[書籍化、コミカライズ]稀代の悪女、三度目の人生で【無才無能】を楽しむ

「ジョシュア=ロベニア第2王子殿下。
あなたの言動にそう思わされるのは私。
あなたの言動でそう思わせたのがあなたでしてよ。
間違えないで下さいな?
立場と力のある加害者が被害者のような顔をして済ませようとするのは、卑怯ではなくて?」

 微笑みをかつて稀代の悪女だった頃のような氷の微笑に切り替え、きっぱり告げてあげるわ。
中身があなたの祖母ちゃんでもDVは許しません。

 恐らく初めての婚約者の圧を乗せた氷の微笑に息を飲む孫。
反論するのも忘れているみたいね。
これでも昔は王女だったのよ? 
舐めないでちょうだい。

 それにしてもついでに教師まで息を飲むなんて。
ちょっと傷つくわ。

 ま、それはともかく、人生経験豊富なお婆ちゃんに青臭いガキが勝てると思うなよ。

 あらあら、またお口が悪くなってしまったわね。

「それでは、ご機嫌よう」

 負傷した腕以外はきちんとしたカーテシーを取ってその場を後にする。
もちろん振り返った時にはいつものデフォルトの微笑みに戻しているわよ。

『あいつ、殺す?』

 ん?!
うちの可愛らしい聖獣ちゃんの不穏な声が頭に直接響いたわ?!

『あらあら、キャスちゃん?
いきなり何の殺害予告?』
『だって僕の愛し子を傷つけた』

 あら大変。
どこからともなく殺気を感じるわね?!

『ふふふ、駄目よ。
あんなポンコツでも一応王族だもの』
『昔もそう言ってたら、殺された』
『あの時は悪魔が絡んだだけでしょ』
『稀代の善人が悪女にされたのに』
『だからあれ以降王家にあなたの愉快な仲間達は見向きもしなくなったんだから、それで十分だわ』
『四公の奴らだって····』
『あれはある意味もらい事故みたいなものよ。
だからあれ以降彼らの血筋の誰か1人にしかあなたの愉快な仲間達は手を貸さなくなったんだから、それで十分だわ』
『むう。
善人め』
『そんな事を言うのはあなたと愉快な仲間達くらいよ』
『後で痛み取る?』
『そうね。
あの保険医が手を抜いたらお願いするわ。
どちらにしても、帰ったらキャスちゃんの白いもこもこな毛皮をもふもふしたいわ』
『……わかった』

 微妙な間は何かしら?

 可愛い聖獣ちゃんとの突然始まった念話を切り上げ、辿り着いた保健室のドアを無事な方の手で開ける。

「珍しいな。
四公の公女様。
どうかしたか?」

 うーん、やっぱり不遜なのよね、この人。
何がってわけでもないのだけれど、おちつかないの。

 お弁当を食べに行く時にたまーに廊下の曲がり角とかで出くわす黒髪の保険医さん。
前髪長いし厚めの細工物の眼鏡をかけているせいか、顔や瞳の色がいまいちはっきりしないのよ。

「腕を捻挫したようなので、診ていただける?」

 腕を差し出せば、眉を顰められたわ。

「これ……捻挫ではないだろう。
何があった?」
「うーん、痴情のもつれの果ての巻き込み事故?
の、ようなものです」

 デフォルトの微笑みを浮かべる。

「何だそのどうしようもなくくだらなそうな理由は。
とにかくすぐに治癒魔法を……」
「その前に、診断書を書いていただけまして?」

 遮って診断書を優先してもらう。

「何の為だ?」
「今後の保険に良いと親切な方にお聞きしましたのよ」

 だって相手は仮にも王家だものね。
証拠がなければ色々もみ消されるわ。

「……良いだろう。
無能と噂される割に抜け目はないんだな」
「誰かしらからの忠告に従っているだけですわ」

 昔の私の経験からの処世術ですけどね。

「なるほど」

 さらさらと慣れた様子で診断書を書き上げ、今度は待った無しにそのまま腕を取られた。

「お前は無能と言われて平気なのか?」
「うーん……特に困る事もありませんのよ?
無能だからと軽く扱うなら、その方とは疎遠になれば良いだけですもの」
「大抵ぼっちだよな」
「気心知らない方といるより、ぼっちの方が心穏やかで幸せでしてよ?」
「……そうか」

