お洒落な店はたくさんあったが、地面に直接布を敷いているような露店もあった。こういう店の方が安そうだ、と奏澄は並べられた品を眺めていく。

「あ、これいいな」

 一つの露店の前で、奏澄はしゃがみこんだ。

「これ、ちょっと手に取ってもいいですか?」
「どーぞ」

 不愛想に答えた店主は、職人にしては随分と若い青年だった。年の頃は奏澄より少し上だろうか。久々に見る黒い髪と黒い瞳に、奏澄は親近感を覚えた。切れ長の目元が印象的で、さらさらとした長髪は後ろで一つに括られている。一見冷たい印象を受けるが、それさえも計算された美術品のような美しい顔立ちをしていた。
 奏澄の隣にしゃがみこんだメイズが、並べられた品を見てひとり言のように呟く。

「珍しいな、銀細工か。ここの名産は硝子細工だったと思ったが」
「趣味でね。工房の方には硝子細工も置いてるよ」

 ということは、今は露店を出しているが、店舗も持っているということだ。奏澄のイメージでは、職人というのは親方に弟子入りして、親方の工房で働くものだと思っていた。しかしここで自由に商売をしているということは、やはりこの青年が店主なのだろう。一人でやっているのだとしたら、かなりやり手なのかもしれない。そもそも、銀細工と硝子細工は同じ細工物でもだいぶ勝手が違うと思われる。どちらも売り物にできる腕前となると、相当器用なのではないだろうか。

「ね、どう?」
「ああ……いいんじゃないか」

 奏澄が胸元に合わせて見せたネックレスに、メイズは肯定を返した。しかし、何か言いたそうにしている。

「似合わないなら、正直に言ってくれた方がいいんだけど」
「いや、そうじゃない。そうじゃなくて……女は、色のついた物の方が、好きなんじゃないか」
「硝子細工の方がいいってこと? でも、硝子は割れやすいから、危ないしなぁ」

 普通にしている分にはそうそう割ったりしないだろうが、何せ奏澄たちの主な活動場所は海の上だ。作業の邪魔にもなるし、今まで装飾品の類はつけてこなかった。比較的扱いやすいシルバーなら、と思ったが、似合わないなら無理につけることもない。

「やっぱりアクセサリーはやめとこっかな」

 特にどうしても欲しいわけでもない。奏澄が諦めようとすると、何故かメイズが焦りだした。

「……何?」

 訝しんだ奏澄が声をかけると、不愛想な店主が溜息を吐いた。

「おにいさん、あんたに何か買ってやりたいんじゃないの」

 店主の言葉に、奏澄は目を瞬かせた。露店を見ていたのは、あくまで自分で買うためであって、ねだるつもりなど全く無かったのだが。とはいえ、元々の金の出所を考えると、自分で買うからと強く言える立場でもない。それに、メイズが何か贈り物をしようと考えてくれたのなら、純粋に嬉しい。
 黙ったまま否定しないところを見ると、見当違いということもないのだろう。

「もし、本当に贈り物のつもりなら、メイズに選んでほしいな」
「俺にわかると思うか」
「気持ちの問題だよ」

 困った様子のメイズには申し訳ないが、奏澄は口の端が持ち上がるのを止められなかった。このくらいのことなら、困らせるのも楽しい。
 まるで見当のつかないメイズを見兼ねたのか、店主が並べられた品の一部を示した。

「二人で買うなら、ペアリングとか定番だけど」
「いや、俺は」
「いいですね、ペアリング」

 口を挟んだ奏澄に、メイズは驚いたようだった。しかし、当人がいいと言うのなら、否定もできないのだろう。悩んだ末、一組の指輪を店主に示した。

「これ、を」
「まいどあり」

 メイズが代金を払おうとして、奏澄はその金額に目を見開いた。異常に高いというほどではないが、思ったよりはずっと高い。安価だと思ったから、店に入らず露店を見ていたのに。
 品質を見れば値段は妥当だと思われる。ぼったくりを疑っているとは思われたくないのだが、それとなくもう少し安価なものに誘導できないだろうか、と考えながら、奏澄はメイズに小声で問いかけた。

「ね、今更だけど、予算的な……その、大丈夫?」
「このくらい問題無い」
「問題、っていうか」
「これでも代わりには安いくらいだ」
「……代わり?」
 
 どういう意味か、と奏澄が聞く間もなく、メイズは店主に代金を支払った。
 それを受け取ると、店主はペアリングとチェーンを渡した。

「チェーンはオマケね。なんか調整とか必要だったら『ルーナブルー』って工房に来てくれれば対応するから」
「どうも」

 受け取ったペアリングの片方を、メイズは奏澄に渡した。

「ほら」

 細いシルバーリング。華美さはないが、よく見ると波のような模様が繊細に彫られている。

「ありがとう」

 奏澄は満面の笑みでそれを受け取った。

 露店から離れ、奏澄は失くさないように、指輪をすぐに身につけた。サイズ的に薬指がちょうど良かったが、さすがに左手に嵌める度胸は無い。右手の薬指に嵌めた。
 チェーンで下げても良かったが、首には既にペンダントを下げている。二重にすると絡まりそうだし、奏澄は武器を持つことも無いので、指でも問題ないだろう。

「似合う?」
「……ああ」
「メイズもつけてよ」
「俺は指にはつけないからな」
「いいよ。それを見越してチェーンくれたんだろうし」

 奏澄としても、別にペアリングで何かを主張したいということもない。ただ、店主が勧めてくれたし、せっかくなら揃いの物が欲しいと思っただけだ。
 何かと葛藤するように指輪を見つめた後、メイズはチェーンを通してそれを首から下げた。

「でも急にどうしたの? アクセサリーなんて」
「別に。身につけていられるものがいいと思っただけだ」
「どうして?」
「身につけていれば、元の世界に持って帰れるだろう」

 その言葉に、奏澄は息を呑んだ。

「この世界のことも、いつか記憶から薄れていくだろう。夢だったと思うかもしれない。だから、記憶以外に何か形に残るものがあればいいと思ったんだが……余計だったか」

 奏澄は黙って首を振った。奏澄が、元の世界から記憶しか持ってこれなかったと言ったから。この世界からは、記憶以外の何かを持って帰れるように。そう考えてくれたのだ。プレゼントをくれるなんて珍しい、くらいに考えた自分が恥ずかしい。

「私、絶対、忘れない」

 絶対などない。それでも、今はそう言いたかった。この思い出を。指輪を見る度、思い出す。
 繰り返し、繰り返し。記憶に、刻みつける。