「美咲は、好きな人いる?」


 (かおり)はそう言うと、前髪を指先で触った。

 香は学校内で生き抜くためのこれと言った能力は持ち合わせていない。学内のヒエラルキーのなかで、上位に君臨できるような人間では決してないが、どこか憎めない部分があるおかげで、誰かに嫌われている様子はない。


「いるよ」


「誰? どんな人?」


「貴史」


「この学校の人?」


「違うよ。お兄ちゃん」


「お兄ちゃん? どこのお兄ちゃん? 近所のお兄ちゃん? 従兄のお兄ちゃん? それとも……」


「義理の兄だよ」


 わたしは香の会話を遮って言った。

 香は大きく開けていた口を閉じ、目を少し丸くした。


「ふーん」


 とだけ言い、香はわたしの元を離れ、他のクラスメイトに、恋愛の話題を持ちかけていた。  


 わたしは香の後ろ姿に向けて心のなかで呟いた。


『わたしが誰を好きだって、あなたには関係ないでしょう』と。


 香は中学に入学してからできた友達だ。正確には友達と呼べないかもしれない。


「私たち、友達だよね?」


 香がいつも一方的にそう言ってくる。


「うん……そうだね」


 わたしは曖昧に頷くだけ。

 香は笑うと左の頬にだけえくぼができる。目は一重だが、ぽってりとした唇をしていて、そこだけやけに艶っぽい。笑うとその唇から色の悪い歯茎がのぞき、アンバランスな感じがする。その唇を意識的に見ている男子が数名いることは知っている。


「美咲は髪を明るくして、少しメイクをしたら、すごくかわいくなるのに」


 香はよくわたしにそう言ってくる。

 わたしは、周りからどう見られているかあまり興味がない。いつも適当に受け流している。

 香と初めて話したのは、入学してから二カ月ほど経った頃だと思う。わたしは、勉強はできるほうだった。いつも、貴史に教えてもらっているおかげだろう。

 授業中に、よく問題を先生にあてられていた。その日も、数学の授業中に問題をあてられ、すぐに答えた。

 授業が終わり、休み時間に香が話しかけてきた。


「ねえ、神代(かみしろ)さん。勉強を教えてよ。私、勉強苦手なんだー。もう少しで、テストだから、一緒に勉強しない?」


「いいよ」


 わたしは一瞬彼女の顔から視線を外して答えた。

 小学生のときは、友達なんていなかった。
女子がグループを作って話をしているときも、ひとり椅子に座り、外の景色を眺めていた。

 わたしには、貴史との世界がすべてだった。

 初めは何を話していいのかわからなかったが、いつも話しかけてくるのは香のほうからだった。わたしは、ただ頷くだけ。誰かに自分の存在を認識してもらえるのは、嫌な気分ではなかった。

 貴史に求められる感覚とは、違う心地よさがあった。

 香とは色んな場所に遊びに行った。カラオケ。ボーリング。ゲームセンター。ファストフード店。なかでも、ゲームセンターでプリクラを撮ったことは印象に残っている。わたしが硬い表情をしていると、香が変顔で笑わせてくれた。できあがったプリクラを見て、二人で周りの目も気にせず大笑いした。

 わたしが誰かの前で人目も気にせず笑ったのは、はじめてだったかもしれない。