 何だか気の毒な何かを見るようなお顔をしてないかしら?
前髪と眼鏡のせいで雰囲気くらいしかわからないけれども。

 腕の血流が温かく感じ、痺れと痛みが消えていく。

 良かったわ。
腕の腫れも引いてくれたみたい。
「急に動かしたり重い物を持ったりすればぶり返す。
数日は安静にしておけ」
「ふふ、ありがとうございます」

 ちゃんと治してもらえた事にほっとする。
不遜だけれど無才無能だからと偏見を行動に移す人でなくてよかったわ。

 いつもより自然な笑みを向けてから教室へと戻ったわ。

「そんな顔もできんのかよ」

 だからその後保険医がどんな顔をしていたのか、もちろん知る由もないわ。

 余談だけれどうちのキャスちゃんがこの時こっそり見てたと知ったのは、もっとずっと後よ。
心配してくれてたのね。
うちの子はとっても可愛いんだから。

 そして授業も(つつが)無く終わり、待ちに待った放課後。

「殿下、参りましたわ。
これ、診断書の控えです。
今回は生活に直接的被害が出ましたので、殿下のポケットマネーから慰謝料を下さいな」

 もちろん診断書を受け取れば、その日の放課後には孫を捕獲しに行くわよね。
今なら1年生は補講授業中で生徒会役員の従妹で義妹の邪魔は絶対無いもの。

 最終学年のお兄様も生徒会役員なのだけれど、今日は卒業後の就職先候補の就職説明会でいないの。

 孫とお供君はもう就職先は決まっているから関係ないのでしょうね。

「はあ?!
何のカツアゲだ!
シュア、無視しろ!」

 まあまあ、カツアゲだなんて。
それに随分と喧嘩腰ね。
鉄分足りてないのかしら?

 執務机に座る孫の後ろから背の高いお供君はひょい、と置いた診断書を奪ったら、ビリビリと破いて紙吹雪を私に投げつける。

 あらあら、惜しかったわね。
紙吹雪の大半が空気抵抗で私に当たらず、机に散らばったわ。
誰が掃除するのかしら?

 孫は(しか)めっ面ではぁ、とため息を吐いたわ。

「構わん。
いくら欲しい」
「シュア?!」
「俺がこの無能に公衆の面前で危害を加えた。
教師達も目撃している。
ここは基本的には王家の権力的な介入を許さない学園だ。
あの王家の恥部たる稀代の悪女の一件もある。
いくら欲しい」

 前々世の私、今度は恥部扱いね。
それよりも……。

 ふむ、と少しだけ様子の変わったようにも感じる孫を観察する。

「そうですわね……それではこのロベニア国第2王子の正式な婚約者たるラビアンジェ=ロブールに相応しい慰謝料の額をご提示下さいな」
「貴様、調子に……」

 お口が悪いお供君ね。
1度はっきりさせましょうか。

「四大公爵家であるアッシェ家第3公子。
(わたくし)は誰です?」
「はぁ?!」

 怪訝なお顔にガラの悪いダミ声だこと。
彼もあちらの世界の乙女ゲームの登場人物になれそうな程には美男子なのに、残念ね。

 キャラでいけば……そうね……喜怒哀楽のはっきりしたワンコ系騎士見習いね。
赤髪の騎士とか、そんな感じかしら?
キラキラしてる空色の瞳がチャームポイント、的な?

「何が言いたい!」

 まあまあ、つい物思いに耽ってしまったわ。

 それにしても王子は珍しくだんまりね。
瞳に敵意は宿してはいるけれど……何故だか私の様子を窺っているのかしら?
こんな事は初めてね?

 まあいいわ。
視線をお供君に戻す。

「おわかりになりませんの?
四大公爵家であるロブール家第1公女であり、ロブール家当主の血を確実に継いだ()()の嫡出子の内の1人であり、あなたが本来仕えている王家の王位継承権を持つ第2王子殿下がどれほど撤回、差し替えを求めていても、現状では王家が認め続ける正式な婚約者。
それが私ですの。
私の立場はあなたより下だと?
何より婚約の当事者の1人である殿下の意思を受理せず、王家が継続させている婚約者でしてよ?
殿下の意志と同じく、王家の意向も私を軽んじているとでも仰るのかしら?」
「そ、れは……」

 きちんと正して宣言されれば、下だとは言えないわよね?

 ふふふ、悔しそうね。
可愛いワンコ君だわ。

(わたくし)は少なくともあなたより下の立場ではないはず。
そして私は1度として、少なくとも立場が上ではないあなたを貶めた事はないわ。
違いまして?」
「っぐ……」

 絶句する。
そうなるわよねえ。
どちらかというと王子の婚約者である私の方が本来は立場が上になるもの。

 あなたの私への態度は本来ならそれほどに酷く、常識からも騎士の本分からも外れているのよ?

 ここが学園であなた達が学生という立場だからこそ、私が何もしなければ大きな問題にならない。
ただそれだけ。
でも全ては私次第。
現状を正確に理解できたかしら?

 不意にこれまで静観していた孫がお供のワンコ君を制するように腕を上げたわ。
「違わない。
お前は1度もこの者ばかりか誰かを貶めた事はない。
言い返したり反撃したり、生家の権力を使ったという事実もこの短時間ではあるが、私の調べた限りなかった。
いつも微笑んで受け流す。
それだけだ」
「左様ですわ」

 あら、今度こそちゃんと調べたのね。
そうよね。
私は仮にも王族の婚約者だもの。
王家の誰かしらの監視の目はついていて然るべき。

 私が噂通りの言動をしているかどうかくらいなら、少し調べようとするだけで本来なら()()()結果は出てくるはずね。

「だが第2王子である私の婚約者として相応しくないとの考えを撤回もせん。
お前が教育という義務を放棄している現状と魔法もまともに使えん無才無能である事は変わらん。
腕の件以外の謝罪をするつもりはない」

