奏澄とアントーニオは、話を聞きやすいよう、器具を並べたのとは別のテーブル席に着いた。メイズはすぐに動けるようにしたいのか、奏澄の側に立っている。
 店主は表に準備中の札をかけ、一度奥に姿を消した。ややあって、一つの木箱を手に戻ってくると、それをテーブルに置き、奏澄たちの対面に着座した。

「俺の名はレオナルド。父はダビデ、母はサクラという」

 さくら。故郷では耳慣れた名前に、奏澄が僅かに反応した。

「珍しい名前だろう?」
「そう、ですね。この辺りでは」
「あんたには、聞き覚えがある?」
「……はい。私の故郷では、一般的な名前です」
「その故郷ってさ、もしかして『ニホン』って所じゃない?」
「!」

 レオナルドの言葉に、奏澄はひどく驚いた。この世界の誰にも、その国名は通じなかったのに。

「どうして……」
「母さんが、その国の出身だって言ってた。俺のこの髪と目は、母さん譲りなんだ。ニホンじゃ、この色も一般的なんだろ」

 この世界にも黒髪黒目がいないわけではないが、アジア系の色艶や髪質とは微妙に異なる。奏澄がレオナルドを見た時の親近感は、勘違いではなかったのだ。

「あの簪は、母さんの形見を真似た物なんだ」

 そう言ってテーブルに置いた木箱の蓋を開けると、中に古びたとんぼ玉の簪が入っていた。名を模したのか、とんぼ玉には桜模様が入っている。

「この島に、簪という髪飾りはなかった。とんぼ玉も、ガラス玉自体はあったけど、とんぼ玉って呼び方をしていたのは、母さん以外に聞いたことがない」

 その言葉に、奏澄は合点がいった。だから簪に目を留めた時驚いていたのか。店の隅に飾られていた簪は、それが何かを知る人がいないから、隅に置かれていたのだろう。

「母さんがあれを髪に挿していたのを覚えていたから、客には髪飾りだと説明していた。けど、母さんがどうやって挿していたかは覚えていなかった。だから、物好きにもあれを買った客は、だいたい櫛と同じようにまとめた髪に差し込むんだ」

 それも間違いではない。簪一本でまとめるのは楽だが、固定度合いが弱いので、激しく動くと落ちてしまう。きちんと固定するやり方では、ゴムやピンでしっかりまとめてから挿す方法が多い。

「でもあんたは、あの簪一本で髪をまとめた。あれは、多分母さんと同じやり方だ。後ろ姿が……記憶の母さんと、よく、似ていて。それで、思わず。――悪かった」

 頭を下げたレオナルドに、奏澄は慌てて手を振った。

「いえ! こちらこそ、手荒な真似をして、すみませんでした」

 奏澄も、レオナルドに向けて頭を下げる。やらかしたのはメイズだが、あれは奏澄を思っての行動だ。あの場で強く諫めてしまったこともあり、これ以上は責められない。
 謝罪した上で、奏澄たちも改めて名乗った。

 しかし、思ってもみない所で収穫があった。同じ国から来た人が過去にいたということは、奇跡に近い。奏澄は、心臓が早鐘を打つのを感じていた。
 意識して、深呼吸をする。慎重に、話をしなければならない。レオナルドは()()だと言った。つまり、彼の母親は、既に亡くなっている。

「レオナルドさん。私は、元の世界に帰るため……日本に帰るための方法を探して、旅をしているんです」
「元の、世界?」
「日本という国は、この世界にはありません。お母様から聞いているかはわかりませんが、こことは違う世界にある島国なんです」

 レオナルドは、ニホンという国の話は聞いていても、それが別の世界であるということは知らなかったようだ。急な話に動揺しているが、心当たりはあったようで、疑う様子は見せなかった。

