妄想女子はレベル‪✕‬‪✕‬!? ~学校一のイケメンと秘密の同居をすることになりました♡~



 ーー海を離れてから向かった画材屋で彼は色鉛筆、私は絵の具を購入してから帰宅した。
 早速私は彼の部屋に向かい、椅子に座ってモデルを始めることに。

「ねぇ、似顔絵は私にしたけどタイトルは考えたの?」
「まだ。でも、その人らしさ表現したいと思ってる」
「それはいい案だね! ん〜、メモメモ。似顔絵はその人らしさを表現する」

 私はポケットからスマホを出してメモアプリを開いて入力していく。

「人の案をパクるなよ。……で、お前は誰の似顔絵に?」
「これから考えるところ。(降谷くんと一緒に出かけたいから、さっき参加を決めたなんて言ったら怒られるよね……)でもさ、先日絵を描いてることを内緒にしてって言ってたけど、コンクールに出したらバレちゃうんじゃない?」
「募集要項をちゃんと見なかったの?」
「えっ?」
「公平性を保つために名前は無記名でいいみたいだよ。だから毎年参加してる」
「えっ! 降谷くん、毎年参加してたの? 全然気づかなかった」

 というより、このコンクールに興味がなかったから展示を見に行かなかっただけなんだけどね……。

「無記名だから余計な」
「今年は私がモデルだから降谷くんの作品はすぐにわかるね! 展示が始まったら見に行かないと。私も一票入れるね!」
「ちゃんと他の奴の作品も見ろよ」
「もちろんだよ。降谷くん、将来は画家に?」
「いや、ただの趣味」
「もったいないよ。これだけの実力があるのに」
「よく喋るなぁ……。そろそろ黙ってて。絵に集中したいから」
「はぁ〜い……(だって、こんなにたくさんお話できるチャンスなんて二度とないのに)」

 彼は画用紙に色鉛筆をすべらせた途端、目の色が変わった。
 モデルの私と画用紙を行き来する真剣な眼差し。
 無言の時間。
 集中している目線。
 たまに伏せる長いまつ毛。
 彼の瞳の奥には絵を描く楽しさやワクワク感が詰まっている。それが伝わってくる分、恋の音が止まなくなる。

「ねぇ、絵を描いてる時ってどんな気持ちなの?」
「無心になれるというか、想像の世界に没頭できる。夢中になってる時は嫌なことが全て忘れられるから」
「じゃあ、いまが素の降谷くんなんだね」
「……そ、だから絵を描いてる時は特別」

 彼は唇に人差し指を当ててシッと言う。
 その仕草だけでも胸がキュンっとする。
 私だけを見つめている瞳はこの時間をひとり占めしている証拠に。
 そんなに一生懸命見つめられたら、緊張して体が震えちゃうよ。
 もっともっと好きになっちゃうよ。


 ーー色鉛筆が紙にこすれる音だけが1時間半ほど続いていた。
 息を吐くのも遠慮したくなるくらい、彼は真剣に絵を描いている。
 彼が色鉛筆を置いてから立ち上がったので「もう終わった?」と聞いて私も立ち上がると、彼は先程まで絵を描いていた画用紙を両手に持ってビリビリと破き始めた。

「降谷くん!! どうして絵を破っちゃうの? せっかく描いたのにもったいないよ!」
「……なんか違うなと思って」
「でも、破ることないんじゃない? 気に入らないところに修正を加えれば……」
「別にいい。また一から書き直したいし。あ、もう部屋に帰っていいよ。疲れたから少し休みたいし」
「う、うん……。わかった」

 まだ落ち込んでるのかな。
 そりゃそうだよね。夕方に好きな人が恋人と一緒に目の前を歩いてたんだから。

 私は失恋の傷がチクチクと痛みながら部屋の扉に向かうと……。

「待って」

 彼はポケットから何かを取り出して向けてきたので私は両手のひらを皿にすると、1.5センチ程度の薄ピンク色の貝殻を手渡してきた。
 私はそれをマジマジと眺める。

「これは貝殻?」
「今日のお礼。高台のベンチに座る前に拾ったんだ。なんか、それがお前っぽいなって。小さくて、細くて、頬をピンクにしながら笑っててさ」
「嬉しいっっ!! 一生大事にする!!」

 降谷くんからの二回目のプレゼント。
 一回目は猫の絵。二回目はピンクの貝殻。
 しかも、この可愛らしい貝殻が私っぽいって。
 えへへ、嬉しい……。


 私は部屋に戻ってから5センチほどのコルクの蓋の小瓶に貝殻を入れた。
 机にうつ伏せになり、蓋と底を親指と人差し指でつまんだまま貝殻を眺める。

「んふふふ! この貝殻を拾った時は私のことだけを考えてくれてたんだね。あ、そうだ! これをお守りにして持ち歩こっと。そしたらいつか降谷くんは振り向いてくれるかもしれないね」

 クローゼットから手芸セットを取り出してボールチェーンをつまみ出すと、小瓶のくぼみにボールチェーンを巻いてカバンに装着した。
 指でちょいちょいと小瓶を揺らして状態を確認する。

「装着オッケー! カバンにつけていれば毎日一緒にいられるね。はぁぁぁあ〜〜っ! やっぱり降谷くん最高〜! 大好きぃ〜!!」


 ーーバラ色の同居生活は、残り約3週間。
 さっきは恋愛レベル0って言ってたけど、プレゼントをくれるってことはレベル1くらいに昇格してるよね。
 少しは興味を持ってくれてるよね。

 ……でも、3週間後に彼が家を出ていくと思うと気分が沈む。
 当たり前っていえば、当たり前なんだけど……。
 ううん、いまは忘れよう!
 彼と一緒に暮らしている日々を満喫しよう。
 残り3週間で彼の恋愛レベルがアップするように努力し続けなきゃね。



