妄想女子はレベル‪✕‬‪✕‬!? ~学校一のイケメンと秘密の同居をすることになりました♡~



「脈なしから一緒に暮らしているうちに名前を聞きたくなるくらい興味が湧いた。……つまり、恋愛レベル0から1に発展。ということは、1から2になる可能性もある。レベル0が無関心で、1が興味ありで、2は気になる人で、3は好きな人。これ、ステップ踏んでいけばワンチャンあるんじゃない?」

 ーー翌朝。
 通学路で降谷くんとの妄想を繰り広げ、ひとりごとを呟いてムフフと声を漏らしていると……。

「おーはよ! なにひとりごと言ってるの?」

 りんかが朝一番の元気な声で後ろから肩を抱いてきた。
 その衝撃で体がトンッと前に揺れる。

「あ、りんか。おはよ〜」
「ご機嫌じゃない。……さては、なんかいいことあったな」
「ううん、何でもない!!」

 本当は喋ってしまいたいくらいのビックニュースが立て続けだったけど、降谷くんとの秘密は守らないとね。
 んふふっ、りんかが降谷くんとの同居の件を知ったらびっくりするだろうなぁ〜。

「……なに笑ってんの?」
「ん〜っ、なんでもないっっ!」
「こぉ〜らあぁ〜、教えろぉぉ〜。親友の私には教えないってのかぁ〜!!」
「なんでもないってばぁ!」

 私たちがふざけ合いながら学校に向かっていると、後ろからキャーという叫び声を聞き取った。
 二人同時に振り返ると、そこには降谷くんが複数人の女子に囲まれながら歩いてくる。
 すると、りんかはそれを見ながら言った。

「降谷さ、相変わらずだよね。女子の黄色い声がGPSだもん」
「あの子たちはみんな彼女希望なんだろうなぁ。競争率高すぎ」
「去年はクラスの女子全員からバレンタインチョコを貰ったらしいよ」
「私はうちの学校に通ってる女子の2/3って聞いたけど」
「……ってかさぁ、降谷は顔もそうだけどオーラもレベチだよね。犬も振り返るくらいイケメンってどーゆーことよ!」
「あははっ、確かに先日犬が振り返ってたよね! メス犬だったのかなぁ。尻尾振ってたし」

 私たちは「そうそう」と言い、お互い顔を見合わせながらケタケタと笑っていると……。

「みつき」

 降谷くんのことばかりを考えているせいか幻聴が聞こえてきた。
 しかも、呼び捨て。
 お陰で少しいい気分に。

「あぁ〜あ、一度でいいから降谷くんに”みつき”って呼び捨てにしてもらいたいなぁ。『みつき、もっと顔を見せて』とか、『みつき、かわいいよ』とか、『みつき、もっとこっちにおいでよ』とかさぁ」
「降谷がそんなこと言うわけ…………。ね……、ねぇねぇ」
「『みつき、その瞳は最高に輝いてるね』とか、『みつき、目を閉じてごらん』とか。きゃああああっっ!!」
「み……、みつきったらぁ。ちょっとぉ……」
「なによぉ〜、いまいいところだったのに」

 りんかが少し強めに腕で小突いてきたので、夢気分から冷めて彼女と同じく背後に目を向けると、そこには……。

「みつき……」

 ななな、なんと!!
 降谷くんが真後ろに立って私の名前を呼んでいる。
 私は今までの呟きが全部聞かれたと思って顔が真っ青に。

「ふっっ……、降谷くんっ!!」
「で、お前が目を閉じた後はどうなるの?」
「あっ、そ……それは……そのぅ……」

 しどろもどろに返答すると、降谷くんは手に持っていたビニールバッグを私に突き出した。

「ま、俺は興味ないけどね。……これ、落とし物」
「えっ! 落とし物って……」

 そう聞き返すと、彼は私の耳元に近づいて囁く。

「家に忘れていくんじゃねーよ、ばーか」

 それだけ言うと、少し早めに足を前に進ませて私たちの元から離れて行った。
 ほんの僅かに吹きかかった息にドキドキと心臓が暴れ出す。
 うっとりと幸せの余韻に浸ると、りんかは降谷くんの方を見ながら再び腕で小突いた。

「ねぇねぇ。降谷さぁ、いまみつきのことを呼び捨てにしてなかった?」
「あ、あっ……、えーーっと……。体操着に名前書いてあるからかな」
「降谷をあんなに間近で見たのは初めてだけど、マジ最高。女なら誰でも惚れるわ」
「でしょでしょ〜〜!! さいっこうよねぇ!! 顔もスタイルも完璧! それなのにゴキ……」
「ゴキ?」
「ううんっ、なんでもない!!」

 ……おっといけない。ゴキブリ嫌いなことをうっかり喋ってしまうところだった。
 これは私たちだけの秘密なのにね。
 同居してるだけで秘密が増えてくなんて幸せ〜!!


 ーーそれから10分後。
 教室に到着すると、スカートからスマホを取り出して降谷くんにLINEを送った。

『さっきは体操着ありがとう。でも、人目に触れるところで渡さなくても電話をしてくれれば取りに行ったのに』
『自分から電話をかけたくない』
『どうして?』
『俺がみつきを呼び出してるようで、なんか無理』

 なによ、なによ、なによ〜〜っ。かわいい〜!! 
 学校でも家でも気軽に話しかけられると困るって言ってたのは降谷くんなのに。
 人前で私に声をかけた時はどんな気持ちだったのかな。
 ドキドキしちゃったのかな。
 周りに女子がいっぱいいたのに、私のことだけを考えてたなんて幸せ過ぎる〜〜!!
 しかも、またみつきって呼び捨てにしてくれたぁ!