「お母様の話が、何かの手掛かりになるかもしれません。もし、お辛くなければ、詳しく聞かせてもらえませんか」
「……違う、世界か。そうか、だから母さんは……」

 レオナルドは母親を思い出すように目を伏せた。

「母さんも、帰りたがってた。結局、帰ることはできなかったけど。母さんの話が同郷のあんたの役に立つなら、少しは慰めになるかな」

 そう言って、レオナルドは寂しそうに笑った。

「ただ、母さんは俺がまだガキの頃に死んだんだ。記憶が曖昧な部分もある。あんま細かいことまでは期待しないで」
「充分です。ありがとうございます」

 心からの感謝を述べた奏澄に、レオナルドは過去の話を始めた。



 サクラがヴェネリーアに現れたのは、今より三十年ほど前。
 島に流れ着いたサクラをダビデが発見し、そのまま行くあてがなかった彼女はダビデの世話になることとなった。
 ダビデはヴェネリーアで硝子職人として生計を立てていた。
 二人はダビデの持つ工房『ルーナブルー』で共に暮らし、次第に互いを愛するようになり、数年後にレオナルドを授かった。

 サクラはそそっかしい性格なのか、よく物を壊しては落ち込んでいた。手先の器用なダビデは、彼女が気に病まなくていいように、あらゆるものを直してみせた。
 それを見たサクラは、ダビデのあまりの器用さに、もしかしたらと無茶な頼みをした。彼女の故郷である日本の品々を作ってほしい、という依頼だ。
 実物を知るのはサクラだけ。ダビデはそれを再現できたりできなかったりしたが、サクラはダビデが自分の願いを叶えてくれるだけで嬉しかった。
 サクラの頼みを聞く内に、工房には硝子以外の作業道具がどんどん増え、ルーナブルーは硝子工房から何でも屋へと変化していった。
 幼い頃からダビデの仕事を見て育ったレオナルドは、ダビデと同じくらい、あるいはそれ以上に器用だったため、大概の物なら作れるようになっていた。

 サクラ、ダビデ、レオナルド。家族三人で、何不自由なく暮らしていた。
 サクラは時折、レオナルドに故郷の話を語って聞かせた。故郷には、自分の名前と同じ『桜』という花の木があって、暖かい季節になると一面ピンク色に染まるのだと。それはとても綺麗で、幻想的なのだと。
 幼いレオナルドは目を輝かせ、いつか見せてほしいと駄々をこねた。サクラは「そのうちね」と答えて笑った。

 転機はレオナルドが十二の時。サクラが流行り病にかかった。症状は重かったが、ダビデもレオナルドも、治ると信じていた。
 当時ヴェネリーアにはちょうど腕の良い医者が来ていて、他にも同じ病にかかった者たちが多くいたが、皆回復していったからだった。しかし。

 サクラは、死んだ。

 皆の治療に使われていた薬が、サクラにだけ、効果がなかった。
 医者いわく、薬に対する耐性や免疫があるのでは、ということだったが、結局詳しいことはわからなかった。確かなことは、他の患者は全員治ったにも関わらず、サクラだけが助からなかったということだ。

 サクラは最期に、もう一度故郷に帰りたかったと。レオナルドに、桜を見せてやりたかったと、願った。
 レオナルドは、何故一度も帰してやらなかったのかとダビデを責めた。母の願いなら何でも聞いてきた父が、何故、それだけは叶えてやらなかったのかと。
 知らなかったのだ。帰せないのだということを。父ですら、その場所を知らないのだということを。
 幼いレオナルドに、その理由を説明しても納得できるとは思えなかったのだろう。ダビデもまた、辛さを抱えながらも、真実を伝えることはしなかった。

 サクラ亡き後、ダビデは一層仕事に打ち込んだ。何も考える暇も無いくらい、昼も夜もなく働き、そのせいで過労で倒れた。
 自身が動けなくなってからは、レオナルドが生きるのに困らないように、持てる限りの技術を叩きこんだ。母を失って、父親として息子にしてやれることは、それしかなかったのだろう。
 けれど無理が祟ったのか、ダビデはレオナルドが十六を迎える前に亡くなった。



「俺は工房を引き継いで、今はここで一人で暮らしてる。親父の頃からの客がいるから、生活にも困ってない。気楽なもんだよ」

 過去を話し終え、軽く笑って見せたレオナルドだったが、それが強がりであることは、この場の誰もが理解していた。
 かつて三人で暮らしていたこの工房で、今はたった一人きり。至る所に思い出があるだろうこの場所で、その寂しさはいかほどか。