多田野くんがいない。

 この環境は当たり前のことなのに、いつの間にか、当然のことだと思っている自分がいた。

 わたしは深呼吸をした。今の自分を落ちつかせるために。

 校門を出るまで、わたしの視線は定まらなかった。

 どこかに多田野くんが隠れているのではないか、そんなことあり得ないのに。

 わかっている。 

 わたしが沙希ちゃんに迷惑をかけたからだ。

 校門を出ても、気持ちは落ち着かなかった。

 わたしはひとりがこんなに心細いものなんだと、あらためて感じた。 

 とぼとぼ歩いていると、ふいにバイクの音がした気がした。

 思わず、身を縮める。

 先日の窃盗事件を体は忘れていなかった。

 急に恐怖心に体を縛られた。

 息苦しく感じ始め、おもりをつけたように踏み出す足が重たい。

 わたしは目をつぶり、思考を遮断したけれど、バイクの音だけは消し去ることができない。 

 多田野君――。

 自分でも驚いた。

 こんなときにでも、多田野君のことを考えるなんて。

 でも、彼のことを思うと波打っていた心が凪いだ。

 ほんとはわかっていた。

 気づかないふりをしていただけだ。

 わたしは、多田野君に、恋をしている。

 認めた瞬間に頬を涙が伝った。

 わたしはその場にしゃがみこんだ。

 バイクの音は消えなかったけれど、彼のことを想うと息苦しさは感じなくなった。

 勇気を出して目を開けると、そこにはいつも通りの景色が広がっていた。

 わたしは、よし、と心の中でつぶやいた。

 ゆっくりと立ち上がり、また歩き始めた、そのときだった。

 ひときわ大きなバイクの音が背後から聞こえてきた。

 その音は確実にわたしめがけて近づいてくる。

 わたしは身の危険を感じ、体を翻した。

 視界に先日と同じバイクを認めた。

 その瞬間に、体が委縮してしまい、身動きが取れなくなってしまった。

 バイクは瞬く間に、わたしとの距離をつめた。

 わたしは恐怖のあまり、また目をつぶってしまった。

 その直後に、後ろから突然、誰かに抱き留められた。

 急いで目を開けると、そこには、いないはずの彼がいた。

 多田野君だった。

「多田野君!」

 わたしは思わず彼の名前を呼んだ。

「大丈夫か? 岩伏」

「う、うん……。でも、どうして多田野君が?」

「どうしてって……。岩伏のことが心配だったからに決まってる」

「でも、沙希ちゃんは?」

「今は沙希のことは関係ない。俺が岩伏を守りたいからこうしてる」

「……あっ、ありがとう」

 わたしは紅潮した頬のまま言った。

「どういたしまして」

 彼は目を細めて言った。

 バイクはいつの間にか、視界から消え去っていた。