 あら、そこは納得よ。
放棄どころか隙あらば逃走しているもの。

 眼差しにはまだまだ敵意があるから、思っていた悪女ではないという事実も完全には受け入れられていないのでしょうね。

「左様ですか。
ねえ、公子」

 改めてお供君に声をかけ、温かく微笑む。

「卒業後に騎士として王家に仕えるならば本来の騎士が誰に仕え、恥が何たるかを己の剣にかけて知りなさいな」

 孫は相変わらず私の観察を続けているけど、お供君ははっとした顔をする。

 やはりはき違えていたのね。

 騎士が仕えるのは王であり、王の命令なき場合は弱者を守らなければならないの。

 あなたは将来王に仕え、王の命令で王子を守る事はあっても、根本的に王子に仕えるわけではないわ。
王の命令なく弱者を軽んじ、処断してもならないのよ。

 稀代の悪女にしてお供君を瞬殺できる私が弱者かどうかはさて置いてね。

「お前にそのような面があったとはな……。
まさかとは思うが、無能は仮面か?
何故仮面を被る?」

 あらあら?
孫は頭がお花畑なのかしら?

 一瞬呆れそうになったけれど、私のデフォルト的淑女の微笑みは簡単には剥がれなくてよ。
仮面ならむしろこの微笑みではないかしら?

「ふふふ。
無能ならば蔑み、調べもせずに噂に重きを置いて貶めて良いとの愉快な人間性を垣間見る良い機会でございましてよ、殿下」

 思わずムッとする孫は、けれどもう怒鳴るつもりはないみたいね。

「信用できる人間性をどなたがどの程度お持ちになっていらっしゃるかわかりますもの。
それに、殿下方がまともに私のお話に耳を傾けたのも今が初めてでございましょう?
押し問答するならば時間の無駄ですもの。
だって殿下はそんなでもこの国の権力者でしてよ?
お昼寝する時間に充てた方が私には実利がございますわ」

 そう言えば、孫もお供君も鼻白んだわね。

 孫ってば王族として誇るのは良いけれど、驕るのはまた別よ?
驕る平家は久しからずってあちらの世界でも有名なんだから。

「そんなでも、か。
耳が痛いな」

 今度は顔を(しか)めてため息ね。
お顔は忙しそうだけれど、朝から散々怒鳴り散らした若さはどこに遠足に行ったのかしら?

「ふふふ、もちろん殿下方は信用致しませんわ。
ご安心して下さいな」
「安心……」

 お供君、事実を突かれて傷ついた顔をするなんてまだまだね。

「蔑まれて屈辱ではないのか?
何故今になって仮面を外した?」

 まあまあ、そもそもどうしてそんなに仮面扱いしたいのかしら?
もちろん無才無能のレッテルが私に都合の良いものではあるのだけれど、根本的に間違ってもいるのよね。

「そもそも誰にとっての無能でも、私は気になりませんの。
それに私は無能とも有能とも申し上げた事はありませんわよ?
好きに振る舞って楽しく生きているだけ。
ですから殿下が王子の婚約者役としての私を相応しくないと判断なさっている事にも否と唱えた事はありませんわよね?
逆に私が殿下に、殿下が私に相応しいと申し上げた事もありませんわ?
仮面など被った事もありませんし、私を何かしらの色眼鏡で見ているのは周りの方々では?」
「ふっ……そうか。
そうだったな」

 孫ったら納得したようだけれど、浮かべる笑みは何だか自嘲的ね。
「そんな事よりも慰謝料は直接私に下さいませね。
私の手元に来て初めて私への慰謝料ですもの。
もちろんこの件は口外致しませんし、殿下もしないで下さいな」
「ふっ、そんな事扱いか。
それよりもお前への慰謝料が誰かの手に渡るなど……いや、何でもない」

 何かに気づいたように口を噤む。
そうね、私の事を調べさせたのよね。
なら私の周りは色々とおかしいと気づいたかしら。

「ふふふ、ありがとうございます。
それから婚約はいつでも解消なり破棄なりしてくださって私はかまいませんのよ?」
「……は?」
「……いや、それは……」

 何かしら?
2人して瞠目しているわね。
お供君が慌てているけれど、どうしたの?

「もしや誰かから全く真逆の事でもお聞きになりまして?
良い機会ですから1つはっきりさせるならば、私は1度も婚約を望んだ事もありませんし、今も継続など望んでおりませんわ。
公女としての立場があるから王家と公爵家の決まり事に拒否もしていない。
それだけでしてよ」
「いや、しかし、お前、いや、あなたは……」

 お供君たら、嘘だろ?!みたいな顔しないで欲しいわ。
珍しくお前呼びを改めたのは褒めてあげるけど。

 それに今までの孫の私への言動を鑑みれば、個人的にそこの孫に魅力なんて感じるはずもないってどうして考えつかないのかしら?
主従揃って自意識過剰なナルシストなの?

「1番良いのは陛下とお父様に筋を通した形で直接婚約に際しての経緯をお尋ねになられる事ですわね。
より濃い血に縛られるのならば貴族間に産まれたお父様とお母様の実子たる私。
平民の血よりも魔力や魔法を重視するならば彼等の義娘たるシエナ。
どちらも先代公爵たる祖父の血は等しく継いでおりますから、違いはその程度では?
政略結婚など、ただそれだけの事でしてよ?」
「随分と冷めた……」

 あら?
どうして傷ついたようなお顔をしているのかしら?
孫と私の関係なんてそれだけよね?

