眩しいほどの白。またここに戻ってきたのだと、奏澄の心臓が大きな音を立てる。
 大丈夫。大丈夫。意識的に、深呼吸をする。
 険しい顔でセントラルを見つめる奏澄の頭を、メイズが軽く撫でた。

「今からそれだともたないぞ」
「……うん」

 そうだ。まだ、何も始まっていない。これは武者震いだ、と奏澄は手を握りしめた。

「おし、んじゃ乗り込むかぁ!」
「待て」

 正規の港にそのまま入ろうとしたロッサを、メイズが止めた。

「本気で正面から乗り込む気か」
「そう言っただろ?」

 きょとん、としているロッサに、こちらがおかしいのかと錯覚してしまう。

「そんな目立つことをしたら」
「けどよぉ」

 ロッサが親指で港を示す。その先を見て、メイズは目を瞠った。

「アンリはもう来てるぜ」

 ロッサが示した先には、竜の海賊旗を掲げた、グリーン・ルミエール号があった。



「ここに来んのも久しぶりだなぁ」

 船から降りて、周囲の視線をものともせず、ロッサは大きく伸びをした。
 セントラル市民の視線は、何もロッサが半裸だからではないだろう。いやそれもあるかもしれないが。
 彼の顔は、広く知れ渡っているはずだ。朱雀の頭が、何故セントラルに。そういう視線だろう。
 彼らは自分たちの影響力を知っている。だから不用意に他の海域に踏み入るようなことはしない。
 こんなに目立ってしまっていいのだろうか、と奏澄は身を縮こませた。

「おーし、んじゃ司令本部に」
「行くな馬鹿!」

 突然、ロッサが後ろから殴りつけられた。乱入してきた人物に驚いて奏澄が視線を向けると、緑色の髪をした男が眉を吊り上げて拳を握りしめていた。

「アンリ!」

 大してダメージを受けた様子もないロッサに大声で名前を呼ばれて、その人物――アンリは、顔を顰めて眼鏡を押し上げた。
 センターで分けられた、ストレートのセミロング。白いシャツに、シンプルなモスグリーンのロングコート。腰には細身の剣を差していた。歳は四十を超えたくらいだろう。全体的にスマートで、理知的な空気が漂う。

「なんだ、もしかして待ってたのか?」
「そんなわけあるか。騒ぎを聞いて来たんだ。お前に暴れられたら、全部台無しになる」
「台無し?」
「何のために真正面に船をつけたと思っている」
「喧嘩売るため!」
()()()()()()だ!」

 一見口論しているように見えるが、テンポの良い会話には慣れが見える。もしかしてこの二人は仲が良いのだろうか、と奏澄は蚊帳の外からやり取りを眺めていた。

「私たちはセントラルの行いに対して、正式に抗議しに来たんだ。きちんと手続きを踏んで面会することで、民間人にも争うために来たのではないとアピールする必要がある。いたずらに怯えさせる気か」

 アンリの説明に、ロッサはいまいちピンときていない様子だった。それを見たアンリが、更に青筋を立てる。

「だいたい、非公式に会いに行けば、こっちが消されても文句は言えないんだぞ。あの白虎ですら、喧嘩を売った結果、痛み分けだったのは記憶に新しいだろう」
「エドアルドさんに何かあったんですか!?」

 突然割り込んだ女の声に、アンリは視線を下げた。長身のアンリからは、奏澄は見下ろす形になる。
 ロッサに向けるのとは違う瞳の温度に、奏澄は一瞬怯んだ。しかし、先ほどの言葉は聞き捨てならない。

「申し遅れました。私はたんぽぽ海賊団の船長、奏澄といいます。白虎海賊団の方々には、以前お世話になったことがあるんです。彼らに何かあったのなら、教えていただけませんか」

 アンリは値踏みするような目で奏澄を見ていた。手が出るタイプではないからか、武器に手をかけてこそいないものの、メイズは鋭い目をアンリに向けている。

「これは、ご丁寧にどうも。私は青龍海賊団で船長を務めます、アンリと申します。白虎の件は、当時そこそこ話題になったんですが。ご存じありませんでしたか?」

 奏澄は言葉に詰まった。奏澄は、暫くの間この世界にいなかった。その間の話題は、あまり細かく把握していない。赤の海域に出てから耳にした話では、白虎は今も金の海域で変わらず活動しているようだった。そのため、そう大きな被害は無かったのだと解釈していたが。

