23時、残業帰り。
雲でいっぱいの空から、雪がしとしとと降っては地面で溶ける。
辺りは暗く街灯の灯りだけがぼんやりと光っている、そんな夜。
「はぁ、疲れたぁぁぁあ、」
こんなことをつぶやいた時、声が聞こえた。
「死にてぇな」
まるで世界に失望したかのような、疲れ切った声。
「…え?」
声の先には、3つ上の先輩がいた。
高橋一楓。さらさらな黒髪とおしゃれな眼鏡。高身長、人当たりの良い性格。
社内でモテモテな、私の元教育係。
「は?ぁ、三浦さん、お疲れ」
何事もなかったかのように挨拶をされた。
なんだか話すの久々だね、だなんて笑いながら。
「お疲れ様です…」
「もしかして、さっきの聞いてたり…?」
「いえいやいえ!ききき聞いてないです、よ??」
慌てて否定したら意味のわからないことを口走ってしまった。
嘘のつけない小学生か、私は。
「いえいやいえ?なにそれ。絶対聞いてたでしょ。」
「えっと、その、はい。」
頷いた私に先輩は笑って言った。
「聞いてたんだね。気にしなくていいから」
「…気にしなくていいって、」
流石に気にしないでいられるほど薄情な人間じゃない。
そんな気持ちが顔に出ていたのだろうか。私を見て先輩は、また笑って言った。
「さっきの死にたいっていうのは、疲れたなぁみたいな意味だからさ。」
癖になっちゃったんだ。死にたいって言うのが。そう言って先輩はまた笑う。
「癖って、」
私の言葉を遮って、先輩は言った。
「死にたいなんて思ってないし、僕大丈夫だから、ね?」
本当になんでもないように、先輩は笑う。
私は、大丈夫なわけがないと思う。思うだけ。ずっとそうだった。
新人の頃、仕事が全然だめでずっと先輩に助けてもらっていた。
先輩は私のせいで時間を奪われていく。
それでも先輩に押し付けられていく仕事、仕事、仕事。
先輩がキャパオーバーなのを知りながら私は、先輩の言う大丈夫を信じて、見て見ぬふりをした。
先輩に頼り続けた。自分のことに必死で、先輩の気持ちなんか考えられなかった。
未熟すぎる、過去の私。
今の私。
変わらず思っているだけ。大丈夫じゃないですよね、と。
変わらなくちゃいけない。
変わらなきゃ、何も始まらない。
けど、怖い。でも、
息を吸う。
そして、声を出す。
「っでも!!」
声が変に裏返ってしまった。
「ん?」
「先輩の言った死にたいがほんとに疲れたっていう意味でも!
先輩がしんどいと思っているのは本当じゃないですか」
「…」
「いつもいつも笑ってますけど!しんどい時笑わないでくださいよ」
ただただ何かを言わなきゃと、頭がごちゃごちゃなまま、思いをぶつけた。
自分勝手で、わがままで、ひとりよがりな言葉の羅列。
夜の空気を震わせて、すぐに消えた。
子供にもできる、自分のわがままを叫ぶだけ。
これじゃ、昔と何も変わらない。
「…」
先輩はまだ黙ったままだ。
「先輩の大丈夫は大丈夫じゃないです、頼ってくださいよ、少しは。
私は、そんなに頼りない人間ですか。」
「…違う、そうじゃない。みんな、誰だってしんどいことあるだろ。僕に頼る権利なんて…」
目を見開いて、震えた声で言葉を並べる先輩。
「違います!!私は今しんどいことないですよ。」
深夜の空気に場違いな明るい声が響いた。
「なわけないでしょ」
そんな人間いる訳がないだろう、と先輩は言う。
「本当です!!だから先輩は私に頼る権利があります!」
私は笑顔をつくって明るく言う。
「…そーなの?」
そう問いかける先輩は、おもちゃを無くした子どものようだった。
「そうなんです。何かありません?今嫌なこと。」
「別に、大丈夫かな」
そんな返答にため息をついた。
「はぁ。あ、じゃあ嫌いな食べ物なんですか?」
「えどうした急に。」
「いいから!なんですか?」
「…ピーマン」
「え、かわいい。子供みたい。」
「…三浦さんは?」
「にんじんです」
「そっちが子供だろ」
「いやいやピーマンのほうが子供ですって。ん〜、じゃあ嫌いな季節はなんですか?」
「…冬。寒いのは嫌だ」
「今じゃないですか。嫌いないきものは?」
「ごきぶり」
えまって?もしかして先輩かわいい?