「そうですわね。
冷めているから、お相手の人間性など気にせず私も婚約の継続を成り行きに任せていられるのでしょうね」

 つまるところ孫の人間性は好ましくないのよ、と言外に伝えてみれば、思わずでしょうけれどたじろいでくれたわ。

 さてさて、そろそろ1年生の補講授業が終わりそうね。
お暇しましましょうか。

「慰謝料を受け取りましたら、診断書の()()はお渡ししますわよ。
ご機嫌よう、殿下、公子」

 うふふ、と微笑んで告げれば、今更ながらに青くなる男性陣。

 もちろん用は終わったからさっさと立ち去るわ。

 それにしても、いい加減気づいたわよね?

 私が原本を持っていれば、学園内の証言も含めて確固たる婚約を継続するに値しない理由として私の方から有利に破棄できたのよ。
その場合、悪評がついて回るのは孫の方。

 だって学園では未だに稀代の悪女たる王女の話は存在しているもの。
孫はその末裔なのだから。

 前々世の自分の悪評を利用するなんて。
ふふふ、まるであちらの世界でいうところの悪役令嬢みたいよね。

 そしてそれから数日後、私はほくほくとした面持ちでベッドの上で胡座をかき、令嬢にあるまじき笑い声を上げているわ。

「ぬっふぉっふぉっふぉっふぉっ」
「ラビ、何でそんなに上機嫌?」
「ぬっふぉっふぉっふぉっふぉっ。
慰謝料よ、キャスちゃん。
私だけのお金よ」

 わかっているのよ、頭では。
こんな令嬢は駄目って。

 でも王族貴族生活なんかよりもずっと長い間過ごした異世界庶民の感情が……金貨を前にして抑えられない!!

 ポン、とすぐ頭上に現れて私の頭にダイブしたのはもふもふの純白毛皮を纏った九尾のお狐様。
この子が人間じゃない同居人であり、あの時の念話のお相手である聖獣のキャスケット。

 愛称はキャスちゃん。
キャスちゃんは私をラビって愛称で呼ぶわ。

 左手につけてある紺色基調で一部ピンク生地とレースを使用したパッチワークで作ったシュシュがここ数ヶ月でトレードマークになったの。

 今は手の平サイズだけど、最大値は大岩くらいになれるらしいわよ。
本人談ね。
見た事は無いの。

 満面の笑みはそのままに、目の前の大盛り山の金貨をドヤッと胸を張って見せたわ。
「これ、どうやって持って帰ったの?」
「……背負って……」

 もう!
そんな呆れた顔しないで欲しいわ!
藍色に金の粒子が散ったような、可愛らしいつぶらな視線が何故だか痛いのだけれど?!

 まあそうね、あちらの世界のサンタが抱えてそうな袋1杯分くらいの金貨だものね。
令嬢が背負ってなんておかしいわよね。

 でも本当ならもう2袋分くらいあったのよ?
どうでもいいけど王子殿下のポケットマネーってそんなのポンて出せるくらいあるのね。
そこはビックリよ。

 でも持って帰るのが大変なのもわかってたからお断りしたの。
ほら、私徒歩通学じゃない?
大袋3つ担ぐのは令嬢としてないなって、ちゃんと判断したの。
日を分けて持ち帰っても悪目立ちするでしょうし。
えらいでしょ。

 それを伝えた時の孫とお供君のお顔を思い出すと少し面白いわね。
人って心から愕然とすると乙女ゲーム的ハンサム男子もあちらの世界の名画のようなムンク風のお顔になるのね。

 慌てて馬車で持って行くって言われたんだけれど、今まで婚約者としての交流も無かったから絶対誰かに見つかって怪しまれるでしょ?

 しれっと亜空間収納に放り込むにしても、人目をはばかるのよね。
亜空間収納って高等魔法だから、コツを掴めないと維持し続けるのも大変なのよ。

 そんなのに魔力の低いまともに魔法が使えない公女の私が放り込むのを見られてしまうと……ねえ。

 小袋で小分けにするにしても、同じく交流のない私達が頻繁に会うのはとっても不自然。

 で、ぎりぎり無理できる範囲で1袋だけをサンタスタイルで持って帰ったの。
もちろん重力操作してたし、人気が無くなったら亜空間に放り込むつもりだったわ。

 ただね……気を利かせたのか孫の婚約者になって初めて護衛がついたみたいなの!
今までみたいな定期的などこぞからの監視ではなくて、帰宅するまでつかず離れずの護衛よ!
余計な事してんじゃないわよ!
どこぞのセキュリティ会社の回し者なの!
このバカ孫!
雰囲気読みなさい!