 ーーところがそれから数時間後。
 幸せ絶頂期に入っていた私だが、彼の隠された現実と直面してしまい、浮ついていた気分がどん底へと追いやられていく。



 ーー放課後。
 今日は日直だったため、職員室まで日誌を届けに行ってから学校を出た。

 午前中は晴れていたのに、いまは薄暗い雲に覆われている。
 それに加えて普段よりも生徒数が少ない帰り道。
 お気に入りのワイヤレスイヤホンが壊れているから虫の音がいまのBGMに。
 徒歩で家路に向かっていると、20メートルほど前方に降谷くんが一人で歩いていた。

 降谷くんはいま一人だし誰も見てないから、……声をかけちゃおうかな。
 学校じゃないから気軽に声をかけてもそんなに嫌がられないよね。
 そう考えているうちに、彼は分かれ道で自宅と反対方面を曲がった。

「あ、あれっ? 寄り道でもするのかな」

 もしかしたら近所に住んでいた可能性もあるけど、彼が私の家に来てからまだ1週間弱。
 それなのに、地図アプリで道を検索する様子もなく足を進めていることに違和感を覚えて尾行する。


 5分ほど歩いて到着したのは保育園の前。
 外遊びをしている園児たちの元気な声が辺りを賑やかせている。

 どうして降谷くんが保育園へ? 実は保育士に憧れているとか?
 うーん……。絵を描くことが好きなのは知ってるけど、子ども好きだとは感じなかったなぁ。
 彼と少し距離を置いて遠目から眺めていたが、目は一点方向しか見つめていない。
 そこに何かを感じて彼のとなりについた。

「ねぇ、どこを見てるの? もしかして、室内にいるあの美人な保育士さん?」

 足音を立てなかったせいか、彼は私がとなりにいることにひどく驚く。

「……なに、俺のストーカーしてんの?」

 彼はそう言うと、不機嫌そうにUターンする。
 私は置いて行かれないように急ぎ足で追いつく。

「そっ、そういうわけじゃなくてたまたま気になったというか……」
「なわけ無いだろ。何度も言ったけど、俺はお前に気がないから」
「そんなに何度も言わなくてもわかってるよ(ちぇっ)。でもさ、園内にいた保育士さんめっちゃキレイな人だったよね。色白で、細くて、髪を後ろでアップにしていて、目鼻立ちがくっきりしていて、遠目から見てもパッと目を引く存在だよね」
「うん、そう。……あいつ、俺の好きな人」
「えっ」
「だから、もう俺につきまとわないで」

 彼は吐き捨てるようにそう言うと、歩く速度を上げた。
 取り残された私はポツンと置いてけぼりに。

 ガアアアァァァアン……。
 失恋決定。既にしてるけど、決定……。
 先日焼津くんに、降谷くんは女につきまとわれるのが苦手と聞いたばかりだったから、てっきり好きな人はいないんじゃないかと思っていたのに。
 しかも、その好きな人がレベチの美人なんて。
 トホホ……。



「うああぁぁぁあっっ!! もぉぉおお!! 降谷くんの、バカバカバカァァァっっ!!」

 帰宅してからベッドにダイブして左右の拳で枕をボフボフと叩いた。
 部屋には無数のホコリが舞うが、そんなの気にしてられないほど心が荒んでいる。


 ーー片想いを始めて2年5ヶ月。
 いや、一目惚れをしたのは受験日だったから、正確には2年7ヶ月。
 あの時消しゴムを半分渡してくれた降谷くんがこの学校に無事に入学してくれることを夢見て、4月になってからはクラスを探して、見つけて、告白して、フラれて……を5回繰り返すくらい想いを寄せていた。
 なのに、降谷くんは私に目を向けないどころか好きな人を作っていて、こっそり眺めに行くくらい好意を寄せてるなんて。

「ぐやじぃぃぃいいい!!」

 涙と鼻水を拭こうと思ってティッシュ箱を触ると、こんな時に限って中身が空に。
 ティッシュさえ私を見放してくるなんて思いもしなかった。


 顔面洪水状態だが、ガバっと起き上がり、リビングの収納棚に入ってるティッシュを取りに行くために部屋を出た。
 ところが、向かいの降谷くんが使用している部屋の扉が開いていたので吸い込まれるように中を覗くと、彼はローテーブルの上に画用紙を置いて絵を描いていた。
 正面にはタブレットを立てかけていて、時より目線を画用紙とタブレットに行き来している。
 私は部屋に入ってそのタブレットを横から持ち上げて画面を眺めると、昼間の女性の写真が映し出されていた。

「写真の人、昼間の女性だよね」
「おい! つい先日勝手に部屋に入るなって言ったよな。タブレットを返せよ。ってか、お前の顔……あらゆる箇所から水が出てて汚ったなっ! 早くティッシュで拭けよ」

 彼は私からタブレットを取り返そうとしたので、取られないように胸に抱えて後ろを向く。

「女の子の顔を見て汚いなんて酷いよぉ……。タブレットは返さない! 死んでも離さないっっ!」
「いいから俺にタブレット返して顔を拭け!」
「無理っっ!」

 タブレットを取り上げただけでこんなにムキになるなんて……。
 そんなにこの女性が好きなわけ?
 さっき『俺の好きな人』と聞いてからヤキモチが止まらないよ。

 しかし、彼はバックハグをするかのように背後からヒョイとタブレットを取り上げた。
 彼の胸が自分の背中に当たるだけでもドキドキするのに、心の中は嫉妬で塗りたくられている。

「……ったく、次やったらもう二度と口きかないからな」

 彼はタブレットの電源を落としてテーブルの上に置く。
 私に彼女の写真を見せたくないからなのだろうか。

「もしかして、絵を描いていたっていうことは似顔絵コンクールに挑戦するの?」
「……」
「そんなに描きたいなら本人に直接頼めばいいのに」
「……お前には関係ない」
「こんなに平ったい写真じゃパーツの立体感や人間の温かみが感じられない絵になっちゃうよ」