「それはいやですね。嫌いな曜日は?」
「月曜」
「それなすぎます、嫌いな上司は?」
「…斎藤主任。仕事押し付けてくる」
「うわぁぁ、最低ですね。だからあの人出世しないんですよ。ざまあみろです。
…じゃあ今の嫌なことは?」
「……」
黙ってしまった先輩に、わざとらしく怒るふりをする。
「ちょっと!そこ言いましょうよ!」
「…最近、会社で仕事ミスしたんだけど、その時部長がめずらしいなって言って。
もしかしたら、失望されたかなって。」
「そう、だったんですか」
失敗なんて誰にでもありますよ、とか。
そんなことで失望されませんよ、とか。
気にし過ぎなんじゃないですか、とか。
伝えようと思ったけど、先輩はそんな言葉を望んでいない気がした。
きっと、自分が何を言ってもこのことは先輩の中で残るし、
やがて先輩の中で消化される。
意味がないよね、私の言葉は。
じゃあ今の私ができることは、
「うん。でも大丈夫」
「じゃないんですよね?」
「…」
こうやって、先輩が弱音を吐けるようにすること。
「ね?」
「そうかも」
「あら素直」
わざと明るく、生意気に。
「他にあります??嫌なこと」
わざと軽く、何気なく。
「最近、なんか」
「…なんか?」
「死にたい、なって」
「そう、なんですね」
「うん」
「そっかぁ」
やっぱり、そうだよね。
そうなんだよね。
先輩はずっとそう思ってたんだよね。
薄々感づいてはいた。
いつも悲しそうな笑顔でいるから。
よくため息をつくから。
時々、切ない表情をしているから。
なんとなく、そんな気がしていた。
先輩は私と一緒なんじゃないかなって。
「…先輩ってすごいですよね」
「え?」
「私、先輩のこと尊敬してるんです。
だってすごい頑張ってますよね。
仕事量私の何倍ですか。」
ああ、なんて。
「これはわたしが勝手に言ってるだけなので気にしないでくださいね。
先輩の努力は伝わってますし、
先輩が好きな人はいっぱいいますし、
その愛に触れて、
先輩はうぬぼれて、
自分のこと好きになっちゃえばいいのになって思います。」
なんて、身勝手な言葉なんだろう。
「先輩って人のこと好きになる才能がすっごくあると思うんです。ほら、あの小林さん。先輩とよく話してますけど、あの人好きな人そうそういないですよ。」
よく言うよ、私。
私のことなんか好きになってくれないのにね。
「あいつもいいとこあるんだよ」
「ふふっ、そう言うと思いました。だから、その才能を人じゃなく自分に向けたら自分のことも案外簡単に好きになれると思いますよ。」
「…そうなのかもね」
先輩はふっと笑った。
初めて見たかもしれない。
ほんとの、笑顔。
「…ありがとう」
穏やかな顔で、静かに。けどはっきり。
先輩は言った。
「私、何もしてないですよ」
何もできなかった。好きな人が死にたいと言っているのに。
「…少し楽になったよ」
ああ、その言葉で。
私がどれだけ救われたか。
きっとあなたは知ることがない。
先輩が少しでも笑えたら。
幸せと思えたら。
生きたいと思えたら。
そう思って明るく振る舞ってきた、今までの私。
辛い時もヘラヘラして、先輩をからかってみたり。
しょうもないことを話して、笑わせようとしてみたり。
そんなことをしてた私が認められたかのように思ってしまうから。
昔から、人の心を動かせなかった。
自分が何を言っても、誰も聞いていないし、変わらない。
そう悟ったふりをして、諦めたように生きてきた。
そんな自分も変わったのだと思ってしまうから。
「それなら良かったです」
ほんとうに、先輩はずるい人だ。
先輩を救おうとしたのに、私が救われてどうするんだ。
感情は隠す。