 ああ、お口が……でもそのせいで帰宅するまでずっと重い荷物のふりしなきゃだし、裏口から入ったところで結局使用人の何人かに見られてしまったわ。

 中身が何かまではわかってないでしょうけどね。
何せ今世の私がお金持った事ないのなんて、この家じゃ使用人も含めて周知の事実よ。

 大袋一杯の金貨とは縁が無さすぎたわ。 

「むしろしまりとだらしがない……」
「まあ、酷い。
でもお金が大好きなのだから仕方ないわね」

 あら、キャスちゃんの言葉に現実世界に舞い戻ったじゃないの。
酷いけど、納得。

 そう、私は自分名義のお金に関しては昔から……そうね、前世から好きなのよ。

 自分で稼いだお金って見てると苦労が報われるじゃない?

 もちろん前世は現金よりクレカや電子マネー主義だったから、通帳の残高見てヘラヘラ笑ってたわ。

 あの時の私の夫はそんな私をいつもそっと遠巻きにして諦観の笑みを浮かべて見ていたわね。

 そんな夫が何だか可愛らしかったのを覚えているわ。
ふふふ、穏やかで至福のひと時だったのよ。

「何を買おうかしら。
やっぱりハーブやスパイスの苗は欲しいわね。
ああ、岩塩もそろそろ……」

 なんて言いつつ、頭の中で欲しい物リストを作成していく。

 するとコンコンとドアが叩かれる。

 瞬時に亜空間へ金貨を移したわ。
人目を気にしなければこんなのすぐなのよ。

 キャスちゃんも姿を消してるわ。
素早いわね。

 それにしても珍しい。

 来客はもちろんだけれど、シエナなら問答無用でドアを開こうとするだろうし、仲良し料理長や滅多に来ない他の使用人なら必ず声を一緒にかけるのに。

「……」

 無視ね。
怪しい音には反応しないわ。

 コンコン。

 ……無視無視。

 コンコン。

 しつこい……念の為、気配を探って……あら?

「どなた?」
「私だ」

 そうね。
ふふふ、何だかあちらの世界のオレオレ詐欺みたい。

 私が気配をよめない普通の令嬢なら、声ですぐわかるほどの関わりを持たない私さんがお兄様だなんてわからないはずよ?

 そう思いながらこの部屋の奥に位置するベッドから降りてドア近くに設置してある小さなテーブルのあたりへ移動する。

「どちらの私様?」
「ちっ。
お前の兄のミハイル=ロブールだ」

 まあ、舌打ちなんてドアの向こうからでも失礼ね。
それより兄と呼ぶなと言ったり自分は兄と言ったり、忙しい人ね?
まあいいわ。

「開いてますわよ?」

 私の返事にドアを開けたのは金髪に菫色の瞳の実兄。
今日も乙女ゲーム的クール系美男子ね。

 もちろん不機嫌そうなお相手でもお兄様なら微笑んでお迎えするわ。

「何故鍵をかけていない?」
「壊されてしまいましたもの」

 私の言葉に驚いたみたい。
不機嫌そうなお顔は相変わらずだけれど、切れ長の目が少しばかり丸くなったわ。

「は?
誰にだ。
まさか我がロブール家の敷地に強盗が押し入ったわけではあるまい」
「うふふ、まさかそんな事はありませんわ。
先日どなたかがけたたましくドアを開けて、けたたましくドアを閉めてくれたら壊れてしまいましたの」

 従妹で義妹のシエナがお父様に閉め出された後に乱入してきたあの時よ。

 でもどのみちこのログハウス的私室に貴重品は置かないし、普段は誰も近づかないから大して問題でもないのよね。

 お風呂や着替えの時にはキャスちゃんや通りすがりの愉快な仲間達が閉めていてくれているもの。

 仮に何かを持ち出されてもすぐにここへ戻る防犯魔法をかけているし、私物が壊されれば再生魔法をかけるわ。

 昔は何度もそうしていたけれど、そういえば最近はないわね。
意味がない事に気づいたのか、今更だけれど逆に元通りで誰も咎めてこないのが不気味になったのか。
どっちかしら?

「シエナだと言いたいのか?」

 そうねえ、公女の私の部屋でそんな事をする使用人はさすがにいないし、お父様やお母様はここに来た事もないわね。

 でもその名を口にした時点でわかっているのではなくて?

「ふふふ、どうかしら?
経年劣化もあるのでしょうね。
何度もけたたましく開け閉めされていますもの。
壊れるのが少しばかり早まっただけですわ。
本邸の使用人にお願いしてあるから、お母様にはそのうち伝わるのではなくて?」

 なんて、きっと伝わっていないでしょうし、伝わってもすぐに修繕なんてしないでしょうね。

「まあいい。
そもそも何故ここにいつまでも居ついている?」
「あらあら?
そうするようにと数年前のお夕食会でお父様に進言なさったのはお兄様とお母様でしてよ?」
「待て。
まさか、あの時の罰をそのまま?!」

 やあねえ。
どうしてご自分が言い出した事に今更驚くの?

「お2人が許すと仰るまでここで過ごせ、でしたわよね?
あの後シエナも元あった私の私室をお母様に許可されて物置として使っていると聞いておりますわ」
「チッ。
何故夕食会でそれを言わない?!
お前が意地を張らずに嫌だと言えば……」
「あらあら?
私のせい、と?」
「俺のせいだとでも?」

 不機嫌そうね。
お兄様を大して気にもしてもいないのに、そんな事言ったりしないわよ?
いつもの私から元々の俺呼びに変わるほどの事かしら?