 背中に向けてそう言うと、彼は私の腕を掴んで部屋の外に追い出す。

「そーゆーの迷惑。人の心の中にずかずか入ってくんなよ」

 最後に鬼の形相を向けると、バタンと勢いよく扉を閉ざした。


 さっき保育園前でフラれたばかりなのに、いまのこの瞬間に追い打ちを食らうなんて。
 私なんて視界に入らないほど遠いところにいると思い知らされるほど、彼の言動ひとつひとつに彼女への愛を感じる。

 だから、余計に顔面洪水が止まらない。



「あ、あのっ……、焼津くん。いま少し話せるかな」

 ーー翌日。
 私は一晩泣きはらして充血した目のまま降谷くんのクラスのD組に向かい、彼の親友の焼津くんが廊下に出てきたところで声をかけた。
 すると、彼は顎をポリポリかいて私の目をじっと見つめる。

「えっと……、この前廊下で話した子だよね。同じクラスになったことがないから名前がわからなくて」
「塚越みつきです。先日はありがとう。焼津くんのお陰で救われたよ」
「そ? なら良かった。……で、俺になんか用?」
「中庭で少し話せるかな。降谷くんのことについて」

 彼は「うん、いいよ」と言ってくれたので場所を移して、小さなホールになっている中庭の十数段ある階段の一番下に座った。

「先日、降谷くんは辛いことがあって落ち込んでいるって言ってたでしょ。その辛いことってなんだろうと思って聞きに来たの」
「あぁ、その件?」
「降谷くん、まだ落ち込んでるような気がしたから……」
「どうして塚越さんがそれを知りたいのの?」
「えっ……。だって、あの日からずっと落ち込んでる理由が気になってたし、降谷くんには早く元気になって欲しいから」

 一晩中降谷くんのことを考えていたら、あの女性との間になにかあったのではと考えるようになっていた。
 じゃなきゃあんなひどい言い方で反発する必要がないから。

「優しいんだね、塚越さんって。あいつの心配をしてくれるなんて。ほとんどの女が表面的なところしか見ていないのに」
「そんなことないよ〜。これでも入学前から降谷くんを一途に想い続けてたんだ。告白だって5回もしたんだからね。ま、全敗だけど」
「あはは……、5連敗はきついな。じゃあ、特別に教えてあげる。実はあいつ、好きな人に失恋したばかりでさ。マジで惚れてた分、心の傷が半端ないというか。モテる男ほど恋愛に不器用なんだよね」
「あの降谷くんが失恋? ……信じられない」
「まぁ、モテ男も順風満帆じゃないってことよ。だから、あいつがキツく当たったとしても理解してやってくれると助かる」
「あっ、うん……」

 保育園で彼女のことを愛おしそうに見ていたのは忘れられないから?
 失恋しても会いに行きたくなるくらい好きなの? 
 それが自分の好きな人なんて悲しすぎる……。


 ーー終礼後。
 教室を一番に飛び出して家路に向かった。
 道中、頭の中に思い描かれているのは保育園で彼女を見つめていた降谷くんの恋する瞳。
 それが蘇るだけで胸がキュウっと苦しくなる。
 焼津くんに話を聞かなきゃ良かったかな。
 一瞬話を聞きに行ったことを後悔したけど、真実は変えられない。


 家に到着すると、まっすぐ降谷くんの部屋に向かった。
 ローチェストに立てかけられているスケッチブックを開くと、中には彼女の絵がたくさん描かれている。
 これを描いていた時は彼女のことばかりを考えていたのだろう。
 そしていまも彼女の写真を眺めながら描いている。
 きっと、「彼女が忘れられない」と言われるよりも、いまこの絵を見ている時の方が何十倍も彼の気持ちが伝わってくる。

「うっ……うぁあああん!! ひっく……ひっく……」

 いつしか耐えきれなくなり、頬にポタポタと滴る雫は床に砕け散っていった。
 一方通行の恋がより鮮明になっていくと、彼がより遠い人になったように思えてしまう。

 「お前、また勝手に人の部屋ん中に入ってんの?」

 帰宅したばかりの降谷くんが、部屋で一冊のスケッチブックを持って佇んでる私にそう言った。
 でも、私はスケッチブックを眺めたまま伝える。

「彼女にモデルを頼めないなら私を描いて欲しい」

 私はいま自分にできる精一杯の想いを伝えた。
 そこには、少しでも前向きに考えて欲しいという願いも込めている。

「……」
「先日私にくれた絵の中の猫のように、いきいきと立体的に描いて欲しい……」
「何を描くかは自分で決める」
「降谷くんっ!」
「俺にとって絵は特別だから。もう出てって」

 彼はスケッチブックを奪うと、私の腕を引いて部屋の外へ追い払った。

 伝えても、伝えても……、一向に届かない想い。
 それでも諦めきれないのが恋だと思っている。 



 ーー降谷くんが家に来てからもうすぐで2週間が経とうとしている、日曜日の15時頃。
 母親と一緒にスーパーから帰宅すると、降谷くんがシンプルな柄シャツに黒のパンツといった外出着でリュックを背負い部屋から出てきたので、すれ違いざまに声をかけた。

