「ふう……。今日も一日、長かったなあ」

暑くなってきた季節。
新社会人となった『明野 静太(あけの せいた)』は、仕事という新しい生活に慣れないまま夏が近づいてきていた。

友人と飲みに行く、といった行為をしたことがない静太は、今日も一人、帰路を歩く。
その途中でとある公園に立ち寄るのが彼の日課であった。

「誰もいない……な」

静太は公園を眺めながら昔を思い出していた。
今でこそ友達が少ないが、小学校の頃は彼にもそれなりに友達がいた。
そして記憶の中でも一番印象に残る一人の少女。

「元気かな……黒兎さん」

静太の記憶にいる少女、『黒兎 明日香(こくと あすか)』
幼い頃から、可愛いというより美人と言える雰囲気を持ち、他の子供等より大人びていた気がする少女を。

好き、という感情かは当時の静太にはわからなかった。
ただ他の子と違う雰囲気の彼女を静太はずっと気になっていた。
そしてそれは今でも……。

「ってなに考えてるんだろうな。黒兎さんに最後に会ったのは中学卒業の時なのに」

そう呟き、公園をあとにしようとしたときだった。

「……くん?」

「……え」

誰かに呼ばれた気がして、静太は再度公園を見る。
静太の視線の少し先には女性が見えていた。
その女性は静太に近づきながら呼んだ。

「やっぱり、明野くん」

「えっ、もしかして……黒兎さん?」

明日香が頷く。
静太は先程まで思い浮かべていた相手が目の前にいることに驚くしかなかった。

驚きで固まっている静太に明日香が質問を投げる。

「こんな時間に公園に何の用?」

「仕事帰りに昔を懐かしんでただけだよ。
 そのまま返すけど、黒兎さんはなんでここに?」

その問い返しに明日香は少し間を置いた。そしてじっと静太を見つめる。
急に見つめられて静太の緊張が高まる。
気になっていた少女。成長しさらに美人になった女性が自分を見つめてくるのだから。

「な、なに?」

静太は緊張しながらそれだけ絞り出して言う。
その様子を見て明日香は小さく笑った。

「ふふっ。明野くん変わってないわね」

「え、そ、そう……かな?」

「ええ、中学生の頃に私が見つめた時と同じ反応」

「……あ」

静太も思い出す。
かつても彼女が同じ行動をし、自分は緊張で何もできなかったと。

「私もね、懐かしんでいたの。思い出めぐり、かな」

明日香の表情が急に悲しげになったのを、静太は見逃さなかった。

「……なにかあったの?」

なんとなくだが、静太はそう口にしていた。
明日香は再び静太を見つめると小さく呟いた。

「私ね、幼い頃から病気があるの」

「え……?」

静太には初耳だった。
静太の記憶での彼女は成績優秀、運動もそつなくこなしていた。
とても病気だと思えなかった。

「ずっと平気だったの。ただ爆弾を抱えていただけ」

そう言って彼女は手を胸に当てた。

「急に導火線に火がついたのかな。この一年で一気に悪化したらしいの」

「……な」

静太は驚きで声が出せない。
病気だった、一気に悪化した。その言葉が静太の脳に響く。
だが静太が落ち着きを取り戻す間もなく明日香は続ける。

「放っておいたらもう長くないんだって」

その言葉に静太は雷に打たれたかに感じた。

「し、手術とかは?」

落ち着きを取り戻すように静太が問う。

「うん。今度ある国で最先端の手術を受けるの」

「そ、そうなんだ……」

静太がほっと胸をなでおろす。
だが明日香からは追撃の一言が。

「それでも成功率は10%くらいだって」

「っ!?」

静太が再び驚くのをよそに、明日香は語り続ける。

「だからね、私、今日の内に思い出を巡っておこうかなって」

「今日の内にって……」

静太は気づいてしまった。

「うん、明日には私、日本を離れる。だからーー」

明日香は静太から離れるように歩きながら呟いた。

「最後に明野くんに会えてよかった」

「っ……」

その呟きに静太は駆け出していた。
駆けて、明日香を後ろから抱きしめていた。

「明野くん……?」

「最後だなんて言わないでよ……」

静太の目から涙がこぼれる。


「黒兎さん、僕、君が好き」


その言葉に明日香が震える。

「中学生の頃から、ううん、多分もっと前から好きだったんだ」

静太の抱きしめる力が強くなっていく。

「だから……。病気を治してまた帰ってきて。ここに」

「……」

明日香がそっと、自分を抱きしめる静太の手を外す。

「ずるいです、明野くん」

その明日香の声は震えていた。

「私は……死ぬ覚悟はできてたのに……。
 そんなこと言われたら、生きたいって思ってしまうじゃないですか!」

そう叫ぶと、明日香は静太の方に向き直り、彼の唇に自分の唇を重ねた。

「!?」

その口づけはどのくらいの時間だっただろうか。
一瞬のようであり、物凄い長い時間のようでもあった。

「明野くん」

「な、なに黒兎さん?」

「私も貴方が好き。小さい頃からずっと」

静太が驚くよりも先に、明日香が再び口づけした。


その夜、二人は同じ部屋にいた。
どちらが言った、どちらが誘った、などではない。
ただ二人は同じ部屋にいた。

「ねえ」

「はい?」

「黒兎さんは、なんで僕のことを好きになったの?」

ベッドに横になったまま、静太が尋ねる。

「ふふ。じゃあ明野くんはなんで私のことを?」

「えっ。ええーと……」

静太は思い出しながら口に出す。
初めて会った時から美人に感じたこと。
クールな様で優しくしてくれたこと。
何気によく目があったこと。

「そういえば、中学卒業まではよく会えてたよね?」

「当然です。9年間、同じクラスだったんだから」

それを聞いて静太は驚いた。

「やっぱり。明野くんは気づいてなかったんですね。
 私にとっては運命だったのに……」

「いや、あはは……」

静太は笑うしかなかった。

「だから高校が違って、私、結構気にしたんですよ?」

「う……。でも僕、黒兎さんほど頭良くなかったから……」

「勉強、教えようとしましたよね。
 でも明野くん、恥ずかしいからって逃げて」

「そ、そうだったかな?」

静太は苦笑いで誤魔化すしかなかった。

それ以降も思い出や他愛ない雑談で時間は過ぎていく。

「明野くん。もう寝ました?」

「うん? まだ起きてるよ」

それを聞くと、明日香は呟いた。

「ありがとう。君のおかげで生きる気が湧いてきました」

「……僕も、ありがとう」

「なんで明野くんが礼を言うんです?」

「……社会人になってまだ数ヶ月だけど、慣れなかったんだ。空気というか雰囲気に。だから公園で思い出に浸ってた。だから、黒兎さんに会えたことがすごく嬉しかったんだ」

「それは、よかったです」

そこで話は途切れ、二人は眠りについていた。



翌日、空港に2人の姿があった。

「じゃあ、いってらっしゃい」

「ええ、いってきます」

二人は周りの目を気にせず抱きしめ合う。
少しして離れると、明日香はゆっくり離れ手荷物検査場に歩いていく。
それを見ながら、静太は大きい声で、明日香の背中に叫んだ。

「待ってるから! 君が戻ってくるのを! だから!」

明日香が振り向く。
二人は同時に叫んだ。

「「またあの公園で!」」