メイズとアニクが奏澄の部屋へ入室する。ハリソンは奏澄のベッドの横に椅子を置き、そこに座っていた。マリーはハリソンの側に立っている。
 ハリソンがメイズに向き直り、説明を始めた。

「カスミさんが患っているのは、金の海域特有の熱病です。この病は感染力は低く、普通に接しているくらいでは移りませんが、抵抗力の低い状態だと発症しやすいです。体力が落ちている時に、どこかの島で貰ってしまったんでしょう」

 メイズは眉間に皺を寄せた。奏澄を弱らせたのは、間違いなく玄武の一件だろう。そのせいで、今こうなっているのだとしたら。悔やんでも仕方のないことだが、あれが無ければ、と思ってしまう。

「治療には、大元の菌を殺す必要があります。そのための薬を、さきほど打っておきました」
「打つ?」

 聞き慣れない言い方に、メイズがオウム返しに問う。

「ああ、馴染みがありませんでしたか。注射と言って、体内に直接薬を打ち込める技術です。セントラルでは一般的になってきたんですが、まだ他の海域ではそれほど普及してませんね」
「それは、こいつに使って問題無いのか」
「問題ありませんよ。女性にも子どもにも使えます。経口投与より効果も早いですし、今のカスミさんのように、意識が無くても治療できますしね」

 注射とやらはよくわからないままだが、メイズは医療に関しては門外漢だ。ハリソンには、奏澄を害するメリットが無い。今のところは、言われたことを信じるしかないだろう。

「通常はこれで、暫く安静にし、きちんと栄養を取れば回復します。ですが、カスミさんに関しては気にかかることが」

 眉を寄せるハリソンに、メイズも表情が険しくなる。

「確かに、この病に対症療法は効果がありません。ですが、それは一度症状が引いて見えても、菌が潜伏している限り何度でもぶり返す……ということであって、解熱剤を使用しても一度も熱が下がらなかった、というのは気がかりです」

 メイズは唇を引き結んだ。やはり、彼女の体質は、何かしら特殊だと見るべきだろう。もし、この薬も効かなければ。

「ひとまず、このまま三時間ほど様子を見ましょう。それで効果が無いようであれば、次の手を打ちます」
「……あるのか」

 驚いたように零すメイズに、ハリソンは微笑んだ。

「サクラさんの件で、何も学んでいない私ではありませんよ」

 サクラ。また、その名前だ。ハリソンはレオナルドと面識があるようだった。話の流れから察するに、おそらく彼は。

「薬が効くまでの間、今後の治療方針も含め、私のことをお話ししましょう。レオくんも交えて。構いませんか?」

 ハリソンの問いにメイズが頷く。それを確認して、ハリソンは立ち上がり、アニクと共に部屋の外へ出た。残ったマリーが、メイズに声をかける。

「あたしは残るよ。カスミについてたいから。後で要点だけ教えてくれる?」
「わかった、頼む」

 マリーに後を任せ、メイズも続いて部屋を出た。

 メイズはハリソンとアニクを連れて、レオナルドに声をかけるため上甲板を目指して歩き出す。
 先頭を歩くメイズに、後ろからハリソンが声をかけた。

「メイズさんは、体調に変化はありませんか?」
「問題無い」
「それなら良かったです。もし、少しでも異常を感じたら、すぐに言ってくださいね。薬はまだありますから」
「……感染力は、低いんだろう?」

 怪訝な顔で、メイズはハリソンを振り返った。奏澄と近しい位置にいたから気にしているのだろうが、それなら看病を行っていたマリーたちの方がリスクが高い。マリーには先ほど既に伝えている可能性もあるが、メイズはそれほど長時間一緒にいたわけではない。

「ええ、まあ、通常は。ですが、もし発症から遡って五日以内に親密なスキンシップを行っていたようであれば、感染している可能性もあるので」

 メイズは一瞬意味がわからずに首を傾げた。どういう意味か問おうとして、その意味に思い当たって、()()が頭を過ぎって、思考停止した。

「………………無い」
「そうですか」

 やっとの思いでそれだけ絞り出したメイズに、ハリソンはにこやかに一言で返した。だが、同行しているアニクはそうはいかなかったようだ。

「えぇ? お前、同じ船にいて五日以上も何もしてねぇの? タマついて」
「アニク」

 にこやかな笑顔のまま、強い圧力をかけるハリソンの言葉に、アニクはすぐに黙った。

「人様の関係に口を出すんじゃありません」
「さーせん……」

 怯えた様子のアニクは、子犬のように縮こまっていた。船で船医に逆らうものではない。
 しかし、メイズは後ろの様子など全く意識の外だった。
 
 一瞬。ほんの一瞬でも、彼女に対して()()が過ぎったことが許せなかった。
 彼女は。純粋で、穢れなく。小さく、弱い。
 自分などが、穢していい存在ではない。暴力にも等しい欲求を向ければ、壊れてしまう。
 ぞっとした。守るはずの自分が、彼女を壊してしまう可能性が、ほんの僅かでも存在するということに。
 あり得ない。あってはならない。あまりのおぞましさに、眩暈さえする。

 何故か、とうに塞がっているはずの右手の傷が、痛んだ。