 ーー同日の夜11時。
 お風呂に出た後に机に向かう。
 降谷くんに似顔絵コンクールに参加すると宣言した以上、描きたくなくても描かなければならなくなった。
 自業自得なのだが、絵が得意じゃない分、このプレッシャーは半端ない。

 まずは下絵と思い、スケッチブックを机の上に用意して鉛筆を握る。

「はぁ〜あ……。誰の似顔絵を描こうかなぁ」

 りんかにモデルを頼んでみる?
 ううん、バイトが忙しいから断られるに決まってる。
 お母さんに頼んでみる?
 ううん、母の日のイラストじゃないんだからそれは嫌。全校生徒に笑われるのがオチでしょ。

 じゃあ……降谷くん?
 あーっ、無理無理! 見つめられてるだけでもキュン死するのに、意図的に見つめるなんて全校生徒に知れたら抹殺されちゃうよ。
 あっ! でもお絵描きくらいならいいかな。
 ちょっと練習程度に。

「降谷くんは〜、金髪で〜、くりっとしたぱっちり二重で〜、ぽってりとしたあひる口……っとぉ。うわっ! そうそう、こんな感じ。そっくり〜。私ったら天才! 隣には私の絵を描いちゃお! あっ、もしかしてこの紙を縦半分に折りたためばお互いの顔が重なってチューできるかも? よぉ〜しっ!! 似顔絵のみつき、待っててねぇ〜。いまから降谷くんの彼女にしてあげるからね!」

 私は鉛筆を滑らせながら自分の似顔絵をリアルかつ美人に仕上げていく。
 降谷くんに見劣りしない女にしてあげようと思いながら、線一本一本に幸せな願いを込めて。


 ーーそれから30分後。

「完成〜〜!! うんうん、二人とも上手に描けてる。美男美女でお似合いカップルじゃん。やだ私ったら絵のセンス抜群じゃないの?」

 クスクスと笑いながら肩を揺らし、スケッチブックから切り離した画用紙を縦半分に折りたたんで、角度がズレないように慎重に念願のチューをさせてみた。

「いやん。二人ったらラブラブぅ〜っ。イラストだけでもハッピーにしてあげなきゃね! ちゅぅ〜うっっ!」

 頭の中がすっかりピンク妄想に染まっていると……。
 突然、トントンとノック音が耳に届いた。
 直後に「みつき、起きてる?」と扉の外から降谷くんの声が!
 その瞬間、冷水を浴びたかのようにサーッと顔面蒼白に。

 まっ、まずい……。
 画用紙のイラストの降谷くんと私がチューしてるところを本人に見られたらドン引きされるよ。
 絶対絶対、見られちゃだめ!
 私は絵を見られないようにその上にうつ伏せになり、目を閉じて寝たフリをした。
 すると、ガチャッとドアノブをひねる音がした後に足音が接近してくる。

「入るよ。さっき買った色鉛筆お前が持ってったっけ? ……あれ、寝てる」

 画材屋で購入して後で渡そうと思っていたオレンジと赤と黄緑の色鉛筆が、袋に入った状態でいま私の隣にある。
 なぜなら私のエコバックに入れてたから。
 さっき描いたばかりのイラストを体の下敷きにしたけど、降谷くんはまさか私を起こしたりしないよね?
 私が起き上がった隙に見られてしまったら恥ずかしくて死んじゃうよ!!

 ドッドッドッドッ……。
 後ろめたい気持ちと恥ずかしさから心臓が狂ったように爆音をたて始めた。
 近づく足音。
 感じる気配。
 恐怖のオンパレードが背筋をゾクゾクと奮い立たせていく。
 起こされた挙げ句に下敷きになってる画用紙に興味を示されたらどうしようかと嫌な妄想が頭の中をぐるぐると駆け巡っている。

 早くっ……、早く色鉛筆を持っていってぇ〜〜っ!!
 心の中で叫びながら彼が部屋を出ていくことを祈り続ける。

 ーーところが、気配が最も接近した時。
 彼は私の毛束をすくってサラッと手ぐしを通した。

「キレーな髪…………。触れた時からずっと思ってたけど」

 呟くような声が聞こえた直後、真隣でカサッという音がしてから気配が消えていき、扉が閉まった。
 彼が部屋から出ていったことを耳で確信し、顔を上げると真隣に置いてあったはずの色鉛筆の袋が消えていた。
 次第に彼の言葉が現実味帯びていくと、体が飛び跳ねたくなるくらい軽くなって、飛び込み台からプールに着水するような勢いで布団にダイブ。

「ひゃあああっっ!! 降谷くんが私の髪を触って『キレーな髪』だってぇぇ。しかも、触れた時からずっと思ってたって!! それって、それって、それってぇ〜!!」

 うつ伏せになって興奮したまま両拳を交互に布団に叩きつけた。

 今日は激動の1日だった。
 でも、今まで一切手に届かなかった降谷くんをより身近に感じた1日でもあった。



「締め切りまであと9日かぁ……。ねぇ、今日は休日だから外で絵を描いてみない?」

 ーー降谷くんが似顔絵を描き始めてから1週間後の日曜日。
 先週はほとんど毎日似顔絵を描いていたけど、描いても破り捨てる状況が続いていたので気分転換に外へ誘った。

「もしかして、どさくさに紛れてデートに誘ってんの?」

 最近、彼は警戒深い。
 その理由は思い当たる節がない。
 私、なんか変なことでも言ったかなぁ。
 全然心当たりがないんだけど。

「ちっ、違うよ。天気がいいから普段よりいい絵が描けるかなって」
「いいよ。お前も絵を描くなら外でも」
「えっ、でも私はまだ誰を描くかを決めてないよ?」
「じゃあ景色でも描いてて。俺はその様子を見ながら描くから」
「それいいね! 私も一方的に見つめられているだけじゃ恥ずかしいからそうしよう!」
「……恥ずかしい? お前が?」
「そっ、そりゃあ好きな人に一方的に見つめられっぱなしじゃ……」

