「あ、あのっ……、焼津くん。いま少し話せるかな」
ーー翌日。
私は一晩泣きはらして充血した目のまま降谷くんのクラスのD組に向かい、彼の親友の焼津くんが廊下に出てきたところで声をかけた。
すると、彼は顎をポリポリかいて私の目をじっと見つめる。
「えっと……、この前廊下で話した子だよね。同じクラスになったことがないから名前がわからなくて」
「塚越みつきです。先日はありがとう。焼津くんのお陰で救われたよ」
「そ? なら良かった。……で、俺になんか用?」
「中庭で少し話せるかな。降谷くんのことについて」
彼は「うん、いいよ」と言ってくれたので場所を移して、小さなホールになっている中庭の十数段ある階段の一番下に座った。
「先日、降谷くんは辛いことがあって落ち込んでいるって言ってたでしょ。その辛いことってなんだろうと思って聞きに来たの」
「あぁ、その件?」
「降谷くん、まだ落ち込んでるような気がしたから……」
「どうして塚越さんがそれを知りたいのの?」
「えっ……。だって、あの日からずっと落ち込んでる理由が気になってたし、降谷くんには早く元気になって欲しいから」
一晩中降谷くんのことを考えていたら、あの女性との間になにかあったのではと考えるようになっていた。
じゃなきゃあんなひどい言い方で反発する必要がないから。
「優しいんだね、塚越さんって。あいつの心配をしてくれるなんて。ほとんどの女が表面的なところしか見ていないのに」
「そんなことないよ〜。これでも入学前から降谷くんを一途に想い続けてたんだ。告白だって5回もしたんだからね。ま、全敗だけど」
「あはは……、5連敗はきついな。じゃあ、特別に教えてあげる。実はあいつ、好きな人に失恋したばかりでさ。マジで惚れてた分、心の傷が半端ないというか。モテる男ほど恋愛に不器用なんだよね」
「あの降谷くんが失恋? ……信じられない」
「まぁ、モテ男も順風満帆じゃないってことよ。だから、あいつがキツく当たったとしても理解してやってくれると助かる」
「あっ、うん……」
保育園で彼女のことを愛おしそうに見ていたのは忘れられないから?
失恋しても会いに行きたくなるくらい好きなの?
それが自分の好きな人なんて悲しすぎる……。
ーー終礼後。
教室を一番に飛び出して家路に向かった。
道中、頭の中に思い描かれているのは保育園で彼女を見つめていた降谷くんの恋する瞳。
それが蘇るだけで胸がキュウっと苦しくなる。
焼津くんに話を聞かなきゃ良かったかな。
一瞬話を聞きに行ったことを後悔したけど、真実は変えられない。
家に到着すると、まっすぐ降谷くんの部屋に向かった。
ローチェストに立てかけられているスケッチブックを開くと、中には彼女の絵がたくさん描かれている。
これを描いていた時は彼女のことばかりを考えていたのだろう。
そしていまも彼女の写真を眺めながら描いている。
きっと、「彼女が忘れられない」と言われるよりも、いまこの絵を見ている時の方が何十倍も彼の気持ちが伝わってくる。
「うっ……うぁあああん!! ひっく……ひっく……」
いつしか耐えきれなくなり、頬にポタポタと滴る雫は床に砕け散っていった。
一方通行の恋がより鮮明になっていくと、彼がより遠い人になったように思えてしまう。
「お前、また勝手に人の部屋ん中に入ってんの?」
帰宅したばかりの降谷くんが、部屋で一冊のスケッチブックを持って佇んでる私にそう言った。
でも、私はスケッチブックを眺めたまま伝える。
「彼女にモデルを頼めないなら私を描いて欲しい」
私はいま自分にできる精一杯の想いを伝えた。
そこには、少しでも前向きに考えて欲しいという願いも込めている。
「……」
「先日私にくれた絵の中の猫のように、いきいきと立体的に描いて欲しい……」
「何を描くかは自分で決める」
「降谷くんっ!」
「俺にとって絵は特別だから。もう出てって」
彼はスケッチブックを奪うと、私の腕を引いて部屋の外へ追い払った。
伝えても、伝えても……、一向に届かない想い。
それでも諦めきれないのが恋だと思っている。