銃を奏澄に預けたメイズがラコットと向き合うと、周囲が一斉に騒がしくなる。野次を飛ばしているのは主に互いの仲間だが、どうやらギャラリーも湧いてきているようだ。
 ラコットはギャラリーがいると盛り上がるタイプなのか、嬉しそうに拳を鳴らしていた。

「最近強い奴と戦えてなくてな、ちょうどいいぜ」
「そうか。後悔するなよ」

 互いが構えの姿勢をとったのを見て、舎弟の一人が合図を下した。

「ファイッ!!」

 合図とほぼ同時に、ラコットが先制してメイズに殴りかかる。
 真っすぐ向かってきたその腕を弾くようにしていなし、メイズは懐へもぐりこむ。
 そのまま腹へ一撃叩きこむが、相手は倒れることもなく、逆にその腕を取られた。
 掴んだ腕を捻るようにして投げ飛ばされ、受け身を取るメイズ。
 間髪入れずに上から振り下ろされた踵を飛び上がって避け、一度距離を取る。

「おーおー、ちょっとはやるじゃねぇか」
「でかい図体のくせに、よく動くな」

 今度はメイズから仕掛ける。
 数回打撃を打ち込むも、ラコットは軽い調子でそれを受ける。

「どしたどしたぁ、拳が軽、っとお!?」

 打撃に混ぜて急に飛んできた目つぶしを、顔を逸らせ避けるラコット。
 上体が不安定になったところで、メイズは膝に蹴りを入れる。
 体勢が崩れ、受け身を取ろうとするラコットを上から足で地面に叩きつけるように押さえ込み、そのまま喉に一撃入れようとメイズが振りかぶった時。

「そこまで!!」

 響いた声に、両者の動きが止まる。

「……まだ、勝負は」
「ついた。文句ないですよね、ラコットさん」

 不満そうなメイズを遮り、奏澄はラコットに視線を向ける。
 ラコットは深く息を吐いた後、降参を示すように、地面に倒れたまま両手を上げた。

「もうちょっとやってたかったが、ま、この辺かね。女を泣かせる趣味もねぇしな」

 まいったまいった、と言いながら身を起こすラコット。
 勝敗が決し、周囲がどっと沸く。

「メイズさんさすがっす!」
「一生ついて行きます!」
「アニキいぃ~~!!」
「それでもアニキが最強なんだー!!」

 寄ってくる乗組員を適当にあしらい、真っすぐ奏澄の元へ向かってくるメイズ。
 奏澄は俯いたまま、顔を上げられなかった。
 顔の見えない奏澄に、どうしたものかと困惑しているのが空気でわかった。

「勝っただろ」
「そう、だね。ありがとう」
「……泣くなよ」
「泣いて、ない」

 泣いては、いない。泣いてはいないが、まだ心臓がうるさい。
 大怪我をしているわけでもなしに、メイズを心配する必要は無いだろう。そこではない。
 目つぶしも、喉への攻撃も、これが『試合』なら反則だ。
 そうでは、ないのだ。
 殺し合い、というほど殺伐としたものではなかったが、ここではこの程度『遊び』の範疇なのだ。
 メイズとて殺意があったわけではなく、体格差から打撃が有効でなかったから、搦め手を使っただけだ。
 少なくとも、ラコットは楽しそうだった。その価値観を、否定してはならない。
 ぐっと腹に力を入れ、顔を上げて、努めて明るい声で預かっていた銃を返した。

「お疲れ様でした」
「……ああ」

 奏澄自身がわかるほど、作られた笑顔だった。
 それでも。メイズの行動は奏澄のためだ。それもまた、否定してはならない。

「よっし決めた! なぁ、俺らをあんたらの船に乗せちゃくれねぇか?」
「え!?」

 ラコットからの予想外の申し出に、奏澄はひどく驚いた。

「俺がこの島にいるのは、外から来る強い奴と手合わせするためだ。ついでに、美味いモンが食えるのと、美人が多いのもあるがな。しかし、一所(ひとところ)に留まるのもそろそろ飽きてきたところだ。嬢ちゃんの船に乗れば、いつでもそこのメイズと戦えるだろ!」
「えぇと……うちの船では、基本的に乗組員同士の戦闘行為は禁止なんですけど……」
「なんだぁ? 堅ぇなぁ。別に喧嘩しようってんじゃねぇよ。海賊なら他の船との戦闘だってあるだろ。訓練みたいなもんだって」

 それはそうだろうが、奏澄たちの船の目的は通常の海賊とは異なる。それらの事情を、果たしてラコットに説明して良いものだろうか。
 それに、ラコットの目的はメイズだ。メイズが嫌がるようなら、奏澄としても承諾しかねる。
 どうしたものか、と奏澄は窺うようにメイズを見た。

「お前の好きにしろ」
「メイズは大丈夫なの? あの感じだと、毎日手合わせを申し込まれるかも」
「うっとおしいが、戦闘員が増えるのは賛成だ」
「え?」
「今のうちの船には、戦力が少なすぎる。一度でも海賊を名乗った以上、今後戦闘行為は避けられないだろう。セントラルの件もあるしな」
「あ……」

 奏澄は自分の甘さを恥じた。メイズが怪我をしなければいい、とそればかり考えていたが、そもそも戦闘をメイズに任せきりにしていることが問題だ。最初は商船も同然だったからそれでも良かったが、セントラルでの出来事を思い返せば、当然戦力の確保は考えるべきだった。それは船長の仕事だろう。
 落ち込む奏澄に、メイズは困ったように頭をかいた。