 照れくさくそう言うが、彼は返答などものともせずに外出の準備を始める。

「もぅぅっ!! 人に質問しておいて聞いてないし!」
「ほら、モタモタしてないで早く支度してきて。行くと言ったのはお前だろ」
「降谷く〜ん……」

 ここ1週間で彼と急接近した気がする。
 以前なら、気軽に話しかけるなって突き放してきたのにね。


 ーー場所は、学校より少し手前にある親水公園。
 いまはお昼過ぎということもあり、太陽の日差しがさんさんと降り注いでいる。
 空気はだいぶカラッとしてきたが、まだ夏の暑さが残っていて歩いているだけでも額に汗がにじみ出てくる。
 私たちは遊具がある場所を通り過ぎると、ボールやバドミントンで遊んでいる人たちがいてその間の芝生を歩いて行く。

「どの辺で描く?」
「ここは通学路に近いからあまりひと目につかないところがいいかな」
「どうして〜? 休日だからうちの学校の生徒は通らないよ」
「万が一、俺たちが学校の誰かに見られてデキてるという噂になったらまずいだろ」
「私はぜーーんぜんまずくないよ。むしろ、噂して欲しい。だって、他の女子に負けたくな……」

 と言いかけてる最中、右側を歩いている彼はいきなり私の左肩にまわして体を引き寄せた。
 それがあまりにも唐突だったので気持ちが追いつかない。

「えっ……、ふ……、降谷くん?? どうしたの、いきなり……」

 ドキン……。
 跳ねる心臓にカァッと熱くなる頬。
 彼を間近に感じた瞬間、裸でおひめさま抱っこをしてきたあの日のことを思い出してしまった。
 ところが、彼は顔色一つ変えずに平然とした声で。

「シャトル」
「えっ……」
「向こうからバドミントンのシャトルが飛んできてお前の体にぶつかりそうだったから避けた」

 足元に目を向けるとシャトルが落ちていて、後方から「すみませ〜ん、大丈夫ですかぁ?」との女性の声が。
 振り返ると、子供とバドミントンを楽しんでいる最中と思われる女性が走ってシャトルを取りに来た。

「あ、はい。どうぞ」

 足元のシャトルを拾って渡すと、彼女は「ありがとうございます」と一礼して子供の元へ戻って行く。
 私はそこで彼の配慮に気づかされる。

「降谷くん、ありがとう。シャトルが私の体に当たらないように避けてくれたんだね」
「なに、一瞬変なこと想像しちゃった?」
「えっ?」
「だって、お前はいつも妄想が激しいから」
「もぉぉぉっっ! ちがうよぉぉ〜〜っ!! 変なことなんて考えてないから! ほっ、ほらっっ。早く絵! 絵を描こうよ!!」

 指摘されたとおり、確かに一瞬だけ変なことを考えていたのは言うまでもない。
 照れ隠しでトートバックからスケッチブックを掴んで取り出すと、手元が狂って芝生へ落としてしまい中身が飛び出した。

 ーーところが、ここから別の問題が発生する。

「……ん、スケッチブックの間からなにか落ちたよ?」
「えっ、なにかって?」
「これ、なに?」

 彼は芝生に落ちているスケッチブックと中から飛び出た二つ折りの紙を拾い、それを両手で開く。
 すると、彼はその中のイラストを瞳に映し出した次の瞬間、私の前に紙を突き出す。

「……なにこれ」
「えっ、あっっ!! これはっ!!」

 私は顔面を真っ赤にしながら瞬時に紙を奪い取った。
 彼に見られてしまった絵。
 それは、先日紙の中だけでも私たちを恋人にしてあげようと思って描いたもの。
 しかも、紙は内側に折りっぱなしのままスケッチブックに挟んでいたことをすっかり忘れていた。 

「俺とお前の絵をとなり同士に描くことは構わないけど、どうして縦半分に折りたたんであるの?」
「えっ……(ギクッ)」
「半分に折ったら、お互いの顔同士が重なる……、あっ! お前っ、もしかして……」
「あっ、あっ、あのぅ……それは……」

 とうとうバレたか……。
 紙の中で私たちをキスさせていたことを。

「ぷっはっ!! 俺とお前のイラストを重ねてキスさせるなんて正気? あはははっ!! ってか、お前の頭ん中、小学生レベル!」
「そんなに笑わないでよぉ……。だって、好きな人とキスしたいって思うのはごく自然なことでしょ。なんっていうか……、ただ、それを自然に描いちゃったというか……」
「いいんじゃない?」
「えっ」
「お前らしく妄想丸出しで」
「もうっっ!! 降谷くんのいじわる!」

 うううっ……。恥ずかしすぎて穴があったら入りたい……。
 どうして私、この絵を挟んだまま持ってきちゃったんだろう。
 どうして家を出る前に確認しなかったんだろう。
 後悔しかない。


 ーーそれから私たちは川辺に移動して木陰にレジャーシートを敷いて腰を下ろした。
 私は先ほどのイラストを持ってきてしまったことを後悔したまま、そして彼にニヤニヤと見つめられたまま、時よりプッと吹き出されて罪悪感を背負いながら川辺に絵を書き始めた。
 残念なことに、もうこの時間が地獄で仕方ない。

 鉛筆でデッサンを始めたけど、1時間くらい描いてたらいい感じに仕上がってきている。
 ふと彼の絵に目を向けると、こちらも輪郭を描き終えて他の色を追加しているところだった。
 相変わらず完成度は高い。パーツひとつひとつに命が宿ってるかのよう。正直私の絵と見比べるまでもない。
 SNSで発信すれば絶対にバズるのになぁ。

「降谷くんの絵をたくさんの人に見て欲しいな。今回は私がモデルだからちょっと恥ずかしいけどね」
「コンクールは匿名だから誰が描いたかわからないよ」
「それでもいい。顔が見えない分、実力を見てもらえるから。降谷くんの色は降谷くんしか持ってないし」

