
「どうしてこんなことに。」
 クリスは心配そうに咲織の手を握っている。
「食べ物や飲み物に問題はなかった。」
「ではおかしいではないですか!それに、なんで兄様は冷静でいられるんですか!」
 兄様も咲織が好きなはずなのに!と言いたげだ。弟よ、私はトレスが好きなの。
「もしや、兄様が?」
 うーん。どうしてそういう方向へ考えがいくのかなぁ?
「医師と魔法師。二人の見解は?」
「症状の原因は分かりませんが、状態を治療することはできました。」
 魔法師の言葉に私は頷く。
「医師は?」
「症状の原因は分かりませんが、アレルギーの症状に似ていることと、刺されたような跡がありました。」
 医師は咲織の腕を指さす。たしかに赤く腫れている。
「おそらく、蜂に刺されたことでアレルギーが出たのではないかと思う。」
 咲織のそばに蜂がいたと言うと医師と魔法師は頷いた。
「蜂に刺されたことでアレルギーが?」
「蜂に刺された者の中に似たような症状があったと聞いたことがある。」
 私の世界の知識だと言えない私の言葉にクリスは疑いの目を向けた。
「あの。」
 咲織が気づいたことで話が止まってしまった。
「咲織!心配したよ。」
 安堵したクリスに咲織はほほ笑みをむけた。
「よかった。」
「ありがとうございます。」
「起きたばかりで申し訳ないが、咲織さんは蜂に刺されたことがあるかな?」
「はい。以前、蜂に刺された時に倒れてしまって。さっきも刺されてしまいました。」
 私はやはり蜂が原因かと思うと同時に安堵した。ここが魔法治療のできる国でよかった。蜂に刺されてアナフィラキシーショックは命に関わる時があるからだ。
「これからは蜂に気をつけて、家の中で食事を取ろう。」
 クリスは咲織の言葉で疑いがはれたようだった。

****

 自室に戻って、私はベッドに飛び込む。
 やばかったー!フラグだったぁ!
 塔からダイブの原因をまた一つ避けれた気がする。

 バチンッという音で私は目を開けた。またあの場所に来たらしい。また鎖の隙間が大きくなった。
「男性?」
 水晶の中の誰かは男性のような気がする。
 まだまだわからないことだらけだ。