翌日。奏澄は、エマとローズとカフェでお茶をしていた。
 この二人とはマリーを含めたメンバーでよく女子会をしているのだが、残念ながら今回マリーは商会の仕事の関係で不在だった。
 暖かい日差しに爽やかな風。絶好の気候の中で、開放的なテラス席で飲むお茶は、本来ならば格別に美味しいことだろう。
 しかし、味がわかっているのかいないのか、ぼうっとした様子でカップを口に運ぶ奏澄に、エマとローズは顔を見合わせた。

「カスミ、なんかあった?」

 直球で聞いてきたのはエマである。
 何度もお喋りをする中で、女性陣とはかなり打ち解けており、お互いに口調も態度もだいぶ砕けたものとなっていた。もっともそれは女子会中の話で、船の中ではけじめをつけるためにある程度きちんとしている。エマは結構な確率で忘れることもあるが。

「え? ああ、ごめん。ぼーっとしてた」
「またメイズさんと何か?」

 心配とも呆れとも取れる声色でローズが問う。また、と言われてしまったことに、奏澄は苦笑した。そんなに自分はいつもメイズのことで悩んでいるだろうか。

「ちょっとね」
「わかった、当ててみせよう。メイズさんがめんどくさい彼氏みたいなこと言い出した!」

 エマの台詞に、ごふ、と奏澄が咽た。
 面倒くさい彼氏。言い得て妙だと思ってしまった。

「いや……いやいや。彼氏じゃ、ないからね」
「むしろそこでしょ。彼氏でもないのにあの独占欲なんなの?」
「独占欲……かなぁ」

 呟いて、奏澄は眉間に皺を寄せた。
 以前マリーにも言われたことがある。その時はしっくりこなかったが、今はうっすら思い当たることが無くもない。しかし、どうもエマが思っている意味合いとは違うように思う。

「でもほら、今だって、こうしてメイズ抜きでお茶してるわけだし」

 そう言った奏澄に二人はぎょっとして、ローズは立ち上がって奏澄の肩をがっしりと掴んだ。

「しっかりして、カスミ。四六時中一緒にいて、他人との行動を許さないところまできたら、それはもう異常だから」
「う、うん、わかった」

 普段冷静なローズの剣幕に奏澄は頷くしかなく、疑わしげにしながらも、ローズは席に座り直した。
 それを見ていたエマが、肘をついて溜息を吐いた。

「心配だなぁ。カスミはゆるゆるだからなぁ」
「ゆ、ゆるゆる」
「許容範囲が広いって意味だよ」

 ローズの補足に、奏澄はむぅと唸った。それに近しいことを、言われた気がする。
 自分の基準で判断していると、また何か心配させる要因となるかもしれない。

「あのね」

 奏澄は考えた結果、あまりメイズのことには踏み込まないよう、自分の行動を中心に、昨日の出来事をかいつまんで二人に話した。

「……ってことなんだけど」

 奏澄が話し終わると、二人の表情は「あちゃー」とでも言いたげな様子だった。

「うちの船には、そういう問題起こす人いなかったもんなぁ」
「それは、メイズさんの女に手を出す命知らずはいないでしょう」
「ブツを潰された挙句、手足千切られてマストにさらされそう」

 言いながら想像したのか身震いするエマに、奏澄も映像が浮かびかけて顔を歪めた。

「いくらなんでも例えがエグすぎでしょ。そんな鬼畜みたいなことする海賊がいるの?」

 幸いにも、奏澄は今までその手の海賊にお目にかかったことはない。しかし悪名高い海賊ならば、弱者をいたぶることに楽しみを見出す者もいるのだろうか。
 冗談だ、と笑い飛ばしてくれるものと思った奏澄だったが、エマとローズは何故か意味ありげに視線を交わした。

「……え? いるの?」

 まずいことを聞いてしまっただろうか、と背筋に寒気を感じながら聞き返す。

「いやぁ……まぁ……」
「そういう人たちも、どこかにはいるからね。カスミも気をつけないと」

 なんだかはぐらかされた気がするが、ローズの言葉に奏澄は素直に頷いた。

「そういう海賊もいるから、メイズは私のこと心配してばっかなのかな」

 奏澄が知らないだけで、想像を絶するような悪人というのがいる所にはいるのだろう。そしてこの世界は、日本ほど治安が良くない。メイズから見れば、奏澄などかっこうのエサにしか見えないのかもしれない。
 目線を落とす奏澄に、エマは腕を組んで唸った。

