無事次の島に到着し、奏澄は宿で休養することになった。船でも休んではいたが、やはり船上より地上の方が気も休まるし、新鮮な食糧も手に入る。幸い島には立派なオアシスもあり、街も栄えている様子だった。街の人間は白虎海賊団の到着を大層歓迎しており、共に降り立ったたんぽぽ海賊団の面々も好意的に扱った。白虎の影響力の強さが窺える。
 両船の状態がある程度落ちついたところで、奏澄はエドアルドに挨拶をしたいと申し出た。体調が万全になってからでも、と言ってはもらえたものの、それではその間白虎を島に留めることになる。こちらの都合にばかり合わせてもらっては申し訳ないから、と。
 それを受け、白虎からエドアルド、ハリソン、アニクが、奏澄の宿泊する宿屋へ集まっていた。部屋にはあまり人数は入れないので、たんぽぽ海賊団の側はメイズと奏澄のみである。

「わざわざご足労いただいてすみません。本来、こちらから出向かなければいけない立場なのに」
「いや、このくらいどうということはない。無理をさせるわけにはいかないからな」

 エドアルドの心づかいに、奏澄は微笑んだ。
 奏澄は自分から白虎の船へ訪れるつもりだったが、奏澄の体調を慮ったエドアルドが、少数の関係者のみで宿での面会を提案した。メイズとしても、大勢の目に晒せば奏澄の負担になるので、その方がありがたかった。

「この度は、助けていただいてありがとうございました。とても良くしていただいて、感謝の言葉もありません」

 深く頭を下げた奏澄を、エドアルドが目を細めて見た。彼からすれば、孫のような年齢だろう。子どもが背伸びしているようにも見えるのかもしれない。

「是非、お礼をさせていただきたいのですが……何か、ご希望はありますか?」

 心付けを渡すことも考えたが、白虎は金品の類を受け取らないだろう。酒を振る舞っても良いが、もてなしは既に島の人間が用意している。であれば、変にあれこれ考えるよりも、直接聞いた方が早い。
 エドアルドは、予め決めていたように頷いた。

「ああ。そちらの船に、ハリソンを迎え入れてやってくれないか」

 予想外の言葉に、奏澄とメイズが目を見開いた。ハリソンは、穏やかに微笑んだ。ということは、白虎の方では既に話がついていることなのだろう。

「……理由を、お伺いしても?」

 戸惑う奏澄に、ハリソンが口を開いた。

「私から、エドアルド船長に頼みました。あなたの船医になりたいと。あなたの治療ができる医者は、おそらく私の他にはいません。あなたに何かあった時、すぐに対応できる場所にいたいのです」
「でも……それは、あまりにも、私にとって都合が良すぎます。あなたにメリットがありません」
「いいえ。私は、医療を行うために、船医をしています。私が最も必要とされる場所に、身を置いていたい。今は、それはあなたの側だと思うのです。レオくんのことも、気になりますしね」

 レオナルドの名前を出されて、奏澄は言葉を詰まらせた。これは受けるだろう、とメイズは息を吐いた。自分だけなら断るだろうが、レオナルドにも何らかの特異な体質があるのなら、それを把握できる医者はいた方がいい、と考えるのが彼女だ。ハリソンはセントラルに目をつけられているという不安要素もあるが、それは奏澄も同じこと。

「エドアルドさんは、本当にそれでいいんですか? 白虎にとっても、大きな損失でしょう」
「なに、うちには他にも船医はいる。皆ハリソンの指導を受けた優秀な者たちだ。引けは取らん」

