『乾杯!』

 コバルト号の上甲板にて。ジョッキのぶつかる音が響く。
 たんぽぽ海賊団の面々は、思い思いに騒いでいた。それは再会を祝してであり、解放を喜んでであり、そしてこれからの困難に立ち向かうための景気付けでもあった。

「カスミ! なんだおめぇ、ちっとも成長してないな!」
「そりゃ一年ちょっとじゃそう変わりませんよ!」

 ラコットに頭をぐしゃぐしゃとやられて、奏澄は笑いながら文句を言った。
 実際のところ、奏澄の方では一年経過していない。見た目は全く変わらないだろう。
 ラコットの方も相変わらず、デリカシーは無いながらも豪快で快活だ。舎弟たちも元気そうである。

「そうだ、メイズとやっとくっついたんだってな」
「はい。おかげさまで」
「そうかそうか、おめでとさん!」
「あ、ありがとう、ございます」
「これからはあんまし雑に扱ったら、メイズに怒られちまうな」
「そう思うなら、とりあえず放した方がいいですよ」

 ぐわんぐわんと頭が揺れるほどに撫でまわされて、奏澄は揺れる視界でメイズを見やった。遠目に顔が見えるが、あれは多分我慢している顔だ。久々の再会だから、大目に見ているのだろう。
 舎弟たちともそれぞれ言葉を交わして、奏澄は女子会メンバーの方へ向かった。

「カスミ~! 待ってたよ!」
「おかえりなさい、船長」
「エマ、ローズ!」

 女子特有の高い声ではしゃいで、二人とハグを交わす奏澄。

「ちょっとカスミ、髪ぐしゃぐしゃじゃないか」

 手櫛で軽く直したのだが、まだ乱れていたらしい。ラコットに撫でくり回された髪を、苦笑しながらマリーが整えた。

「ありがと、マリー」
「いいさ。それより、あんたからの報告を今か今かと待ってたんだよ、二人とも」

 きらきらとした目で見つめてくるエマに、穏やかに微笑みながらも心なしかそわそわしているローズ。二人ともメイズとのことは既に知っているのだろうが、改めて奏澄の口から聞くのを待っていたのだろう。
 照れくさく思いながらも、奏澄は一つ咳払いをした。

「えぇっと。メイズと、正式に、恋人になりました」
「おめでと~カスミ~!」
「おめでとう」

 言いながら奏澄に飛びつくエマに、軽く拍手を送るローズ。ありがとう、と言いながら、奏澄は顔が緩むのを止められなかった。こんなに全力で祝ってもらえるなんて。

「もうね! 聞きたいことがね! 山ほどあるからね! 飲んで飲んで!」
「いやそれはちょっと」
「今日ばかりは諦めて」
「えっ今日はローズもそっち側なの?」
「諦めな、カスミ。あたしも気になる」
「わぁ味方がいない!」

 やはり女子にとっては、恋愛話は燃料だ。きゃいきゃいと姦しい様子に、男性陣は苦笑しながらやや距離を取って眺めていた。

 騒ぎが一段落したタイミングで、ライアーが割って入った。

「もーここはね、すぐカスミのこと占領するから! オレらにもちょっとは話させて!」
「えぇ~、まだ足りない!」
「エマ、またいつでも話せるだろ。船長が寝落ちする前に、俺らにも時間くれ」
「ポール、私そんなすぐ寝落ちないから!」

 ドロール商会のメンバーとも、改めてそれぞれ挨拶を交わす。少しだけ逞しくなったように見える男性陣は、商会に戻ってからも訓練を続けていたのだろう。

 お酒が入り、次第に声量も上がっていく騒ぎをにこやかに眺める老人の元へ、奏澄は歩み寄った。

「ハリソン先生。大丈夫ですか? 疲れてませんか?」
「ええ、大丈夫です。こうして賑やかな宴を見ていると、白虎を思い出します」
「白虎も、やっぱり宴は騒がしいんですか?」
「それはもう。無礼講ですからね」
「そうなんですね」

 目を細めるハリソンに、奏澄は胸が痛んだ。ハリソンには、負担をかけている。
 そんな奏澄の様子に気づいたのか、ハリソンが穏やかな声で願い出た。

「カスミさん。良ければ、歌っていただけませんか?」
「え?」
「私は、まだあなたの歌をちゃんと聴いたことがないので」

 奏澄は目を瞬かせた。そういえば、ハリソンが加入した時には既に緊迫した状況だったので、のんびり歌を聴かせるようなことは無かったかもしれない。
 はぐれものの島でも、メイズを探したあの一度きりしか歌っていないし、島を出てからは雇った水夫たちと一緒だったので、やはり口ずさむ程度にしか歌っていない。

