次の島での買い出しリストを作るため、奏澄は倉庫にある備品の在庫をチェックしていた。基本的に備品に関しては商会の管轄だが、奏澄も簡単な手伝い程度ならしている。
よく使う倉庫から順に確認して、最後の倉庫のドアの前に立った時、『使用中』の札がかけられているのを目にして、奏澄は少しだけ迷った。
この札がかかっているということは、今中にレオナルドがいる。
レオナルドの部屋は相部屋で、自身の作業スペースが無い。船内にはヴェネリーアにあったような立派な工房も無い。だが工具などを持ち込めば、必然的に場所を取る。そのため、レオナルドは使用頻度の低い倉庫の一角を改造して、そこを作業場にしていた。当人いわく、別に人の出入りがあっても気にはしないらしいが、一応中に人がいることを知らせるために札をかけるルールにしたのだった。
集中しているかもしれないし、できれば後にした方がいいのだろうが、いつ終わるのかもわからない。ここだけ残しておくのも後から忘れる原因になる。そう考えた奏澄は、遠慮がちにドアをノックした。
「どーぞー」
音は聞こえたらしい。返事を聞いてから奏澄はそっとドアを開けて、中にいるレオナルドに声をかけた。
「作業中にごめんね。ちょっとだけ備品の確認したいんだけど、今平気? あとの方がいい?」
「別に今でいいよ」
「ありがとう。なるべく早く済ませるね」
了承を得られたので、さくさく済ませよう、と奏澄はドアを大きく開けたまま、中に足を踏み入れた。
レオナルドの作業を邪魔しないように、できるだけ静かに自分の作業を進めていく。
作業音だけが響く空間で、奏澄はちらりとレオナルドへ視線を向けた。
黙々と手を動かすレオナルドは、寡黙な職人にしか見えない。実際愛想がいい方ではないのだが、奏澄といる時はよく話すので、ギャップを感じる。
真顔の美形は人形のようだな、などと本人には言えないことをぼんやり思った。
あらかたのチェックが終わり、よし、と小さく呟いて、奏澄は部屋を出ようと開けたままのドアへ向かった。
「終わったから行くね。お邪魔しました」
「あ、やば」
「えっなに!?」
突然の不穏な言葉に、奏澄は肩を跳ねさせた。
「カスミ、ドア閉めて。部品そっち転がってった」
「えっえっ!?」
言われるがままにドアを閉め、足元に視線を落とす。小さな物だろうか。もし外に転がっていってしまっていたら大変だ。
「どんなやつ?」
ドアに向かったまま慌てて屈もうとする奏澄の後ろから手が伸びて、カチャン、と鍵の音がした。
「ごめん、嘘」
耳元から聞こえた声に、ちり、とうなじのあたりに何かが走った。
「意識されてるなとは思ってたけどさ。やっぱあんた、詰めが甘いよな」
普段と違う声のトーンに、奏澄は急に喉が渇くのを感じた。
確かに、甘かった。何だかんだで、こういう手段には出ないと、高を括っていたのだ。
「……今ならまだ、冗談で許してあげる」
硬い声で告げて、鍵に手を伸ばす奏澄。その手をぐっと引いて体の向きを変え、レオナルドは向かい合わせで奏澄の腰を抱き寄せた。
「どうかな。冗談だと思う?」
「放して」
「つれないな。ここにはあの番犬もいないんだぜ? それとも大声で呼んでみる?」
からかうようなレオナルドの口調に、奏澄は眉を寄せて溜息を吐いた。
「しない。本当に来ちゃったら流血沙汰になるもの」
「あれ、この状況で俺の心配してくれるんだ」
「当然でしょ。大事な仲間なんだから」
言われたレオナルドは、面食らったように目を瞬かせた。
「船長に手を出しても?」
「まだ、出してない」
「これから出すつもりなんだけど」
するりと奏澄の頬に手をすべらせて、楽しげに目を細めたレオナルドと奏澄の視線が絡み合う。
「私は、仲間を信頼してる。レオのことも」
ぴたりと、レオナルドの動きが止まる。
「この船の乗組員はみんな、特殊な事情にも関わらず、私のために力を貸してくれている。私のために、この船にいてくれるの。だから、私の嫌がることは絶対にしない」
「……すげー自信」
「そうだよ。この自信は、みんながくれたの」