あなたにむける気持ちはただの憧れの先輩への好意。それだけ。それだけなんだよ。
ほんとにさ、それだけなんだ。
それだけなのに。
「あの!」
「ん?」
「さっき私先輩のこと好きな人いっぱいいるって言ったじゃないですか」
「ああ、言ってくれてたね」
「それ私なんです」
「…え」
「私、好きです。高橋さんのこと。」
好きなんだよ、あなたが。
どうしようもないくらい。
ほんとうに好きなんだ。
「…え、と。ほんとに?」
ごめんね。戸惑うよね、困っちゃうよね。
「ほんとに、私は好きなんです。大好き。
…でも、叶わない恋だって、わかってるから。」
「え?」
「先輩、翠さんのこと好きなんですよね」
「え、なん」
「知ってます。わかってますから」
「…そんなわかりやすいかな」
「はい、けっこうすぐわかっちゃいました。」
「まじか…って、ごめんね」
「いいえ、謝ることじゃないですよ
頑張ってくださいよ、ぜっったい脈ありですから」
笑顔で背中を押すように。
「そうかな」
「はい!自信持ってください」
「頑張る。三浦さんにも悪いしね、うじうじしてたら。」
「そーですよ!男らしさ見せてやってください」
最後くらいは、嘘の笑顔を許してほしい。
「うん。…ねぇ、」
「はい?」
「こんな僕を、
好きになってくれてありがとう」
「…はい、どういたしまして」
いいえ、あなたは最高なんだよ。
こんな僕なんかじゃないから、そう自分を卑下しないで。
そう思う気持ちもあるけれど。
そうやって言うあなただから美しくて、私を好きにさせたんだ。
「よし、もうこんな時間ですし、帰りますかぁ」
泣きそうな顔を隠すように声をかける。
「そうだね」
「明日も仕事ですかぁ」
「きついね」
「もう明日仕事サボっちゃいましょうよ」
「それいいな」
「はい。斎藤主任に仕事全部やってもらいましょう」
「そーだな」
くだらないことを私がずっと話していて、先輩は短めな相槌を打ってくれる。
いつも通り。本当にいつも通りの会話。
好きな人とくだらない会話をできている。すっごく幸せな時間だ。
話しているうちにいつのまにか駅についた。
「じゃあ高橋さん。お疲れ様でした」
「お疲れ様。…今日は色々ありがとうね。」
「いえ全然!」
「じゃあ、また明日、ちゃんと来いよ?」
「ちぇ、はーい、お気をつけて。」
あーあ、斎藤主任に仕事押し付けたかったのに、
先輩と別れて、ひとり電車に揺られる。
ねぇ、先輩。
ほんとはね、私も死にたいんですよ、なんて。
先輩が居るから、笑えるんですよ、なんて。
しんどいこと、ほんとはね、沢山あるんです、なんて。
きっと、言える日は来ない。
いや、言わなくて良いんだ。
ぽつり。涙が落ちる。
強がって、強がって、流せなかった涙。
終電の電車で独りさびしくぽつり、ぽつり。
いつか、あなた以外を愛する日が来るのかな。
今日を忘れて、未来を生きているのかな。
一生、あなたを好きで居たいな。
でも、好きでいるのもしんどいよね。
失恋ってこんなにも寂しいんだね。
大人になっても、恋の寂しさには慣れないよ。
いつか、私自身を愛せて、
先輩も先輩自身を愛せたら、
また笑って、話をしたいね。
今だけは、この恋を頑張ってきた私を抱きしめてあげたい。
この恋を隠すように、雪が降り続けていた。
雲でいっぱいの空から、雪がしとしとと降っては地面で溶ける。
辺りは暗く街灯の灯りだけがぼんやりと光っている、そんな夜。
「はぁ、疲れたぁぁぁあ、」
こんなことをつぶやいた時、声が聞こえた。
「死にてぇな」
まるで世界に失望したかのような、疲れ切った声。
「…え?」
声の先には、3つ上の先輩がいた。
高橋一楓。さらさらな黒髪とおしゃれな眼鏡。高身長、人当たりの良い性格。
