「ここが上位世界……なのかしら?」

 ソリスは恐る恐る黄金の花畑に足を下ろし、辺りを見回した。しかし、視界を埋め尽くすのは、風に揺れる黄金の花ばかり。人の営みを示す建物の影すら、この神秘の楽園には見当たらなかった。

 女神を生み出し、自分たちの世界の根幹を形作った驚異的な科学技術の聖地を思い描いてやってきたソリスは、目の前に広がる牧歌的な風景に困惑の表情を浮かべる。上位世界とは超文明の未来都市ではなかったのか? 少なくともどこかにジグラートを超える壮大なサーバー群があるはずだが……コンピューターどころか建物一つ見当たらない。

「ねぇ? パパはどこにいるのかなぁ……」

 セリオンの瞳に不安の影が宿る。まるで迷子の子猫のようにおずおずと周囲を探るが、花畑が広がるばかりで困惑してしまっていた。

「どこかなぁ……? テロリストのアジトもどこなんだろう……。ん……? あれは……?」

 ソリスは、風景の中にわずかな異変を感じ取り、少し盛り上がった岩場へと足を進めた。

 すると何かにつまずいた――――。

「いたたた……、何かしら?」

 ソリスの足元で、何やら異質な丸いものがゴロリと転がり、黄金の花々が悲鳴を上げるように押しつぶされる。瞳を凝らすと、そこには人の手によって生み出されたとしか思えない、精緻な彫刻のような造形が見えた。まるで太古の秘密が、この花畑の中に眠っていたかのようだ。

「え……? 何……?」

 震える指先で、ソリスは恐る恐るそれに手を伸ばした。ゆっくりとひっくり返した瞬間、息が止まった。眼前に現れたのは、ブロンズの輝きを纏った女神像の首だったのだ。

 美しく均整の取れた目鼻立ちに流れる長い髪の毛、それは見まごうことの無い女神様、その像だった。優美な曲線を描く顔立ち、繊細な造作が見て取れる瞳には、かつての栄光を偲ばせる。長い年月の中で腐食の跡が刻まれた肌は、まるで人間世界の苦悩を背負ったかのようだった。

「な、なんでこんなものが……?」

 心臓が高鳴る中、ソリスは慌てて岩場へと駆け寄った。震える指で黄金の花々をかき分けると、そこに現れたのは精緻な彫刻が施された大理石の柱の瓦礫だった。

 あわわわわ……。

 息を呑むソリス。この荒々しい岩場は、かつての栄華の残骸だったのだ。倒れ、砕け散った柱が重なり、時を経て黄金の花に覆われていったようだ。

「そ、そんな……」

 ソリスは呆然として、後ずさる。

 そう、この黄金のお花畑ははるかかなた昔、神殿として栄えた遺跡だったのだ。

 自分たちの世界を創りだした上位世界、それは文化文明が遥か昔に消え去った世界……。一体これはどういうことか理解できず、ソリスは首を振り、大きく息をついた。


       ◇


  チャン、チャン、チャランチャ♪

 ソリスのスマホからマリンバの音が響いた――――。

「無事着いたようで良かったね! きゃははは!」

 元気なシアンの声が響く。

「はい。でも……、遺跡しか無いんですケド?」

「もうその星には人住んでないからね」

 シアンは当たり前かのように言う。

「す、住んでない……? 誰も?」

「いるのはテロリストとか龍とかだけだね」

「いやでも、コンピューターは? サーバーはあるはずですよね」

「うん、見えるでしょ?」

「み、見えるって……黄金の花畑しか……」

「上だよ、上! きゃははは!」

「上って……」

 ソリスは青空を見上げる。しかし、上には霞がかった薄雲が帯状に青空を横断している姿しか見えない。

「上には雲しか見えませ……えっ!?」

 その時、ソリスはその雲に見えたものに微細な構造があることに気がついた。目を凝らして見ると、巨大な太陽電池パネルのようなものが並び、円筒形やパラボラアンテナ状の幾何学的構造も見受けられる。それははるかかなた上空、宇宙空間に浮かぶ人智を超えた巨大構造物だったのだ。

 こ、これは……。

 惑星を優しく包み込むように伸びていく巨大構造物は、まるで神々の作り出した宇宙の帯のようだった。十万キロメートルはあろうかという途方もないサイズは、ソリスの想像をはるかに絶している。

「こ、この星を囲むコンピューター……?」

 あの小さな一枚の太陽電池パネルですら大都市ほどのサイズはあるだろう。なるほど、ここは確かに超未来の上位世界に違いない。この壮大な景観にソリスの全身は震え、思わず息をのんだ。

「きゃははは! なかなかよくできてるよね。ただ、今回はそこ行かなくていいよ? テロリストのアジトはそろそろ解析できそうだから、そこ潰しといて」

 シアンは楽しそうに指示する。

「は、はぁ……」

「ねぇ、パパは? パパはどこにいるの?」

 セリオンの声が震えた。大きな瞳に不安の色が広がり、小さな手がソリスのチュニックの裾をぎゅっと掴んだ。

「うーん、どっかその辺飛んでるんじゃない? テロリストのアジトふっ飛ばしたら何が起こったのかと見に来るはずだよ? 一石二鳥だねっ! じゃぁよろしく! きゃははは!」

 そう言って電話をぶち切るシアン。相変わらず雑な指示にソリスはキュッと口を結んだ。

「よぉし! 僕がぶっ潰すぞぉ!」

 頑張ればパパに会えると知ったセリオンは俄然やる気になる。

 突如、天地を揺るがす轟音が鳴り響き、天空に奇跡が広がっていく。眩いばかりの青い光芒が凝縮し、そこに現れたのは神々しいまでに美しい龍だった。サファイアの輝きを纏った鱗が陽の光に煌めき、巨大な翼は天高く伸びて威厳を放つ。

 ギュォォォォォ!

