その日の夜。沙希ちゃんから電話がかかってきた。

 わたしはそのとき、趣味のイラストを描いていた。あくまでも趣味で、プロを目指そうなんて考えたこともない。

「聡美。賢人は役に立ってる?」

 それが彼女の第一声だった。

「う、うん。いつも家の前まで送ってくれてるよ」

 わたしは平静を装って返事をしたつもりだけれど、声がうわずった気がした。

「そっかそっか。賢人もたまには役に立つんだね。私といるときなんて、ほんとにつまらない男なの。まあ、あのビジュアルじゃなきゃ、私の隣は歩かせられないけど」

 沙希ちゃんはその後も、多田野君についてのことを笑いながら話していた気がする。

 沙希ちゃんが彼の話をしている間、わたしの心はいままで感じたことのない感情で渦巻いていた。

 渦はどんどん大きくなり、わたしの心をすべて支配しそうになった。わたしは怖くなった。

 机の上に置いてあった手鏡を手にし、自分の顔を映してみた。

 鏡に映っていたのは、ずっと隠していたわたしの本当の顔だった。

 わたしは沙希ちゃんが嫌いだ。

 このとき、はっきりと自覚した。

 彼女は多田野君をアクセサリーとしてしか見ていない。

「ねえ、沙希ちゃん・・・・・・」

「ん? あっ、ごめんね。わたしの話ばっかりして。なになに?」

 わたしはいまの感情をすべて彼女にぶつけてしまおうかと思い、多田野君に話しかけたときとは違う勇気をかき集めた。

 息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 声を出そうとしたときだった。

 ふいに、ずぶ濡れになっても、わたしに笑いかけてくれた彼の顔が思い浮かんだ。

 わたしは我に返った。鼓動が激しい。全身に力が入っている。それに肩で息をしている。

 どうして。

 沙希ちゃんのことは苦手だったけれど、親戚だし、幼い頃、たくさんかわいがってもらったのに。

 そんな彼女を、嫌い、だなんて。

 わたしはひどい人間だ。

 でも、ほんとは自分でも気づいている。

 わたしは多田野君をあんな風に言われたから怒ったのだ。

「聡美? 大丈夫? なにかあったらいつもで言ってね。じゃあ、またね」

 電話が切れた音がした。

 わたしはスマートフォンをベッドの上に投げやり、そのまま倒れ込もうとした。だけど、窓際まで行きカーテンを思い切り開けた。

 空にはいびつな形をした月がぼんやりと浮かんでいた。