「先輩……くるみ先輩」
囁き声で起こされ、はっと目を開く。私は教室の椅子に座っていた。ここは……私のクラスだ。背面の掲示物でそう判断する。
あれ、日向くんがいない。
ぐるりと見渡している間に、いなくなってしまったようだ。
「先輩!飲み物買ってきました」
する計ったように日向くんが教室に現れる。
廊下の自販機で買ってくれたらしい水を私に差し出しながら、心配そうな瞳でこちらを見つめた。
その姿に、どきりとする。
ありがとう、と口を動かして受け取り、一口飲む。
それだけで、身体のだるさがマシになった気がした。そういえば水分取ってなかったかも、と今更気づく。
『大丈夫そう』
「そっか。よかった……」
安心した様子で、日向くんが向かいの椅子に座る。
『本当に、ありがとう』
「いえ、全然いいですよ……くるみ先輩」
急に変わった声色に、はっとして彼の顔を見る。
なんと言えばよいのだろうか。悲しみと、不安を織り交ぜたような、表情をしていた。
それは今までの彼とは想像もつかないもので。
私はなんとなく、彼の“影”を見た気がした。
「聞いても、いいですか?」
『うん、なに?』
「………先輩は」
そこで、口を閉じる。意を決したように、また開いた。
「辛くはないんですか」
「……………」
それは。
間違いなく、私の“声”のことを言っているのだろう。
『辛くない、ようにしてる』
“もしも”を考えたら、“当たり前”を想像したら、きっと声を失くしたままでは生きていけなくなってしまうから。
私は、思考を捨てた。
『コツがあるんだよ。知りたい?』
「………コツ?」
ひとつ頷く。
『嫌なことは、考えないように、思い出さないようにすればいい。頭から消し去ってしまえばいい』
「そんなこと、できないです」
『できるよ。最初は、意識して考えないようにするの。悪い記憶って、何回も思い出して“復習”しちゃうから記憶に残るんだよ。
そのうち、本当に思い出せなくなる』
「そう、できたら……いいんだけどな」
まるで、無理やり絞り出したような声。
スマホから顔を上げる。
彼は、下を向いていて顔が見えない。
「忘れようって思う程、罪悪感が大きくなって……。無理に忘れたフリをすれば、その分だけ忘れたいことに縛られているような気がする。今を見られなくなる」
その言葉は、いくらか支離滅裂に思えた。
でも、私にはすとんと納得できるような気がした。それはきっと、同じ経験があるから。
忘れてほしい、もとのあなたに戻ってほしい。そう思われていることを言外に感じ取って、自分を取り繕う度、元の自分から離れて行く。取り繕うのに必死で、今目の前にあるものと向き合えない。
過去を捨てるために、過去に縛られていく。
身動きが取れなくなる。
「あっ、変なこと言ってごめんなさい!」
『ううん、全然』
「先輩は、いつも明るいですね」
『うん。「明るく、楽しく、元気よく」がモットーだから』
「え?」
『今の、笑うところ』
私は、精一杯の笑顔をつくる。
「………っ、ふふ、はい」
ようやく、日向くんはいつもみたいに笑ってくれた。