 腹に響くすさまじい重低音の咆哮が黄金の花の丘に響き渡り、天空の王者が悠々と大空を舞った。その翼の一羽ばたきごとに、風が唸りを上げる。優雅に旋回する姿は、まるで天空の歌を奏でているかのようだった。

 おぉぉぉ……。

 ソリスは息を呑んだ。目の前で繰り広げられる光景は、まるで神話の一場面のようにすら見える。愛らしいセリオンは、今や圧倒的な威厳を纏った龍へと変貌を遂げていた。その姿は、前に見た子龍の何倍もの威容を湛えており、これが上位世界での真の姿なのだと、ソリスは畏敬の念を抱きながら悟る。

 龍は地響きを伴いながら地面に降りたつと、ゆっくりと首をソリスの前に横たえた。

「おねぇちゃん、行くよ。乗って!」

 野太い重低音の声が響く。

「え……? の、乗るって……?」

「テロリストのアジトまで僕がひとっ飛びで行ってあげるよ」

 可愛い少年の面影を残す、その大きなクリっとしたサファイヤのような青い瞳をソリスに向けるセリオン。

「そ、そう? お願いね……」

 龍になんて乗ったことの無いソリスは、震える指先で龍の首筋に並ぶ突起に触れた。その冷たさに一瞬たじろぎながらも深呼吸を一つ。そして、勇気を振り絞り、まるで運命の扉を開くかのように一気に背に飛び乗った――――。

「オッケー!」

 セリオンの首が天を仰ぐように伸び上がり、巨大な翼が空を切り裂くかのごとく広がる。その姿は、まるで古の伝説から飛び出してきたかのようだった。

 ソリスは息を呑み、魂が震えるような感動に包まれながら、鱗の突起にしがみつく。大海原を悠々と泳ぐクジラのような、セリオンの力強くも優雅な動きに、ソリスの心は高鳴り続けた。

「さて、行こうか? そろそろアジトは割れたかな?」

「あ、待って……電話だわ……」

『見っけたでー! そっから東に約二十キロや! 川べりに古代の砦の遺跡があるんや。そこに潜んどる』

「あ、ありがとう、フィリア! 助かるわぁ。セリオン! 右側にニ十キロだって!」

『北西側の守りがうすいさかい、攻めはるんやったらそこからどすえ』

 イヴィットも貴重な情報をくれる。

「ありがとう! イヴィットぉ!」

『そっちの様子ようわかってるさかい、ばっちりサポートするわ』

 頼もしい言葉にソリスはちょっとウルッとする。形は変わってしまったが、華年絆姫(プリムローズ)は世界を救うために今、一丸となってテロリストに挑んでいるのだ。

「頼りにしてる! セリオン、ちょっと左側から攻めるよ!」

「オッケー! じゃぁ行くよ! ちゃんとつかまっててね?」

 セリオンの翼が大気を掴むように羽ばたいた――――。

 うほぉ!

 その瞬間、世界が一変した。黄金の花畑はあっという間に遠ざかり、風が髪を乱す。ソリスの驚愕の声が風に散る中、セリオンはさらに力強く大空へと駆けていく。

「すごい、すごーい!!」

 龍に乗って大空を飛ぶ、それは予想をはるかに上回るまさに天翔ける体験だった。

 バサッバサッと翼が羽ばたくたびにぐんぐんと高度は上がっていく。もはや玉ねぎの白い輝きも点にしか見えなくなっていた。

「す、すごいわ……、これが本当のセリオンなのね……」

 ソリスはさわやかな風に髪を流しながらサファイヤのような鱗をやさしくなでた。

「ふふっ、こんな僕もたまにはいいでしょ?」

 セリオンは背中のソリスを振り向きながらニコッと笑う。

「うん、素敵よ!」

「ふふっ、良かった! じゃぁそろそろ本気出していくよ!」

「へ? ほ、本気?」

「ちゃんとつかまってね?」

 そう言うとセリオンは首を縮め、バサバサバサっと激しく翼をはばたかせた。

「うわぁ!」

 ソリスは必死になって鱗にしがみつく。

 どんどん上がる高度、やがて雲を抜け、雄大な大地の全貌が見えてくる。

 ずっと続いて行く黄金の平原の向こうに大きな川が流れており、その脇に何やら黒い構造物が見えてくる。どうやらそれがアジトのようだった。

「あれだね?」

 セリオンは険しい目でアジトをにらむ。

「そうみたいね。左手前が弱いって」

「じゃあそこに一発ぶちかましちゃうぞぉ! ギュワォォォォ!」

 うわぁ!

 ソリスは、まるで嵐のように押し寄せるセリオンの熱意に圧倒される。その瞳に宿る輝きは、父親に認められたいという切実な思いの表れだった。ソリスの胸に温かさと切なさが同時に広がっていく。

「いいわよ、思いっきりやっちゃって」

 ソリスは瞳を潤ませながらパンパンと鱗を叩いた。

 金色に輝く花の星で偉大なサファイヤのドラゴンに乗りながら邪悪を討伐に行く、それはまるでおとぎ話の主人公になったようだった。

 東京の会社員だった自分が紆余曲折、幾度となく死の淵を彷徨い、運命の糸に導かれるようにたどり着いたこの異世界。ソリスはその数奇な運命に苦笑いしながらどんどんと近づいてくるテロリストのアジトを見つめる。その碧い瞳には感慨深さと共に、新たな決意の火が灯っていた――――。

 こうしてドラゴンとアラフォーたちの伝説が始まった。この後、全宇宙が彼らの壮大な大活躍に沸くことになるのだが……それはまたの機会に――――。