 降谷くんが描いた猫の絵を貰ってから毎日思っていた。
 趣味にしたままじゃ勿体ないと。
 もっとたくさんの人に見てもらって実力を評価してもらえればいいなって思ってる。
 
 すると、彼は穏やかな目を向け。

「……俺の実力を認めてくれんの、お前だけ」
「え?」
「そーゆーの、すげぇ嬉しい。ありがとう」

 お互いの目線がつながった瞬間から私の鼓動は早くなっていった。

 降谷くんと一緒に暮らすようになってから”好き”の右肩上がりが止まらない。
 彼を知れば知るほど欲深くなっていくだけ。たとえ好きな人のことが忘れられなくても傍にいたいって想っている。


 ーーしかし、それから数日後。
 さちかさんを忘れようと少しずつ努力を重ねている彼に、心が揺さぶられる事件が待ち受けていた。



 ーー9月27日。
 校内似顔絵コンクールの絵の締切日まで、残り3日。

 放課後、職員室へ出向いて5日間かけて描いた絵を提出した。
 結局降谷くんにモデルを頼めなかったから、日々の思い出を巡って描き上げた。
 だから、完成度はそれなりに。
 以前、降谷くんに『その人を描きたいなら本人に直接頼めばいいのに』とか、『こんなに平ったい写真じゃパーツの立体感や人間の温かみが感じられない絵になっちゃうよ』なんて偉そうに言ってたくせにね。

 一方の降谷くんは、先日描いていた絵に少し納得がいったようで一人で描き続けることに。
 そのせいで、二人で公園に行った日がモデルの最終日になった。
 降谷くんの部屋に入る機会を失ったからちょっと残念だけど、完成まで集中して描いて欲しいから素直に身を引いた。
 まぁ、そのお陰で自作に取り組むことができたんだけどね。


 ――そして、いまは高校からの下校中。
 びゅうびゅうと風が吹いて今にも雨が降りそうなほど曇り空の中、先日降谷くんと一緒に絵を描きに行った公園付近の橋を歩いていると……。

「うわぁぁぁ〜〜。やっべぇぇ!!」

 小さな子どもの叫び声が橋の下から聞こえてきた。
 髪と服をはためかせながら目線を下ろすと、川には黄色い校帽らしきものが流れている。
 しかも、そのすぐ傍には小学校低学年くらいの男の子が川へ入ろうとして靴を脱ぎ始めた。

 ……もしかして、自分で帽子を取りに行こうとしてるのかな。だとしたら川の流れが早いから危険。早く止めに入らなきゃ!
 昨晩雨が降ったせいか、普段より水位が上がっているし流れも早い。
 万が一、川の水に足を取られてしまったら溺れてしまう可能性もある。

 男の子が川に入るのを止めるために川辺の斜面を駆け下りて、持っていた学生カバンを岸辺に放り投げて男の子の元に向かった。

「ちょっと、僕! 危険だから川に入らないで! いま流れが早くなってるから危ないよ」
「だって、早く帽子を取らなきゃもっと奥に流されちゃう!!」
「大丈夫、お姉ちゃんが取ってあげるからそこで待ってて」

 私が川に到着した時は、岸から2メートルほど先の島になっているところに積み重なっている流木に帽子が引っかかっていた。
 その場所なら棒を拾って伸ばせば届くと思って、少し長めの棒を探して近くで拾う。
 川岸で靴を脱いで川の中に足を進ませて、手と棒を思いっきり伸ばし、棒の先端に帽子に引っ掛けてから手前に引いた。

「やったぁ! ……僕、帽子取れたよ!」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
「もう手放しちゃだめだよ?」
「うん!」

 私は男の子に帽子を返すと、彼は元気よく走って川から離れていった。
 やれやれと思い、カバンから出したハンドタオルで足を拭いて靴を履き、自分も帰ろうとして先ほど手放したカバンを取りに行くと、カバンにぶら下げていたあるものが消えていることが判明する。

「あ、あれ……。降谷くんからもらった貝殻が入ってる小瓶がカバンから外れてる。ど……どうしよう」

 ショックでサーッと血の気が引いていく。
 大切な宝物だから毎日持ち歩いていたのに……。

「……ううん、迷ってる暇はない。一刻でも早く探さなきゃ!!」

 私はカバンを置いていた周辺を探した。
 でも、ゴミや枯れ葉が重なっていてかき分けてみてもすぐには見つからない。
 もしかして、ここへ来る途中に落とした? と思って橋から来た道を辿ってみたが、落ちてる様子はない。

「じゃあ、カバンを放り投げた時に川へ……」

 呆然としたまま目線を川に向けると、水の流れは更に勢いを増していた。
 次第にポツッと一粒頬に雨があたる。

「雨……、降ってきちゃった。大雨になる前に探さないと……」

 天気予報では夕方から大雨になると言っていた。
 だから迷ってる暇なんてない。
 雨に降られてしまったら、視界は悪くなるし、水の勢いは更に増していくのがわかっている。

 私は再び靴を脱いで川に足を浸らせた。
 気焦りしているせいか、水温なんて気にならない。
 少し灰色に濁っている川の中に何度も何度も手を突っ込みながら足を進ませて小瓶を探す。

 見つからない。
 でも、今日中に見つけなきゃいけない。
 あれは降谷くんからもらった大切な宝物。
 プレゼントしてもらった瞬間から一生大切にするって決めたんだから!

 ツルッ……。
「きゃっ……」
 バッシャーーーン!!

