『愛するダビデとレオナルド
あなたたちは私の宝物
私の生きる理由 私の生きた証 私の全て
一度全てを捨てた私に 全てを与えてくれた
どうか私を忘れないで 私がいなくなっても
愛していることを忘れないで
忘れないで――』
最後の言葉は、特に強く消されていた。
サクラの心情は、奏澄には推し量ることしかできない。
絵を見れば、サクラが二人を心から愛していたことはわかる。二人が読むことを見越したメッセージならば、二人への愛と感謝を、幸せを願う言葉だけを綴っただろう。
これは、誰にも読まれることはないと思って書いた言葉だ。サクラが零した、祈るような願い。
忘れないで。
確かなものが何もないサクラにとって、家族だけが、この世界との繋がりだった。
二人に忘れられてしまえば、自分の存在が消えてしまう。自分のいない二人の絵を見て、そんな恐怖に駆られたのかもしれない。それを文字にして、誰にも読めないとわかっていて、それでも消した。自分の心を打ち消すように。
その心を暴いてしまったのは、果たしてサクラにとって良かったのかどうか。
奏澄は、何も言わないレオナルドの横顔を見た。何と声をかけていいのかわからない。
無意味に口を開いては閉じた。
「母さんは」
沈黙を破ったレオナルドの声に、奏澄は大げさに肩を跳ねさせた。
「いつも笑っていて、強い人だと思ってた。うんとガキの頃は。でも、すぐにわかったよ。本当は弱い人だって。だから、俺が守ってやるんだって、子どもながらに思ってた」
「レオナルドさん……」
何か言葉をかけようとして、突然横から強い力で抱き寄せられた。
「レオナルドさん!?」
レオナルドに両腕でしっかりと抱き締められて、奏澄は身を捩った。
「こうやって、抱き締めてあげられると、思ってたんだ。母さんが俺にしてくれたように。大人になったら、俺が母さんにしてあげたいこと、たくさんあったのに」
その声を聞いて、奏澄は動きを止めた。そして少し迷って、レオナルドを抱き締め返した。
「忘れない、忘れるわけがない」
「そうですね。覚えていてあげてください。お母様のこと、お母様が話した故郷のこと」
サクラがレオナルドに故郷の話をしたのは、きっと覚えていてくれる人が欲しかったから。
自分が生まれ育った場所を、無かったことにはしたくなかった。そうでなければ、絵に残したりはしないはずだ。
一度全てを捨てた。
その言葉の真意はわからないが、故郷を切り捨てたのであれば、レオナルドに桜を見せたいなどとは言わないだろう。
レオナルドはサクラが帰りたがっていたと言ったが、おそらくこの世界から離れたいという意味ではない。サクラはこの世界に大切なものができて、それを幸福に思っていた。
家族に故郷を見せたかったか、故郷に家族を見せたかったのか。その気持ちは、奏澄にもわかる。
奏澄も、決して忘れないだろう。サクラという女性のことを。自分とよく似た同胞を。
レオナルドの気持ちが落ちつくまで、と奏澄は抱き合ったまま動かずにいたが、やがてレオナルドがゆっくりと腕を緩めた。
「悪かったな、急に」
「いえ。落ちつきましたか?」
「おかげさまで」
答えたレオナルドは、幾分かすっきりとした顔をしていた。
「迷惑かけたから、あれはサービスで直しとくよ」
そう言って、レオナルドはアントーニオが置いていった調理器具を指し示した。
「えっちゃんと代金払いますよ! こちらが頼んで話を聞かせてもらったんですし」
「いいから。二日後に取りに来て。それまでに終わらせとく」
「でも」
言い募る奏澄に、レオナルドはずいと顔を近づけた。
「余計なお世話かもしれないけど、いくら弱ってても男に拘束されたら、ちょっとは抵抗した方がいいぜ」
「な」
「こういう時も」
眼前で不敵に笑うレオナルドに、奏澄は言葉を無くして、慌てて席を立った。
「わかりました! 二日後ですね、よろしくお願いします!」
言い捨てて、奏澄は出口へ向かった。
くつくつと笑って手を振るレオナルドに、奏澄はわざと音を立てて扉を閉めた。