「あれ、どこかに出かけるの?」
「ちょっと駅前の画材屋まで」

 と言って靴を履いて玄関扉を開けて出ていったので、私は両手の買い物袋を母に押し付けて、「私も出かけてくる」と伝えて後を追った。

「降谷くん、ちょっと待って。私も一緒に行く!」
「……いいよ、来なくて」

 嫌そうに振り返る彼。
 でも、私は自分の恋心を大切にすると決めたばかり。
 私のことなんて興味がないのはわかってるけど、せめて辛い時期は支えてあげたい。

「あのね! 新しいワイヤレスイヤホンが欲しいから私もコンクールに参加することにしたの。だから新しい絵の具でも買おうかなぁ〜と思って」
「参加するのは自由だけど、どうして俺がお前と一緒に画材屋に行く必要が? ってか、お前ってほんとに叩かれてもめげないというか」
「それが私のメリットなの! そう思ってるならもっと優しくしてよ〜」
「なんで俺が……。あのさ、少し離れて歩いてくれない? 知り合いにデキてると勘違いされたくないし」
「も〜っ、ひどいっっ!!」

 相変わらず冷たい……。
 その上、歩くスピードをワンランクアップさせるから、私は小走りで後を追う。
 でも、よくよく考えればデートみたい。
 お互い私服だし、降谷くんと二人きりで歩いてるし。
 はぁぁあ、幸せ過ぎて夢のよう。
 
『お前はなに色が好き?』『私は情熱的な赤かなぁ』『俺は赤よりお前の色に染まりたい』
 なぁんて、降谷くんとあまぁ〜い会話ができたら嬉しいのになぁ〜。
 厳しい現実が続くあまり、頭の中で妄想を繰り広げていると、すでに足を止めていた彼の背中に顔がバシッとぶつかった。

「いでっ!!」
「……」
「降谷くん、どうしていきなり足を止めたの? 背中にぶつかった瞬間、私の鼻が凹んじゃったよ」

 真っ赤に染まった鼻をおさえながら横から彼を見るが、まるで私の言葉が耳に届いていないかのように目は一点方向へ。
 不穏な空気が漂い視線の先にたどると、そこには彼が片想いしているあの女性が背の高い男性と腕を組んで街を歩いていた。
 しかも、彼女たちは幸せそうに微笑み、ジュエリーショップの扉の奥へ。
 私は不安顔のまま再びとなりから見上げると、彼は瞳に輝きを失わせていた。
 失恋というものがどれだけ人を苦しめるかわかっている分、胸がキュウっと締めつけられる。

「降谷くん、あの人……」
「彼女もうすぐ結婚するんだ」
「えっ」
「俺さ、もう失恋してんの。諦めなきゃいけないと思ってるのにみっともないよな。未練たらたらでさ」

 いま彼はどんな気持ちで本音を吐露しているのだろう。
 言葉では強がりを言ってるけど、心の中では気持ちが置いてけぼりになっているのかもしれない。

「そんなことないっ! 私も降谷くんに未練たらたらだから」

 自分のことなんて伝えてもなんの慰めにもならないのに、いまなにか伝えなければ彼が壊れちゃいそうな気がしている。

「あははっ、そうだな。お前は叩かれてもめげないど根性女だもんな」
「ひどーい!! 何度も何度もめげそうになってるのにぃ!!」
「あははははっ」

 彼が私に笑顔を見せるなんて予想外だった。
 あぁ、こうやって笑うんだ。
 もっともっと笑って欲しいなって思ったら、心臓がドキンドキンと恋のノックを始めた。

「ようやく笑ってくれたね」
「えっ」
「降谷くんが笑顔を見せてくれるだけで嬉しくなるよ。……あっ、そうだ! 失恋記念にいいところへ連れて行ってあげる」
「どこ?」
「いいからついてきて」

 私は来た道をUターンしてある場所へ向かった。
 まだ夏のぬくもりが消えない夕空に包まれながら。



 ーー私たちは駅前から20分ほど歩き、ある場所に到着した。

 そこは、潮風がびゅうびゅう吹き荒れている海岸。付近には両指で数えられるほどの人たちが波打ち際で遊んでいる。
 いま着ているベージュのワンピースが波型になびき、不揃いに揺れる髪に視界が阻まれながらも足を一歩一歩進ませて波打ち際にたつ。
 私はメガホンのように口元に両手を揃えると、海に体を向けたまま全身に力を込めて叫んだ。

「私はぁぁあ……、降谷くんが好きぃぃーーー! 降谷くんが他の女性を見ていてもぉぉぉ……、絶対絶対諦めたくなぁぁーーい!!」

 波の音にかき消されないくらい大きな声で叫ぶと、彼は私を見てポツリとつぶやいた。 
 
「みつき……」
「えへへっ。これが私のストレス解消法。胸の中に不満を溜めこむより、こうやって海に向けて大声で叫ぶとすっきりするよ」
「それは名案。……でもさ。普通本人目の前にして不満を言う? 逆にこっちの不満がたまるんだけど」
「だって、降谷くんは全然振り向いてくれないんだもん。だから、毎日不満だらけだよ」
「ばーか。……でも、叫んでる時はいままでで一番いい笑顔してた」

 ニコリと微笑み返した彼はそう言うと、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
 少し褒められた気になったお陰か頬が熱くなる。

「次は降谷くんの番だよ。思いっきり叫んでね!」
「オッケ」

 彼は足を一歩だけ前に進んで砂浜を踏みしめると、両手を口元に当ててメガホンにする。

「さちかが好きだーーっ!! でも、早く忘れてやるからなーー!! これから、あいつよりも俺の方が何十倍にもいい男になってやるからなぁーーっっ!! 幸せになれよーーっ!!」

 彼の背中を瞳に映したまま本音を聞いてたら涙で視界が歪んできた。
 あぁ、本気で好きだったんだなぁと、彼の気持ちが身にしみるくらい伝わってくる。
 不満を口にしていてもその中に愛情はしっかりと含まれているし、私なんて全然敵わないと知らしめるくらい彼女を想っている。