 苔が生えている石に足を乗せた瞬間滑ってしまい、おしりから転落。スカートが全て水に浸った。そのせいで下着も全部ビショビショに。
 でも、気持ち悪いとか思う以前に降谷くんに申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。
 そして、後悔の嵐に巻き込まれていき……。

「……うっ……ううっ…………ぐすっ……降谷……くん……。ごめんな……さい……」

 髪やワイシャツは糊で貼り付けられたようにぺったりと張り付いていたまま。
 フラフラと立ち上がって再び川の中を探す。
 ……すると。

 バシャバシャバシャ……。
「お前、こんなところで何やってんだよ!」

 力強い手でバシッと腕を掴まれてから聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえたので振り返ると、そこには降谷くんの姿が。
 しかも、顔は見たことがないくらい眉がつり上がっている。

「降谷くん……。どうしてここに……」
「橋の上からお前を見かけたから。こんな濁流の中にいたら溺れて死ぬぞ!」
「だって……。降谷くんからもらった貝殻を小さな小瓶に入れてボールチェーンで学生カバンにつけてたんだけど、さっきこの辺に落としちゃったの。ここなくしたことはわかってるんだけど、全然見つからなくて……。だから、川の中かなと思って探してた」
「バカ! 溺れたらどうするんだよ」
「でも、大切な宝物だから絶対取り返したいの。降谷くんが私にプレゼントしてくれたものだから……」
「あのな! その辺に落ちてた貝殻なのに頑張って探す必要なんてない。お前の命の方が大事なんだよ」

 彼はそう言うと、私の手を引き寄せて力強く抱きしめた。
 しかし、普段なら大喜びしたいくらい嬉しいはずなのに、体温が奪われて衰弱しはじめている体は少し反応が鈍くなっている。

「降谷……くん……。抱きしめたら降谷くんが濡れちゃうよ」
「バカ……。そんな貝殻諦めろよ」
「嫌だ。だって、降谷くんからしたらその辺に落ちてる貝殻かもしれないけど、私にとっては降谷くんからもらった特別なプレゼントなんだよ。もらった時はすごく嬉しかったんだから」
「みつき……」
「一生大切にしようって心に誓ったの。だから、今日中に絶対見つける。今度こそは二度と落とさないように、もっともっと大事にするから」

 瞳から燃えそうなくらい熱いものが滴っていく。
 恋しくて、恋しくて、恋しくて……。
 こんなに残酷な日が訪れるとわかっているなら、もっともっと慎重に行動するんだった。

 彼は私の両肩を掴んで離れると、目の高さを合わせて言った。

「……そんなに、俺のことが好き?」

 私の答えは一つしかない。
 だから、こくんと頷く。

「以前も伝えたけど、高校受験日に消しゴムを半分わけてもらったあの瞬間からずっと好きだった。降谷くんからしたら、思い出に残らないような出来事だったかもしれないけど、私は感謝してた。同じ学校に通えるといいな。もし、もう一度会えたらこの想いを伝えようって心に誓っていたから」
「……」
「でも、残念ながら私の恋は一方通行。5回もフラれたから諦めなきゃいけないのに諦められないの。だからね、あの時もらった貝殻は命を賭けてもいいくらい大切な……」

 と充血している目で伝えてる最中。
 プルルルル……。
 降谷くんのスマホが鳴った。彼はポケットに手を突っ込んで電話に出ると。

「さちか……、え! ……なに、いま泣いてんの?」

 このタイミングでさちかさんから電話がかかってきた。
 それだけでも胸が引き裂かれそうなのに、彼女を心配する声が私のハートを切り裂いていく。
 彼は電話を切ると、私を川岸に連れて行き、学生カバンを拾って私の手へ。

「ごめん。……行かなきゃいけないところがある。お前はちゃんと家に帰れよ」
「えっ……」
「帰らなかったら許さないからな。いいな」

 彼は暗い顔をしたままそう言い残すと、背中を向けて川辺の斜面をかけ上っていった。

「やだっ!! 行かないで……」

 悔しくて本音が漏れる。
 これが迷惑だとわかっていても、大切なものを失ったばかりで恋しさが止まらなくなっていたから。

 すると、彼は一度振り返り、切ない目で私を見つめる。
 でも、戻ることはなく彼女の元へ向かっていった。

 想っても、想っても、届くことのない恋。
 私はこのまま一生片想いなのかな……。
 降谷くんのことが大好きなのに、どんなに頑張っても全然伝わらないや。



 ーー結局、彼に言われた通り小瓶を探すのを諦めて帰宅した。
 顎から滴る雫。
 これが雨なのか、涙なのかわからない。

 母は玄関にバスタオルを持ってきて私を拭き始めた。

「傘持っていかなかったの?」
「……うん」
「バカねぇ。こんなに体が濡れちゃったら風邪引いちゃうわよ」
「お母さん、今日は仕事を早くあがったの?」
「うん。涼くんが『みつきの体がびしょ濡れだから心配だ』ってメッセージをくれたから、職場からすっ飛んで帰ってきたのよ」
「降谷くんがお母さんに連絡を……」

 間接的に受け取る優しさですらいまは辛い。
 すでに6回目の失恋が確定してしまっているから。

「あっ、そうだ。さっきね、涼くんからメッセージが来た直後に涼くんのお母さんから電話があってね。さっき自宅に戻ったから、明日涼に帰らせるように伝えたって言ってたわよ。明日は土曜日だから荷造りも焦らなくていいしね」
「えっ……。降谷くん、もう家に帰っちゃうの? だって、約束は10月5日までだって……」
「当初はその予定だったんだけどね。早くこっちに戻ってこれたし、これ以上私たちに迷惑かけたくないからって言ってたわ。うちなら別に気にしなくていいのにねぇ〜」
「……」

 降谷くんが1週間以上も早く帰るなんて思わなかった。
 失恋だけでも胸が苦しいのに、一緒に暮らすのは今日で最後だなんて……。

 幸せなはずだった同居生活は、幸せになれないうちに幕を閉じることになった。
 2人だけの秘密を持って、ケンカしながらもお互いの距離を縮めていって、楽しく笑い会える仲になったのに。
 一緒に暮らしている間に恋愛レベルが上がってくれると思っていたのに。

