手当てが必要な者は僅かで皆軽傷だったため、その場で軽く処置をするだけで済み、乗組員たちは甲板の後片付けをしていた。奏澄はマリー、ライアーと共に、戦闘に参加していたメイズ、ラコットから状況を聞いていた。

「大したことない海賊だったぜ。この船を商船だと思って襲ってきたらしい」
「まさかそれで武闘派が勢揃いしてるとは思わないよな……ご愁傷様」

 ライアーが相手方に手を合わせるポーズをした。

「けどよぉ、なんでこの船、海賊旗を掲げてないんだ? それがあれば商船だなんて思われねぇだろ」
「あっやっぱり? やっぱり海賊旗いる? 作ってはあるんだよね!」
「ライアー」

 ラコットの言葉に乗り気になったライアーを、奏澄が窘めた。

「一応、この船はまだ海賊だと認知されていないので。手配書にも載ってないですし」
「んなもん言った者勝ちだろ。とりあえず目立つように旗あげときゃ、そのうち勝手に広まるんじゃねぇか」
「広まったら困るんですけど……!」

 海賊だと知れ渡ったら、余計な敵を増やすことになる。だから、ぎりぎり海賊ではない、と言い張っているのに。
 しかし、意外にもマリーが賛成の意を示した。

「まぁでも、一理あるね。海賊だってわかれば、小物相手の小競り合いは減るだろ。特に、メイズがこの船にいるってことが知れ渡れば、かなりの抑止力になる」
「そこ一番知れ渡ったらまずいんじゃないの?」
「けど、今のままだと、多分メイズはまだ『黒弦のメイズ』って手配されてるよ。それでもいい?」

 マリーの言葉に、奏澄は黙った。つまり、メイズが今も黒弦のものだ、と世間が認識しているということだ。それは、なんだか面白くない気がした。

「俺は反対だ」
「メイズ」
「今のままなら、小競り合いくらい大した手間にならない。充分対処できる。だが、俺がこの団にいるとわかれば、それなりの力量の奴が来ることになる」
「その危険性は今だって変わらないだろ」
「狙って来るのと偶然来るのじゃ確率が違う。セントラルを出た時点でまとめて手配されていたらお手上げだったが、手配書に団として載っていなかった以上、この先暫くは個人単位で気をつければそれで済む」

 メイズの言い分も理解できる。所属がはっきりするということは、居場所を把握されるということだ。
 たんぽぽ海賊団にメイズ在り、となってしまえば、海の上で船ごと隠れることは難しい。コバルト号が停泊していれば、その島にはメイズがいるとわかってしまう。そしてそれが海賊旗であるならば、海賊相手には警告だけでなく挑発の意味にもなるだろう。
 今のまま、個人だけが指名手配されている状況なら、各々が顔を見られることに注意すればいい。仲間ごと危険に晒すことはない。
 しかし、奏澄には気がかりがあった。それは、乗組員たちが既にたんぽぽ団を海賊団だと認識しており、各所で名乗りを上げている可能性があることだった。現に奏澄は、先の島でラコットが『たんぽぽ海賊団』と名乗るのを聞いている。
 どうしたものか、と悩む奏澄に、ラコットが声をかけた。

「ま、こういうのは船長が決めるもんだろ。どうする? カスミ」
「う……い、いったん保留で」
「なんじゃそりゃ」
「海賊旗を掲げるリスクはやはり大きいです。今すぐに、というのは……ちょっと決心がつかないので。ただ、時が来たら、それも有りかなという気はしています」
「要は成り行き任せ、ってことか。いいと思うよ」

 マリーが賛同してくれて、奏澄はほっと息を吐いた。海賊旗の件はいったん保留となり、その場は解散した。



 その日の夜、奏澄はメイズの部屋を訪ねた。マリーは暫くやきもきさせてもいい、と言っていたが、昼間の襲撃でなし崩し的に会話することになったので、もはやその作戦は無効だろう。だったら、早いところ元の関係に戻りたい。でも、普通に謝るのではちょっと釈然としない。なので、別の作戦に出た。

「メイズ。今日は一緒に寝よう」

 言われたメイズは、非常に複雑そうな顔をしたが、拒絶はしなかった。慣れたようにベッドに潜り込む奏澄を、奇妙な生き物を見るような目で見ながらも、大人しく従った。
 明かりを消して、しんとした空気が漂う。

「もう、怒ってないのか」

 口火を切ったのは、メイズの方だった。奏澄は会話が無くてもいいと思っていたので黙っていたが、メイズが話をするつもりなら、それを拒む気も無い。

「怒って、ないよ」
「そうか」

 それだけ言って、また黙った。聞きたいのはそれだけか、と少し残念な気持ちで奏澄が目を閉じようとすると、探るようにメイズが話を続けた。

「ライアーに、怒られた」
「……なんでライアーが?」
「お前の様子がおかしかったから、事情を聞かれた。それで、俺の方に要因があると」
「あー……」

 ライアーが奏澄の味方だというのもあるだろうが、なかなか察しが良いから、思うところもあったのだろう。その様子は容易に想像できた。

「お前も、怒っていいんだぞ」

 予想外の言葉に、奏澄は目を瞬かせた。

「俺に落ち度があるなら、お前が謝る必要は無い。俺は気が利く方じゃない、何に怒っているのか、言われなきゃわからんこともある」
「……女の人が怒ってる場合は、何に怒ってるかを気づいてほしい場合が大半だけど」

 少し意地悪をするつもりで返すと、メイズは気まずそうに黙った。思った以上に効いたらしい。その様子がおかしくて、奏澄は軽く笑った。

「ごめん。でもそれ、そのまま返す。メイズだって、怒っていいんだよ」

 どういうことか、と視線で問われ、奏澄は続けた。

「私が理不尽に怒ったり、拗ねたり、メイズが嫌だと思うことをしたら、メイズだって怒っていいんだよ」

 メイズは、奏澄を甘やかすから。心配から小言や注意を受けることはあっても、メイズ自身の感情によって怒られたことは無い。知らない内に不愉快にさせていたら、と思うと怖くなる。許し合うことは必要だが、一方にばかり我慢を強いるのは良くない。

「俺が本気で怒ったら、お前泣くだろう」

 今度は奏澄が黙った。先ほどの意趣返しだろうか。

「冗談だ」
「冗談になってない」
「俺は、基本的にお前にされて嫌なことは無い」

 息が止まった。それは、結構な殺し文句なのではないだろうか。

「忘れたのか。俺は、お前のものなんだぞ」

 海の瞳で見られて、奏澄はあの日を思い返した。メイズと約束を交わした日のことを。何も持たなかった奏澄が、この世界で初めて手に入れたもの。抱えるものが増えた今となっても、たった一つ輝く、特別なひと。
 じわりじわりと込み上げる感情を、吐き出す代わりに頭突きした。メイズにぐりぐりと額を押し付ける謎の行動に、困惑した空気が伝わる。

 ――この人を、いつかは手放さなくてはならない。

 その時が来たら、奏澄はそれを受け入れられるのか。手放すのは、奏澄の方だ。メイズが去っていくことは無い。それなのに。
 筋違いだとわかっていて、涙が零れそうになるのを、ぐっと堪えた。

「メイズ。やっぱり、海賊旗、つけよっか」
「……なんで今その話になった?」
「私のものなんでしょ。私のものだって言いたい」
「マリーの言ったことを真に受けてるなら」
「わかってる。馬鹿な拘りかもしれないけど、私には大事なことだから」
「……好きにしろ」



 翌日、船のマストに、たんぽぽをモチーフにした海賊旗が掲げられた。