 デフォルトの微笑みのまま、否定してあげるわね。

「ふふふ、いいえ?
お兄様のお話を1度でもしまして?」
「お前はまたそうやって……」

 忌々しそうに睨みつける。
あらあら、反抗期かしら?

「お兄様は悪くありませんわ。
それはホルモンバランスと本能のせいでしてよ」
「何の話だ?!
ホルモンとは何だ?!」

 そういえばホルモンという知識はこの世界には無かったわね。

 正確には、男性の二次成長時に分泌されるホルモンバランスのせいで攻撃的になってしまったり、性に目覚める時期に親しい血縁者をその対象として見ないように忌避する人間の動物的本能よ。

 どこまで正しいかは今更わからないわ。
あちらの世界のようなネット環境もないから確かめられないもの。

「ふふふ、何でもありませんわ。
お兄様が健やかに成長されてらっしゃるのを喜ばしく感じただけですわ」
「何故孫の成長を楽しむ祖母様のような生温かい目を……」

 まあ、不覚を取ったわ。
困ったわね、正体に勘づかれたかしら。
前世は孫や曾孫にも恵まれて昇天した享年86才のお婆ちゃんだもの。

「薄気味悪そうな目をされると傷ついてしまいましてよ?
それよりもご用件をお伺いしてもよろしいかしら?」
「ふん、お前が意味のわからん目をするからだ。
お前、通学はどうしている?」

 一々反抗的ね。
やはり少し遅めの反抗期に違いないわ。
大丈夫よ、それは抗いきれない本能が支配する反抗だもの。
「おい、その目を止めろ」
「あら、ついうっかり」

 だって前世の反抗期の双子の息子達を思い出してしまったのだもの。
あの時のクソババア発言は衝撃的だったわ。

 しかも一卵性双生児だったからか、2人仲良く突然の反抗期だもの。
泣きそう、というか、あの時は泣いてしまったわ。

 さすがに夫と娘に慰めてもらったのよ。
うふふ、今では良い思い出ね。

 それよりも通学ね。

「通学でしたら毎日徒歩でかよ……」
「何故だ」

 え?
何故?

 思わず目をパチパチしてしまったわ。

 むしろこちらが何故?
しかも最後まで言わせない勢いで。
やっぱりお兄様は反抗期ね。

「お兄様とシエナからは同じ馬車を使うなと言われておりますでしょう?」
「何だと?!
シエナの馬車はあいつがお前も共に使うと言うから父上にも俺から進言して新しく作ったんだ!
だが他にも馬車はあるだろう!
使用人達にも何故言わない!」

 何だかどんどんヒートアップしているわ。
もしや反抗期と若さの相乗効果?

「馬車を新調した理由は特にお聞きしておりませんでしたわ。
残る3台の馬車のうち2台はお父様とお母様が使用していらっしゃいます。
残る1台は豪奢で家紋付きですから通学用としては校則に反してしまって使えませんの」
「母上は毎日使ってはいない!
それに豪奢な方を好んで使っているだろう?!」
「あら?
月に1度の夕食会以外では邸に長らく入っておりませんし、共に出かける機会もありませんでしたから気づきませんでしたわ」
「くそっ」

 まあ、公子がそんな言葉を使うのはいただけないわよ、お兄様。

 それに豪奢でない方の馬車はいつ使うかわからないのだから使うなと厳命されているもの。

 入学してすぐの1度だけ馬車を使ったけれど、その時後ろにシエナを従えたお母様が使用人達のいる前でそう宣言されてしまったのよね。
邸内は女主人の管轄よ?
女主人がそう宣言してしまえば、使用人達が私に馬車を斡旋できるはずもないでしょうに。

 それに主人に倣って彼らの大半は私を公女として扱わないのだから、気を利かせるはずもないわ。

 本当に、この世界での生は人に嫌われる運命なのかしら?

 無意識にため息が出そうになったのを淑女の微笑みを押し留める。
何故かしら。
お兄様のお顔が険しくなったわね。
まあいいわ。

 でも聖獣ちゃんと愉快な仲間達や一部の人には好かれているから、こんなものなのでしょうね。

 万人受けする聖女的な立ち位置や、あちらの世界の乙女ゲームなんかの逆ハールートに進めちゃうヒロインにはなれそうもないわ。

 というかどうしたのかしら?
通学や馬車なんて入学して以来聞かれた事も……。

 あらあら?
何だか思い当たる事が出てきたわ。

「どなたかからお聞きになって、私の現状にロブール公子としての面子を傷つけられましたの?」

 まあまあ、図星ね。
ギロリと睨みつけられちゃったわ。

「そうだ。
今日の生徒会でな。
その場でシエナを問いただせば、お前が自分と同じ馬車に乗らないのは嫌われているからだと泣きながら訴えた」
「ふふふ、左様ですのね。
納得しましたわ」