社内でモテモテな、私の元教育係。
「は?ぁ、三浦さん、お疲れ」
何事もなかったかのように挨拶をされた。
なんだか話すの久々だね、だなんて笑いながら。
「お疲れ様です…」
「もしかして、さっきの聞いてたり…?」
「いえいやいえ!ききき聞いてないです、よ??」
慌てて否定したら意味のわからないことを口走ってしまった。
嘘のつけない小学生か、私は。
「いえいやいえ?なにそれ。絶対聞いてたでしょ。」
「えっと、その、はい。」
頷いた私に先輩は笑って言った。
「聞いてたんだね。気にしなくていいから」
「…気にしなくていいって、」
流石に気にしないでいられるほど薄情な人間じゃない。
そんな気持ちが顔に出ていたのだろうか。私を見て先輩は、また笑って言った。
「さっきの死にたいっていうのは、疲れたなぁみたいな意味だからさ。」
癖になっちゃったんだ。死にたいって言うのが。そう言って先輩はまた笑う。
「癖って、」
私の言葉を遮って、先輩は言った。
「死にたいなんて思ってないし、僕大丈夫だから、ね?」
本当になんでもないように、先輩は笑う。
私は、大丈夫なわけがないと思う。思うだけ。ずっとそうだった。
新人の頃、仕事が全然だめでずっと先輩に助けてもらっていた。
先輩は私のせいで時間を奪われていく。
それでも先輩に押し付けられていく仕事、仕事、仕事。
先輩がキャパオーバーなのを知りながら私は、先輩の言う大丈夫を信じて、見て見ぬふりをした。
先輩に頼り続けた。自分のことに必死で、先輩の気持ちなんか考えられなかった。
未熟すぎる、過去の私。
今の私。
変わらず思っているだけ。大丈夫じゃないですよね、と。
変わらなくちゃいけない。
変わらなきゃ、何も始まらない。
けど、怖い。でも、
息を吸う。
そして、声を出す。
「っでも!!」
声が変に裏返ってしまった。
「ん?」
「先輩の言った死にたいがほんとに疲れたっていう意味でも!
先輩がしんどいと思っているのは本当じゃないですか」
「…」
「いつもいつも笑ってますけど!しんどい時笑わないでくださいよ」
ただただ何かを言わなきゃと、頭がごちゃごちゃなまま、思いをぶつけた。
自分勝手で、わがままで、ひとりよがりな言葉の羅列。
夜の空気を震わせて、すぐに消えた。
子供にもできる、自分のわがままを叫ぶだけ。
これじゃ、昔と何も変わらない。
「…」
先輩はまだ黙ったままだ。
「先輩の大丈夫は大丈夫じゃないです、頼ってくださいよ、少しは。
私は、そんなに頼りない人間ですか。」
「…違う、そうじゃない。みんな、誰だってしんどいことあるだろ。僕に頼る権利なんて…」
目を見開いて、震えた声で言葉を並べる先輩。
「違います!!私は今しんどいことないですよ。」
深夜の空気に場違いな明るい声が響いた。
「なわけないでしょ」
そんな人間いる訳がないだろう、と先輩は言う。
「本当です!!だから先輩は私に頼る権利があります!」
私は笑顔をつくって明るく言う。
「…そーなの?」
そう問いかける先輩は、おもちゃを無くした子どものようだった。
「そうなんです。何かありません?今嫌なこと。」
「別に、大丈夫かな」
そんな返答にため息をついた。
「はぁ。あ、じゃあ嫌いな食べ物なんですか?」
「えどうした急に。」
「いいから!なんですか?」
「…ピーマン」
「え、かわいい。子供みたい。」
「…三浦さんは?」
「にんじんです」
「そっちが子供だろ」
「いやいやピーマンのほうが子供ですって。ん〜、じゃあ嫌いな季節はなんですか?」
「…冬。寒いのは嫌だ」
「今じゃないですか。嫌いないきものは?」
「ごきぶり」
えまって?もしかして先輩かわいい?