「うあああぁぁあ……あん……。そんなの無理……。世界で一番私が降谷くんのことを好きなんだから……あっ……、うぁぁあああん……」

 声が掠れるまで想いを吐き出して、温かい湯船に浸かりながら今日までのことを振り返っていた。
 たった4週間弱の滞在だったけど、無愛想な顔でうちに現れたあの日から数え切れないほどの思い出が蘇ってくる。

 学校で母が作ったお弁当箱を届けようとしたら「要らない」と言われて振り払われてしまって、
 用事がある時は電話してって言われて電話番号を教えてもらって、
 彼の部屋に侵入した時にお姫様抱っこで扉の外に追い出されて、
 登校中の生徒たちがいる前で忘れ物のジャージを渡してくれて、
 ゴキブリが苦手なことを誰にも言うなよってふてくされた顔で言われて、
 さちかさんが忘れられないから二人で海に行って不満を叫んで、
 海の高台のベンチに座る前に拾ったからと言ってピンクの貝殻をプレゼントしてくれて、
 机で寝たフリをしている私の髪に触れて「キレーな髪」と呟いてて、
 降谷くんからもらった貝殻入りの小瓶を無くして探していたら私を心配して川から引き上げてくれた。

 毎日が宝物で、布団の中で明日が早くくればいいのにと願いながら眠りについていた。
 でも、そんな毎日は今日で終わりに。
 そして、叶わぬ恋もここで終止符を打つことに。


 ーー夜の11時。
 洗面所で歯磨きをしていると、玄関から母の叫び声が聞こえた。
 なにごとかと思い、コップの水で口をゆすいでから洗面所の扉越しに耳をすませる。

「あら大変! 涼くん、全身ずぶ濡れじゃない」
「傘持ってなかったんで」
「みつきの心配ばかりして自分の心配はしなかったの?」
「……」
「みつきがそろそろ洗面所から出てくるはずだから、出てきたらお風呂に入ってね」
「あ、はい……」

 私がこのタイミングで洗面所から出てくると、彼は玄関からそのまま私のとなりへ。
 でも、いまの心境のまま彼の顔を見ることができない。

「みつき、あのさ……さっきの件だけど」
「良かったね」
「えっ」
「さちかさんの所へ行ってきたんでしょ。泣いてたから慰めてあげたの?」
「……」
「それに、明日家に戻るんだってね。さっきお母さんから聞いたの。もうこれ以上私から迷惑を被らなくていいから良かったね」
「みつきっ、それは……」
「私は叩かれてもめげないど根性女だからさ。ぜぇ〜んぜん気にしなくていいんだよ。……今までつきまとってごめんね。バイバイ」

 暗い声のままそう伝え、耳を塞ぐように走って部屋に向かった。


 私は弱者だ。
 いまは本音を伝えることすら辛くなっている。
 降谷くんがさちかさんを選んだ時点で小さな希望は消えた。
 何もかもが恨めしくなるなるほど、降谷くんが好き。
 この想いがコントロールできない分、嫌な自分を演じるしかなくなってしまった。

「みつきっ!!」

 パタンと扉を閉めると同時に彼の叫び声が届く。
 いまは名前を聞くだけでも胸が切り裂かれそうな想いだ。
 扉に背中を当てると、スーッと流れるようにおしりを床に落とした。

「うあっ……うあぁぁぁあん……。ふうぁあああぁ……ん……ひっく……」

 ……これでいい。
 降谷くんをどんなに想っても、私の気持ちなんて届かないから。

 手で顔を覆い、ここ数時間溜め込んでいた心の蛇口を開放させた。
 そしたら、自分でもびっくりするくらい恋しさの荒波に溺れていく。



 ーー場所は教室。
 放課後を迎えて教室から出ていく生徒を横目に机の前でリュックを背負うと、焼津が陽気な様子で俺の肩を組んできた。

「涼〜っ! 一緒に帰ろうぜ」
「ちょっと寄るところがあるから無理。先帰ってて」
「え、なになに? どこ行くの〜?」
「似顔絵コンクールの絵が10月1日の今日展示だから、いまから体育館に見に行こうと思って」
「え、なにお前。似顔絵コンクールに参加したの? すごくね?」
「賞品のワイヤレスイヤホン目当てだよ」

 焼津は俺が絵を描いてることを知らないから嘘をついた。
 本当はコンクールを機に色んな人の目で絵の実力を認めてもらいたかった。

「なぁ〜んだ、俺も参加すればよかった。似顔絵コンクールのことなんてすっかり忘れてた」
「お前の画力じゃ無理だよ」
「は? なんだよそれ。お、おい……ちょ、ちょっと待って。俺も一緒に見に行く」

 俺たちは教室を出ると、そのまままっすぐ体育館へ。


 ーー3日前の午前中。
 両親が出張から戻ってきたので4週間近くお世話になったみつきの家を出た。
 みつきの家にお世話になった時は色々面倒なことがあって先行き見えなかったけど、あいつのお陰で自信を出すことができたし、気持ちにケリをつけることができたのに、帰りぎわに『いままでありがとう』と伝えられなかった。
 家を出る前日の夜に、扉越しに聞こえてきたむせび声がいまでも頭の中にまとわりついている。

「……人に好かれるって、なんか不自由だよな」
「お前がそんなことを言うなんて、なにかあった?」
「女って難しい。笑ったり、泣いたり、本音を隠したりさ……」

 あいつの家を出る前に伝えたいことがたくさんあった。
 でも、どうすれば伝わるかな……とじっくり考えていたら、結局最後まで伝えられなかった。
 さちかに想いを伝えられなかったあの頃と同じように。

「誰のこと言ってんの?」
「……別に。一般的な話」
「お前が女の話をするなんて珍しい〜。まさか、好きな人でも?」
「うっせ」

 体育館の手前に到着すると、扉付近に出入りする生徒が多く見られる。
 その合間をぬって焼津と中へ。
 賞品目当てで参加する生徒が多い似顔絵コンクール。
 全校生徒のおよそ5分の1は参加してると思われる。だから投票しに来る人も多い。
 体育館の壁にはびっしりと絵が敷き詰められていた。
 その正面には投票用紙をもった生徒たち。
 コンクールは無記名で参加できるので、ほとんどの人が自分に一票入れていると思われる。