 お兄様は面子を傷つけられたから怒ってらっしゃったのね。
謎は全て解けたわ。

「何故先にシュアに話した」

 今度は静かに、低く尋ねるのね。
尋ねるというよりも、責めているのでしょうね。

 それよりもお兄様も孫を愛称呼びする仲でしたの。
何だかそちらの方がビックリよ。
同じ生徒会メンバーとはいえ、お兄様は線引きしていると思っていたもの。

「母上で駄目だったのならば、お前が伝えるべきはロブール家当主である父上か、次期当主である俺にすべきだった。
公女として自覚ある言動を心がけるようにといつも言ってあっただろう。
教育から逃げ続けた結果、教養も無く無能無才と周囲に侮られるのだ!」

 結局怒声を浴びせられてしまったわ。
それにしてもお兄様ったら、ずっと怒り続けているのね。

 それにずっと立ち話状態よ。

「ふふふ、左様ですわね」
「何故そこで笑う!
お前は俺を馬鹿にしているのか!」
「まあ、被害妄想でしてよ?」
「何だと!!」
「それよりずっと怒り続けてらっしゃって、喉が乾きません?」
「ふざけるな!!」

 バシンッ。

 ガタッ。

 頬を叩かれ、床に倒れ込む。
はずみで負傷していた方の腕を勢い良く床に着いてしまった。

「……っ」

 思わず小さく呻いてしまったわ。
「あ……」

 兄も咄嗟の行動に叩いた自分の手を目を見開いて見ながら呆然と声を漏らしたわ。

 初めて兄に手を上げられたわね。

 それにしても、思わず突いた腕が数日前とは比べられない痺れと痛みに襲われているのだけれど。
一気に指の方まで腫れてきているし。 

 これ、折れたわね?

 ふう、とため息をつけば、立ち竦むどなたかはビクリと体を強張らせたわ。

 その様子がクソババア発言をした直後の前世の息子達のようで、思わずくすりと笑ってしまった。

「何故、笑う」

 あらあら、そんなに泣きそうなお顔をしちゃって。
お馬鹿さんね。

 不思議とあの孫に腕を捻られた時のような怒りは感じない。

 ふふふ、呆れはするけれど、可愛らしい人ね。

 素直ではないところも、そのせいで実妹を気にかけるのがいつも中途半端なところも、手を上げておきながら頬に当たる直前に力を抜いて与える痛みを最小限にしようとしたところも。

 大の男が怒りに任せて叩いた頬の割には、もう痛くないわ。

 私も咄嗟に倒れて頬への衝撃を和らげたもの。
お陰で腕が大変な事態に陥ったから、頬への痛みを選べば良かったかしら?