「それはいやですね。嫌いな曜日は?」
「月曜」
「それなすぎます、嫌いな上司は?」
「…斎藤主任。仕事押し付けてくる」
「うわぁぁ、最低ですね。だからあの人出世しないんですよ。ざまあみろです。
…じゃあ今の嫌なことは?」
「……」
黙ってしまった先輩に、わざとらしく怒るふりをする。
「ちょっと!そこ言いましょうよ!」
「…最近、会社で仕事ミスしたんだけど、その時部長がめずらしいなって言って。
もしかしたら、失望されたかなって。」
「そう、だったんですか」
失敗なんて誰にでもありますよ、とか。
そんなことで失望されませんよ、とか。
気にし過ぎなんじゃないですか、とか。
伝えようと思ったけど、先輩はそんな言葉を望んでいない気がした。
きっと、自分が何を言ってもこのことは先輩の中で残るし、
やがて先輩の中で消化される。
意味がないよね、私の言葉は。
じゃあ今の私ができることは、
「うん。でも大丈夫」
「じゃないんですよね?」
「…」
こうやって、先輩が弱音を吐けるようにすること。
「ね?」
「そうかも」
「あら素直」
わざと明るく、生意気に。
「他にあります??嫌なこと」
わざと軽く、何気なく。
「最近、なんか」
「…なんか?」
「死にたい、なって」
「そう、なんですね」
「うん」
「そっかぁ」
やっぱり、そうだよね。
そうなんだよね。
先輩はずっとそう思ってたんだよね。
薄々感づいてはいた。
いつも悲しそうな笑顔でいるから。
よくため息をつくから。
時々、切ない表情をしているから。
なんとなく、そんな気がしていた。
先輩は私と一緒なんじゃないかなって。
「…先輩ってすごいですよね」
「え?」
「私、先輩のこと尊敬してるんです。
だってすごい頑張ってますよね。
仕事量私の何倍ですか。」
ああ、なんて。
「これはわたしが勝手に言ってるだけなので気にしないでくださいね。
先輩の努力は伝わってますし、
先輩が好きな人はいっぱいいますし、
その愛に触れて、
先輩はうぬぼれて、
自分のこと好きになっちゃえばいいのになって思います。」
なんて、身勝手な言葉なんだろう。
「先輩って人のこと好きになる才能がすっごくあると思うんです。ほら、あの小林さん。先輩とよく話してますけど、あの人好きな人そうそういないですよ。」
よく言うよ、私。
私のことなんか好きになってくれないのにね。
「あいつもいいとこあるんだよ」
「ふふっ、そう言うと思いました。だから、その才能を人じゃなく自分に向けたら自分のことも案外簡単に好きになれると思いますよ。」
「…そうなのかもね」
先輩はふっと笑った。
初めて見たかもしれない。
ほんとの、笑顔。
「…ありがとう」
穏やかな顔で、静かに。けどはっきり。
先輩は言った。
「私、何もしてないですよ」
何もできなかった。好きな人が死にたいと言っているのに。
「…少し楽になったよ」
ああ、その言葉で。
私がどれだけ救われたか。
きっとあなたは知ることがない。
先輩が少しでも笑えたら。
幸せと思えたら。
生きたいと思えたら。
そう思って明るく振る舞ってきた、今までの私。
辛い時もヘラヘラして、先輩をからかってみたり。
しょうもないことを話して、笑わせようとしてみたり。
そんなことをしてた私が認められたかのように思ってしまうから。
昔から、人の心を動かせなかった。
自分が何を言っても、誰も聞いていないし、変わらない。
そう悟ったふりをして、諦めたように生きてきた。