 ヤキモチに歯止めが効かなくなったので、サンダルを脱いでから海水に足を浸らせて右掌に水をすくって彼にかけた。
 ピシャッ……。

「わっ!! つめてっ……。何するんだよ」
「あはは。少しはすっきりした?」

 鼻頭を赤く染めたまま笑顔でそう言うと、彼も同じように海に近づいて海水をすくい、私に水をかけた。

「おかげさまで」
「うわっ、冷たっっ! ……じゃあ、そろそろレベル0から1になったかな?」
「なにそのレベルって」
「恋愛レベルだよ。0は無関心、1は興味あり、2は気になる人、3は好きな人だよ」
「ふぅ〜ん……。お前は3でも俺は0だけどね」
「言ったなぁ〜!!」

ピシャッ。

「つめたぁぁっ! やったなぁ〜っ!!」

ピシャッ。

「あはは……」

 二人の間に舞い上がっている水しぶきは夕日に照らされてキラキラと輝いている。
 そのしぶきの奥の笑顔は私に幸せをもたらしてくる。
 さっきは街で彼女が恋人と歩いてるところを発見して辛いひとときを過ごしていたけど、いまはお腹いっぱいに笑ってくれてる彼。
 私にはこんな小さなことしかできないけど、少しは力になれたかな。
 二人で笑い合ってるこの瞬間が、どうかこの先も続きますように。


 ーーそれから数時間後、サンセットを迎えた。
 私たちは少し高台にある屋根付きベンチに移動。
 彼が座ってから「ちょっとジュース買ってくるね」と言って自販機を探しに行く。
 すぐ裏にある自販機からペットボトルのコーラを2本買って彼の元へ戻ると、彼は海側の手すりに腕をかけて風に煽られながら海の方を眺めていた。
 でも、その表情は街中で彼女を見ていた時のことを忘れさせれるくらい凛とした目をしている。
 そんな瞳を見ているだけでも胸がトクンと鼓動を打つ。

「降谷くん。ジュース買ってきたよ」
「ん、ありがと」

 私は彼にペットボトルを渡して隣で海を見つめた。
 二人の髪はゆらゆらと同じ方向に揺らめいている。

「海を眺めていたの?」
「広い海を眺めていたら、俺の悩みなんて小さいなと思って」
「降谷くん……」
「さちかとはバイト先が一緒で2年前に知り合ったんだ。優しくて、心穏やかで、気さくで。彼女の周りにはいつも笑顔が溢れていた。そんな様子を間近で見ているうちに惹かれていって……。4月に保育士になってからは何度か会いに行ってた。結婚すると伝えられたのは夏休みの終わり。結局俺は気持ちも伝えられないまま失恋してた。情けないよなぁ」

 彼は海に背中を向けると、ペットボトルの蓋を開けてコーラをぐびっとひと口飲んだ。
 私も同じ方向を向き、プシッと炭酸が抜ける音を立てながらペットボトルの蓋を開ける。

「意外。モテ男は恋愛下手なんだね」
「お前みたいにモテない女も恋愛下手だけどな」
「なっっ!!」
「……でも、ありがとう。お陰ですっきりした。さっきは結構参ってたから」

 そう言って目を合わせてきた途端、私の胸がトクンと鳴った。

「じゃ……じゃあ、お礼に私の絵を描いてくれる?」

 照れくささが隠せずにサッと目をそらしながら言う。
 私への恋愛レベルは0だとわかっているけど、1分1秒でも降谷くんの傍に居たいって思うのは贅沢かな。

「いーよ」
「えっ……、いいの?」
「似顔絵コンテストには参加するつもりだったから」

 彼の気持ちが前向きになった喜びと、自分をモデルに選んでもらえたことが嬉しくて笑みがこぼれる。

「嬉しい! ありがとう」
「帰ったら時間ある? 締め切りまで2週間ちょいしかないから、いますぐ描かなきゃ間に合わないし」
「あるある! いーーっぱいあるっっ!! 1時間でも、10時間でも、100時間でもっ!」
「……あのさ、一体何時間拘束するつもりだよ」
「降谷くんの為なら一生の時間を使う!!」
「バーカ……」

 幸せ……。
 降谷くんが私の絵を描いてくれるなんて。きっと一生の宝物になる。
 それに、今日は彼女を忘れる努力をしていることを知った。
 ずっと不機嫌だったのは、彼女への気持ちを切り離していたからなのかな。
 私はこのまま降谷くんに恋をしててもいいのかな。
 諦めなくてもいいのかな。
 このまま、ずっとずっと一緒にいたいよ……。



 ーー海を離れてから向かった画材屋で彼は色鉛筆、私は絵の具を購入してから帰宅した。
 早速私は彼の部屋に向かい、椅子に座ってモデルを始めることに。

「ねぇ、似顔絵は私にしたけどタイトルは考えたの?」
「まだ。でも、その人らしさ表現したいと思ってる」
「それはいい案だね! ん〜、メモメモ。似顔絵はその人らしさを表現する」

 私はポケットからスマホを出してメモアプリを開いて入力していく。

「人の案をパクるなよ。……で、お前は誰の似顔絵に?」
「これから考えるところ。(降谷くんと一緒に出かけたいから、さっき参加を決めたなんて言ったら怒られるよね……)でもさ、先日絵を描いてることを内緒にしてって言ってたけど、コンクールに出したらバレちゃうんじゃない?」
「募集要項をちゃんと見なかったの?」
「えっ?」
「公平性を保つために名前は無記名でいいみたいだよ。だから毎年参加してる」
「えっ! 降谷くん、毎年参加してたの? 全然気づかなかった」