 エドアルドの言葉に、遠慮は見えない。本心だと受け取ったのだろう、奏澄はハリソンに向き直り、握手を求めた。

「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ」

 ハリソンが握手に応じ、二人は互いに微笑んだ。どことなく、雰囲気が似ている気もする。うまくやっていくだろう。

「結局、私たちが貰ってばかりで、何もお礼ができていませんね」

 苦笑した奏澄に、エドアルドは悠然と答えた。

「――いや。そうでもない」
「え?」

 きょとん、とする奏澄に、エドアルドはその言葉の意味を教えなかった。代わりに、メイズの預けた指輪を取り出した。

「これを返さないとな」

 エドアルドは、チェーンを通したままの指輪を奏澄に手渡した。そして、屈みこんで小声で奏澄に何かを告げた。
 それを受けた奏澄は一瞬息を呑んでエドアルドを見つめると、指輪を持ってメイズの前に立った。

「メイズ、屈んで」

 唐突な言葉に、メイズが首を傾げる。

「これ、つけるから」
「自分でやる」
「いいから」

 何故か引かない奏澄に、メイズは渋々屈んだ。奏澄がチェーンを開いて、正面からメイズの首に手を回す。そのまま待つが、奏澄が手を回したまま離れない。

「カスミ?」

 後ろで引っかけるだけなのに、やけに時間がかかる。そんなに不器用だっただろうか、とメイズが疑問に思っていると、回された腕に力が入り、首元に奏澄が抱きつく格好となった。
 驚きに体を硬直させると、奏澄が耳元で小さく囁いた。

「ありがとう」

 その言葉が何に対してなのかはわからないが、腕を離した奏澄は、照れたように笑っていた。

「そーいうの俺らが帰ってからやってくれねーかなー!!」
「わっ!?」

 突如響いたアニクの叫び声に、奏澄が肩を跳ねさせた。

「アニク……あなたって人は」

 ハリソンが頭を抱える。

「え、あ、ご、ごめんなさい……?」
「気にするな、ただの僻みだ」

 反射的に謝った奏澄に、エドアルドが呆れた声で言った。
 拗ねた様子のアニクに対して、奏澄が世話になった礼を言うと、一応は機嫌を直したようだった。アニクはハリソンについていただけで、実質何もしていないようにも思われるが。
 今後の航海の無事を祈り、別れを告げ、エドアルドとアニクは自分たちの船に戻った。
 残ったハリソンに、奏澄は自分たちの現状と、航海の目的を告げた。

「ハリソンさんは、セントラルの国家研究員だったと伺いました。もしかして、これについて何かわかりますか?」

 言って、奏澄はコンパスと、それが入っていた本を差し出した。さすがに病中寝ている間は外していたので、ハリソンがコンパスを見るのはこれが初めてだった。
 ハリソンは本をぱらぱらと捲り、軽く目を通すと、真剣な眼差しをした。

「これは、セントラルで用いられている暗号ですね」
「読めるのか」
「暗号自体は共通で使用されているもので、関係者ならおそらく誰でも読めるかと」

 尋ねたメイズは、ハリソンの回答に拍子抜けした。かなり機密性の高いものだと思われたので、暗号も複雑なのではないかと想定していたのだが。

「暗号を複雑にする必要はなかったんでしょう。読めたところで、使えるものではありません」
「……どういうことだ?」
「そのコンパスを使うには、『はぐれ者』が不可欠だからです」

 ハリソンの言葉に、メイズと奏澄が息を呑む。はぐれ者しか使えない物を、セントラルが所有していた。それが何を意味するか。

「ざっと目を通しただけですので、後ほど詳細に読んでおきます。この本は、お預かりしても構いませんか?」
「はい、勿論」
「それと、エドアルド船長に、まだこの島に留まるように急ぎ伝えてきます」
「……え?」
「事によっては、白虎の協力を仰ぐ必要があるかもしれません」

 それはいったいどういうことか。四大海賊の力を必要とする事態など、並大抵ではない。
 不安そうな顔をした奏澄に、安心させるようにハリソンは微笑んだ。

「大丈夫ですよ。悪いようにはなりません。あなたは、まずゆっくり静養してください」
「……ありがとうございます」

 ハリソンの言葉通り、奏澄はまず体調の回復に努めた。宿で静養する間、代わる代わる乗組員が見舞いに来て、メイズが苦言を呈すようなこともあったが、奏澄は嬉しそうに笑っていた。