そんな自分も変わったのだと思ってしまうから。
「それなら良かったです」
ほんとうに、先輩はずるい人だ。
先輩を救おうとしたのに、私が救われてどうするんだ。
感情は隠す。
あなたにむける気持ちはただの憧れの先輩への好意。それだけ。それだけなんだよ。
ほんとにさ、それだけなんだ。
それだけなのに。
「あの!」
「ん?」
「さっき私先輩のこと好きな人いっぱいいるって言ったじゃないですか」
「ああ、言ってくれてたね」
「それ私なんです」
「…え」
「私、好きです。高橋さんのこと。」
好きなんだよ、あなたが。
どうしようもないくらい。
ほんとうに好きなんだ。
「…え、と。ほんとに?」
ごめんね。戸惑うよね、困っちゃうよね。
「ほんとに、私は好きなんです。大好き。
…でも、叶わない恋だって、わかってるから。」
「え?」
「先輩、翠さんのこと好きなんですよね」
「え、なん」
「知ってます。わかってますから」
「…そんなわかりやすいかな」
「はい、けっこうすぐわかっちゃいました。」
「まじか…って、ごめんね」
「いいえ、謝ることじゃないですよ
頑張ってくださいよ、ぜっったい脈ありですから」
笑顔で背中を押すように。
「そうかな」
「はい!自信持ってください」
「頑張る。三浦さんにも悪いしね、うじうじしてたら。」
「そーですよ!男らしさ見せてやってください」
最後くらいは、嘘の笑顔を許してほしい。
「うん。…ねぇ、」
「はい?」
「こんな僕を、
好きになってくれてありがとう」
「…はい、どういたしまして」
いいえ、あなたは最高なんだよ。
こんな僕なんかじゃないから、そう自分を卑下しないで。
そう思う気持ちもあるけれど。
そうやって言うあなただから美しくて、私を好きにさせたんだ。
「よし、もうこんな時間ですし、帰りますかぁ」
泣きそうな顔を隠すように声をかける。
「そうだね」
「明日も仕事ですかぁ」
「きついね」
「もう明日仕事サボっちゃいましょうよ」
「それいいな」
「はい。斎藤主任に仕事全部やってもらいましょう」
「そーだな」
くだらないことを私がずっと話していて、先輩は短めな相槌を打ってくれる。
いつも通り。本当にいつも通りの会話。
好きな人とくだらない会話をできている。すっごく幸せな時間だ。
話しているうちにいつのまにか駅についた。
「じゃあ高橋さん。お疲れ様でした」
「お疲れ様。…今日は色々ありがとうね。」
「いえ全然!」
「じゃあ、また明日、ちゃんと来いよ?」
「ちぇ、はーい、お気をつけて。」
あーあ、斎藤主任に仕事押し付けたかったのに、
先輩と別れて、ひとり電車に揺られる。
ねぇ、先輩。
ほんとはね、私も死にたいんですよ、なんて。
先輩が居るから、笑えるんですよ、なんて。
しんどいこと、ほんとはね、沢山あるんです、なんて。
きっと、言える日は来ない。
いや、言わなくて良いんだ。
ぽつり。涙が落ちる。
強がって、強がって、流せなかった涙。
終電の電車で独りさびしくぽつり、ぽつり。
いつか、あなた以外を愛する日が来るのかな。
今日を忘れて、未来を生きているのかな。
一生、あなたを好きで居たいな。
でも、好きでいるのもしんどいよね。
失恋ってこんなにも寂しいんだね。
大人になっても、恋の寂しさには慣れないよ。
いつか、私自身を愛せて、
先輩も先輩自身を愛せたら、
また笑って、話をしたいね。
今だけは、この恋を頑張ってきた私を抱きしめてあげたい。
この恋を隠すように、雪が降り続けていた。