 というより、このコンクールに興味がなかったから展示を見に行かなかっただけなんだけどね……。

「無記名だから余計な」
「今年は私がモデルだから降谷くんの作品はすぐにわかるね! 展示が始まったら見に行かないと。私も一票入れるね!」
「ちゃんと他の奴の作品も見ろよ」
「もちろんだよ。降谷くん、将来は画家に?」
「いや、ただの趣味」
「もったいないよ。これだけの実力があるのに」
「よく喋るなぁ……。そろそろ黙ってて。絵に集中したいから」
「はぁ〜い……(だって、こんなにたくさんお話できるチャンスなんて二度とないのに)」

 彼は画用紙に色鉛筆をすべらせた途端、目の色が変わった。
 モデルの私と画用紙を行き来する真剣な眼差し。
 無言の時間。
 集中している目線。
 たまに伏せる長いまつ毛。
 彼の瞳の奥には絵を描く楽しさやワクワク感が詰まっている。それが伝わってくる分、恋の音が止まなくなる。

「ねぇ、絵を描いてる時ってどんな気持ちなの?」
「無心になれるというか、想像の世界に没頭できる。夢中になってる時は嫌なことが全て忘れられるから」
「じゃあ、いまが素の降谷くんなんだね」
「……そ、だから絵を描いてる時は特別」

 彼は唇に人差し指を当ててシッと言う。
 その仕草だけでも胸がキュンっとする。
 私だけを見つめている瞳はこの時間をひとり占めしている証拠に。
 そんなに一生懸命見つめられたら、緊張して体が震えちゃうよ。
 もっともっと好きになっちゃうよ。


 ーー色鉛筆が紙にこすれる音だけが1時間半ほど続いていた。
 息を吐くのも遠慮したくなるくらい、彼は真剣に絵を描いている。
 彼が色鉛筆を置いてから立ち上がったので「もう終わった?」と聞いて私も立ち上がると、彼は先程まで絵を描いていた画用紙を両手に持ってビリビリと破き始めた。

「降谷くん!! どうして絵を破っちゃうの? せっかく描いたのにもったいないよ!」
「……なんか違うなと思って」
「でも、破ることないんじゃない? 気に入らないところに修正を加えれば……」
「別にいい。また一から書き直したいし。あ、もう部屋に帰っていいよ。疲れたから少し休みたいし」
「う、うん……。わかった」

 まだ落ち込んでるのかな。
 そりゃそうだよね。夕方に好きな人が恋人と一緒に目の前を歩いてたんだから。

 私は失恋の傷がチクチクと痛みながら部屋の扉に向かうと……。

「待って」

 彼はポケットから何かを取り出して向けてきたので私は両手のひらを皿にすると、1.5センチ程度の薄ピンク色の貝殻を手渡してきた。
 私はそれをマジマジと眺める。

「これは貝殻?」
「今日のお礼。高台のベンチに座る前に拾ったんだ。なんか、それがお前っぽいなって。小さくて、細くて、頬をピンクにしながら笑っててさ」
「嬉しいっっ!! 一生大事にする!!」

 降谷くんからの二回目のプレゼント。
 一回目は猫の絵。二回目はピンクの貝殻。
 しかも、この可愛らしい貝殻が私っぽいって。
 えへへ、嬉しい……。


 私は部屋に戻ってから5センチほどのコルクの蓋の小瓶に貝殻を入れた。
 机にうつ伏せになり、蓋と底を親指と人差し指でつまんだまま貝殻を眺める。

「んふふふ! この貝殻を拾った時は私のことだけを考えてくれてたんだね。あ、そうだ! これをお守りにして持ち歩こっと。そしたらいつか降谷くんは振り向いてくれるかもしれないね」

 クローゼットから手芸セットを取り出してボールチェーンをつまみ出すと、小瓶のくぼみにボールチェーンを巻いてカバンに装着した。
 指でちょいちょいと小瓶を揺らして状態を確認する。

「装着オッケー! カバンにつけていれば毎日一緒にいられるね。はぁぁぁあ〜〜っ! やっぱり降谷くん最高〜! 大好きぃ〜!!」


 ーーバラ色の同居生活は、残り約3週間。
 さっきは恋愛レベル0って言ってたけど、プレゼントをくれるってことはレベル1くらいに昇格してるよね。
 少しは興味を持ってくれてるよね。

 ……でも、3週間後に彼が家を出ていくと思うと気分が沈む。
 当たり前っていえば、当たり前なんだけど……。
 ううん、いまは忘れよう!
 彼と一緒に暮らしている日々を満喫しよう。
 残り3週間で彼の恋愛レベルがアップするように努力し続けなきゃね。



 ーー同日の夜11時。
 お風呂に出た後に机に向かう。
 降谷くんに似顔絵コンクールに参加すると宣言した以上、描きたくなくても描かなければならなくなった。
 自業自得なのだが、絵が得意じゃない分、このプレッシャーは半端ない。

 まずは下絵と思い、スケッチブックを机の上に用意して鉛筆を握る。

「はぁ〜あ……。誰の似顔絵を描こうかなぁ」

 りんかにモデルを頼んでみる?
 ううん、バイトが忙しいから断られるに決まってる。
 お母さんに頼んでみる?
 ううん、母の日のイラストじゃないんだからそれは嫌。全校生徒に笑われるのがオチでしょ。

 じゃあ……降谷くん?
 あーっ、無理無理! 見つめられてるだけでもキュン死するのに、意図的に見つめるなんて全校生徒に知れたら抹殺されちゃうよ。
 あっ! でもお絵描きくらいならいいかな。
 ちょっと練習程度に。

「降谷くんは〜、金髪で〜、くりっとしたぱっちり二重で〜、ぽってりとしたあひる口……っとぉ。うわっ! そうそう、こんな感じ。そっくり〜。私ったら天才! 隣には私の絵を描いちゃお! あっ、もしかしてこの紙を縦半分に折りたためばお互いの顔が重なってチューできるかも? よぉ〜しっ!! 似顔絵のみつき、待っててねぇ〜。いまから降谷くんの彼女にしてあげるからね!」