上がった心拍数を抑えようと努めていると、アントーニオの焦ったような声がかかった。
「カスミ、良かった。話終わった?」
「あっアントーニオさん、お待たせしてすみませ……ん?」
視線を向けて、奏澄は再び心拍数が跳ね上がった。何故か、メイズが不穏な空気を発している。
「あの、待ってる間に、メイズに何か……?」
奏澄はアントーニオに問うたが、メイズはじろりと奏澄を睨んだ。
蛇に睨まれた蛙のように、一瞬で固まる奏澄。
「と、とりあえず移動しよっか。お店の前じゃ邪魔になるし」
「そ、そうですね!」
三人は場所を変え、人の少ない水路近くに腰かけた。夕暮れ時の涼しげな風が肌を撫でる。
少しだけ寒そうにした奏澄に、アントーニオが露店でホットコーヒーを買ってきた。奏澄とメイズに手渡し、自分は奏澄を挟んでメイズと反対側に座る。
「ヴェネリーアはコーヒーも美味しいんだよね」
「そうなんですね。いい香り」
立ち上る香ばしい匂いに、奏澄は頬を緩めた。できればカフェで甘い物のひとつも頼みたかったが、メイズが殺気立っている状態で店に入るのは気が引ける。営業妨害になりかねない。
「修理は二日で済むみたいです。取りに行く時は私も行きますね」
「早いね、良かった。見積書貰った?」
「あ、えぇっと……代金はサービスしてくれるとのことで」
「えぇ!? なんでまた」
「お母様の言葉を伝えたお礼、ですかね……?」
おそらく、多分。はっきりそう言われたわけではないが、文脈から読み取ればそうだろう、と奏澄は自分を納得させた。
「それだけか」
刺々しい言葉が差し挟まれて、奏澄は黙った。可哀そうにアントーニオも冷や汗をかいている。
「他に、何か」
「随分親身になってやってたじゃないか」
「……? それは、ご両親を亡くされてるわけだから」
メイズが何に怒っているのかわからない奏澄は、眉を寄せた。
「カスミ、カスミ」
アントーニオに小声で呼ばれて、カスミは耳を寄せた。
「その、あの店、外から中が見えるから」
「ああ、そうでしたね」
だからメイズが大人しく出ていった、というのもあるだろう。中の様子が全くわからないなら、初対面の人間と奏澄を二人きりにはさせなかったはずだ。
「それで、その……レオナルドさんと、抱き合ってたでしょ」
「あれは……! 落ちつかせてただけです!」
「でも、その後、キスされてなかった?」
「キ……ッ!?」
とんでもない誤解だ。奏澄はあんぐりと口を開けた。
「メイズさん乗り込もうとするから、止めるの大変だったよ」
遠い目をするアントーニオに、奏澄は心底同情した。気の弱いアントーニオがメイズを引き留めるのは、さぞ苦労したことだろう。
とにかく、誤解は解いておかなくてはならない。奏澄はメイズに向き直り、アントーニオにも聞こえるように言った。
「レオナルドさんとは、何も、ありません」
きっぱりと言い切った奏澄を、メイズはじろりと一瞥した。
「角度によっては誤解を与える体勢に見えたかもしれないけど、本当に何もなかったから」
「それは別にいい」
「じゃあ何!」
「お前が隙だらけだって話だ」
「今そういう話だった?」
「あのな」
語気が強くなったところで、メイズは口を噤んだ。視線は奏澄を通り過ぎて、アントーニオに向いている。
奏澄の背後では、アントーニオが大きくバツ印を作っていた。その後、抑えて、というように手を下げるジャスチャーをする。
他人に指摘されたことでいくらか冷静になったメイズは、一つ息を吐いて、乱暴に頭をかいた。
「心配にもなるだろ。あの状況で、なんで抵抗の一つもしない」
それはレオナルド本人からも言われたが、奏澄は腑に落ちなかった。母親の話を聞きだしたのは奏澄の方だ。人の傷を抉っておいて、あの状況で相手を拒絶するのは鬼の所業じゃないだろうか。
「親愛のハグくらいするでしょ。なんならこの島の人たち、歓迎のハグだってしてるじゃない」
「それは人目があるだろ」
「さっきだってメイズたちが見えるとこにいた」
メイズの方は一度冷静になったのに、奏澄の方が熱くなってきてしまった。言い争いたいわけではないのに、どうしてうまくいかないのか。
