「見て見て、本がいっぱいあるよ!」
 「そりゃ図書館だからね」
 昨日の告知通り、僕たちは図書館に来ていた。だけど昨日から不思議に思っていたことがある。図書館は多くの本と出会える素敵な場所だ。だけどデートスポットかと言われたら首を傾げたくなる。しかも相手はクラスの人気者。僕は未だに彼女が読書家であることを信じらずにいた。
 「どの本借りようかな? そういえば課題で読書感想文あったよね」
 「読書家なら今まで読んできた本の感想書けばいいじゃん。僕も実際にそうしたよ」
 ちっちっちと人差し指を左右に揺らしてそうじゃないんだよ、と言いたげな様子を見せた。
 「確かにそれは読書家の特権だけど、私は読んだばかりのその時しか書けない感想が書きたいんだよね」
 「それ本当に本が大好きな人が言うセリフだね」
 「だって、本当に本が大好きなんだもん」
 得意げにそう言い放った彼女は本棚のある一点に視線を集中させた。
 「あっ、これ」
 「どうしたの?」
 「この本、川端くんの部屋にあったものだよね?由紀夫さんだっけ、作者」
 その本棚に近づくと確かにそこには由紀夫さんの小説が多く陳列されていた。
 「昨日聴くの忘れてたけどさ、どうして由紀夫さんの作品を好きになったの?」
 彼女はいつになく真剣な表情でそう尋ねてきた。
 「風景とか人の感情の描き方がいいなって。あと読んでてどうしてなのかわからないんだけど、なんだか懐かしい気持ちになるんだよね」
 「懐かしい気持ち?」
 「う〜ん、言葉で表現するのが難しいなぁ。変な例えになるかもしれないけど、昔から食べてるお母さんの味みたいな、親しみが持てて心が温かくなるような……」
 そう言いかけた時、にこにこ笑いながら頷く彼女に遂、夢中になって話してしまっていたことに気がついた。
 「いい表情してるね」
 「えっ」
 「本のこと話してる時の川端くんの顔、いいなって」
 まただ、鼓動が速い。しかも昨日のように一瞬ではなく、今日は少し長く続いた。もしかしたら僕は何かの病に侵されているのかもしれない。
 「川端くん、顔赤いよ。もしかしてまた熱中症?」
 「そんなわけ……」
 館内は冷房が効きすぎるくらいに冷えているから、そんなはずはないと思った。だけど自分の頬を触った瞬間、さっきまで日差しを受けていたかのようにそれは熱を持っていた。

 「はぁ〜楽しかった! 図書館デート」
 「それはよかった。にしてもどうして図書館?」
 「だって川端くん本好きでしょ? それに私も本が好き。2人の趣味を昨日教え合ったばっかりじゃない。本が大好きな私たちには図書館が最強のデートスポットでしょ」
 「そうだけどさ、デートスポットって言ったらショッピングモールとか水族館とかそういう所が王道なのかなって」
 「確かにそうかもしれないけど、私は図書館が一番のデートスポットだと思ってるよ」
 彼女はなんの躊躇いもなくそう言い放った。
 「どうしてそう思うの?」
 半歩先を歩いていた彼女は突然立ち止まって少しかがむような姿勢で僕を見つめた。
 「だって、本はすごいんだもん。知らない場所にも遠い時代にも連れて行ってくれる。その気になれば物語の登場人物と友だちにだって、恋人にだって、家族にだってなれるんだよ」
 その発言を聞いて僕は理解した。彼女は本当に心の底から本が大好きなんだ。ううん、今の発言だけじゃない。今日一日を通して、彼女が読書家であると信じざるを得なかった。
 「川端くん、私の一番大好きな本何か知ってる?」
 僕は悩んだ。読書家の彼女が大好きな本だから、もしかしたら純文学系のお話かもしれない。
 「川端康成さんの小説とか?」
 「ふふ、自分の名字とかけたね」
 「あっ、バレた」
 何が面白かったのか、彼女は声に出して笑っていた。そんなに笑われると恥ずかしいじゃないか。