自分一人では、決してそんな考えは持てなかっただろう。
最初は、見張られているのではというほどに怯えていた。寄りかかれるのはメイズだけだった。けれど、誰も奏澄を傷つけたりはしなかった。皆が奏澄を見守ってくれた。
遊びの旅ではないから、叱られたこともある。呆れられたこともある。それでも、誰も奏澄を見捨てたりはしなかった。手取り足取り甘やかすお飾りの船長にもしなかった。うまくできなくても、それでもいいと笑って、奏澄が立ち上がるのを待った。
自分にはできないことがたくさんある。でも、自分にもできることがある。与えて、与えられて。人に頼る勇気を、人に手を差し伸べる勇気をくれた。
メイズは、奏澄の神様だった。けれど、奏澄の世界は、この船の仲間たちだ。
朗らかに笑う奏澄に、レオナルドは言いたいことを幾つも飲み込んだような顔をした。
「あんたのその相手の良心をアテにしたやり方、どうかと思う」
「効かない?」
「……効くけどさぁ」
大きく溜息を吐きながら、降参、というように両手を上げて、レオナルドは奏澄の肩に頭を預けた。
「レオ」
「これくらいは、許してよ。これで最後にするから」
「……うん。ごめんね」
宥めるように、奏澄はレオナルドの頭を撫でた。
「俺がもうちょっと悪い男だったら、あんた今頃無事じゃ済まないからな」
「レオがそういう人だったら、仲間にしてないよ」
軽く笑った奏澄に答えるように、レオナルドも肩口で笑った。
「な。一個聞いていい?」
顔を上げたレオナルドの疑問に、奏澄は頷いた。
「カスミは、メイズのこと好きなの?」
「……好き、ではあるよ。人として」
「男としては?」
「考えた、ことがない、かな。私は……いつか、帰るから。恋愛とかは」
終わりが最初から見えている恋など、辛いだけではないだろうか。そもそも、奏澄は今を生きるのに精一杯で、そこまでの心の余裕が無い。恋愛とは、相手を思いやる心だ。そのゆとりがなければできるものではない。
「それ関係ある?」
すぱっと言い切ったレオナルドに、奏澄は動揺した。
「いや、だって……ずっと一緒にいれるわけじゃ、ないし。相手の将来に責任も持てないし」
「そんなの。俺たちだって、明日死ぬかもしれないんだし、同じだろ。いつ失うかわからないから、少しでも長く近くにいたいもんなんじゃないの」
そういう考え方もあるのか、と奏澄は素直に感心した。
「や、でも、メイズはね。私のこと、子どもだと思ってるから」
暗に向こうが対象外だろう、と言ってみせたのだが、レオナルドは理解できないという顔で。
「冗談だろ。あれが子どもを見る目かよ」
「……んん?」
「あんた、メイズの一番近くにいるのに、あいつのこと一番わかってないんじゃないの」
言われた言葉に、奏澄は少なからずショックを受けた。ショックを受けるということは、心当たりがあるということだ。
メイズの一番近くにいるのは自分だと思っている。自分が一番メイズの表情を知っているという自負もある。けれども。
時折仲間が話す『黒弦のメイズ』のこと。メイズが奏澄に見せないようにしている、何か。メイズのためだと思い込んで、目を逸らしているそれらを。奏澄は、知るべきなのだろうか。
「あーあ、やっぱ諦めるのやめよっかな」
「ちょ、ちょっと」
「なんかまだ付け入る隙ありそうだし。加減はわかってきたし」
「ないないない、ないから。きっぱり諦めてもらって」
「それは俺が決める。とりあえず、今日のところは大人しく引き下がってあげるけど」
レオナルドは奏澄の背を押して、ドアを開けた。
「次も逃がしてやるとは、限らないから」
何かを言おうと口を開けた奏澄を外へ追い出して、レオナルドはドアを閉めた。
「~~~~っ」
結局何も言えなかった奏澄は、込み上げた言葉を飲み下して、大きく息を吐いた。
ああは言ったが、ひとまずレオナルドの件はこれで一段落したと見ていいだろう。
歩きながら、少しだけ強張った体を解した。
人の力を借りなくても、自分で問題が解決できた。そしてそれは、船の仲間が奏澄を成長させてくれた結果だ。そのことが嬉しく、誇らしかった。