「カスミ、ちょっとごめんね」
言葉とともに後ろからアントーニオの腕が伸びてきて、奏澄を片手で抱きかかえるようにした。
「アントーニオさん?」
意図が読めなくて、奏澄は申し訳なさそうな顔をしたアントーニオを見上げた。
「カスミ、これ外せる?」
「え?」
きょとん、とした顔で奏澄はアントーニオの腕に手を添えた。よくわからないまま力を込めてみたが、当然びくともしない。
「えっと……?」
「このままぼくが何かしようとしたら、カスミどうする?」
「……メイズに助けを求めますね」
「まぁ今は目の前にいるからね……」
メイズもアントーニオの行動は意外だったようで、僅かに困惑している。
「でも、例えばぼくが片手に銃を持ってて、近づいたら君を撃つ、って言ったら、メイズさんでもすぐ動けるかな」
奏澄は黙った。さすがにアントーニオの言いたいことはわかった。その状況なら、奏澄が拘束された時点で詰みだ。
「扉越しで、何を話してるのかもわからなくて、初対面の男性をそこまで信用しろって方が無理だよ。悪い人じゃなさそうだったけど、悪そうに見える人ばっかりじゃないんだから」
「……ごめんなさい」
奏澄は素直に謝った。危機感は持っているつもりだったが、やはりメイズたちから見れば甘いのだろう。アントーニオには嫌な役をさせた。
アントーニオは微笑んで、奏澄に回した腕を解いた。
「ぼくこそごめんね。大丈夫? どこも痛めてない?」
「大丈夫。ありがとう、アントーニオさん」
アントーニオに微笑み返して、奏澄は気まずく思いながらもメイズに向き直った。
「メイズも、ごめん。もうちょっと気をつける」
「是非そうしてくれ」
呆れたような言葉に、むう、と口を尖らせたものの、言い返すことはできない。せっかくアントーニオが収めてくれたのだから。
そのまま三人で少し早い夕食を取り、アントーニオは数軒食べ歩くとのことで奏澄たちと別れた。
奏澄とメイズは宿が埋まってしまう前に、早めに部屋を押さえることにした。
あなたたちは私の宝物
私の生きる理由 私の生きた証 私の全て
一度全てを捨てた私に 全てを与えてくれた
どうか私を忘れないで 私がいなくなっても
愛していることを忘れないで
忘れないで――』
最後の言葉は、特に強く消されていた。
サクラの心情は、奏澄には推し量ることしかできない。
絵を見れば、サクラが二人を心から愛していたことはわかる。二人が読むことを見越したメッセージならば、二人への愛と感謝を、幸せを願う言葉だけを綴っただろう。
これは、誰にも読まれることはないと思って書いた言葉だ。サクラが零した、祈るような願い。
忘れないで。
確かなものが何もないサクラにとって、家族だけが、この世界との繋がりだった。
二人に忘れられてしまえば、自分の存在が消えてしまう。自分のいない二人の絵を見て、そんな恐怖に駆られたのかもしれない。それを文字にして、誰にも読めないとわかっていて、それでも消した。自分の心を打ち消すように。
その心を暴いてしまったのは、果たしてサクラにとって良かったのかどうか。
奏澄は、何も言わないレオナルドの横顔を見た。何と声をかけていいのかわからない。
無意味に口を開いては閉じた。
「母さんは」
沈黙を破ったレオナルドの声に、奏澄は大げさに肩を跳ねさせた。
「いつも笑っていて、強い人だと思ってた。うんとガキの頃は。でも、すぐにわかったよ。本当は弱い人だって。だから、俺が守ってやるんだって、子どもながらに思ってた」
「レオナルドさん……」
何か言葉をかけようとして、突然横から強い力で抱き寄せられた。
「レオナルドさん!?」
レオナルドに両腕でしっかりと抱き締められて、奏澄は身を捩った。
「こうやって、抱き締めてあげられると、思ってたんだ。母さんが俺にしてくれたように。大人になったら、俺が母さんにしてあげたいこと、たくさんあったのに」
その声を聞いて、奏澄は動きを止めた。そして少し迷って、レオナルドを抱き締め返した。
「忘れない、忘れるわけがない」