「上手くはない、らしいですよ?」
「構いませんよ」

 わざと冗談めかして言う奏澄に、ハリソンも笑って答えた。

「では、喜んで」

 前に進み出て、息を吸う。
 今の私たちには、そう。勇気の歌を。

 奏澄の歌声が響き出すと、皆が会話を止めて、奏澄の歌に耳を傾けた。
 それに多少の気恥ずかしさを感じつつも、奏澄は歌った。仲間たちが、好きだと言ってくれた声で。

 この航海の成功を――悪魔の討伐を、願って。



*~*~*



 歌って、騒いで、笑って、飲んで。
 どれだけの時間そうしていたか。奏澄がうつらうつらとし始めたタイミングで、メイズが回収した。

「ここまでだ」
「ちょっと、まだ、だいじょうぶ」
「わかったわかった」

 問答無用で抱え上げて、部屋へと連れていく。後ろから冷やかすような声が聞こえた気がするが、祝福の一種だと思って無視した。

「メイズ、下ろして」

 部屋に入る前に、奏澄はメイズの肩を叩いてそう主張した。
 それを聞いたメイズが、大人しく奏澄を下ろして、立たせる。

「あのね、しばらく別々に寝よっか」

 奏澄からの提案に、メイズは目を丸くした。

「今更、同じ部屋で寝るくらい、あいつらは気にしないだろ」
「うーんと、そういうことじゃなくて」

 これは別に酒に酔って、勢いで言っているわけじゃない。仲間と合流するとなってから考えていたことだった。

「船でのルール、決めたでしょ。あれがね、その、守りにくいようだったら。物理的に距離取った方が、いいかなって」

 元々一緒に寝ていたし、問題は無いと思っていた。けれど、もし。一緒に寝ていることで、我慢がきかなくなることがあるのなら。わざわざ『待て』をさせるのも、どうかと思ったのだ。
 奏澄にはわからない感覚だし、過去の恋人ともそんなことはなかった。けれど、今向き合っているのはメイズなのだ。彼に合わせたやり方で付き合っていきたい。
 そもそもメイズと共に寝るようになったのは、奏澄の寂しさが原因だ。彼にばかり無理をさせるわけにはいかない。だったら、奏澄の方も一人寝くらい我慢できる。

「お前は、それで、いいのか」
「うん。大丈夫。もう寂しくないし」

 メイズを安心させるように微笑んでみせる。大丈夫だ。メイズは隣にいるのだし、仲間たちも一緒だ。

「あ、でも」

 つい、と奏澄はメイズのシャツの裾を引いた。

「これ、貸して欲しい」
「これ……?」
「今着てるやつ。メイズの匂いがないと、眠れないから」

 ずっと傍にいすぎて、すっかりあることに慣れてしまった。本人はいなくても、匂いがあれば安心できる。

「ダメ? しばらくしたら、ちゃんと洗って返すから」

 まさか替えがないわけでもないし、一枚くらい貸してくれないだろうか。
 そう思って尋ねると、メイズが片手で顔を押さえていた。

「それどういう感情? 呆れてるの? 怒ってるの?」
「どっちでもない」
「なに……ダメならダメって言ってよ……」

 急に不安になる。引かれたのだろうか。別に変なことに使うつもりはないのだけれど、気持ち悪かっただろうか。
 気まずい思いで次の言葉を待っていると、メイズが深く長い溜息を吐いた。

「服なんかじゃなくて、本人がいるんだから、隣で寝ればいいだろ」
「だって……」
「何もしない」
「……一応、言っておくけど、二度目はないからね?」
「…………大丈夫だ」

 だからその間が不安なのだが。
 言った手前、本当に二度目を許す気は無い。今は仲間たちが共に乗船している。
 けれどそれ以上に。

「メイズは、それでしんどくない?」

 気づかうように見上げる奏澄に、メイズはくしゃりと頭を撫でた。

「問題無い」

 強がりにも聞こえるが、本人が大丈夫だと言っているのにこれ以上食い下がるのも、プライドを傷つける気がした。

「うん。じゃぁ……お言葉に甘えて」

 結局、今まで通り変わらずに、二人は一緒に寝ることにしたのだった。