地鳴りがした。大地が揺れて、マリアがバランスを崩す。木々が大きくたわんだ。

『え、なに!? 地震!?』

 おろおろするマリアに、フランツは落ちついた様子だった。

『ねぇ、ここじゃ木が倒れてくるかも。どこかに避難しなきゃ』
「もう遅い」
『遅くないわよ! フランツの弦を使えば、森を抜けるくらい』
「もう遅いんだ、マリア」

 歪んだ笑みに、マリアは息を呑んだ。

「俺は、ずっとマリアに裏切られたんだと思っていた。何もかもを信じたくなかった。自分のことも、どうでも良かった。二度と目覚めなくったって、構わなかったんだ。だから適当に気の向くように振る舞って、惰性で過ごしてきた。その内セントラルに消されても、それでもいいと思ってた。それを、今更」

 嘲る様に乾いた笑いを零して、フランツは立ち上がり空を仰いだ。

「マリアが操られていたと知ったところで、神はもうこの地にいない。どうしろってンだ。俺は、この怒りを、どこにぶつけたらいいんだよ。なァ。もう何を恨めばいいのか、憎めばいいのか、わっかんねェよ。考えるのも、面倒くさい。だからもう……全部、壊す」

 でろりと、腐った油のようなものが、地面に滲みだした。
 遠くで、獣の咆哮と、人の悲鳴が上がった。



*~*~*



「ひいいいいっ! ば、ばけもの……っ!」
「落ち着け! 獣の一種だ、殺せば死ぬ!」
「ロ、ロッサ船長ぉ……っ!」
「とにかくぶっ殺せ! 全部殺せばいなくなる! 民間人は軍がなんとかしてる!」
「うえええ、頑張ります……!」



「市民の非難が最優先だ! ギルドに誘導して、周りを固めろ!」
「しかし、ギルドは……ッ」
「この非常事態に、役人だ海賊だと言ってられるか! 向こうにもそう伝えろ!」
「りょ、了解です、アンリ船長!」



「長く生きてきたが、こんな事態は初めてだな」
「エドアルド船長、ひとまず女子供は地下に隠しました」
「そうか。伝令は」
「傘下は各地で対処に当たっています」
「セントラルとも連携を取れ。こういうのは、統率の取れた軍の方が得意なもんだ」
「はい!」



「み、水が全部泥みたいに……っ」
「今はそれより、化け物の駆除が先だ!」
「くっそ、こんな時にキッド船長がいないなんて……」
「馬鹿野郎、弱音吐くな! オレたちだって、玄武の傘下だぞ! こういう時こそ、腕の見せ所じゃねぇか!」
「そう……そうだよな。キッド船長がいなくても、俺たちで青の海域は守る!」



「オリヴィア総督! 大変です、各地で魔物が出現しています!」
「見えているわ。悪魔の仕業ね。いったい何があったのかしら」
「各地で対処に当たっていますが、セントラル軍だけでは手が回らず、その……」
「必要なことは簡潔に手早く」
「はっ! 各海域にて、四大海賊とその傘下が、民間人の保護に協力しています」
「……なんですって?」
「彼らは民衆の信頼も厚く、正直なところ大変助かっており」
「もういいわ」

 部下の報告を切り捨てて、オリヴィアは司令本部の窓から外を見下ろした。
 地面は一面、腐った油のようなどろりとしたものが波打っている。そこから、無尽蔵に奇妙な獣の形をした生物が這い出していた。血と肉を求めて牙を剥く魔物を、衛兵が辛うじて押し留めている。夜間の出来事だったため、表を出歩いている人間が少なかったことが不幸中の幸いか。しかし時間が経ち、()()が見当たらなくなれば、あれらは家の中にも押し入るだろう。
 これほどの力があったとは。何故今まで何もしなかったのか。遊ばれていたのだろうか。
 オリヴィアは思考を払うように首を振った。今はそれより、この混乱を収める方が先だ。

「城も開けなさい。市民の避難場所に」
「はっ!」

 軍靴を鳴らして、オリヴィアは部屋を出た。



*~*~*



「おいおいおいおい、なんっだこりゃ。聞いてねぇぞ!」
「これ、あっちも知らないんじゃないっすかね。うわ、喰われてる」

 子どもを全員海へ落とした玄武たちは、火の回った船を捨て、戦場を陸地へと移していた。
 隠れていた黒弦の人間は、思った以上だった。フランツが連れて行った二十ほどの手下を除き、他の黒弦の乗組員は全員船や周辺に潜伏していた。それ故、メイズは未だに奏澄の元へ行けずにいた。
 突然湧いた黒い油のようなものは、海中までは届かないらしい。子どもたちが引き上げられた小型船が無事なことだけが救いだった。

 この異常事態は、どう考えても悪魔によるものとしか思えない。フランツの正体を知らなかった頃なら、何の冗談だと思っただろう。しかし、今はあれが本物の悪魔だということを知っている。であれば、こんなことをできるのはフランツしかあり得ない。
 何があったのか。奏澄は無事なのか。焦れて駆け出したメイズに、キッドが声を上げる。

「おい! 一人で行くな、死ぬぞ!」

 魔物に襲われる恐怖に、黒弦の方も完全に混乱している。今ならば、コバルト号の元へ行くこともできるだろう。しかし、一人でこの魔物の群れを相手にしていくのは無理がある。万全の状態でも難しいのに、メイズは足を刺されている。

「邪魔だ!」

 進路を塞ぐ魔物を、銃で撃ち抜いて蹴り飛ばす。腕に噛みついてきた獣の眉間に銃口を当て、そのまま頭を吹き飛ばす。メイズの形相も、獣と変わらなかった。冷静ではいられない。こんな時に、傍にいられないのなら。何のための自分なのか。

「……ったく、仕方ねぇなアイツは。おい! フォローしてやれ!」

 アイコンタクトを交わし、五班のメンバーがメイズの後を追う。
 襲いくる魔物を蹴散らしながら、メイズたちはコバルト号へ急いだ。