「岩伏聡美《いわぶせさとみ》って、あんた?」 

 聞き慣れない声でフルネームを呼ばれたのは、ホームルームが終わり、高校の正門を出てすぐのことだった。

 わたしは彫刻のように一瞬固まった後、恐る恐る振り返った。

 そこにいたのは、多田野賢人(ただのけんと)君だった。

 彼を見たのは二度目だ。正確に言うと、一度目は画面越しだったけれど。彼は、画面のまま通りだ。端正な容姿と均整のとれたスタイルをしている。
 
 たしかに、過半数はイケメンだと思うかもしれないし、彼をブサイクだと言う人は、ただのひがみかひねくれ者かもしれない。

 でも、わたしは、そんな評価を彼にくだせなかった。

 なにせ、彼は、わたしの従姉の彼氏だから。

 わたしにとって、あくまで沙希(さき)ちゃんの彼氏。それ以上でもそれ以下でもない。

 沙希ちゃんは高校三年生で、わたしより二学年上だ。彼は、その沙希ちゃんよりもさらに四つ年上だ。沙希ちゃんからは、大学生だと聞いている。

 わたしは、こういうことか、と心のなかで呟いた。

 高校に入学して、数ヶ月経った頃。

 わたしの通う高校の周辺で立て続けに事件が起きた。窃盗事件だった。狙われたのは女性ばかり。事件が起きる時刻は決まっていた。わたしの通う高校の下校時刻だった。犯人はバイクで追い越しざまに荷物をかっさらっていくのだ。同じ高校の生徒も被害に遭った。

 それを知った沙希ちゃんは、わたしに電話をかけてきてこう言った。

「聡美。私は違う高校だから助けてあげられないけど、最強のボディガードを用意したから安心して」

 沙希ちゃんはそう言うと、わたしが言葉を紡ぐまもなく電話を切った。

 わたしは高校生になったのだから自分の身は自分で守れる、と思ったけれど、沙希ちゃんの厚意を無下にしたくはなかった。

 なにより、最強のボディーガード、という響きに少しだけ胸が躍ったのは事実だ。

 それが、まさか。

 多田野君なんて。

 数ミリも予想していなかった。

「あのさ、いつまでそんな顔してんの?」

「えっ・・・・・・」

 わたしは咄嗟にスマートフォンで自分の顔を確認した。いつも通り、何の特徴もない顔がそこには映っているだけだ。

「沙希から聞いてると思うけど、今日からあんたを自宅まで送ることになったから」

「あっ・・・・・・」

「今度はなに?」

「いえ、なにもないです・・・・・・」

「じゃあ、そういうことで」

 多田野君はそう言うと、わたしに背を向け、さっさと歩き始めた。

 わたしは気持ちの整理ができないまま、彼の大きな背中を追って足を踏み出した。