「今回に限っては、コトはもーちょっと単純そうな気がするんだけどなぁ」

 言って、エマはジト目で奏澄を見た。

「まぁメイズさんの言いたいこともわかる気がする。カスミ、泣いて土下座で頼んだらヤらせてくれそう」
「自船の船長に向かってすごい言い草だね。断るけど?」

 元の世界でなんとなく聞いたことのあるフレーズに似ている。こちらの世界でもそういうジョークはあるのだな、と奏澄は呆れた。直球表現を避けたが、要は「ちょろい」という意味だろう。
 いくらなんでもそれはない、と奏澄は驚きつつも即答した。
 するとエマはふむと頷き、

「じゃ、具体的なシチュエーションを考えよう。相手は仲間の誰かだと思ってね」
「ええ? 続くのその話題」
「いーから聞くだけ聞いてよ。ある日、仲間が神妙な顔でさ、こう言うの」

 すっと空気を変えて、妙に芝居がかった仕草と声色でエマが続けた。

「俺、明日処刑されることになったんです。故郷に残してきた恋人に、最期に会いたかったな。最期にもう一度だけ、あの温もりを覚えておきたかった。……そういや船長、あいつにちょっと似てるんですよ。代わりなんて、すごく失礼なことだって、わかってるんですけど。俺の人生最後の頼みです。一晩だけ……夢を、見させてくれませんか」

 ひどく重たい空気をまとって演じられた茶番に、奏澄は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「どう?」

 ぱっとそれまでの空気を霧散させ、あっけらかんと聞いてくるエマに、奏澄は頭を抱え黙りこくった。

「………………」
「断れそう?」

 追撃を繰り出すエマに、奏澄は言葉を絞り出すようにして答えた。

「それは…………断れないかも……しれない……」
「ほらあ!」

 指をさすエマに、奏澄は反論した。

「いやそれは前提条件が厳しすぎない!? だって明日死ぬんでしょ? しかも仲間でしょ? それを断るのはあまりにも自分が人でなしみたいな気分にならない!?」
「多分、そこなんじゃないかな」

 口を挟んだローズに、奏澄は視線を移した。

「例えばカスミが、慈愛の心を持って、本当にそうしたいならいいと思う。でも、なんとなく相手に申し訳なくて、悪く思われたくなくて、断れないんでしょう? 断らないんじゃなくて」

 言われて、奏澄は唇を引き結んだ。そうだ。奏澄の、悪い癖が出ている。

「あんまり何でも許しちゃうとね。悪気がなくても、ちょっとした出来心でつけ込んじゃうかもしれないよ」
「……仲間になってくれた人に、私を許してくれた人に、できるだけたくさんのことを許したいと思うのは、変?」
「変じゃないよ。でも、線引きはしっかりしないと。自分が傷つかない程度にね。じゃないと、結局誰かを傷つけてしまうから」

 ローズの諭すような言い方に、奏澄はゆっくり頷いた。
 誰かに何かを許したいと思った時。それが本心なのか、同情なのか、あるいはただの見栄なのか、諦めなのか。自分の心でも、はっきりわかるとは限らない。
 曖昧だと言われる日本人の国民性が、奏澄は嫌いではない。人間はいつだって曖昧だ。だから自分の曖昧さも、人の曖昧さも許したい。
 けれど確かなことは、自分はメイズを傷つけたのだということ。意図せず、自分を軽く扱ってしまったから。
 自分に関しては、この程度なら、と思ってしまう。大切な人が同じ目にあったら、そうは思えないのに。

「とりあえずカスミは、誰が相手でも『ダメなことはダメ!』って言うところから始めないとね」

 明るく笑ったエマに、奏澄はへたくそな笑顔で返した。

「それはエマから勉強させてもらおう。よろしくね!」
「まっかせて! あたしそーゆーの得意!」