 「全然違うから、教えてあげない」
 「え~、せっかく悩んだのに」
 「自分の名字使って答えるなんてずるいもん」
 「だって本って言ってもこの世界にいっぱいあるわけだからさ。せめてヒントぐらい欲しいなぁ」
 「わかったよ、じゃあヒントね」
 すると突然左手が温かくなった。視線を落とすと僕の左手は彼女の右手と繋がれていた。また鼓動が早くなるのを感じた。彼女の手は綿あめみたいに柔らかくて、少しでも強く握ってしまったらガラスのようにひび割れてしまうのではないかと思った。
 「これどういうこと?」
 「これ以上はヒントあげないよ」
 「そんなこと言われても」
 手を繋ぐことがヒントなら、恋愛小説なのだろうか。確かに彼女はそういう類のもの好きそうだしなぁ。考えようとするも、左手に感じる温もりが僕の思考を鈍らせた。
 「実はまだないの、その本」
 「えっ」
 「もう一つのヒント。特別大サービスだからね」
 「ますます意味がわからないんだけど。ねぇ、教えてよ」
 「あっ、バス停見えた」
 僕の質問を誤魔化すように彼女は大袈裟にバス停を指さしていた。
 「川端くん、今日は楽しかった?」
 随分と話が逸れたけど、楽しそうな今の彼女の雰囲気に水を差すようなことをしたいとも思わなかった。
 「うん、楽しかったよ」
 「そっかぁ、良かった! じゃあ明日の約束してもいい?」
 「明日もデートするの?」
 「もっちろん。だって私たちお盆限定の恋人関係なんだよ」
 「まぁ、そうだけど」
 「明日は定番のデートスポットに行こうと思って。由紀夫さんのファンの川端くんならわかるよね」
 僕ならわかる?由紀夫さんの……あっ。そういえばこの夏は由紀夫さんの作品『透明な恋』の映画があるんだ。友だちと行こうと思ってたけどお盆は親戚と過ごすって言ってたから今度行く予定だった。本当はもっと早く観に行きたかったけど。もしかして……。
 「映画館に行くの?」
 そう言うと彼女は正解です、と言わんばかりに笑顔で頷いた。
 『透明な恋』は僕が初めて読んだ由紀夫さんの作品で一番好きなお話。密かに楽しみにしてたその映画を観に行けるなんて。だけど観に行く相手が彼女でも友だちでも楽しさは変わらない気がした。だけど……。
 バスが来て僕が窓際の座席に座った時、笑顔で手を振っている彼女にまた鼓動が速くなるのを感じた。今日何回目のことだろう。やっぱり近いうちに医療機関に受診したほうがいいのかもしれない。
 
 バスに揺られている途中、約束通り今日のことを由紀夫さんに伝えた。デートが楽しかったこと、初めて彼女と手を繋いだこと、彼女といて鼓動が速まることすべてをメールで伝えた。
 すべてが初めての経験で初めての感情だった。初めてだからこそわからない。この感情が何を示すのか。
 ずっと空の上で夏を届けている太陽ならわかるかもしれない。雲に隠れず堂々と僕たちのデートを見ていたのだから。
 感情の正体が知りたくてオレンジ色に染まる窓を見た。だけど当然にも太陽は何も話してくれない。そこら中に漂う巻層雲をクッションにしてただそこで僕を見つめているだけだった。
 ピコン
 『デート楽しかったんだね。康成くんはもう立派な青春してるよ。現実で恋愛をするのってドキドキするよね。自分もそうだったなぁ。康成くんが現実を楽しんでくれてるの嬉しいな。明日のデートも楽しめるといいね』
 由紀夫さんも恋愛してたんだな。きっと由紀夫さんのことだから、恋愛経験も豊富なんだろうな。そんな経験を生かして由紀夫さんは小説を書いているのかもしれない。
 それにしても、どうして鼓動が速くなったり、頬が赤くなったりするのだろうか。それも彼女といる時に。
 正直、何もわからない。だけど一つだけわかることがあるとすれば、彼女と過ごしたどの時間も楽かったと思えていることだった。