小さなことかもしれないが、メイズに甘えてばかりの自分ではないのだと。少しでも、そう思えたから。
よく使う倉庫から順に確認して、最後の倉庫のドアの前に立った時、『使用中』の札がかけられているのを目にして、奏澄は少しだけ迷った。
この札がかかっているということは、今中にレオナルドがいる。
レオナルドの部屋は相部屋で、自身の作業スペースが無い。船内にはヴェネリーアにあったような立派な工房も無い。だが工具などを持ち込めば、必然的に場所を取る。そのため、レオナルドは使用頻度の低い倉庫の一角を改造して、そこを作業場にしていた。当人いわく、別に人の出入りがあっても気にはしないらしいが、一応中に人がいることを知らせるために札をかけるルールにしたのだった。
集中しているかもしれないし、できれば後にした方がいいのだろうが、いつ終わるのかもわからない。ここだけ残しておくのも後から忘れる原因になる。そう考えた奏澄は、遠慮がちにドアをノックした。
「どーぞー」
音は聞こえたらしい。返事を聞いてから奏澄はそっとドアを開けて、中にいるレオナルドに声をかけた。
「作業中にごめんね。ちょっとだけ備品の確認したいんだけど、今平気? あとの方がいい?」
「別に今でいいよ」
「ありがとう。なるべく早く済ませるね」
了承を得られたので、さくさく済ませよう、と奏澄はドアを大きく開けたまま、中に足を踏み入れた。
レオナルドの作業を邪魔しないように、できるだけ静かに自分の作業を進めていく。
作業音だけが響く空間で、奏澄はちらりとレオナルドへ視線を向けた。
黙々と手を動かすレオナルドは、寡黙な職人にしか見えない。実際愛想がいい方ではないのだが、奏澄といる時はよく話すので、ギャップを感じる。
真顔の美形は人形のようだな、などと本人には言えないことをぼんやり思った。
あらかたのチェックが終わり、よし、と小さく呟いて、奏澄は部屋を出ようと開けたままのドアへ向かった。
「終わったから行くね。お邪魔しました」
「あ、やば」
「えっなに!?」
突然の不穏な言葉に、奏澄は肩を跳ねさせた。
「カスミ、ドア閉めて。部品そっち転がってった」
「えっえっ!?」
言われるがままにドアを閉め、足元に視線を落とす。小さな物だろうか。もし外に転がっていってしまっていたら大変だ。
「どんなやつ?」
ドアに向かったまま慌てて屈もうとする奏澄の後ろから手が伸びて、カチャン、と鍵の音がした。
「ごめん、嘘」
耳元から聞こえた声に、ちり、とうなじのあたりに何かが走った。
「意識されてるなとは思ってたけどさ。やっぱあんた、詰めが甘いよな」
普段と違う声のトーンに、奏澄は急に喉が渇くのを感じた。
確かに、甘かった。何だかんだで、こういう手段には出ないと、高を括っていたのだ。
「……今ならまだ、冗談で許してあげる」
硬い声で告げて、鍵に手を伸ばす奏澄。その手をぐっと引いて体の向きを変え、レオナルドは向かい合わせで奏澄の腰を抱き寄せた。
「どうかな。冗談だと思う?」
「放して」
「つれないな。ここにはあの番犬もいないんだぜ? それとも大声で呼んでみる?」
からかうようなレオナルドの口調に、奏澄は眉を寄せて溜息を吐いた。
「しない。本当に来ちゃったら流血沙汰になるもの」
「あれ、この状況で俺の心配してくれるんだ」
「当然でしょ。大事な仲間なんだから」
言われたレオナルドは、面食らったように目を瞬かせた。
「船長に手を出しても?」
「まだ、出してない」
「これから出すつもりなんだけど」
するりと奏澄の頬に手をすべらせて、楽しげに目を細めたレオナルドと奏澄の視線が絡み合う。
「私は、仲間を信頼してる。レオのことも」
ぴたりと、レオナルドの動きが止まる。
「この船の乗組員はみんな、特殊な事情にも関わらず、私のために力を貸してくれている。私のために、この船にいてくれるの。だから、私の嫌がることは絶対にしない」
「……すげー自信」
「そうだよ。この自信は、みんながくれたの」
自分一人では、決してそんな考えは持てなかっただろう。