「お前の中には、まだ戦闘が日常として落とし込めてないんだろう。こればっかりは慣れだ」
「うん……ごめん。気をつける」

 何も言わなかったが、奏澄が何に落ち込んでいるのか、メイズはわかったようだった。奏澄の考えを察せるようになってきたのだろう。それが嬉しくもあり、恥ずかしさもあり、不甲斐なくもある。
 落ち込んでばかりもいられない。気持ちを切り替えて、奏澄はラコットに向き直った。

「私たちの船は、ちょっと変わった目的があって旅をしているんです。それでも良ければ、是非こちらからお願いします」
「変わった目的ぃ?」

 奏澄は、ラコットとその舎弟たちに、旅の目的が奏澄の帰郷であること、そのために『はぐれものの島』を目指していること、その過程でセントラルに追われていることを説明した。

「あのセントラルを敵に回すたぁ……さすが、俺が目をつけただけはある」
「メイズは強いですからね」
「違う違う、嬢ちゃんのことだよ」
「私?」

 てっきりメイズのことを褒めているのだと思った奏澄は、ラコットの指摘に目を丸くした。

「俺たちとそっちの野郎どもが喧嘩してた時、あんたは真っ先に自分の乗組員を庇っただろ」
「庇った……というか……そうですね、船長ですから」

 結果を見ればなんとも情けないことになったので、歯切れが悪くなってしまう。

「そのちっこいナリでなぁ、俺の前に立つのは、さぞ度胸が要るだろうよ。喧嘩慣れしてる風でもないしな」
「それはもう、お察しの通りで」
「だからな。仲間のために、自分の恐怖を押してでも矢面に立てる。そういう船長のためになら、この拳を振るってもいいと思ったんだよ」

 ぐ、と拳を握ってみせたラコットに、奏澄は目を見開いた。

「ま、一番はやっぱメイズと戦いたいんだけどな! そういう事情なら喧嘩も多いだろうし、飽きなくていいぜ!」

 そう言って、ラコットは自分の舎弟たちを見渡した。

「お前らも、文句ねぇよなぁ!? 女守るために海に出るなんて、男のロマンじゃねぇか!」
『応!』

 豪快に笑って見せるラコットと、声を揃えて応えるラコットの舎弟たちに、奏澄は少しだけ涙の滲む目で微笑んだ。

「歓迎、します。ようこそ、『たんぽぽ団』へ」

 差し出された奏澄の手を握り返したラコットは、不思議そうに首を傾げた。

「あ? 『たんぽぽ海賊団』じゃなかったか?」
「そ、そのあたりは、追々」

 往生際が悪いかもしれないが、奏澄はまだ海賊団というのを了承した覚えは無い。しかし、このままでは事実上海賊となっていくだろう。そろそろ諦めた方がいいかもしれない。

「しかしやわこい手だなぁ。武器を握ったことも無いんじゃねぇか? 教えてやろうか?」

 握った手をぶんぶんと上下に振られて、奏澄の体が揺れる。
 奏澄が何かを言う前に、メイズがラコットの手を無理やり離した。

「放せ」
「なんだよ、親睦を深めてただけだろ。男の嫉妬は見苦しいぜ」

 軽口を叩くラコットを、メイズはじろりと睨んだ。

「メイズ、あのくらいなら自分でなんとかするから」
「あまり気を許すな」
「入団に賛成してたから、てっきり誤解は解けたんだと思ってたんだけど」
「手合わせすれば、性根が腐ってないことくらいはわかる。が、それとこれとは別だ」

 戦闘員として信頼はしているが、人間としては微妙ということだろうか。確かに、悪気無くセクハラをかましてきそうな気配が無くはない。しかし本気で拒否すればしてこないだろう。引き際は心得ているタイプだと奏澄は推察している。
 むすりとしているメイズの心配も、わからなくはない。奏澄はどう見ても押しに弱いタイプだ。そして、今までコバルト号に同乗していた男性陣はメイズと奏澄が恋仲だと思っているから、必要以上に奏澄に接触するようなことはなかった。ラコットのような人種に対して、対応できないと思っているのかもしれない。

「わかった。じゃぁ、何かされたら真っ先にメイズに報告するから。それでいい?」
「おいおい、信用ねぇな!」

 大人しく会話を聞いていたラコットが悲痛な声を上げた。

「ごめんなさい。信用はしてますけど、メイズが不安がるので。何もなければいいだけですから」
「ぐぬぅ……」

 そこで不満げにしてしまうから、何かする気だと思われてしまうのではないだろうか。
 メイズがすっと目を鋭くしたのを見てしまった奏澄は、心の中で息を吐いた。
 しかし、奏澄にとってはメイズの不安を払拭するほうが優先順位が上なので、特にフォローはしない。

「それにしても、一気に人数増えたなぁ。備品とか、食糧とか、考えないと」

 そう呟いて、奏澄はあることに思い至った。

「人数が増えたら、調理大変だよね。料理人、いたら、助かるよね」

 メイズに視線を向けて発言したが、それは質問ではなく、確認だった。もう奏澄が心を決めているのを見て、メイズは静かに息を吐いた。

「好きにしろ」

 何度目かになるお決まりの言葉を聞いて、奏澄は微笑んだ。