 私は鉛筆を滑らせながら自分の似顔絵をリアルかつ美人に仕上げていく。
 降谷くんに見劣りしない女にしてあげようと思いながら、線一本一本に幸せな願いを込めて。


 ーーそれから30分後。

「完成〜〜!! うんうん、二人とも上手に描けてる。美男美女でお似合いカップルじゃん。やだ私ったら絵のセンス抜群じゃないの?」

 クスクスと笑いながら肩を揺らし、スケッチブックから切り離した画用紙を縦半分に折りたたんで、角度がズレないように慎重に念願のチューをさせてみた。

「いやん。二人ったらラブラブぅ〜っ。イラストだけでもハッピーにしてあげなきゃね! ちゅぅ〜うっっ!」

 頭の中がすっかりピンク妄想に染まっていると……。
 突然、トントンとノック音が耳に届いた。
 直後に「みつき、起きてる?」と扉の外から降谷くんの声が!
 その瞬間、冷水を浴びたかのようにサーッと顔面蒼白に。

 まっ、まずい……。
 画用紙のイラストの降谷くんと私がチューしてるところを本人に見られたらドン引きされるよ。
 絶対絶対、見られちゃだめ!
 私は絵を見られないようにその上にうつ伏せになり、目を閉じて寝たフリをした。
 すると、ガチャッとドアノブをひねる音がした後に足音が接近してくる。

「入るよ。さっき買った色鉛筆お前が持ってったっけ? ……あれ、寝てる」

 画材屋で購入して後で渡そうと思っていたオレンジと赤と黄緑の色鉛筆が、袋に入った状態でいま私の隣にある。
 なぜなら私のエコバックに入れてたから。
 さっき描いたばかりのイラストを体の下敷きにしたけど、降谷くんはまさか私を起こしたりしないよね?
 私が起き上がった隙に見られてしまったら恥ずかしくて死んじゃうよ!!

 ドッドッドッドッ……。
 後ろめたい気持ちと恥ずかしさから心臓が狂ったように爆音をたて始めた。
 近づく足音。
 感じる気配。
 恐怖のオンパレードが背筋をゾクゾクと奮い立たせていく。
 起こされた挙げ句に下敷きになってる画用紙に興味を示されたらどうしようかと嫌な妄想が頭の中をぐるぐると駆け巡っている。

 早くっ……、早く色鉛筆を持っていってぇ〜〜っ!!
 心の中で叫びながら彼が部屋を出ていくことを祈り続ける。

 ーーところが、気配が最も接近した時。
 彼は私の毛束をすくってサラッと手ぐしを通した。

「キレーな髪…………。触れた時からずっと思ってたけど」

 呟くような声が聞こえた直後、真隣でカサッという音がしてから気配が消えていき、扉が閉まった。
 彼が部屋から出ていったことを耳で確信し、顔を上げると真隣に置いてあったはずの色鉛筆の袋が消えていた。
 次第に彼の言葉が現実味帯びていくと、体が飛び跳ねたくなるくらい軽くなって、飛び込み台からプールに着水するような勢いで布団にダイブ。

「ひゃあああっっ!! 降谷くんが私の髪を触って『キレーな髪』だってぇぇ。しかも、触れた時からずっと思ってたって!! それって、それって、それってぇ〜!!」

 うつ伏せになって興奮したまま両拳を交互に布団に叩きつけた。

 今日は激動の1日だった。
 でも、今まで一切手に届かなかった降谷くんをより身近に感じた1日でもあった。



「締め切りまであと9日かぁ……。ねぇ、今日は休日だから外で絵を描いてみない?」

 ーー降谷くんが似顔絵を描き始めてから1週間後の日曜日。
 先週はほとんど毎日似顔絵を描いていたけど、描いても破り捨てる状況が続いていたので気分転換に外へ誘った。

「もしかして、どさくさに紛れてデートに誘ってんの?」

 最近、彼は警戒深い。
 その理由は思い当たる節がない。
 私、なんか変なことでも言ったかなぁ。
 全然心当たりがないんだけど。

「ちっ、違うよ。天気がいいから普段よりいい絵が描けるかなって」
「いいよ。お前も絵を描くなら外でも」
「えっ、でも私はまだ誰を描くかを決めてないよ?」
「じゃあ景色でも描いてて。俺はその様子を見ながら描くから」
「それいいね! 私も一方的に見つめられているだけじゃ恥ずかしいからそうしよう!」
「……恥ずかしい? お前が?」
「そっ、そりゃあ好きな人に一方的に見つめられっぱなしじゃ……」

 照れくさくそう言うが、彼は返答などものともせずに外出の準備を始める。

「もぅぅっ!! 人に質問しておいて聞いてないし!」
「ほら、モタモタしてないで早く支度してきて。行くと言ったのはお前だろ」
「降谷く〜ん……」

 ここ1週間で彼と急接近した気がする。
 以前なら、気軽に話しかけるなって突き放してきたのにね。


 ーー場所は、学校より少し手前にある親水公園。
 いまはお昼過ぎということもあり、太陽の日差しがさんさんと降り注いでいる。
 空気はだいぶカラッとしてきたが、まだ夏の暑さが残っていて歩いているだけでも額に汗がにじみ出てくる。
 私たちは遊具がある場所を通り過ぎると、ボールやバドミントンで遊んでいる人たちがいてその間の芝生を歩いて行く。

「どの辺で描く?」
「ここは通学路に近いからあまりひと目につかないところがいいかな」
「どうして〜? 休日だからうちの学校の生徒は通らないよ」
「万が一、俺たちが学校の誰かに見られてデキてるという噂になったらまずいだろ」
「私はぜーーんぜんまずくないよ。むしろ、噂して欲しい。だって、他の女子に負けたくな……」