 なんて考えていたら、くすくすと笑いが漏れてしまったわ。
もちろんデフォルトの淑女の微笑みじゃないわ。

 ただし腕の激痛に苛まれてはいるから、苦笑したような顔だとは思うけれど。

 そんな私にこれ以上どう声をかけるべきかわからないのでしょうね。
相変わらずの表情のまま、仁王立ちして固まっているわ。

「可愛らしい人ね」
「な、に……」
「起こして下さいな」

 頬はともかく、腕は激痛で体が強張ってしまって1人で立ち上がりたくないわ。

 私、痛いのは嫌いなのよ。

「これ、腕を?!」

 お兄様は手の部分まで赤く腫れてきた腕に気づいて、愕然としながら床にしゃがみ込む。

「すまない!
すまない、ラビアンジェ!」

 そう言うとさっとお姫様抱っこをしてまた固まる。

 ああ、そうね。
このログハウス的私室にはソファや来客用の椅子なんて類いはないものね。

 辺りを見回してそのまま奥に大股で進めば、ベッドに下ろしてくれた。

「勝手に寝室へ立ち入ってすまない。
腕を見せてくれ」

 許可を与える間もなく腰掛けた私の前に膝をついて座ったお兄様に腫れた腕に触れられ、鋭い痛みに襲われた。

「んっ」
「やはり折れたか。
すまなかった」

 何度目かの謝罪をしてゆっくりと治癒魔法をかけてくれる。

 そうね。
いきなり治癒させようとすれば、折れた骨が歪んでしまうかもしれないもの。

「すまない。
痛かったら声を出していい」

 ゆっくりと、関節を整復するように固定しながら折れた骨を修復していく。

「んぅっ」
「痛いな。
すまない」

 もちろん痛いわ。
折れた骨をくっつける前に整復するんだもの。

 でももう随分と久しぶりに触れられたお兄様の手は温かくて力強くて、心地いいわ。
それに痛いのを我慢しろとか、痛くないとか言わずにちゃんと受け止めてくれるのね。

 何だか心の奥が擽ったいわ。

 しばらくしてやっと痛みと痺れが引いてくる。

 ほっと息を吐いて体の緊張を解く。

「頬は痛むか?
すまなかった」

 治癒魔法をかけ続けながら、再び謝る。

 その顔を見て、あの孫との違いに気づく。

 自由な方の手で、そっと兄の頬に触れてみる。
嫌がられるかとも思ったけれど、大丈夫みたい。

「頬は平気よ。
可愛らしい人ね」
「そんな事は初めて言われた」
「そう?
ねえ、お兄様。
そんな顔をしないで欲しいわ」
「どんな顔をしている?」

 その言葉に思わず苦笑してしまったわ。
やあね、このにぶちんめ。

「泣きそうよ」
「そうか」
「ふふ」

 お顔を戻そうとしたのでしょうけれど、何だか泣き笑いしてそうなお顔になってしまっているわ。
思わず笑ってしまったじゃない。

「素のお前は、そうやって笑うんだな」
「あら、いつも微笑んでいるわ」
「何故いつも微笑む?」

 まあ、不思議な質問ね。

「淑女を求めていらっしゃるのはお兄様達では?」
「確かに微笑みだけは淑女らしいと言われていたな」
「でしょう?」

 無才無能をはじめ幾多の悪評を持つ公女ラビアンジェだけれど、微笑みだけは良きにしろ悪きにしろ淑女と認められているのよ。
「なぜまともに教養を身につけず、無才無能と呼ばれるのを良しとし続ける?」
「無才無能だからじゃないかしら?」
「それはない。
お前は気づいていないだろうが、マナーや作法だけは完璧なんだ。
誰からも教わっていないのに。
それに俺自身がお前を無能だ無才だと言った事があったか?」

 あら?
そういえば、教養を身に着けろと言われたり、無才無能だと侮られているとは何度も言われたけれど……ない、かも?

「あら、マナー講師はついていたわ?
でもそうね、お兄様自身が私を無才無能と揶揄した事は無いと思うわ」
「お前は講師からは学んでいない。
大抵聞き流すか逃亡するかしかしていないだろう。
無才無能以前の問題だが、俺はお前に能力や才能が無いとは思っていない。
魔力は……まあ魔力測定の時にそう出たのだからそうなのだろうが」

 お茶を濁すお兄様。

 そうね。
平民なら早くて10才の学園入学の際に、貴族なら遅くても15才の学園の入学前の学力試験の際に必ず魔力測定を行うわね。

 その時の私の魔力測定の結果はお兄様の言葉が示す通り、残念極まりないものよ。
平民の生活魔法が何とか使える程度の魔力量だったわ。
公女としてはあるまじき結果だったでしょうね。

 もちろんキャスちゃんと愉快な仲間達と共謀して細工したんだから当然の結果よ。

「ふふふ、気を使っていただかなくてもよろしいのに」
「その笑みは今は必要ない」

 お兄様は片方の手を叩いた頬にやり、そちらも治癒を施す。
痛みはないけれど赤くはなってたのかしら?

 治癒し終わると、自らの頬に触れていた私の片方の手も包みこむようにして下ろさせ、両手で優しく包み直したわ。

 どうしたの?
いつもと打って変わった様子に戸惑うのだけれど?

「俺は本来のお前と話したい」

 クール美男子に跪かれて両手を握られて懇願される。
あちらの世界の乙女ゲームのスチルみたい。

 ツンデレのデレが到来したのかしら?

「まあ、それは難しいわ?」
「何故?」

 けれどお断りね。

 お顔が翳ってしまったのは心苦しいけれど、ね。

「既に私とこの家との関係は崩れているもの」
「修復は……」
「もう興味がないの。
全て今更よ。
それでも本当の逃亡はしていないでしょう?」
「公女として育ったお前が逃亡できると?」

 私の言葉に傷つきながらも食い縋るのは良いのだけれど、さすがにその問いは愚問だわ。

「公女らしい扱いを受けて育ったとこの部屋を見て本当に思っているの?
使用人も侍女もここにはいないわよ?」

 うっ、と言葉に詰まったところにたたみ掛ける。

「私が朝どう登校をして、何をして学園で過し、どう帰宅して、就寝まで何をしているのか。
()()()は想像できて?」
「……すまない」

 私の言葉に俯いてしまったわ。 
でも仕方ないでしょう?

 本来の私?
それを知ってもどうする事もされなかったら、傷つくのは私よ?
信用できないかとでも尋ねる?
信用させる努力をした事がない人がそれを言うの、としか言えないわ。

 口元まで出かかる本心を淑女の微笑みで蓋をする。

「次期当主として励むあなたが嫌な事から逃げる私を疎んじるのは当然よ。
あなたとこうやってお話しするのが義妹のできる前なら、違っていたかもしれないわ。
けれど、今更でしょう?
実妹の話よりも、義妹の話を先に聞き続けた。
その上でそれを信じた言動を取り続けて理不尽に曝されたわ。
もう何年も」

 再び俯いていくお顔が何だかお気の毒ね。

「少しだけあなたが変わったのは、あの子の入学に際して接する機会が増えて、言動と現状に違和感を覚えたからかしら?
比較的ここ最近よね。
あなたがきっかけを探していたようには、今なら思えるわ。
それでも私への態度を変える事は無かったし、気づかないようにもしていたでしょう?」
「すまない」

 お兄様は否定しない。
ただ心苦しそうに謝るだけ。

「修復は礎となる何かがあって初めて修復と呼ぶの」
「すまない」

 胸が……痛むわね。

 お兄様からは誠意を感じる分、余計に。

 握られた手に硬い剣ダコがあって、彼は彼で日々努力をしてきた事を証明しているわ。

 この手が思った以上に大きくて温かくて心地良い分、余計に。