 俺の絵は左から四列目の真ん中に貼られていた。
 周りには軽く人だかりができていて、「上手じゃない? この絵」「あーっ、本当だ!」と、噂の声が耳に届く。

「うっわぁ、涼! 見てみろよ。みんなが噂している絵はレベチだよ! すげぇな。あの絵は塚越さん本人そのものだよ」
「……」

 焼津がテンション高く指をさしているのは俺が描いた絵。
 自分でも納得いく作品に仕上がっている。

 絵を提出したのは提出日ギリギリの昨日。
 前日徹夜で描き終えたばかり。
 みつきにモデルを頼んでから毎日のように描かせてもらったけど、納得いくものが描けずに何度も何度も破り捨てた。
 特に3日前は絶望的だった。
 画用紙は真っ白のままな上にあいつの心の中が土砂降りだったから。
 土曜日に自宅に戻ってから、あいつを思い浮かべながら新たに描き始めた。
 モデルは目の前にいないし、写真がない状態で挑んだから、立体感や人間の温かみを感じられなくなってしまったかもしれないけど、あいつらしさを存分に表現したかった。

「ねぇねぇ、レベチな色鉛筆画の隣の絵……。あれって、モデルはお前じゃね?」

 焼津が俺の肩に手を乗せて絵に指をさす。
 言われた通り隣の絵に目を向けると、そこには俺の似顔絵が描かれていた。

「これって偶然? ……それとも、必然?」

 焼津はニヤケ眼でそう言うと、肩を2回叩いてから体育館の扉の方に向かって歩き始めた。
 なぜあいつがそんなことを言ったかというと、絵の下のエントリーナンバーの横に書かれたタイトルがとなり同士で共通していたから。



「先生、遅くなってすみませんでした!」
「塚越さん、次は提出日に間に合うようにね」
「あ、はい……。気をつけます」

 昨日数学のノート提出があったにもかかわらずノートを持ってくるのを忘れてしまったので、この放課後の時間を使って職員室まで提出しに行った。
 職員室の扉を出ると、廊下ですれ違った女子二人の噂話が耳に届く。

「ねぇ、見た見た? 似顔絵コンクールの絵」
「一つだけプロのような作品あったね。美術部の人が描いた作品かなぁ」
「あったあった、色鉛筆画のやつね! あまりにも繊細なタッチだったから、一瞬写真かと思ったよ」

 ……あ、そっか。
 今日は似顔絵コンクールの絵の展示日だったね。
 降谷くんが家を出ていったあの日から大切なことを忘れてしまうくらい気持ちは下降していたからすっかり忘れてたよ。
 私の似顔絵はどんな風に仕上がったのかな。
 何枚も何枚も書き直してたから納得がいく作品に仕上がったのかな。
 最後はどんな気持ちで仕上げたのかな……。

 私は教室に向かっていた足をUターンさせて体育館へ向かった。

 到着すると、体育館内は生徒たちの声で賑わっている。
 入口のすぐ横にある投票用紙と鉛筆を手に取って中へ足を進めた。
 壁一面に貼られている絵の中から降谷くんの作品を探すのは大変だ。
 でも、私の絵を描いていたから、その分見つけやすいかもね。

 ざっと辺りを見回しても50人ほどの生徒たちが絵を眺めている。
 スマホをかざして絵の写真を撮影したり、「誰に投票する?」などといった相談をしあったり。
 会場は大いに盛り上がっていて、少し奥の方に行ってみると一か所だけ人集りができていた。
 みんなは同じ方向を見ているから、もしかして……と思って傍に寄ってみると、そこには予想通り色鉛筆画で描かれている私の似顔絵が。

 それが瞳に映った瞬間、言葉を失った。
 何故ならその絵には、モデルをしていた頃に一度も描かせたことのない笑顔の自分だったから。

「う……そ……」

 彼は以前言っていた。
 絵はその人らしさを表現したいと。
 もしそれが本音だとしたら、彼の中の私は笑顔で溢れていたのかな。  
 それに、貝殻をプレゼントしてくれた時に言ってた。

『これは貝殻?』
『今日のお礼。高台のベンチに座る前に拾ったんだ。なんか、それがお前っぽいなって。小さくて、細くて、頬をピンクにしながら笑っててさ』

 降谷くんはうちで一緒に暮らし始めてから私のことをしっかり見ててくれた。
 ずっと遠い存在だと思ってたけど、絶対に手に届かない人だって思ってたけど。
 私が見ていないところで書き直した絵は、彼の心の中の模写に過ぎない。
 それなのに、私は彼の気持ちも考えずにヤキモチに打ち勝てなかった。

 絵を眺めてるだけで恋しさは募っていく。
 しかし、絵の下に貼られているエントリーナンバーの横のタイトルを見た瞬間、瞳に溜まっていた雫が一直線に降下した。

「汚いよ……。こんなやり方……」

 ーー私、やっぱり降谷くんが好き。
 冷たくてもいい、意地悪でもいい。
 消しゴムを半分くれたあの日から運命の選択は間違ってなかった。
 好きな人はやっぱり降谷くんじゃなきゃ嫌っ!!
 