「そうですね。覚えていてあげてください。お母様のこと、お母様が話した故郷のこと」
サクラがレオナルドに故郷の話をしたのは、きっと覚えていてくれる人が欲しかったから。
自分が生まれ育った場所を、無かったことにはしたくなかった。そうでなければ、絵に残したりはしないはずだ。
一度全てを捨てた。
その言葉の真意はわからないが、故郷を切り捨てたのであれば、レオナルドに桜を見せたいなどとは言わないだろう。
レオナルドはサクラが帰りたがっていたと言ったが、おそらくこの世界から離れたいという意味ではない。サクラはこの世界に大切なものができて、それを幸福に思っていた。
家族に故郷を見せたかったか、故郷に家族を見せたかったのか。その気持ちは、奏澄にもわかる。
奏澄も、決して忘れないだろう。サクラという女性のことを。自分とよく似た同胞を。
レオナルドの気持ちが落ちつくまで、と奏澄は抱き合ったまま動かずにいたが、やがてレオナルドがゆっくりと腕を緩めた。
「悪かったな、急に」
「いえ。落ちつきましたか?」
「おかげさまで」
答えたレオナルドは、幾分かすっきりとした顔をしていた。
「迷惑かけたから、あれはサービスで直しとくよ」
そう言って、レオナルドはアントーニオが置いていった調理器具を指し示した。
「えっちゃんと代金払いますよ! こちらが頼んで話を聞かせてもらったんですし」
「いいから。二日後に取りに来て。それまでに終わらせとく」
「でも」
言い募る奏澄に、レオナルドはずいと顔を近づけた。
「余計なお世話かもしれないけど、いくら弱ってても男に拘束されたら、ちょっとは抵抗した方がいいぜ」
「な」
「こういう時も」
眼前で不敵に笑うレオナルドに、奏澄は言葉を無くして、慌てて席を立った。
「わかりました! 二日後ですね、よろしくお願いします!」
言い捨てて、奏澄は出口へ向かった。
くつくつと笑って手を振るレオナルドに、奏澄はわざと音を立てて扉を閉めた。
上がった心拍数を抑えようと努めていると、アントーニオの焦ったような声がかかった。
「カスミ、良かった。話終わった?」
「あっアントーニオさん、お待たせしてすみませ……ん?」
視線を向けて、奏澄は再び心拍数が跳ね上がった。何故か、メイズが不穏な空気を発している。
「あの、待ってる間に、メイズに何か……?」
奏澄はアントーニオに問うたが、メイズはじろりと奏澄を睨んだ。
蛇に睨まれた蛙のように、一瞬で固まる奏澄。
「と、とりあえず移動しよっか。お店の前じゃ邪魔になるし」
「そ、そうですね!」
三人は場所を変え、人の少ない水路近くに腰かけた。夕暮れ時の涼しげな風が肌を撫でる。
少しだけ寒そうにした奏澄に、アントーニオが露店でホットコーヒーを買ってきた。奏澄とメイズに手渡し、自分は奏澄を挟んでメイズと反対側に座る。
「ヴェネリーアはコーヒーも美味しいんだよね」
「そうなんですね。いい香り」
立ち上る香ばしい匂いに、奏澄は頬を緩めた。できればカフェで甘い物のひとつも頼みたかったが、メイズが殺気立っている状態で店に入るのは気が引ける。営業妨害になりかねない。
「修理は二日で済むみたいです。取りに行く時は私も行きますね」
「早いね、良かった。見積書貰った?」
「あ、えぇっと……代金はサービスしてくれるとのことで」
「えぇ!? なんでまた」
「お母様の言葉を伝えたお礼、ですかね……?」
おそらく、多分。はっきりそう言われたわけではないが、文脈から読み取ればそうだろう、と奏澄は自分を納得させた。
「それだけか」
刺々しい言葉が差し挟まれて、奏澄は黙った。可哀そうにアントーニオも冷や汗をかいている。
「他に、何か」
「随分親身になってやってたじゃないか」
「……? それは、ご両親を亡くされてるわけだから」
メイズが何に怒っているのかわからない奏澄は、眉を寄せた。
「カスミ、カスミ」
アントーニオに小声で呼ばれて、カスミは耳を寄せた。
「その、あの店、外から中が見えるから」
「ああ、そうでしたね」