最初は、見張られているのではというほどに怯えていた。寄りかかれるのはメイズだけだった。けれど、誰も奏澄を傷つけたりはしなかった。皆が奏澄を見守ってくれた。
遊びの旅ではないから、叱られたこともある。呆れられたこともある。それでも、誰も奏澄を見捨てたりはしなかった。手取り足取り甘やかすお飾りの船長にもしなかった。うまくできなくても、それでもいいと笑って、奏澄が立ち上がるのを待った。
自分にはできないことがたくさんある。でも、自分にもできることがある。与えて、与えられて。人に頼る勇気を、人に手を差し伸べる勇気をくれた。
メイズは、奏澄の神様だった。けれど、奏澄の世界は、この船の仲間たちだ。
朗らかに笑う奏澄に、レオナルドは言いたいことを幾つも飲み込んだような顔をした。
「あんたのその相手の良心をアテにしたやり方、どうかと思う」
「効かない?」
「……効くけどさぁ」
大きく溜息を吐きながら、降参、というように両手を上げて、レオナルドは奏澄の肩に頭を預けた。
「レオ」
「これくらいは、許してよ。これで最後にするから」
「……うん。ごめんね」
宥めるように、奏澄はレオナルドの頭を撫でた。
「俺がもうちょっと悪い男だったら、あんた今頃無事じゃ済まないからな」
「レオがそういう人だったら、仲間にしてないよ」
軽く笑った奏澄に答えるように、レオナルドも肩口で笑った。
「な。一個聞いていい?」
顔を上げたレオナルドの疑問に、奏澄は頷いた。
「カスミは、メイズのこと好きなの?」
「……好き、ではあるよ。人として」
「男としては?」
「考えた、ことがない、かな。私は……いつか、帰るから。恋愛とかは」
終わりが最初から見えている恋など、辛いだけではないだろうか。そもそも、奏澄は今を生きるのに精一杯で、そこまでの心の余裕が無い。恋愛とは、相手を思いやる心だ。そのゆとりがなければできるものではない。
「それ関係ある?」
すぱっと言い切ったレオナルドに、奏澄は動揺した。
「いや、だって……ずっと一緒にいれるわけじゃ、ないし。相手の将来に責任も持てないし」
「そんなの。俺たちだって、明日死ぬかもしれないんだし、同じだろ。いつ失うかわからないから、少しでも長く近くにいたいもんなんじゃないの」
そういう考え方もあるのか、と奏澄は素直に感心した。
「や、でも、メイズはね。私のこと、子どもだと思ってるから」
暗に向こうが対象外だろう、と言ってみせたのだが、レオナルドは理解できないという顔で。
「冗談だろ。あれが子どもを見る目かよ」
「……んん?」
「あんた、メイズの一番近くにいるのに、あいつのこと一番わかってないんじゃないの」
言われた言葉に、奏澄は少なからずショックを受けた。ショックを受けるということは、心当たりがあるということだ。
メイズの一番近くにいるのは自分だと思っている。自分が一番メイズの表情を知っているという自負もある。けれども。
時折仲間が話す『黒弦のメイズ』のこと。メイズが奏澄に見せないようにしている、何か。メイズのためだと思い込んで、目を逸らしているそれらを。奏澄は、知るべきなのだろうか。
「あーあ、やっぱ諦めるのやめよっかな」
「ちょ、ちょっと」
「なんかまだ付け入る隙ありそうだし。加減はわかってきたし」
「ないないない、ないから。きっぱり諦めてもらって」
「それは俺が決める。とりあえず、今日のところは大人しく引き下がってあげるけど」
レオナルドは奏澄の背を押して、ドアを開けた。
「次も逃がしてやるとは、限らないから」
何かを言おうと口を開けた奏澄を外へ追い出して、レオナルドはドアを閉めた。
「~~~~っ」
結局何も言えなかった奏澄は、込み上げた言葉を飲み下して、大きく息を吐いた。
ああは言ったが、ひとまずレオナルドの件はこれで一段落したと見ていいだろう。
歩きながら、少しだけ強張った体を解した。
人の力を借りなくても、自分で問題が解決できた。そしてそれは、船の仲間が奏澄を成長させてくれた結果だ。そのことが嬉しく、誇らしかった。
小さなことかもしれないが、メイズに甘えてばかりの自分ではないのだと。少しでも、そう思えたから。