 と言いかけてる最中、右側を歩いている彼はいきなり私の左肩にまわして体を引き寄せた。
 それがあまりにも唐突だったので気持ちが追いつかない。

「えっ……、ふ……、降谷くん?? どうしたの、いきなり……」

 ドキン……。
 跳ねる心臓にカァッと熱くなる頬。
 彼を間近に感じた瞬間、裸でおひめさま抱っこをしてきたあの日のことを思い出してしまった。
 ところが、彼は顔色一つ変えずに平然とした声で。

「シャトル」
「えっ……」
「向こうからバドミントンのシャトルが飛んできてお前の体にぶつかりそうだったから避けた」

 足元に目を向けるとシャトルが落ちていて、後方から「すみませ〜ん、大丈夫ですかぁ?」との女性の声が。
 振り返ると、子供とバドミントンを楽しんでいる最中と思われる女性が走ってシャトルを取りに来た。

「あ、はい。どうぞ」

 足元のシャトルを拾って渡すと、彼女は「ありがとうございます」と一礼して子供の元へ戻って行く。
 私はそこで彼の配慮に気づかされる。

「降谷くん、ありがとう。シャトルが私の体に当たらないように避けてくれたんだね」
「なに、一瞬変なこと想像しちゃった?」
「えっ?」
「だって、お前はいつも妄想が激しいから」
「もぉぉぉっっ! ちがうよぉぉ〜〜っ!! 変なことなんて考えてないから! ほっ、ほらっっ。早く絵! 絵を描こうよ!!」

 指摘されたとおり、確かに一瞬だけ変なことを考えていたのは言うまでもない。
 照れ隠しでトートバックからスケッチブックを掴んで取り出すと、手元が狂って芝生へ落としてしまい中身が飛び出した。

 ーーところが、ここから別の問題が発生する。

「……ん、スケッチブックの間からなにか落ちたよ?」
「えっ、なにかって?」
「これ、なに?」

 彼は芝生に落ちているスケッチブックと中から飛び出た二つ折りの紙を拾い、それを両手で開く。
 すると、彼はその中のイラストを瞳に映し出した次の瞬間、私の前に紙を突き出す。

「……なにこれ」
「えっ、あっっ!! これはっ!!」

 私は顔面を真っ赤にしながら瞬時に紙を奪い取った。
 彼に見られてしまった絵。
 それは、先日紙の中だけでも私たちを恋人にしてあげようと思って描いたもの。
 しかも、紙は内側に折りっぱなしのままスケッチブックに挟んでいたことをすっかり忘れていた。 

「俺とお前の絵をとなり同士に描くことは構わないけど、どうして縦半分に折りたたんであるの?」
「えっ……(ギクッ)」
「半分に折ったら、お互いの顔同士が重なる……、あっ! お前っ、もしかして……」
「あっ、あっ、あのぅ……それは……」

 とうとうバレたか……。
 紙の中で私たちをキスさせていたことを。

「ぷっはっ!! 俺とお前のイラストを重ねてキスさせるなんて正気? あはははっ!! ってか、お前の頭ん中、小学生レベル!」
「そんなに笑わないでよぉ……。だって、好きな人とキスしたいって思うのはごく自然なことでしょ。なんっていうか……、ただ、それを自然に描いちゃったというか……」
「いいんじゃない?」
「えっ」
「お前らしく妄想丸出しで」
「もうっっ!! 降谷くんのいじわる!」

 うううっ……。恥ずかしすぎて穴があったら入りたい……。
 どうして私、この絵を挟んだまま持ってきちゃったんだろう。
 どうして家を出る前に確認しなかったんだろう。
 後悔しかない。


 ーーそれから私たちは川辺に移動して木陰にレジャーシートを敷いて腰を下ろした。
 私は先ほどのイラストを持ってきてしまったことを後悔したまま、そして彼にニヤニヤと見つめられたまま、時よりプッと吹き出されて罪悪感を背負いながら川辺に絵を書き始めた。
 残念なことに、もうこの時間が地獄で仕方ない。

 鉛筆でデッサンを始めたけど、1時間くらい描いてたらいい感じに仕上がってきている。
 ふと彼の絵に目を向けると、こちらも輪郭を描き終えて他の色を追加しているところだった。
 相変わらず完成度は高い。パーツひとつひとつに命が宿ってるかのよう。正直私の絵と見比べるまでもない。
 SNSで発信すれば絶対にバズるのになぁ。

「降谷くんの絵をたくさんの人に見て欲しいな。今回は私がモデルだからちょっと恥ずかしいけどね」
「コンクールは匿名だから誰が描いたかわからないよ」
「それでもいい。顔が見えない分、実力を見てもらえるから。降谷くんの色は降谷くんしか持ってないし」

 降谷くんが描いた猫の絵を貰ってから毎日思っていた。
 趣味にしたままじゃ勿体ないと。
 もっとたくさんの人に見てもらって実力を評価してもらえればいいなって思ってる。
 
 すると、彼は穏やかな目を向け。

「……俺の実力を認めてくれんの、お前だけ」
「え?」
「そーゆーの、すげぇ嬉しい。ありがとう」

 お互いの目線がつながった瞬間から私の鼓動は早くなっていった。

 降谷くんと一緒に暮らすようになってから”好き”の右肩上がりが止まらない。
 彼を知れば知るほど欲深くなっていくだけ。たとえ好きな人のことが忘れられなくても傍にいたいって想っている。


 ーーしかし、それから数日後。
 さちかさんを忘れようと少しずつ努力を重ねている彼に、心が揺さぶられる事件が待ち受けていた。