だからメイズが大人しく出ていった、というのもあるだろう。中の様子が全くわからないなら、初対面の人間と奏澄を二人きりにはさせなかったはずだ。
「それで、その……レオナルドさんと、抱き合ってたでしょ」
「あれは……! 落ちつかせてただけです!」
「でも、その後、キスされてなかった?」
「キ……ッ!?」
とんでもない誤解だ。奏澄はあんぐりと口を開けた。
「メイズさん乗り込もうとするから、止めるの大変だったよ」
遠い目をするアントーニオに、奏澄は心底同情した。気の弱いアントーニオがメイズを引き留めるのは、さぞ苦労したことだろう。
とにかく、誤解は解いておかなくてはならない。奏澄はメイズに向き直り、アントーニオにも聞こえるように言った。
「レオナルドさんとは、何も、ありません」
きっぱりと言い切った奏澄を、メイズはじろりと一瞥した。
「角度によっては誤解を与える体勢に見えたかもしれないけど、本当に何もなかったから」
「それは別にいい」
「じゃあ何!」
「お前が隙だらけだって話だ」
「今そういう話だった?」
「あのな」
語気が強くなったところで、メイズは口を噤んだ。視線は奏澄を通り過ぎて、アントーニオに向いている。
奏澄の背後では、アントーニオが大きくバツ印を作っていた。その後、抑えて、というように手を下げるジャスチャーをする。
他人に指摘されたことでいくらか冷静になったメイズは、一つ息を吐いて、乱暴に頭をかいた。
「心配にもなるだろ。あの状況で、なんで抵抗の一つもしない」
それはレオナルド本人からも言われたが、奏澄は腑に落ちなかった。母親の話を聞きだしたのは奏澄の方だ。人の傷を抉っておいて、あの状況で相手を拒絶するのは鬼の所業じゃないだろうか。
「親愛のハグくらいするでしょ。なんならこの島の人たち、歓迎のハグだってしてるじゃない」
「それは人目があるだろ」
「さっきだってメイズたちが見えるとこにいた」
メイズの方は一度冷静になったのに、奏澄の方が熱くなってきてしまった。言い争いたいわけではないのに、どうしてうまくいかないのか。
「カスミ、ちょっとごめんね」
言葉とともに後ろからアントーニオの腕が伸びてきて、奏澄を片手で抱きかかえるようにした。
「アントーニオさん?」
意図が読めなくて、奏澄は申し訳なさそうな顔をしたアントーニオを見上げた。
「カスミ、これ外せる?」
「え?」
きょとん、とした顔で奏澄はアントーニオの腕に手を添えた。よくわからないまま力を込めてみたが、当然びくともしない。
「えっと……?」
「このままぼくが何かしようとしたら、カスミどうする?」
「……メイズに助けを求めますね」
「まぁ今は目の前にいるからね……」
メイズもアントーニオの行動は意外だったようで、僅かに困惑している。
「でも、例えばぼくが片手に銃を持ってて、近づいたら君を撃つ、って言ったら、メイズさんでもすぐ動けるかな」
奏澄は黙った。さすがにアントーニオの言いたいことはわかった。その状況なら、奏澄が拘束された時点で詰みだ。
「扉越しで、何を話してるのかもわからなくて、初対面の男性をそこまで信用しろって方が無理だよ。悪い人じゃなさそうだったけど、悪そうに見える人ばっかりじゃないんだから」
「……ごめんなさい」
奏澄は素直に謝った。危機感は持っているつもりだったが、やはりメイズたちから見れば甘いのだろう。アントーニオには嫌な役をさせた。
アントーニオは微笑んで、奏澄に回した腕を解いた。
「ぼくこそごめんね。大丈夫? どこも痛めてない?」
「大丈夫。ありがとう、アントーニオさん」
アントーニオに微笑み返して、奏澄は気まずく思いながらもメイズに向き直った。
「メイズも、ごめん。もうちょっと気をつける」
「是非そうしてくれ」
呆れたような言葉に、むう、と口を尖らせたものの、言い返すことはできない。せっかくアントーニオが収めてくれたのだから。
そのまま三人で少し早い夕食を取り、アントーニオは数軒食べ歩くとのことで奏澄たちと別れた。
奏澄とメイズは宿が埋まってしまう前に、早めに部屋を押さえることにした。