「おいアンリ、その嫌味ったらしい喋り方やめろよな! カスミはいい奴だ。それはオレが保証する」
「ロッサさん……」

 奏澄を庇うロッサに、アンリは眉を寄せた。そして、長い溜息を吐く。

「お前の野生の勘は動物並みだからな……。まぁ、何か企んでいるとは最初から思っていない。それと、役に立つかどうかは別の話だ」

 役に立つ。その言葉に、奏澄の心臓がどきりと跳ねた。
 それを気に留めた様子もなく、アンリは奏澄を見据えた。

「ロッサが連れてきたということは、今回の件の関係者なんだろう。しかし、足手まといになるようならいるだけ邪魔だ。白虎の件すら知らないような世間知らずではな。事が済むまで、大人しくしていてくれないか。お嬢さん」

 アンリの視線に、奏澄は震えそうになる足に力を込めて、きっと彼を睨み上げた。

「嫌です。捕まっているのは、()()仲間です。この場の誰より、私にはセントラルに文句を言う権利があります。黙ってはいられません」

 睨み上げる奏澄を、アンリは黙って見下ろしていた。
 やがて、一つ息を吐く。

「……少々意地が悪かった。あなたが、彼らの船長だということは把握している。なんというか、予想以上に……幼かったもので、驚いた。覚悟があるのなら、これ以上は止めない」
「…………あなたの、幼いの定義は、わかりかねますが。一応お知らせしておくと、私は二十代です」

 言った途端、アンリが目を丸くした。もはや慣れた反応だが、だからといって何も思わないわけではない。やや不機嫌になった奏澄に、メイズが笑いを堪える素振りをした。

「それは、失礼を。レディ」

 今更呼称を変えられたところで、機嫌は直らないが。アンリが冷たい人ではないということは、わかった。あの態度は、子どもを大人の交渉事に巻き込まないようにしたかったのだろう。それが善意なのか、本当に足手まといだと思ってのことかはわからないが。

「無礼の詫びに、先ほどの質問に答えよう。白虎だが、一年と少し前、監獄島でセントラル軍に戦闘をしかけた。両者に被害が出て、白虎の(がわ)は数名の乗組員と、幹部を一人捕らえられた。船長のエドアルドは無事だが、目的である仲間を奪還することもできず、更に仲間を失うことになった。これが、白虎の規模でも真正面からいけばセントラルに勝つのは難しいと知らしめる事件になった」

 奏澄は唇を噛みしめた。エドアルドの無事は確認できたものの、やはり白虎も無傷とはいかなかったのだ。奏澄のために、乗組員が犠牲になった。幹部というのは、もしかして、オリヴィアとやりあうことになったアニクだろうか。

「ただこの話には疑問が残る。仲間を取り返すための戦闘だったとのことだが、それにしてはやり口が派手だ。セントラルの側にしても、何故か白虎が襲撃した日には普段以上の戦力が揃えられていた。噂以上の何かがあったと推察しているが、今のところ私には関係が無いので探る気も無い」

 四大海賊は別段協力関係にあるわけではない、と聞いてはいたが、なかなかドライだ。たんぽぽ海賊団のことが噂に含まれていないのは、白虎が黙っているからだ。セントラルは自分たちの失態に繋がることなので、話したがるはずはない。ならば、奏澄が口を割るわけにはいかない。それでは白虎の気づかいを無駄にする。

「……教えていただいて、ありがとうございます」

 できることなら助けたいが、今は目の前のことに集中しなければ。何もかもを一度に解決することはできない。

「んで、結局どうすんだよ? その手続きってのは済んでんのか?」
「それは私の方でしてある。これから城で謁見予定だ」
「なんだ。ならさっさと行こうぜ」
「だからお前が行くと話がこじれるから……待て、先行するな、止まれ!」

 さっさと歩き出したロッサを、アンリが追う。
 それを目で追いながら、奏澄はハリソンの側へ寄った。

「ハリソン先生、あの」
「焦らないでください。私なら、大丈夫ですよ」

 穏やかに微笑むハリソンに、一つの推測が浮かぶ。もしかして、ハリソンは既に。

「……今すぐは無理でも、この問題が解決したら、助ける方法を考えましょう」
「ええ、ありがとうございます」