 心が1つに決まった瞬間、先ほどまで棒のように佇んでいた足は体育館を全力で駆け抜けていた。
 校舎の中に入り、前髪が風で煽られながらも足に全身の力を込めて彼の教室に向かう。

「はぁっ……、はぁっ……、すみません、そこを通して下さい!!」

 一心不乱のまま走って、廊下に残っている生徒の間をするりと抜けて、降谷くんの教室を目指した。
 ところが、教室に到着し、足に急ブレーキをかけてから後方扉に手をかけて中を覗き込むと、教室内には女子二人だけしか残っていない。
 はぁはぁと乱れている息を整えながら、一旦頭の中を整理する。

 降谷くん、もう帰っちゃったのかな。
 絵を描いてくれたお礼を言いたかったのに。
 感想を伝えたかったのに。
 いますぐ伝えたいことがあったのに……。

 


 ーー学校を出てから海へ行った。
 その理由は、降谷くんに伝えたい気持ちをいますぐ海に向かって吐き出したかったから。
 本当は降谷くんに電話をかけようかなと思ってスマホを出したけど、私が聞きたいのはスピーカー越しの声じゃないからそれはやめた。

 右側から夕日を浴びたまま砂浜にカバンを置いて、海水がかかるぎりぎりのところへ行き、両手をメガホンのようにして大きく息を吸った。

「降谷くんのばかぁぁああ!! 私がモデルをしていた時は笑顔の似顔絵なんて一度も描かかなかったのにぃぃ……。しかも、似顔絵のタイトルにレベル2ってなによーーっ!! それは気になる人って前向きに捉えていいってことなの? 少し前に聞いたらレベル0だって言ってくせにぃぃぃ! 気持ちを伝えても全然振り向いてくれないし、お弁当箱を払い除けちゃうくらい冷たいし、未だにさちかさんが気になってるし、私のことなんて眼中になさそうな素振りをしていたくせに、急にそんなことを書かれても気持ちが追いつけないよぉぉおお!! 降谷くんのバカバカバカバカーー! 私、本気で降谷くんの彼女になりたいんだからぁぁああ!!」

 叫び終わってふぅと大きなため息をついてると、5秒も経たずにうしろから……。

「それがお前の不満?」

 降谷くんの声を浴びたので振り返ると、彼はリュックを背負ったまますぐうしろに立っていた。

「……ふっ、降谷くん。どうしてそこに?」
「お前と同じ。海に不満を叫びに来ただけ」
「不満って……?」
「コンクールの締め切りが迫ってんのに、お前が避けるからいい絵が描けなかったじゃん」
「だって、川で小瓶を探していたあの時に降谷くんはさちかさんから電話がかかってきて行っちゃったじゃない。だから、悔しくなって……」

 あの日のことを思い出しながら唇をぎゅっと噛みしめていると、彼はスラックスの右ポケットに手を突っ込みながら言った。

「行ってないよ」
「えっ?」
「やめたんだ。さちかのところに行くのを」
「どうして……」

 彼はポケットからなにかを取り出したあと、私の正面に立って首の後ろに手を回す。
 私はそのなにかの重みを首や鎖骨に感じながらも胸をドキドキさせる。
 一連の作業が終わると彼は一旦離れて、私はそのなにか確認するために目線を落とすと、胸元にはあの日川で消えた小瓶がネックレスとしてぶら下がっていた。

「これは……私が探していた……」
「そ。お前のネックレス。ここ()で貝殻をあげたあの日から大切にしてくれてたんだよね」
「探してくれたんだ。嬉しい……」
「あの日、お前と別れてからさちかのところに行こうと思ってたけど、お前の涙が足を引き止めてた。ここで適当に拾った貝殻を一生の宝物にするくらい俺を想ってくれてるのが伝わったから小瓶を探しに戻ったんだ」
「えっ。あの日は大雨で川は増水してたのに、私の為に……。だから夜遅くびしょ濡れのまま帰ってきて……」

 あの日、彼はさちかさんの元へ向かっていると思っていた。
 でも、それがまさかさちかさんのところへ行かず、大雨の中、川に入って小瓶を探していたなんて……。

「それを探している間、どうしてこんな気持ちになったのか考えてたら、知らないうちにお前の笑顔に励まされてたんだって気づいてね。お前んちに世話になった時は恋愛レベル0で、この海で不満を吐き出せと言われた時はレベル1で、川でその小瓶をなくしたと言われた時はレベル2。ひとつ屋根の下で生活しているうちに、気づけばお前への関心が右肩上がりになっていた」
「……っ」
「だから、それを伝えようと思ったんだ。……俺は俺のやり方でね」

 彼は温かい眼差しでそう言うと、私の右手を握った。
 初めて繋がり合う、彼の大きな手。
 いつか握ってもらいたいなぁと思っていたけど、それがいまこの瞬間だなんて……。


 降谷くんは学校一のイケメンで超がつくほどモテモテなのに、気持ちの伝え方はとても不器用。
 しかも、恋愛レベルは3じゃなくて、その手前の2。
 私は気になる人止まりに。

 う〜ん、残念。
 ……だけど、本音を言うと最高に嬉しい!!




 体育館の壁にとなり同士で並べられた私と彼の似顔絵。
 そこには、絵のタイトルがレベル3の笑顔の彼と、レベル2の笑顔の私。
 2つの絵は偶然にも神様がいたずらをしているかのように笑顔のままお互いの方向に目が向いている。

 それに気づいた生徒たちは、仲良く2つ並んでいる絵の写真を撮っていた。
 もしかしてそれが意図的に行われていたんじゃないかと噂話も始まっていて、後日から私への視線は突き刺さる一方に。


 私たちの間にはまだ1レベルの差はあるけど、元はといえば0。
 でも、約1ヶ月間一緒に暮らし、彼の趣味である絵と、彼が乗り越えなきゃいけない辛い過去と、あの日川で無くしてしまった貝殻というハードルを飛び越えていくうちに、0から1。そして、1から2に昇格した。

 0は0のままじゃない。

 どんなに辛いことがあってもひとつひとつ乗り越えて、お互いを思いやり、少しずつ心を通わせていけば1に変わることもある。
 だから、どんなに手が届かない相手でも諦める必要なんてない。
 諦めずに努力していけば実る恋だってある。

 彼は超がつくほど恋愛下手だけど、これが精一杯の気持ちだと思ったら最高に幸せだ。
 私のイメージが笑顔だなんて、考えるだけでもきゅんきゅんして恋のレベルアップが止まりません!



【完】

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