「どうする? コンビニで缶チューハイでも買う?」

 カフェを出るなり、古川くんがそう言って近くのコンビニを指差した。

「それ、飲みながら歩くってこと?」
「うん。嫌?」
「嫌っていうか……マナーとして、どうかなって、そういうの……」
「そっか。倉田が嫌ならやめる。別に、喉渇いてないし」

 行こうか、と古川くんは歩き始めた。だけど、私はもやもやしてしまう。
 私が嫌ならやめる? 私が頷いてたら、古川くんはお酒を飲みながら散歩するつもりだったの?

 別に、歩きながらお酒を飲むことは法律で禁止されているわけじゃない。でも、私はどうかと思うし、周りでそんなことをする人もいない。

 古川くんは、どんな人の影響でそんなことをするようになったんだろう。

「倉田?」
「あ、ごめん」

 ついてこない私を不思議に思ったのか、古川くんが振り返った。小走りで古川くんの隣に並ぶ。
 古川くんの方が歩幅は広いはずなのに、歩くペースは一緒だ。きっと、古川くんが私に合わせてくれているんだろう。そういうところは、昔と変わっていない。

「倉田、いつ東京戻るの?」
「明日か、明後日かな」
「また、寂しくなるな」

 狡い。どうしてそんなに、本当に寂しそうな声を出せるの。
 私たち、何年も連絡なんてとり合ってなかったのに。

「でも、今日はまだ帰らなくていいんだよね」

 そう言うのと同時に、古川くんは私の手をぎゅっと握った。いきなりのことに驚いて顔を上げると、熱のこもった瞳と目が合う。

「まだ、帰ってほしくない。ねえ、だめ?」

 古川くんがゆっくりと視線を動かす。古川くんの視線の先には、見慣れないホテルがあった。

 あのホテルって……。

 全身から一気に酒が抜けた。私が固まっていると、古川くんが私の手を軽く引っ張る。

「行こうよ」

 なにそれ。なにそれ。なにそれ。

「……ねえ、倉田」

 古川くんの吐息が耳にかかった。そしてゆっくりと古川くんの顔が近づいてくる。酒の匂いに交じって、古川くんからはいい匂いがした。
 たぶん、香水の匂いだ。昔の古川くんは、面倒だって制汗剤すら使っていなかったのに。

「いい?」

 甘えるような笑顔と声。どうしてこれだけは、昔からちっとも変わってないんだろう。いっそのこと、全部変わってしまっていればよかったのに。

 古川くんの唇が、私の唇に触れそうになる。
 私は、反射的に古川くんを突き飛ばした。

「……ごめん」

 古川くんは少しの間ぽかんとした顔をしていて、その後慌てたように倉田! と私の名前を呼んだ。

「こっちこそごめんね。その、いきなり……。本当、悪かった。久しぶりに会えて嬉しくて、でも、すぐ帰っちゃうのかと思うと寂しくて」

 時が経てば、人は変わる。当たり前だ。私だって、高校時代と比べれば見た目も性格も、いろんなものが変わったのだと思う。
 だけど私は、今の古川くんのことを好きになれない。

 古川くんが変わっていく様子を傍で見ていたら、たぶん、私は違う気持ちになっただろう。でも、私が知らないところで、知らない誰かの影響で変わった古川くんを、私は大切には思えない。

「ねえ、倉田。次はいつくる? また、会えるよね?」
「……ごめん。無理」

 自分でも驚くほど冷たい声が出た。古川くんが傷ついたような目で私を見る。

 ごめん。ごめんね古川くん。
 私たぶん、古川くんのことが大好きだったんだ。
 大好きだったから、もう古川くんには会いたくない。

「ばいばい、古川くん」

 そう言って、私はすぐに古川くんに背を向けた。待って、という声を無視してひたすら走る。古川くんが追いかけてきているのかどうかすら分からないくらい、必死に。

 しばらく走ってから、私はタクシーに乗り込んだ。実家の住所を伝えると、すぐにタクシーが動き始める。

 古川くん、今、なにを考えてるのかな。
 悲しい? 怒ってる? がっかりしてる? 
 今日のできごとが、古川くんをほんの少しでも変えちゃえばいいのに。
 私は、変わった古川くんを見ることはないだろうけど。

 目を閉じると、古川くんの甘い笑顔が頭に浮かんだ。その笑顔は大好きだった昔の古川くんじゃなくて、今日の古川くんだ。

「……あーあ」

 キスくらい、しておけばよかったかもしれない。私にとっては大切なファーストキスだけど、そのくらい、私は古川くんのことが好きだったから。

 もっと早く気づいてたら……なんて、考えるだけ時間の無駄だ。

 明日、始発の新幹線で東京へ帰ろう。古川くんに会うという目的は果たした。そしてもう、私が会いたい古川くんはどこにもいないんだから。